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リールは棚の中からいくつかの皮を取り出して、手に持っている足型と合わせていく。スーザンがここに入り浸るのももう両手じゃ数えきれないほどであったが皮の違いはいまだによく分からなかった。
だからはっきり言ってみていても何が面白いのか、何が楽しいのか全く理解できないのだ。
それがあの厚化粧の女の人のためなんだって思ったら余計に面白くない。
スーザンがむくれているうちにリールはお目当ての皮を見つけたのか、こくんと一度だけ頷いてから
「スー、もう帰れ」
とだけ言ってスーザンが座っている椅子よりも背も幅も小さな椅子に腰かけた。
それは靴を作り出す合図で、リールが一人になりたいときの合図でもあった。
「うん」
だからスーザンはこれだけ言って帰ることにした。
これはもう10年以上も前のこと。
リールがこの小さな村から消えるまでのことだった。
リールはそれから一週間もしないうちにスーザンの前から姿を消した。
リールを弟子に取っていた、靴屋のおやっさんに聞いても目をそらすばかりで答えてくれなかった。けれどもスーザンはしつこく聞き続けた。それはもう一日に何回も工房に訪れては聞いた。そして1か月ほどしたころに観念した靴屋のおやっさんはやっと固く閉じた口を開いてスーザンにいつもの頭に響く声とは考えられないほど小さな声でこそっと教えてくれた。
秘密を話すように。
「俺にもいつ帰ってくるかわかんねぇんだ。いや、帰ってくるかすらもわからねぇ」--と。
リールはこの村からいなくなってしまったのだ。
長い時間一緒にいたスーザンには何も告げずに。
スーザンは絶望に打ちひしがれた。
仲がいいと思っていたのは自分だけだったのかと。
考えてみればそれは当たり前だった。
スーザンにはリールの作った靴は買えなかった。
リールの手伝いだって何一つできなかった。
お話をすれば聞いてくれるからいつも自分のことばっかり話していた。
いつだって邪魔してばかりいた。
スーザンはリールがいなくなって初めて嫌われているという結論を導き出せた。
だからスーザンは夢を捨てることにした。
夢は『夢』で終わらせることに。
単刀直入に言えば現実を見ることにした。
こんな田舎の村に来るはずもない王子の姿を想像するよりも、確実に収穫できる麦や単価の高い果物の収穫高を少しでもあげる方法を模索した。
玉の輿を目指す暇があるんだったら、人はいいけど騙されやすい父、カウロと身体を動かす以外はてんで駄目な兄、ジュードを支える術を身につけた。
ニコニコ笑って励ましてあげるのはマリーの役目だから他の方法で。
スーザンはスーザンなりのやり方を考えた。
まずは服を変えた。
今までのようなドレスは動きづらいからとジュードのお古を着るようになった。シャツは何回も折って手首にはバングルのような布の塊ができても気にしないで。
パンツもジュードのものを使用人の制止を無視して奥から引っ張り出してきていた。膝や裾が擦り切れたものばかりであったが、着れないこともないと丈の短めなものを選んで履いた。
初めこそ「それは男の子の格好だ」と言っていたカウロだが、彼がスーザンのために洋服を仕立ててもらうように近所の服屋に注文するまでそう長くはかからなかった。
ジュードのお古とは違う、新品のパンツはスーザンのために仕立てただけあって足によくフィットした。ブラウスももう捲り上げる必要はなくなった。
いくらスーザンのために仕立てたとはいえ、男性と同じ格好をさせることにまだ少しだけ抵抗のあったカウロは二つだけスーザンに条件を出した。
一つ、必ずリボンをつけること。これは少しでも男の子たちとの差をつけるためのものであった。そしてもう一つが行事の時は必ずドレスを着ることだった。
スーザンはそれを了承した。
毎日、仕立ててもらった服に身を包み、長い髪は邪魔だからと一本にまとめて糸で編んだ紐で結い上げた。
そして動きやすい恰好に包まれたスーザンはいろんなことに手を出していった。
まずは書斎にある本は端から読み漁った。
初めはわからない単語の連続で。もともとあまり頭の出来が良くないのを自分でもよくわかっているスーザンは仕事がひと段落ついたカウロの元へ行っては尋ねた。
これは何か。どういう意味なのか。
どうすればこの値を求められるのか。
スーザンが産まれる前からずっと屋敷で働いている使用人達はその光景が信じられず、自分は風邪でも引いて長く寝込んでいるのだと、都合のいい夢でも見ているのだとわざわざ休みを取って近くの町まで薬を買いに行ったものまでいたほどだった。
けれどそんな日も一年続いた頃には使用人達はそれが事実であることを受け入れた。そして頑張っているスーザンにと毎日一杯の紅茶を用意してくれるようになった。
2年目からは過去十年の農作物の収穫量と収入をまとめた資料を寝る前には必ず読むようになった。何度も繰り返し読んだからか空でも言えるくらいになった。
そしてわかるようになればなるほど数値を見ては頭を抱えるようになった。
明らかに値段を叩かれたものがいくつかあったからだ。
これを正規の値段で売れていれば相当な儲けになったはずだ。
飛躍的に生活が良くなるわけではないが、災害時の蓄えとしては十分なほどであった。
買いたたかれた作物を育てている領民の顔を思い出しては申し訳なくなって涙があふれた。
そして3年目からは度々カウロの仕事にも連れて行ってもらうことにした。
今後はあんなことが起きないようにじいっと取引の現場を目に焼き付けた。
カウロだけには任せていられない。
スーザンも立派な貴族なのだ。下級貴族でも、女でも関係ない。貴族であるならば、その領民の生活を第一に考える。それが貴族としての、領地を任されたものの使命だ。
領民の生活が、そして土地が豊かになるように。
それだけを考え、過ごしていたらいつの間にかスーザンの婚期は季節とともに過ぎ去っていた。
村の同じくらいの歳の女の子は、顔なじみの男のもとに嫁に行って、子どもを産んだ。たまに夫婦そろってスーザンの家に遊びに来てはまだ小さな子どもを抱っこさせてくれる。
後ろで控えるカウロが
「私も孫を抱きたいなぁ……」
とぼそっと呟いているのをスーザンは何も聞かなかったことにして、頭をなでると子どもは小さな顔で精いっぱいの笑顔を向けた。




