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スーザンはどうやってこの靴を作ったのか疑問に思った。だがすぐに結論に至る。
魔法使いだ。
小さい頃に何度もマリーに頼んでは聞かせてもらった隣国の話。
シンデレラが舞踏会に行く手助けをした人物。
ガラスの靴をシンデレラに与えた人物。
小さい頃は信じていた。
けれど大きくなった今ではそんな人物は存在しないのではないかと、物語を美しく仕上げるために後から付け加えられた登場人物ではないかと思っていた。
だが魔法使いでもいなければこの靴はどうやって作り出したのかという疑問が残る。
そもそもスーザン以外の招待客、何十名、いや何百名もいる、その全員分をどうやって。ガラスは繊細だ。
幼い頃からスーザンが割ったガラス製品は両方の手では収まりきらない。手から滑り落ちてしまえば、何かしら硬いものにあたってしまえば無残にも形を崩すそれらをどうやって、という製法についての疑問が一つ。
それから最大の疑問はいつ足の形を測ったのか。
幼い頃、何度もリールの作業場を訪れたスーザンは靴が作られるまでの工程を大まかにだが把握していた。
量産品なら話は別だが、こんな精巧に作られた靴が量産型であるはずがない。ならば残るのはオートクチュール。人それぞれの足の形にあったものだ。だが足の形というのは一人一人異なるものでそれは生まれつきであったり、歩き方であったり理由は様々だがなかなか全く同じ形の足を持つ人物というのは巡り合えないものだ。
だからこそ靴を作る前にはまず細かいところまで採寸する必要があるのだ。
スーザンの頭の中にリールが厚化粧の女性の足にメジャーを合わせて、慎重に扱っていたのが蘇る。
「どうしてそんなに測るの」
と構ってもらえないスーザンがむくれて聞いた。するとリールは教えてくれた。
「その人に合った、ぴったりとした靴を作るためだ」――と。
そしてその二つの疑問を解決する手っ取り早い方法は魔法使いがいることだ。
魔法使いが魔法を使う原理はスーザンにもあまりよくわかっていなかった。マリーの話に出てくる魔法使いは杖を振っただけだったからだ。それに対する細かい記述は一切省かれているようだった。
だが聞かされた話の中でガラスの靴を出したのは紛れもなく魔法使いである。
スーザンは一人で納得してから数歩歩いた後で慎重にガラスの靴から足を抜いた。
「……どうかしたか?気に入らなかったのか?」
機嫌の良さそうな顔から一転、男は心配そうな顔を向ける。
もしやこの男は靴の製作者の知り合いなのではないかと思い、スーザンは理由を説明した。
「いえ、素晴らしい靴です。見た目は美しくそれでいて履きやすい」
「ならなぜ!」
「お返しする靴ですからそう長くは履いて入られません」
そう返した後に、はてこれは弁償をするべきかと頭をよぎる。
『履いてみろ』
そう言われたから履いてみたものの買い取りになったらどうすべきか。
つい先日カウロに言った通り、机の中に貯めてあるのはいざというときのための、村のためのお金で、こんな私的な用事に使ってもいいお金ではない。
だからと言ってスーザンにあるお金といえばほんの少し、それこそ都市部に宿を数日借りればなくなってしまうほど。
王宮から送られてきた、いかにも値が張りそうな、この靴を買いとれるはずもない。
「は?」
口をこれでもかと大きく開ける姿に、やはり返却は効かないかと頭が痛くなる。
「えっと……お金は待ってもらえますか? 必ずお返ししますので……」
スーザンは男の回答よりも早く頭の中でそろばんを弾く。
とりあえずジュードから送られてくるお肉を売って……。
それから服も売ろう。
最低限夏服と冬服、2着ずつそれに行事の時に着る、このドレスが残っていれば何とか着回して生活できないことはないだろう。幸い日常的に着ているものはあまり季節感を感じさせるものではない。冬場に洗濯が追いつかなければ夏物を着て何か上に羽織れば何とかなるだろうと算段を立てる。
今月末に新しく買う予定だった靴は先延ばしにして……。
そこまで言ってから一つの考えに行き着く。
靴だけではなく、服とアクセサリーも買い取りだったら……。
それはもう恐ろしい額になる。
こんなことになるなら舞踏会に行くべきだったかと後悔してももう遅い。
舞踏会はもう2週間以上前に開催されてしまっているし、こうして取り立てが来ている。
お金が払えなかったら、ついに家は取り潰しになってしまうのだろうか。
相手は国だ。
招待を無視した挙句にお金さえも納められないとなればもう……。
スーザンは床にへたり込み、それでもなお打開策を探し求める。何か必ずあるはずだと諦めることはしなかった。
「おい」
「はい、なんでしょうか?」
「もしかしてお前、俺が誰かわかっていないのか?」
「? 取立……いえ、お城からの使者の方ですよね?わざわざこんな遠くまでご苦労様です」
取り立てと言いかけて言い直したスーザンはぺこりと頭を下げ、来ないでくれた方が良かったのにと男からは見えなくなった顔を歪ませる。
「……」
「えっとそれでいつまで待っていただけますか? 必ず期限までには何があってもお支払いいたしますので……」
「……お前にこれを払えるだけの金はないだろう」
さすがお城から派遣されただけのことはある。よくスーザンの家の金銭的な現状をわかっていらっしゃる。
「いえ何としてもお支払いいたします。家財を全て売り払ってでも」
それでも足りなかったら……地位を望む商人とでも結婚しようと考えに終止符を打つ。
下級とはいえ貴族は貴族。
地位はお金では買えないステータスだ。
商人たちはそれを得ようと貴族の娘をお金で買う。
今までは没落寸前とはいえ少しずつ蓄えを作るだけの余裕があったため、いくつか耳打ちされたそれらを跳ね除けてはいたもののツテはある。
反物を主に扱うものに、茶葉一本で名を上げたもの、職人を何人も抱え込んでいるものもいた。
彼らは皆一様に示し合わせたように
「あなたが手に入るのであれば私は私財全てを投げ捨てましょう」
と言った。
どこかにマニュアルでもあるのではないかと思うほどに彼らは一字一句たりとも違えることはなかった。
そんな地位しか目に入っていない彼らのうち、未だ嫁もとい血縁が欲しいと望むものに声をかけ、一番お金を積んだものを引き入れればいい。
スーザンはとうに『夢』からは覚めていた。
もう愛だの恋だのに憧れを抱くほどに幼くもない。
自分を売ることでこの家、領土が、領民が守られるのならば安いものだ。
スーザンは自分で蒔いたタネを全て回収すると意気込んだ。
だが男の口から出た言葉はそれを全て台無しにするものだった。
「そんなことしなくていい」
「え?」
「元はと言えばこちらが一方的に贈ったものだ」
「はぁ……」
ならばなぜ来たという言葉は口の端から音もなく空気へと溶け出した。
「足を入れて、歩いてくれただけこちらが感謝すべきなんだ。スーザン、俺の夢を叶えてくれたこと、感謝する」
「……こちらこそ素敵な靴を履かせていただく機会を設けていただいたこと、感謝いたします」
少し迷ってから、スーザンは初めて貴族らしく、ドレスの端をちょこんと持って礼をした。
髪はボサボサで明らかに寝起き姿であることに変わりはなかったが……。
「後……その、なんだ。悪かったな……夜分遅くに来てしまって。やっと会えると思ったら時間なんて気にしていられなかったんだ」
男からは謝罪を向けられ、毒気を一気に抜かれたスーザンは男に続くようにして謝罪した。
「いえ、こちらこそ失礼な態度の数々お許しください」
男は悲しそうに微笑んでスーザンの言葉を受け取ってから
「それじゃあ、帰るよ」
と男は箱をスーザンの胸に押し返してから背を向けた。
「あ、あの……名前をお教えいただけませんか?」
去り際に意図せず言葉が口からこぼれ落ちる。
聞いてどうするのか。
スーザンの中にいる冷静なままの感情が脳へと語りかける。
けれどそれが頭にたどり着くよりも早く男の耳にはスーザンの言葉が届く。
「え? ああ名前……リガルド。リガルド=マドリールだ」
「リガルド様……ですね」
リガルド、リガルド。
初恋の相手によく似た男の名前を口では一回、頭の中では何度も繰り返し、記憶に刻む。
忘れてしまわないように。
記憶の奥底に埋もれてしまわないように。
大切にして、繰り返す。
「様……か……」
「え?」
スーザンはリガルドのつぶやくような言葉を聞き逃した。だがリガルドがそれをもう一度口にすることはなかった。
「ではスーザン。失礼する」
馬に乗って去る男の背中が見えなくなってもなおスーザンは後ろ姿を見つめ続けた。
リガルド様。
リールによく似た、リールとは違う男性。
よく笑い、よく怒る男の姿がスーザンの頭からは消えなかった。
再び夢を見てしまう、その前に目覚まし代わりのシャワーを頭からは浴びようが、気を落ち着かせるために裏庭の植物の手入れに勤しもうが何をしても目に焼き付いたそれは消えてはくれなかった。