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 朝の目覚めは最悪だった。

 眠りが浅かったのかまだまだ寝足りないのに、習慣となった時間にキッチリ目が覚めてしまう。

 目の下にはうっすらとクマがあって、髪はそれぞれが複雑に絡み合っていてブラシはなかなか通らない。おまけに今日はドレスを着なければならなかった。

 それがスーザンが父、カウロとした約束なのだから。

 毎年、収穫祭の日のみ役目を果たすドレス。けれど今年は、七年に一度だけは二度目の出番がやってくる。

 それをわかっていてか、それとも光を浴びているからそう見えるだけなのか、若草色のドレスは青々としていて夏を迎えたばかりの緑のようだった。

 それは冬に真っ白な雪とゴールドやシルバーのオーナメントで飾られた大樹の緑のようだった。

 もちろんスーザンのドレスには真っ白な雪のようなレースも、オーナメントのような金や銀で作られた装飾品もない、至ってシンプルなものなのだが……。



「はぁ……」

 そんな最悪の気持ちで部屋のドアを開けるとなぜか目の前には朝から無駄に元気なジュードの姿があった。


「おはよう、スーザン! いい朝だな!」


「おはよう」

 お兄様のせいで厄介ごとができてしまったではないか! とジュードを責めたい気持ちはあるものの寝不足でそんな気すら起きなかった。

 朝から無駄に体力を消費したくなどないのだ。


「生誕祭だっていうのに元気ないな?」

「まぁ……ね。誰か一緒に回ってくれるような相手でもいれば良かったんだけど……」

 そうすれば少しくらいは気が紛れたかもしれなかった。

 けれど当然スーザンにはそんな相手などいない。そんなことはスーザン自身が誰よりもよくわかっていた。


「? リガルドと一緒に回るんだろう? 嬉しくないのか?」

 不思議そうな顔でスーザンの顔を伺うジュードにスーザンは苛立ちを通り越して呆れてしまった。


「誰でもいいってわけじゃないのよ……」


『王子様と結婚するの』なんて言っていた頃ほどスーザンは夢見がちではなかった。

 けれど七年に一度の生誕祭を普段と同じように仕事で一日を終わらせることに不満がないほど夢を捨ててしまってはいなかった。

 人並みには夢を見る。

 他の者たちと同じように思い人と一日を過ごしてみたいと思うほどには。


「だがリガルドは……」

 ジュードはスーザンに何かを伝えようとして、止めた。一度開いた口はゆっくりと閉じてしまう。


「お兄様、朝食を食べましょう?」

 ジュードの様子が気にはなったものの、けれど彼のことだからお腹がいっぱいになれば元気になるだろうとスーザンは判断した。現に昨日のスーザンがそうだった。

 嫌なことも、心配事も、カインザス一家にかかればそんなことは食欲の前では平伏せるのみだ。


 だからスーザンはいつもよりもたくさん朝食を食べた。ドレスを着ているせいでいつもより締め付けられる腹部を気にしなくてはいいくらいの自制はしたつもりではある。

 ながばやけ食いのようなそれは家族の目にはそうは映らなかったらしい。


「元気ね〜」

「気合入ってるな!」

「生誕祭だからな」


 彼らの目に映るスーザンはお腹が満たされ、気合十分! といった様子らしい。


「行ってきます」

 ヒラヒラと手を振る三人に吐き捨てるように言ってから駆け出した。

 目指すのは当然リガルドと約束をした、広場だ。

 約束の時間まではまだだいぶ早い。だがリガルドがいなければその時間は見回りでもすればいい。

 リガルドを案内する、という役目が急遽昨日追加されたのであって本来今日のスーザンの予定といえばもっぱら村の見回りなのだから。


 広場まで着くと、まだ朝も早いからかそこには誰もいなかった。――噴水にこしかけるリガルド、たった一人を除いては。


「お早いんですね」

「そういうスーザンこそ約束の時間まではだいぶ余裕があるが」

「来客をお待たせするわけには行きませんから」

「来客、か……」


 スーザンにとってリガルドは客以上でもなければそれ以下でもない。それ以上にしてしまってはいけないのだと自制する。

 寂しげな表情を見せてもリガルドはどうせ明日にはこの村から去っていくのだから。


 かつてリールがそうだったように何も告げずに。


「……スーザン、君に贈りたいものがある」

 沈黙を破るようにリガルドは隣に置いていた箱を開けた。

 クリーム色のその箱の中には真っ黒の革靴があった。

「履いてほしい」

 シワひとつなく、艶がかった靴を地面へとゆっくりと降ろすと今までリガルドが座っていた場所を2回ほど叩いた。

 ここに座れということだろう。

 その指示に従い、噴水の縁に腰を降ろすとリガルドはしゃがみこみ、スーザンの足を恭しく持ち上げた。そしてゆっくりと靴を脱がした。

「な……!」

 スーザンの顔には身体の体温全てが集結したのではないかと思うほどに一気に熱くなった。

 それはリガルドの態度に対しての恥ずかしさと、もう一つは存分に履き潰した靴をそんなに間近で見られることへの恥ずかしさだ。


 いつもとは違ってドレスを着ているからといっても靴はいつものままだ。

 王都のご令嬢の履くような少しでも身長を高く見せるためだったり足の美しさを強調するためのカカトの部分が細い棒で支えられたヒールの靴ではなく、動きやすさ重視の、存分に履き潰した革靴だ。


 近々新しいものを買う予定だったのだ。

 生誕祭の直前に領主であるカウロがいなくなってしまったことで少し予定が狂ってしまったためその予定は未だ実行されてはいないが、そろそろ買い換えないとなと思っていた。

 だから余計に恥ずかしさがやってくるのだ。


「どうだ?」

 リガルドはスーザンの気持ちなどまるでわかっていないように手早く、けれど丁寧に革靴へと履き替えさせ、そして感想を求めた。


 動きやすさをまず最優先し、なおかつ普段の服に合わせて買った革靴とは比べものにならないほど履きやすい。

 けれどデザインは元のそれとよく似ていた。これなら新しいお供としても履いていける。


 恥ずかしさは未だ残るものの、感想を求められたからにはやはり何かしらの言葉で返すのが礼儀というものだろう。

「履きやすいです」

 だからスーザンは感想を簡潔に述べた。


「そうか……」

 するとリガルドは残念そうにスーザンの感想を受け止めた。

 もう少し気の利いた返事を返せば良かったと反省してももう遅い。それに悩んだところで靴の履き心地を表す気の利いた言葉などそう簡単に出てくるわけでもない。どちらにせよあまり変わらない答えだったのだろう。



「それでは行こうか」

 そう言って立ち上がったリガルドは先ほどの靴が入っていた箱に代わりとばかりに今までスーザンの履いていた靴をしまいこんでしまった。そしてそれはどうやら返してくれる様子はない。

「え、あの靴は?」

「今日一日はそれを履いていてくれないか?」

「え、ですが……」

 スーザンにとって靴とはそんなにしょっちゅう買うことは出来ないような代物で、つい先日もガラスの靴をリガルドからもらったばかりなのだ。あの靴は今履いている靴とは違い、普段使いには明らかに向いていない、これから履く機会があるかすら定かではないものではあるがもらったことに変わりはない。


「頼む。一日だけでいいんだ」

「……はい。わかりました」

 それでも頭を下げられてしまえば、要らないのだと突き返すことも出来ないのだ。



 リガルドはスーザンの靴がはいった箱をしばらくの間小脇に抱えながら歩いた。

 けれど、町唯一の靴屋の前まで来るとスーザンを店の前に待たせて一人店内へと入っていった。かと思うとすぐに店から出てきた。

 その手にはすでに箱が抱えられておらず、どうやら置いてきたらしかった。


 もしかしたら靴屋の親父さんこそがリガルドが昨日言っていた知り合いなのかもしれないとふと頭をよぎった。

 もしそうだとしたら、そんなところまでもリールと同じになってしまう。


 髪も瞳もリールそっくりで、なのにこれ以上まだ共通点を見つけ出してしまう自分が哀しくなった。

 一つだけ明らかに違うことといえば、リールはスーザンに靴をプレゼントしたことはなかった、ということくらいだろう。


 だから幼いスーザンは化粧の厚い、リールに靴を作ってもらえるだけの大人の財力が欲しかったのだ。

 今さらその財力が手に入ったところでスーザンはリールが今どこにいるかも知らなければ、今も靴を作り続けているのかすらも知らなかった。


「スーザン?」

「……では行きましょうか。生誕祭のメインといえばやはり大樹ですが、そこへ行くまでの道にも領民たちが手作りしたオーナメントが飾ってあって、それを見るのも楽しいんですよ」


 スーザンは暗い気持ちを押しのけて、一刻も早くこの仕事を終えることに専念した。これは自分にとっても、そしてリガルドにとっても仕事でしかないのだと言い聞かせる。

 この靴だってきっと今日の仕事を円滑に進めるための手土産に過ぎないのだろう。よりによって何故靴なのかと文句を言いたい気持ちもあるが、スーザンの都合などはリガルドに関係のないことなのだ。


 大樹に向かって歩いて行くと昨日子どもたちに紹介された、少しいびつな、それでいて7年前にスーザンが作ったものよりもだいぶ上手に出来たオーナメントが飾られていた。

 昇ったばかりの朝日に照らされて輝く星は夜空のそれとはまた違って綺麗だった。

 きっと手を伸ばせば届くのに、それでいて決して触ることは許されない。きっとそれはスーザンが大人になってしまったからだろう。


 大樹の下まで辿り着くとさっさと説明をしてしまおうとするスーザンに対し、リガルドは先ほどから何かを告げようとしてはやめて、そしてまた伝えようと口を開いていた。

「どうかなさいましたか?」

 そうスーザンがリガルドの様子を気にしたように尋ねるとやがてうっすらと口を開いた。

「スーザンのは……」

 他に音なんてほとんどないのに上手く聞き取れずに聞き返す。

「すみません、もう一度言っていただけますか?」

 するとリガルドは繰り返し、やはり呟くように言った。

「スーザンの作ったものはどこにあるんだ?」

 先程からずっとキョロキョロとしていたのはスーザンの作ったオーナメントを探しているかららしかった。

 けれどそれが見つかることはない。

「ありません。作っておりませんので」

「え」

「私、手先が器用ではなくて……上手に作れないんです。7年前に作ったのも残念な仕上がりで……」

 だから作らなかったというのは少しだけ嘘で、少なくとも7年前は今度もまた挑戦してみようと思っていたのだ。

 それでも今回は、仕事に追われていたというのも理由の一つにはある。それは確かなのだ。けれどそれだけではないのもまた事実。

 手順は7年前に教えてもらったことを思い出すことは出来るし、材料だってスローンに頼んで分けてもらうなりなんなりすればものの一時間ほどで作成することは出来る。けれど作らなかったのだった。作る気力がもうすでにスーザンの中にはないのだ。


「もし7年前にお前の元に来れていたら……」

 目を見開いて大樹を見据えるリガルドの目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。


「リガルド様? どうしたんですか?」

 慌ててポケットからハンカチを取り出して差し出した。けれどリガルドはそれを受け取ろうとはしなかった。


「遅かったのか……」

 そう呟いては頬に涙が伝っていく。


 何がそんなにもリガルドを悲しませているのか。直前に話したことといえばオーナメントのことくらいだ。スーザンの作ったオーナメントが見られないことがそんなに、涙を溢れさせるほど悲しいことなのか。スーザンには納得できなかった。

 けれどスーザンにとってリガルドの考えを理解できないことよりも客人が目の前で泣き続けているのを放置することの方が問題があった。


「リガルド様、オーナメントなら今からでも作りますから。なんだったらリガルド様も一緒に作りましょう」

「それでは……それでは意味が、ないんだ……」

 最後に大きな粒を二つ流してからスーザンの差し出すハンカチを受け取り、それらを拭き取った。


「今日はわざわざ付き合わせてしまって悪かったな」

 充血した目でスーザンを捉えると申し訳なさそうに笑ってから両手でスーザンの手を握った。


 そしてスーザンを残してその場を立ち去っていったのだった。

 スーザンは肩を落として立ち去る姿を追うことはできなかった。


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