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装置はカウントダウンを終え静止していた。どうなったのだろうか。俺が恐る恐る後ろを振り返ると月極老人と目があった。彼の目の光は揺らいでいた。彼もどうなったのかまだわからないのだ。
「あ、ん?」ナカガワが放った言葉に反応し二人ともほぼ同時に振り返った。
「置き換え…完了!だって!義人くんすごいすごい!」
「あえへっヘヘッへ。そんなそんな。」
「なん…だと…。」老人はへたり込み床上に広がる湖の領土をさらに拡大させた。本日二度目の失禁である。
「すごいわ!ほんと!月極の悲願とも言えるものを…えっとその…えっと…。」しどろもどろだ。
「あっとえっと。」かく言う俺も何と言っていいのか分からない。
「このロリコンがあ!」排尿を終えたらしく老人が喚き始めた。
「なんてことを、なんてことをしてくれたのだ!わしが、このわしが何年もかけて莫大な費用を用いて自ら指揮をとったこの計画を!わしの長年の夢を!あんな!あんな一言でひっくり返しおって!それに貧乳だと?笑わせるな!このロリコンが!大体わしが原稿用紙何枚分を用意したと思う!それをお前5文字で!たった5文字!漢字にすると2文字だぞ!このロリコンが!」そう喚いている彼に写真を見たとき感じた風格は全く残っていなかった。哀れだった。腰を抜かしお漏らしをしそこから立つこともできず喚くことしかできない哀れなただの老人がそこにいた。
「ひとつだけ言わせてください。」俺は彼に寄って言った。近くによるとちっぽけだということがわかった。彼は鬼でも悪魔でもない。まして怪物でもなんでもない。ただのちっぽけな人間だったのだ。
「俺はロリコンではありません。俺が好きなのは幼ない女の子ではない。ただ貧乳が好きなだけです。人よりも少しだけ。巨乳よりも貧乳が好みなだけなのです。わかってもらえないかもしれませんが、それが真実です。」
彼は何か反論しようと唾を飲み込んだが無駄だと悟ったのかそのまま黙り込んだ。
「ナカガワさんこれからどうするんですか?」
「う、うん…。」ナカガワの顔は引きつっていた。
「そうね。この後は…。」
彼女がそう言いかけたその時ランプが点き警報音が鳴り響いた。
「警告。自動削除開始まで1分。速やかに退避してください。」電子音声がそう告げた。
「作動したか…。」振り返るとそこにはDr.エリックがふらつきながらも立っていた。
「博士あなたやっぱりこの技術を独占するつもりだったのね。」ナカガワが言った。
「どういうことですか。」
「この男にとって今回の計画は実験を兼ねたプロモーションだったのよ。つまり一度作動したら爆破して装置の痕跡を消そうとしてる。誰かに盗まれないように。自分の頭の中だけにその作り方を残してね。」
「どうしてそんなことを。」
「どうしてだと?」エリックは眉間にしわを寄せて、言った。
「理由は明白だろう。この装置は金になる!人類が超えられなかった壁を取り払う装置だ。君たちは隣の人の気持ちを完全に理解できるか?本当の意味でそれは成し遂げられないことだろう。しかしこの装置なら可能だ。大規模な洗脳で軍隊での練習もより短期間ですませることができる!犯罪者の更生や教育の場でも役立つだろう。戦争も平和も作り上げるのがこの装置だ!これを欲しがらない国、政府はないだろう!」
「そしてそれを作れるのは…。」そう言うナカガワの表情は厳しかった。
「そう。私だけだ。君の組織だって欲しがっているんだろう。この装置を。だから君が派遣された。違うかね。」
「違う!私は…。」
「私は!今君は私はと言った。それはつまりあくまで君個人の考えだ!君のボスも同じことをいうかね!命令はなんだった!私を逮捕すること?計画を止めること?違うだろう。君は設計図の略奪を指示されたんだろ。その証拠に君はデータを盗んだ!」
「だま…。」
「えっとそのお。」二人が同時にこっちを向く。
「あの、俺たち逃げなくていいんですかね…。そろそろ1分だと思いますし…。」
「ああ、それならば大丈夫だよ。爆発と言っても小規模なものさ。重要な部分を少し壊すだけだ。我々に危害が及部ことはまずない…。」
そう言った次の瞬間、エリックの後方で派手な爆発音が上がった。エリックが振り向く。その目線の先には爆発したなんらかの機器があった。その爆発痕は明らかに近くで巻き込まれたら致命傷となるであろうことを示唆していた。
「エラー。警告。エラー。警告。次の爆発まで10秒です。」電子音声が告げる。
「えっと?これは?」
「何事だ!」エリックがすぐさまパソコンのディスプレイを覗き込む。
「なんだ?電子頭脳プロコトルが侵されている?データ名Hin-New?なんだこれは!今も増え続けているぞ!まずい!これでは排熱が間に合わない!」
「どういうこと!?」
「削除プログラムは安全のため段階的に爆発するようになっている。もちろんそれは弱い爆発の前提だがな。しかし全てを統括している電子頭脳が何かでいかれてしまった。このままでは順々と次々に大きな爆発を起こし。1分後メイン装置が爆発する。」彼が指をさした方向には制御盤があった。
「大爆発だ。このドーム自体も危険かもしれない。特にこんな密閉空間では威力も、爆風による被害も倍増するだろう。」エリックが終わりを悟り崩れ落ちた。それとほぼ同時だ。ナカガワが制御盤の方に駆け寄った。
「義人くん!これ捨てるわよ!」
「えと。捨てるってどこに?」
「わかんないわよそんなもん!とにかく先ずははじに寄せる!手伝う!わかった?」
「えと、その」
「わかったら返事は!」
「はい…はい!」
「はいは一回!」
「はい!」後ろの方で何かが爆発した音がした。
彼女が持つ反対側を俺が持ち持ちあげようとした。しかし重い。全身全霊をかけても少し持ち上がるだけだった。
「義人くん!バナナの皮!挟んで!道作る!」そういうと彼女は落ちているバナナの皮を集め隙間にねじ込んだ。俺はそれを見て昔博物館で見たピラミッドを作る古代エジプト人の図を思い出した。巨大な石を丸太に乗せて運ぶあれだ。
「義人くん何ぼーっと…。」彼女がこちらをみる。
「義人くん!後ろ!」
「へ?」何かの威圧を感じて振り返るとそこには、ゴリラが立っていた。
霊長類の域を超えた霊長類は二つの目で俺のことを眺めていた。
「ルートビア!」エリックが言う。
「お前生きていたのか!しかしすまないな。そのまま寝ていた方が安らかだったかもしれん。」
「博士!あなた生きたいんでしょ!ルートビアに命じて!これ!持ち上げられるんじゃない!?」
「そ、そうか。よしルートビア!メイン装置を外へ投げ捨てろ!」しかしゴリラはキョトンとした様子で一向に動く気配がない。
「ちょっと!どうなってるの!」
「まさかルートビアに埋め込んだ電子脳もいかれたか!もうだめだ!」
「肝心な時に!なんでそんななの!」等の本ゴリラはこちらをじっと見て立っている。まるで命令を待っているかのように。待機しているかのように。
「待てよ。」頭を抱えたままエリックが言った。
「ルートビアには序列プログラムが組み込んである。常に自分より強いものに従うプログラムだ。自分より強いもの。それは自分を倒した者。つまり…。」二人の視線がこちらに向く。
「えっ?へっ?」
「義人くん!やってみて!早く!」
「えっええ?」
「話しかけて命令するのです!」
「えっとえっと。あの俺の言うこと聞いてくれますかね…。」
「うほっ。」無言で突っ立ていたゴリラが返事をした。
「えとえと。これ外に運んでもらってもいいですか?」
「うほほ。」そう言うとゴリラは右手を差し出した。
「あ、まずは握手からですか。そうですよね。挨拶は基本ですもんね。」
「うほほほほ」首を振り横を向く。そこにはバナナが置いてあった。
「早く!爆発が迫ってる!」ナカガワが叫ぶ。またどこかで何かが爆発した。
俺がそれを手に取り彼の右手に渡すと彼はそれを食べ皮を投げ捨ててから装置の方へ向かった。そして軽々と装置を持ち上げ扉に向かって歩んだ。
「すごい!さすが!」
「うほおおおお!」そう叫んだ瞬間、ゴリラはバナナの皮を踏んだ。そしてその巨躯を反転させ頭から引力の洗礼を浴びさせた。彼の手から離れた装置は宙を舞った。誰もがもうダメだと思っただろう。実際に俺はそう思った。ああこんなもんか人生。できれば最後に美味しいものでも食べて、S山とでも話したかったな。そんなことをぼんやりと考えていた。しかし宙を舞った装置はその勢いで、力学的に言えば水平投射の動きでそのまま壁を突き破りそして外の世界への脱出を成功させた。次の瞬間それは轟音をたて爆発した。




