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「ああ、よく寝た」

 廊下、それも玄関で寝てしまったせいでスーザンの身体の節々は悲鳴を上げている。特に首は少しでも動かそうものなら声にならないほどの痛みが駆け巡ることだろう。

 どうにかしなければとは思うものの昨日の酒は完全には抜けきれておらず頭は正常に機能しない。

 そんな頭の中で一番早く浮かんできたのは風呂に入ることだった。


 風呂に入って一旦落ち着こう――と。


 そうと決まれば屋敷へ行くことにしようと予定を決める。

 どちらにせよ、この離れでできることは最低限のことだけだ。

 食事をするにしてもここにあるのは保存のきくジャガイモだけだ。それ以外を食べるには屋敷に行かなくてはいけない。

 一番近くにある、外へと繋ぐドアのノブに手をかけ、開く。


 するといつも通りの朝の日差しと心地よい風が入って……来なかった。ドアの前にはそれを阻むものがいたのだ。

 高い背で影を作り、風を遮る男は眉間にくっきりとしわを刻みこんでいた。それでいてそこまでの年齢を感じさせない、ちょうど今は家を空けているジュードと同じくらいの歳だと思われる年齢の男性。


 男は目の下をヒクヒクとしきりに動かしながら叫んだ。

「何故出てこないんだ!」


 とっさに耳をふさいで前を向いた。


 よく見ればその男はスーザンのよく知る人物にどこか似ていた。


 彼よりもずっと背は高いし、声はうんと低い。

 けれど思わず指ですきたくなるようなサラサラの赤い毛も、射抜くようなまっすぐと見つめる髪と同じ色の瞳もリールとそっくりだった。


 大きくなったリールが帰ってきたのではないかと錯覚を起こしそうになるほどに。


 そんなことはないと十分理解しているのに、だ。


 リールはスーザンのことが嫌いで、だから何も言わずに出て行ったと結論を出したではないかとスーザンの頭の中では冬場、バケツの中にできる氷の板よりも冷たい言葉がよぎる。


 もうリールが出て行ってから何年も経つ。

 まだ勘違いを起こすほどにリールのことを未練がましく思い続けているのだろうか。

 我ながら何と子どもらしく、情けないことだろうかとスーザンは自分へ対する苛立ちと、男に対する苛立ちをごちゃまぜにして機嫌悪く言った。


「生憎夜分遅くに尋ねてくるような無礼な男性に知り合いはいないもので……」

 遠回しにお前は誰なのだと問う。

 真意が伝わったのか、眉間の皺は一層深くなるが言葉に詰まっている。それに畳みかけるようにして言葉を紡ぐ。


「それにこんな朝早くに女性の家の前に立っている、というのもどうかと思いますが……」

 帰れ、そして二度と来るなと意味を込めて笑顔で吐き捨てる。


 よし、決まった。

 スーザンはそう確信してドアを閉じようとするが完全に閉じるよりも先に隙間には手がねじ込まれた。

 よく使いこまれて指の皮膚の固くなった、苦労した人の手だ。

 リールの手もこんな手だったっけと思い浮かび何を考えているのだと慌てて首を振った。スーザンが己と葛藤している最中ドアを引く力を緩めることはしなかった。けれど男の力は女であるスーザンの力よりも何倍も勝っていて簡単にドアは全開になった。

 そして今度は閉ざすまいと男はドアを右手で握りこんだまま

「何故来なかった」

と態度とは真逆の、小さな声で言った。


「は?」

「何故舞踏会に来なかったんだ!」

 スーザンが聞き返すと次は声が大きくなった。


 舞踏会?

 何のことかとスーザンが首を傾げると男の顔は良く熟れたリンゴのように真っ赤に染まった。


「手紙を送っただろう! 届いてないとは言わせないぞ!」

「手紙?……ああ、あれ」

 それてようやく舞踏会とはあれのことかと思い出す。


 カウロが行ってくれと珍しく粘っていた、ドレスまで送られてきたという、あの舞踏会か、と。


「ああ、あれって……。ドレスも靴もアクセサリーも必要な物は全て贈っただろう」

「……送られてきましたよ、っと、それならちょっと待っててくださいね」

 ようやく男の用件を察して行動へと移す。

 待っていろとスーザンに告げられた彼は昨夜近所迷惑を鑑みずにドアを叩き続けた人物と同じだとは考えられないほどに大人しくその場に突っ立っていた。


 意外にも聞き分けのいい男の用件を早く済ませてやろうと足を速める。男は使われることのなかったそれらを回収に来たのだ。

 ああ、やはり送り返すべきであったか。

 恐らくお城から派遣されたであろう男は馬か何かに跨ってお城から数百キロはゆうに離れているこの村に数日かけて来たのだろう。途中いくつかの宿に泊まってはまた馬に乗り、と繰り返しながら。

 そして日が暮れた後にようやくついたのに家主は出てこようともしない。気が立つというのも仕方のないことだろう。

 全くかわいそうなことをしたものだと反省しつつスーザンは自室へと足を向ける。

 あの後カウロから押し付けられて置き場所に困った挙句クローゼットに押し込んだはずだ。箱に入っているため傷がついているということもないだろう。


 クローゼットの棚の中に積んであった真っ白な箱に手を伸ばし、一度椅子の上へと乗せる。蓋をどけて中身を見ればそれらは綺麗な状態を保っていた、と言ってもスーザンは中を一度も見ていない。そのためはじめと何か変わっていると、なくなっていると言われてしまえば弁償する他ないのだがそれは玄関で待つ彼に確認してもらうことにしようと再び蓋をする。



 胸の前で抱えるように持ち、落とさないようにと注意を払う。

 そして玄関まで何事もなく運び終え、背筋を伸ばして待ち続けた男へと箱を差し出した。


「中身は何も変わっていないとは思いますが念のため確認していただけますか? 私、中身を先ほど初めて見たものですから見てもよくわからなくて……」


「は? 中身を見ていない? 今の今まで一度も?」


「あ、でも父は中身を見ていますので、確認が必要とあれば呼んで来ますが……」


「お前は見ても、いなかった……だと?」


「? ええ」

 開ける回数が少なければ自ずと汚れにくく、また壊れにくいものだ。

 それだというのになぜこんなにも青筋を浮かべているのか皆目見当もつかないスーザンが首をこてんと横に傾げていれば男の機嫌はますます下がっていく。


「靴……」


「靴? 靴がどうかしましたか?」


「靴は、その見たのか?」


「ええ、先ほど」

 今度ははぁっと深いため息をついてから男は箱へと手を伸ばし、そして中から一足の靴を取り出した。


 それはガラスでできた無色透明の靴だった。


「わあ、すごいですね」

 音もたてずに非常に慎重に地上へと降ろされた靴を見て思わずため息が出た。男が手に持っていた時と、上から見下ろすのでは全く持っての別物に見える。


 そして舞踏会になんて行かなくて良かったと心の底から思う。


 こんな素敵な靴、履けない――と。

 無色透明で何物も透き通らせてしまうガラスの靴は何も隠せない。

 足の甲についた擦り傷も、中途半端に焼けてしまった皮膚も、何もかも隠せはしない。


「靴だけでも履いてみろ」


「無理ですよ」


「いいから!」

 訳のわからない怒号を浴びせられたスーザンは男に聞こえない程度に小さなため息をつき、半ば自棄になって履いている靴から足を引っこ抜いた。


 サイズなんて合うはずがない――ガラスの靴を履く前からスーザンは確証を持っていた。

 スーザンの足のサイズは人よりも小さいのだ。それでいて足の幅は広い。


 カウロの仕事について行ったときに立ち寄った靴屋では『あなたに合う靴はここには置いてないよ』と言われてしまったほどだった。

 いつも村の靴屋のおやっさんに調整してもらった靴を直しながら履いていたからそれまでは気付かず初めて知った事実を抱えながら帰りの馬車で真っ赤に染まった顔を見られないように必死で手で隠していたという苦い思い出がある。



 ましてやこの靴はガラスでできている、無理やりに入れたらきっと割れてしまう。こんなに綺麗だというのに……。勿体無いなと感じながら途中まで入れて引き返せばいいとも思い、ガラスにスライドさせながら足を入れた。


「……あれ?」

 靴はスーザンの予想とは裏腹にぴったりと足にはまった。

 信じられなくてゆっくりと歩き出すと目の前の男は満面の笑みを浮かべていた。


「どうだ、ぴったりだろう?」

と今までで一番機嫌よさそうに。


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