15
携帯の着信音がドーム状の建物内に響いている。血の気が引いていった。そちらを見なくてもこちらの方への視線を感じる。
「何事だ?」
「何でしょうか?」
「うほっ?」
俺は焦ってポケットから携帯を取り出し。響き渡る音がより大きくなりますます焦ったのか間違えて通話ボタンを押してしまう。
「義人?今大丈夫かいな?」寅さんだった。
「寅さんすみません。今取り込んでまして…。」
「え?なんて?声小さくて聞こえへん。もっと大きな声出せへんのか。」俺の小さな声と反比例するように寅さんの声は大きくなる。
「すみません。後で掛け直しますので…。」電話口でぎゃあぎゃあ喚き立てる寅さんを尻目に電話を切った。俺が電話を切った事で再びドーム内が静寂に戻る。だからと言って時間まで戻らない事は背中の方からひしひしと伝わる視線がしみじみと物語っていた。
「誰だ!」声が響く。思わずビクッと体が動き、背中を打ちその音がドーム内に響く。
「そこにいるのは分かっているんだ!出てこい!」
と言うマッドサイエンティストの怒号と共にもう一つ物音がした。彼女だ。俺のいた所との反対側から彼女が飛び出したのだ。俺が3人の注意を引いた事で彼女のいた場所は彼らから完全に死角となっていた。ピンチはチャンスだ。暗い夜が朝となるように窮地は好機へと変えられていく。奇襲は完璧だと思った。と言うより実際に完璧であったのだ。完全にこちらに注意を取られていた二人と一匹は雄叫びをあげて疾走する彼女の発見に一瞬遅れた。彼女は彼らの虚を完全についていた。しかし偶然の産物というものはまたも偶然によってひっくり返されるものなのだ。彼女の手が彼らに届く事はなかった。彼女は彼らの目の前で横転した。床に落ちたバナナの皮を踏んで。まるで漫画にあるお約束のように。
「ふぎゃっ。」初めてあった時と同じ声をあげ、頭を打ち付けた鈍い音が響いた。突然の出来事にか誰もが黙らざるを得なかった。
「フハハ。」彼女が立ち上がらないのを見て安心したのか老人から笑いが溢れた。
「ふははははは。残念だったな。最大のチャンスを逃しおって。おい、Dr。こいつは確か我が社へ潜入していたスパイだったな。」
「ええ。どうやら転んだ際に頭を打って脳震盪を起こしたようですな。」
「ふはははは。焦らせおって。ペッパー、捕縛しろ。」
「ええ。かしこまりました。」今度は老人は体の向きをこちらにかえ、指をさして言った。
「という事はそこにいるのは誰だ。」
「おそらく仲間でしょう。そう言った情報はつかんではおりませんが。ルートビア!捕まえろ!」
「うほ。」
ゴリラは跳ね飛ばされた時のようにその巨体を跳躍させ俺の前に落ちてきた。俺の姿を捉えると顔を覗き込んでくる。俺は悲鳴を漏らすこともできない。しゃがんだまま、尻もちを着いたまま見上げるとものすごく大きく見える。とても180センチほどしか無いようには見えない。
「観念しろ!ルートビアは俺の最高傑作だ!知能の高いゴリラをサブリミナルの刷り込みで空手、柔術、などなどあらゆる格闘術に剣や銃器といったあらゆる武器と兵器の使い方!おまけに茶道も刷り込んだアーミーゴリラだ!それに改造手術で一部をサイボーグ化して握力は800kgを超え重さ3トンのものなら軽々と持ち上げられる!時速60kmで二時間走り続け視力は8.0とまさに死角なし!」
ドクターエリックが言っていることが本当ならばそのゴリラが今まさに俺にジリジリと迫っている。どう考えても霊長類最強の生物だ。どうしたら逃げられる。いや勝つことができる。いや無理だ。俺一人じゃどう考えても。じゃあどうすれば痛くない方向に、考えてる間にもうだめだ!俺は思わず目を瞑った。
派手な音と鈍い音がすぐ近くで上がった。俺は恐る恐る顔をあげるとゴリラが倒れていた。
「ば、ばかな…。」震えるドクターエリックの声が聞こえる。
見るとゴリラの足の裏にバナナの皮がついていた。さっき飛んできたバナナの皮だ。これで滑って転んだ拍子に近くの階段の角に頭をぶつけたのだろう。ゴリラは気絶していた。
「そ、そんなわけ…。」エリックの声は明らかに動揺していた。
「私の、この私の最高傑作だぞ。霊長類最強の生物で最強の兵器だ!そんなのをたった一撃で倒せる倒せる人間が、いや生物が存在するはずがない!」
どうやら彼の位置からはゴリラの上半身の方は見えているが下半身は死角になっているようだ。何が起きてこのゴリラが倒れたのかわからないのだろう。
「何者だ。貴様!姿を見せろ!」これしかないと思った。ナカガワもいない。武器も持っていない。そんな中で俺が勝つ見込みがあるのはこれだけだ。俺は立ち上がり彼らの前に姿を現した。
「お、お前はっ!」エリックが驚きを隠せない様子であった。よし。それでいい。
「確かヨシトヤマカワ!お前がどうして?」俺はなるべく悠々と階段に向かって歩いた。靴音が鳴るように意識しながら。
「普段の姿はただのサラリーマン。」コツンコツンという靴音だけが静まったドームの中でやたらリアルだ。
「お前もスパイだったのか!」エリックが騒ぎ立てている。その表情はアパートを襲撃したときの自信は失われ、未知なるものに対した怯えが感じられる。
「果たしてその正体は。」俺は一段一段ゆっくり段を上がりながらメガネを外し胸ポケットにしまった。
「おい!聞いているのか!おい!」
「罪を憎んで人を憎まず。」エリックの声にかき消されないようにトーンは変えずに少し大きく声を出す。
「人はこう呼ぶ。マウントリバージャスティスメン。」
「マウント…?」エリックが腰を抜かし座り込んだ。ハッタリは効いている。少なくとも確実に困惑している。
「ルートビア…とか言ったか。俺にとっちゃこんなゴリラなんておもちゃみたいなもんだ。」万全の状態にするためハッタリをさらにかける。
「嘘をつくな!!」口ではそう言っているが冷静に状況を分析する余力ももう残っていないようだ。勝機はそこにしかない。
「さて、その女を離してもらおうか。」
「だ、黙れ!下がれ!」効果はてきめんだ。強がってはいるが目が泳いでいる。俺はこの隙に冷静に次の策を考える。焦るな。もう勝ったも同然だ。落ち着いて次の策を考えろ。おそらくこの二人にもう戦意はないだろう。あったとしても立て直せる戦力はない。まずはナカガワを取り戻す。俺はゆっくりと彼女の方に歩みを進めた。
「止まれ!動くな!」エリックが後ずさりをする。
無言だ。無言で威圧しろ。沈黙は金だ。これ以上の言葉はボロが出るかもしれない。と言うかこれ以上それっぽい適当な言葉が思いつかない。俺は黙りながら喚き立てるエリックを見つめてゆっくりとしっかりと踏み込みを入れて歩みを進める。一歩、また一歩と。少しずつ。しっかりと。地面を踏みしめて焦らず急いで。いきなりだった。足に力を入れて踏み出そうとした時。いきなり目の前の景色が反転した。