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「あ、そうだ。お父様」
スーザンは書類整理の手をせわしなく動かしながら一時休憩に入っているカウロに話しかけた。
あの日以来、カウロはスーザンの仕事を手伝うようになった。正確にいえばそれは元を正せばカウロ自身の仕事であったわけなのだが、もう数年間はやっていなかったため簡単な書類整理もスーザンの仕事もとい習慣となっていたのだ。
スーザンはそれを苦には思わなかったし、悪態をついてカウロを外に追いやるのも恒例になっているからしているだけで、仕事を嫌がって溜めておく、という思考がわからないわけでもないのだ。
だから
「別に私一人でできるわよ」
と言ったのは見栄を張ったわけでもなんでもなく、スーザンの本心であった。
けれどカウロは引かなかった。
「僕も頑張らなくちゃいけないんだから!」
あまりにもやる気に満ちていたためありがたく手伝ってもらうことにした。だがいかんせんカウロは仕事というものが嫌いだった。それは突如として湧き出たやる気に継続性という名のおまけは付いてくることなく、少しやっては休憩し、また少しやってを繰り返していた。
スーザンはそれを苛立たしく思うことはなかったが暇を覚えることはあった。
なにせ一人でやればとっくに終わる仕事を仕事嫌いなカウロと分担してやっているのだ。当然自分の分が終わったからと言って部屋を後にするわけにもいかないし、やる気のあるカウロに分担された仕事に手をつけるわけにもいかず、まだ時期には早いが処理済みの仕事をまとめていた。
簡単で単調な仕事。
それを早く終わらせてしまわないように気を付けて処理していれば次第にうつらうつらと眠気が襲ってくる。それを何とかして追い払おうとソファで伸びているカウロに話しかけたのだった。
「なんだい、スーザン?」
「私、結婚したいのだけど誰か相手はいないかしら」
「……」
カウロはクリクリとした目を開いたまま固まった。
「お父様?」
ショートでも起こしたのだろうかと思い、見つめるも次第に目が乾いてきたのかパチパチと瞬きをした。
そして
「スーザン。ちょっとこっちへ来なさい」
とひどく真面目な顔で今までだらけていた身体を起こし、目の前のソファに座るように目で促した。
今まで父、カウロがこんなにも真剣な顔をしたことなどたったの一度、それもマリーが倒れた時しか見たことがなく、何か悪いことを言ってしまったかとスーザンは後悔をした。
ソファなんて今スーザンが腰掛けている椅子からはたったの数歩でついてしまうというのにスーザンは少しでも時間を稼げるようにいつもよりも小さな一歩を踏みしめる。
そんなの一分にも満たないというのに往生際が悪く。
だがそんなスーザンを叱るわけでもなく、いつのまにか何を考えているのかわからない、仮面のような顔でじいっと見つめていた。
そしてスーザンがようやくソファに腰を沈めると
「スーザン、君には結婚の約束をした相手はいないのか」
まるで尋問のように、カウロは口以外の一切を動かさずに目の前のスーザンに問いかけた。
「は?」
その様子に初めこそは固まっていたスーザンも問いかけの内容が頭まで回ってくるとこの雰囲気を全て台無しにしてしまうほどの間抜けな声を出すほかなかった。
だがスーザンが呆れるのも無理はない。
スーザンに婚約者がいないことなど父のカウロが一番よくわかっているはずだからだ。
貴族というものは階級に関わらずほとんどが幼い頃から両親によって連れて来られた相手と結婚するものだ。
だがスーザンやジュートにはその相手はあつらえられなかった。ならば自身で探せばいいのではないかと思うかもしれないが生憎スーザンの頭に浮かぶ候補はどれも金目当てのものばかり。
つい先日のような急にお金が必要になればそんな相手と結婚することもやぶさかではないがそうでなければもっと良好な関係性を築けるような相手と結婚したい。そう考え、自分よりも伝手を多く持つカウロに話を持ちかけたのであった。
「スーザン、私は真面目な話をしているんだ。君も真面目に答えなさい」
いつも一人称が『僕』であるカウロが『私』と使う時点でそのことは重々承知している。
話の内容が『婚約者について』でさえなければスーザンも真面目に会話を続けたはずだった。
だがカウロはいたって真面目であり、気が狂っているわけでもない。
ならばこれはこちらも真面目に返す他の選択肢はないと腹をくくった。
まず何から話すべきかと迷ったが、やはり初めはカウロの投げかけた質問へと返答することに決めた。
「お父様、私には婚約者などそのような関係を持ってくださる方はいらっしゃいません」
「…それは本当か? まぎれもない事実であるとラドーラに誓えるか?」
「はい。ラドーラ様に誓って嘘はついておりません」
ラドーラ――それは豊穣の神でスーザンや村の全員が信仰している神の名前だった。
ラドーラは豊作をもたらし、時には子をもたらすとも言われる。
農作を主な収入源とする村ではよく崇め奉られている神の一人だった。
ラドーラを信仰するものにとってラドーラは絶対的な存在であり、ましてや嘘を吐くことなど許されない。そんなことをすればたちまち畑には作物が実らなくなってしまうとの言い伝えまである。
だから村では大事なことは全て
「ラドーラに誓って」
と頭につけてから宣言する。
それは主に結婚の時だとか祭りの時だとか祝いの場でよく使われるのだ。なのに何が悲しくて自分に将来の相手がいないことを神に誓わなくてはいけないのか。
どうせなら結婚の時に誓いたいものだ――とそんな相手もいないくせに心の中で毒を吐く。
望み通り神に誓いまで立てたというのにカウロは不満げに顔をしかめた。
「お父様、どうしたのです?」
「ちょっとしばらく家空けるから。マリーと領地のこと、頼んだよ」
「え?」
「いいね?」
「あ、はい。任せてください」
強く念押しするカウロの勢いに負けスーザンが頷くと、カウロはスーザンに行き先を告げずに部屋から早足で去った。スーザンも慌てて後を追うがカウロは一切口にはせずにマリーのいるキッチンへと足を運び、スーザンに宣言したのとおなじように
「しばらく家空けるから」
とだけ言って奥から出てきた使用人を引き連れてどこかへ行ってしまった。
「せっかくパイ焼いたのに……」
残されたマリーは去りゆく背中を睨みながら頬を膨らませてむくれていた。
「あの、お母様はお父様が心配ではないのですか?」
どこに行くか、いつ帰ってくるのかさえ伝えないで出て行ったカウロのことに何も触れないマリーを訝しげに思った。
「え?うーん、あんまり? 大体見当はついているしねぇ~。全くあの人は肝心な時に気が短いんだから困っちゃうわよね~」
「え?」
「まぁ帰ってきたら答え合わせでもすればいいのよ。どうせ悪いようになんてならないんだから。それよりパイよ。たくさん焼いたのに……食べきれるかしら?」
あくまでもマリーの心配はカウロではなくパイであり、全く心配していないということだけはよくわかった。
そんな姿を見ていると心配することが馬鹿馬鹿しくなってくる。
スーザンがはぁとため息を吐くと
「とりあえず食べましょ~」
と言ってマリーは何処かに消えた。そしてすぐに3人の使用人を引き連れて戻って来た。
「うん、上手にできてるわ」
マリーは使用人の一人が持ってきたナイフで人数分を切り分けて皿の上に乗せてから満足げに笑った。