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 朝起きて鏡越しに自分の顔を見たスーザンは大きなため息をついた。目は腫れていて、頬には涙の跡が残ってしまっている。水をパシャパシャと顔にかけても目の腫れはひきそうにない。

 これで一日過ごさなければならないかと思うと憂鬱だった。


 今日一日くらいは休んでいてもいいかなんて思った直後、ドアは勢いよく開かれた。

 スーザンはこんな乱暴な訪問をする者をジュード以外知らなかった。

「スーザン、スーザン! どこだ!」

 狭い屋敷の中で叫ぶようにスーザンの名前を呼ぶジュードの声に嫌々ながらも顔を出した。

「ここよ、お兄様」

 スーザンが声と手を上げて位置を示すとズンズンと真っ直ぐに進んできて、そしてスーザンの肩をがっしりと掴んだ。

「今から王都へ行って騎士の職を辞してくる。……そしてリガルドにもスーザンにリガルドと結婚する意思のないことを伝えてこよう」

「……え?」

「俺には沢山の書類を目の前にするのには慣れていないが、スーザンなら協力してくれるって信じている!」

 一方的に言いたいことだけを言ってから、では! っと駆け出しそうになるジュードの服の裾を思い切り掴んで止める。

「ちょっ、ちょっと待って、お兄様」

 馬の手綱のような役割を果たす裾を掴んだままでいると、ジュードは優しくスーザンの手を包み込んだ。

「大丈夫だ、スーザン。リガルドだってきっとわかってくれる」

「ちょっとは私の話を聞きなさい!」

 そう一喝するとジュードは何が間違っているのかわからない子どものようにこてんと右に首をかしげた。

 その様子にスーザンの頭の中でありとあらゆる可能性がよぎる。……それはどれも否定してほしい可能性ではあるが聞かずにはいられなかった。

「もしかしてお兄様はリガルド様と私を結婚させるために彼を王都から連れてきたの? それに王都の舞踏会だって……」

 リガルドがこの村にやってくるきっかけとなったのは王都の舞踏会を断ったからだった。

 あの時は数合わせか何かとしか思わなかったが、ジュードが城で騎士をしていると言われれば話は別だった。

「少し違うような? 違わないような?」

 うーんと唸りながらなんと説明しようか考え込んだジュードの手を引き、とりあえず部屋まで行くと椅子へと座らせ、スーザンはその目の前に陣取った。


「ちゃんと説明して」

「うーんとな、王都の舞踏会は国王が俺の妹を一目見ておきたいって言ってわざわざ人集めて舞踏会の予定を立てて送ったもので……」

「は?」

『国王』――確かにジュードはその名を口にした。

 そのことが信じられずに目はまん丸く見開き、口はポカンと間抜けにも開いたままだ。

 ジュードはスーザンのそんな様子を呆れているのだと勘違いして、しきりに自分は悪くないのだと釈明するように目の前で手をせわしなく動かす。


「俺は止めたんだぞ? だけどあの狸じじいが本当に話聞かなくてな……。お父様から断りの手紙が来た時の顔は見ものだったな……」

 うんうんとその時のことを思い出したように満足げに頷くジュードの肩を思い切り掴んだ。

「なんで、国王様が、わざわざ私なんかのために、そんなことするのよ!」

「さすがにスーザンに怒られるからそろそろ帰んないとマズイって話ししたら、筆頭近衛騎士が唯一逆らえないという女を見て見たいって聞かなくて……。んで、スーザンを城へと来させるために国一番の針子と宝石商に靴職人を呼んで作らせたんだ」

 つまり俺は何も悪くないと胸を張って主張した。


 もうスーザンには何がなんだかわからない。思えばこの数日で色々とあり過ぎた。

 だからこんな突拍子も無い、普通に考えたらあり得ないことだって、理解はできないが事実であると受け止めることができた。


「……その中の一人がリガルド様、と」

 もう一つ一つ、頭に浮かんだことを解いていくしかないのだ。


「ああ、驚いたよ。まさかあいつが王都にいるなんて知らなくてな」

「知り合いなの?」

 純粋な疑問だった。

 はじめにジュードがリガルドを客人だと話した時には近くであっただけだと勘違いをした。そしてジュードが城にいたのだと分かった時にはジュードがリガルドを連れてきたのだと思った。けれど、ジュードの話からしてみると二人はもっと前から知り合いのような気がしたのだ。


「? 何言ってんだよ。忘れたのか? 『大きくなったらリールと結婚する』ってあんなに騒いでたのに……。まぁその後すぐに『王子様と結婚する!』なんて息巻いてたけど絶対やめとけ。あいつ色々ヤバイから。お兄ちゃん、あんなやつにスーザンは任せられません。その点リガルドはいいぞ。一途で真面目で……」

「何言ってるの、お兄様? リガルド様がリール? そんなバカなことが……」

 あるわけないと言い切ることはできなかった。

 リガルドとリールはあまりにも共通点が多すぎて、他人の空似というよりもむしろ同一人物だと言われた方がしっくりくるのだ。


「リガルド=マドリールはリールだろ? スーザンこそ何を当たり前のことを言ってるんだ。まぁ俺もまさかあいつが王都にいたなんて知らなかったけどな……。お父様はあいつが王家お抱えの靴職人になったって知ってたらしい。

 まさかあの狸じじいが王国一の靴職人に作らせる! って息巻いて連れてきたのがリールだった時にはさすがに驚いたな……。あいつ初めは女物の靴は作らないって拒んでたのにスーザンの靴だって知ったら是非作らせてくれって頭を下げてきてな……」

「……」

 国王様を狸じじいと呼ぶジュードにツッコミを入れるだけの気力は今のスーザンにはない。

 ただジュードの言葉を噛みしめるので精一杯だ。


「だからお前が舞踏会に来ないと知った時、一番落ち込んでたのはあいつだった。『俺の作ったのじゃダメなのか……』ってな。んで居ても立っても居られなくなってこっちに一回帰ってきたらしいぞ」


 それがあの『ガラスの靴』なのだ。

 一夜だけ、あの収穫祭の日に出番を得たきり再び箱へと仕舞われてしまった哀れな靴。


「会って、一層気合が入った時にスーザンが愛してもいない相手と結婚するってお父様から聞いて急いで帰ってきたんだ。まだ目標金額には達成してないがそんなことは言ってられないってな」

 リガルドはスーザンが思っていた以上に様々な思いがあって、収穫祭、そして生誕祭に足を運んだらしかった。

 ちゃんと言ってくれれば良かったのにとも思うがリールだとわからなかったスーザンも少しは悪いのだろう。

 だがそれはとりあえず脇に置いとくとして、聞きたいことはたくさんある。

 本人に聞くのが一番いいにしてもきっとジュードもスーザンの納得いくような答えを少しは持ち合わせているだろう。

 そう思い、腕を組んでそれらを受け入れる体制を整えてからジュードの目を見据えて口を開いた。


「とりあえず……目標金額って何?」

「あいつ、お前が王子様と結婚するのって言ったの未だに気にしてて王子様にはなれないけど王子に劣らない金ならなんとか用意できるって金を貯め続けてるんだ。健気だよな……」


『王子様と結婚する』なんてたかが幼い少女の口から出た言葉に過ぎない。

 この歳になってまだそんな無謀なこと信じているわけもない。


「……姫様の靴以外作らないのは?」

「本当はスーザン以外の靴は作りたくないと言ってたらしいが、あのイノシシ姫が壊さない靴を作れるのは国中探してもリガルドしかいなくて国王が頭を下げ続けてやっと承諾したらしい」


『イノシシ姫』――ジュードの姫へ対する扱いにスーザンは言葉を失った。

 靴を壊すなんてそんなことあるわけもない。だがその全てがジュードのでっち上げとは思えなかった。

 ジュードは昔から訳のわからないことは言うけれど嘘だけはつかないのだ。

 特に相手がスーザンとなればなおさらだ。


「んじゃ、俺はもう行ってもいいか?」

「リガルド様……じゃなくてリールは、その……」

 何を聞けばいいのか悩みながらもスーザンの手はしっかりとジュードの服を掴んで離さない。

 するとジュードはスーザンの手を解き、テーブルの上の水差しへと手を伸ばし、グラスに水を注ぐ。


「いい奴だぞ? それは俺が保証する。金を貯めるために拒み続けていた王都行きを決め、王都の美女たちをことごとく振り続け、スーザンにプロポーズするためだけにひたすらに倹約を続けた。あいつ以上のやつを俺は知らない」

 そう言い切るとグラスに口をつけ、一気に水を煽った。

「ぬるっ」

 そして水の温度に対して短く文句を言うと再び椅子へと戻っていった。

 どうやらまだまだスーザンの疑問には答えてくれるらしい。何かと妹には甘いジュードにスーザンは惜しげも無く疑問を投げつけていく。


「姫様に思いを寄せているって……」

「ああ、あの根も葉もない噂な。ったくどこから出たんだろうな? リガルドは好きなやつを椅子に括り付けるようなやつじゃないぞ?」

「……姫様は椅子に括り付けられているの?」

「そうしないとあの女、脱走するからな。ついでに逃げ出した姫を取りおさえるのは俺の仕事」

「……」

 今は自分のことで手一杯だというのに、先ほどはスルーしてしまったが筆頭近衛騎士といい、脱走した姫様を取りおさえる仕事といい、一体この数年の間何をしていたのかとジュードを問い詰めたくなる。


「興味を持ったものには一直線に突き進むイノシシ姫の名は伊達じゃない。ついでに俺が長年帰って来れなかったのはそのイノシシのせいだからな。責めるならあの女を責めてくれ!」

「お兄様……」

 スーザンの気持ちを中途半端に読み取ったらしいジュードは必死で無罪を主張し続ける。

 だが、彼が思っているように長年の不在について絞り上げようとは思っていなかった。


「家を継ぐって口実があれば世話役から解放され、ひいては婿にとの話もなくなる!」

 固く拳を握りしめ、窓から注ぐ太陽の光に向かって夢を語るジュードの姿は数年前の、失踪前とは比べものにならないほど頼もしかった。

 知らない間にジュードをこれだけ変えてしまうほどのことが色々とあったらしい。


「まぁどちらにせよ、俺は家に帰ってくる予定だったから騎士を辞めることに関しては一切、何も悔いはない! ……が出来ることならリガルドに婿に来てもらって、俺は悠々自適な独身生活を送りたかった……。さらば夢の独身生活……」

 悔いなどカケラも持ち合わせていないように騎士を辞めることを宣言したジュードはしみじみと独身生活に別れを告げていた。

 だがリガルドがリールとわかった以上、黙っていられるスーザンではない。



「ねぇ、お兄様。私を王都に連れて行ってくれないかしら? リガルド様、いえリールと会って話がしたいの」

 真っ直ぐに目を見据えるとジュードは思いの外あっさりと「いいぞー」と告げた。


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