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ある日スーザンはいつものようにカウロが溜めていた報告書を書斎の机の中から引っ張り出した。片手で収まるくらいの量。いつもの半分くらいしかない。それは定期的に探っているせいか、改心したからなのかはわからない。
出てきた書類をとりあえず全て机の上に乗せると、はらりと中から一通の手紙が出てきた。
手紙はそのほとんどが領主であるカウロに向けたものであり、それらを開封するのはカウロだと決まっていた。
その手紙は書類と混ざらないように机の端に避けて、先ほど部屋からたたき出したカウロが帰ってきたときにでも渡そうと心に決めて他の報告書とそろばんに手を伸ばす。
一通り目を通すと報告書のほとんどが領民から提出された報告書だった。領民からのものは改ざんの心配はなく、簡単に終わらせることが出来る。見るのは計算が苦手な彼らが細かいミスをしていないか確認するくらいなものだ。
数字を目で追い、そろばんの珠をはじいていく。部屋にはパチパチと珠をはじく音だけが響き渡り、最後にカウロのサインが必要な物だけを避けて机の上にある木の箱の中に数枚入れておいた。
意気込んでいたよりも早く終わり、手持ち無沙汰に背を天井に伸ばしていると、トントントンとドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
と返すとすぐにドアはきいっと音を鳴らしながら開いた。
「失礼します。お嬢様、お茶が入りました」
一礼し部屋に入って来たのは長年カインザス家で働いてくれている使用人だ。
手のひらに乗せたトレーにはカップと何やらお菓子が乗っている。
ゆっくりと近づいてくる使用人もとい彼女の運んでいるお菓子をスーザンはわくわくとそれを目で追う。
「失礼します」
ことりと机にカップとお菓子の乗った皿が置かれるのを確認してから
「ありがとう」
と満面の笑みでつげる。
「お嬢様、今日はフィナンシェでございます」
もう待ちきれない様子のスーザンに使用人は
「それでは失礼します」
使用人は一礼しその場を去った。
完全にドアが閉まったのを確認してからスーザンが小さく
「いただきます」
とお皿に向けて呟いた。その時だった。
トントントン。
再びドアを叩く音が部屋に響いた。
スーザンはせっかくのおやつの時間を邪魔されたことに腹を立てた。
そしてその怒りを隠すことなくドアの向こう側の相手に向ける。
「何かしら?」
するとドアは半分だけ開き、ドアにはカウロが子どものようにへばりついている姿がスーザンの目に移りこんだ。
「スーザン、ちょっといいか?」
「何、お父様?」
訪ねてきた人物がカウロだとわかってもスーザンのイライラは治らない。
そんなスーザンの気持ちを察したのかカウロは言いづらそうに、けれどはっきりと要件を告げた
「王城の舞踏会に参加してほしい」
舞踏会。
それは紳士淑女のたしなみの場であり、当然未婚の男性もたくさん来るのではないか……とスーザンの頭によぎった。そして幼いころに恋をした、赤い頭の少年、リールのことも。
一緒に出てきたのはきっと幼いころに王子の話をしたからだろうか、それとも未だに初恋を引きずっているからなのか、スーザン自身にもよくわからずにいた。
そしてすぐに頭を振って邪念を取り除いてから判断を下す。
「……却下」
「え!?」
わずかな葛藤こそあれ拒否の意となる判断を下したスーザンに向けてカウロは器用にもドアから少しだけ顔を出しながらも顔全体で驚きと落胆を表していた。
そんなカウロに適当で、それでいてまっとうな理由を投げる。
「舞踏会にでるのには馬車だって借りなきゃいけないし、服や靴、それにアクセサリーだって用意しなきゃならないのよ? うちにそんな金銭的余裕はありません」
お金のことを出してしまえば仕方ないと諦めるだろうと高を括っていた。
けれど帰ってきた答えは諦めなどではなかった。
「お金の心配ならしなくても……」
悪魔のささやきにも似た言葉を囀りながら、カウロはドアの隙間から身体全体を出して部屋に入った後で、スーザンが今まさに座っている席を見つめる。
そこには報告書や決算報告のほかに急用でお金が必要になった時のためにコツコツとやり繰りしては溜めているお金があった。
スーザンはそこからカウロの目線を外させるために、そして再び沸き上がった邪念を切り捨てるために机をバンっと勢いよく叩く。するとカウロはびくっと肩を吊り上がらせてから目を背けた。
「これはこの領地が何かあったときようにためたお金なの。そんな舞踏会なんかに使っていいお金じゃないの」
そう淡々と説き伏せる。
カウロにも、自身にも。
いつもならここで引き下がる。けれども今日のカウロは怯えながらではあったが強情だった。
「で、でもね。馬車は申請すれば貸し出してくれるみたいだし、服と靴、それにアクセサリーは国王が用意したものを身につけてくるようにって送られてきたよ」
ほらと言って震える手で箱を差し出すカウロを蔑むような目で見ながら深い息を吐く。
「あのね、お父様。貴族なんて見栄を張ってなんぼってとこがあるのよ? そんなところに貸し出しの馬車なんかで行ってみなさい。裏で何言われるかわかったもんじゃないわ」
そう、これは家のため。
決して自分の未だに癒えていない傷から目を背けているわけではないのだと言い聞かせる。
「でも……」
「うちは下級貴族で没落寸前、というところから最近徐々に立て直しつつあるとはいえ変な噂を立てられたらすぐになくなってしまうの。そしたら私たちだけじゃなくて領民のみんなにも迷惑が掛かるわ」
「……」
「舞踏会なんてそんなものお金のある人だけ行けばいいのよ」
わかっているでしょう? という風に聞かせればカウロは怒られた子犬のように目に見えて落ち込んでいく。
「でもね、ドレスは送られてきてるし……」
「そんなの気にしなくてもいいでしょ?うちにも招待が来るぐらいよ?何百人もの貴族が来るに決まってるわ。そこで私たちがいなくても気付きはしないわよ」
「……」
「貧乏人は働くべしよ」
ビシッとカウロに立てた人差し指を向ける。
するとカウロはこれがきっかけで諦めたように独り言をつぶやいた。
「はぁ、なんでこんな子に育っちゃったんだろう……」
聞こえていたけれど、聞こえないふりをしてメイドが持ってきてくれた紅茶をすする。
ああ、よかった――と。
きっと思い出してしまうだろう。
あの日の悲しみを。
数年かけてできたカサブタは爪を立てればすぐになくなってしまうから。
爪を立てないように、引っ掛けないように慎重に、ただ完治するのを待つしかないのだ。
いつ治るかもわからないそれをスーザンは毎日、紅茶をすすって悠長に待ち続けるしかないのだ。
視線をさまよわせながら机の上に目を滑らせていると一通の手紙が入ってきた。
先ほど避けた手紙だ。
それを手に取り、カウロのほうに差し出す。
「あ、そうだ。お父様、手紙が入っていたわ」
「ん?なんだろう?」
カウロは首を傾げながら手紙を見つめた。そして一人で
「ああ!」
と納得してからすっかり舞踏会のことなど忘れたように部屋を後にした。
今度こそ誰の邪魔も入らない部屋でようやくフィナンシェを口に含む。
口の中にはバターと幸せが広がっていった。
贅沢なんて紅茶とお菓子で十分だ。
きらびやかなドレスも、ピカピカな靴も、自己主張の激しいアクセサリーもいらない。
そのどれもお腹はおろか心すらも満たしてはくれないのだから。




