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「スーザン様! こちらにいらっしゃったんですね!」
「カールスノット様?」
「屋敷に伺ったのですがいらっしゃらなかったもので探しましたよ」
落ち込んで立ち去ったリガルドと入れ替わるように、そよ風と共にやって来たのは以前スーザンに求婚をしたうちの一人、カールスノット=ウィンターソンであった。
カールスノットはこの国の四大豪商と呼ばれるうちの一人で、ウィンターソン商会をたった一代にして立ち上げ、そして老舗の商会と並ぶほどに大きくした手腕の持ち主だった。
カールスノットとスーザンが初めて出会ったのはカウロの仕事について行った時のこと。さほど年の離れていないスーザンのことをどこか馬鹿にしたように、けれどそんな感情は少しも出さずに眺めていた。笑顔を絶やさない彼が、腹の底では馬鹿にしていると気づいたのはスーザンが人一倍、商人というものを警戒していたからに他ならない。事実スーザンは商人たちが都合のいいように取引をしている現場に立ち会っては指摘していたのだった。そしてそんなことが続いているとカールスノットの視線はスーザンへの興味と変わり、数年前から収穫祭のたびに足を運び、そして会うたびに求婚をするようになっていったのだった。
「カールスノット様、お迎えできずに申し訳ありません」
そんなカールスノットだが今年の収穫祭には来なかった。だから言い方は悪いかもしれないが、てっきり飽きたのだとばかり思っていた。
スーザンに求婚して来た中で一番の大金を有していながら、スーザンはカウロに彼の名前を挙げることを憚ったのはそれが理由であった。もし彼が収穫祭に来ていたら真っ先に彼の名前を挙げたことだろう。
「いえ、謝るのはこちらの方です。収穫祭には足を運ぶことが出来ずに申し訳ありませんでした」
「お気になさらないでください。カールスノット様はウィンターソン商会の長を務めていらっしゃいますから何かとお忙しいのでしょう?」
「スーザン様はお優しい。ところでそのお優しいスーザン様にお伺いしたいことがございまして……」
カールスノットの目は一瞬にして商人のものに変わる。
収穫祭に来られなかったことへ対する謝罪の気持ちも嘘ではないのだろうが、おそらくこのことの方がカールスノットの中での優先順位の上位になるのだろう。
「はい、なんでしょう?」
だからスーザンも交渉の時と同じように神経を張り巡らせた。
カールスノットはスーザンに求婚する身でありながら、いやだからというべきかスーザンとの交渉ごとには一切手を抜くことはない。一瞬でも気を抜けばカールスノットの思うがままに進められてしまうのだ。
「先ほどリガルド=マドリールとすれ違ったのですが、彼とはどのようなご関係なのですか?」
「はい?」
張り詰めた気持ちの糸は一瞬にして弛む。
スーザンだって何を聞かれてもそう驚かない自信はあったが、よりによってこのタイミングでリガルドについて聞かれるとは露ほどにも思っていなかったのだ。
「言いたくなければそれでも構いませんが……彼が女性ものの靴を作るなんて今まで姫君以外にはなかったことですのでいささか気になりまして……」
「……」
カールスノットが続けていく言葉を耳にするたびにスーザンの頭の中の糸はこんがらがっていく。
なぜカールスノットがリガルドを知っているのか。
そしてなぜ『姫君』の名前が出てくるのか。
スーザンの理解が追いつくよりも早くカールスノットは自分の中にある知識をスーザンに伝えていく。
「その靴はリガルド=マドリールの作品でしょう? 見ればわかります。こんなに精巧なものを作れるのは彼くらいなものですから」
「そうなんですか?」
「はい。同郷とはいえよもや難攻不落のリガルド=マドリールまで落としてしまうとは……さすがスーザン様です」
もうスーザンには何が何だかわからなかった。
カールスノットの言葉も、リガルドのことも。
だがそんなスーザンを置き去りに、カールスノットは興奮気味に言葉を紡ぎ続ける。
もうカールスノットの頭の中にいるのはリガルドただ一人なのだろう。
「リガルド=マドリールといえば一級品の靴を仕立てることで有名で王都で彼の名を知らないものなどいません。
ただ彼は王族以外の注文以外はあまり受けつけません。といってもあまりの値段に頼めるものもそう多くはないというのが現状ですが……。
なにせ彼の靴は他の有名な靴職人が作ったものの10倍以上の値段がするのです。その上彼は城以外、出張しないのです。
金を積んだ上級貴族ですらも彼の店に足を運ばなければ作ってもらえないのです。……その代わり彼の靴は一度履けばもう二度と他の靴は履けないとまで賛美される品です。
彼の靴を履いたものはもう二度と彼以外の靴屋には頼まない。そして足繁く彼の店へと通うようになります。
今までは一度や二度ほどしか同じ靴に足を入れなかった貴族ですらも定期的にメンテナンスをしてはその靴を履き続けるのです。
私も一度は彼に靴を仕立ててもらいたいものですが、さすがに一商人にそれは夢のまた夢といったところでしょうか。
そんな彼ですがどんなに望まれても、金を積まれようとも、女性の靴だけは王族以外からの注文は一切受け付けません。
王都に来る前はいくつか受けていたようですが王都に来てからピタリと辞めたそうで……。それは姫君に惚れ込んでいるから、というのがもっぱらの噂です。
それでも彼の靴に魅了される女性はあとを絶たず、我こそはと店を訪れるのです」
そしてここまで話して落ち着いたのか、ごほんと大きな咳払いを一つした。
「すみません。中々リガルド=マドリールは工房から出ないのでまさかすれ違うなんて思ってもいなかったもので……。つい興奮してしまいまして……」
「そう、ですか……」
今までこんなに興奮したカールスノットは見たことがなかった。
スーザンの前のカールスノットといえばいつも落ち着いて、他人には一切の隙を見せない商人の鑑ともいうべき存在だったのだ。
だがスーザンを困惑させたのは何もカールスノットの豹変だけではなかった。
カールスノットの話を聞いて自覚してしまった自分の感情に戸惑っていたのだ。
スーザンはリガルド=マドリールという男に少しながら気を持ってしまっている。これはもうどんなに言い訳を考えても誤魔化しようのない事実であった。
そしてそれは無駄だと同時に思い知らされる。彼は王都の人間で、なおかつ姫様に惚れているのだという。
姫君の顔は愚か人柄すらも耳にしたことはない。だが田舎の下級貴族であるスーザンが姫君に勝てる見込みなどわずかほどもない。
リガルドは仕事でこの村を訪れたに過ぎず、今後この場所に来ることはないのだろう。あるとすればそれはこの村にいるという知り合いに会いに来るだけでスーザンと関わる機会はない。
そう思うと涙がこぼれ落ちそうになった。けれどスーザンはそれを必死で耐えた。
スーザンの気持ちを察してかカールスノットは「また来ますね」と一言告げて、スーザンに心配そうな視線をやって去って行った。
ピッタリと足の形に合う靴がなんだか居心地が悪そうに踵を、つま先を虐める。
早く脱げと。
お前のためのものではないのだとしきりに訴える。
スーザンはリガルドから贈られた靴を脱ぎ、手に持った。
裸の足を石や木の枝がチクチクと刺激する。けれどもう一度その靴を履く気にはなれなかった。
屋敷に帰ったら空き箱に入れてしまってしまおう。ガラスの靴と同じように、もう二度と見ないように棚の奥にしまってしまうのがいい。
スーザンの中には捨ててしまうという選択肢はなかった。
どんなに見たくなくとも捨てられはしないのだ。
彼女の心の傷と共にずっと残り続ける。
リールが去った後も残り続けた傷と同じようにいつかはカサブタになる。だがそれはいつまで経ってもなくなってはくれないのだ。




