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「え、あの、スーザン? えっと、なにこの手?」

「逃げないように、一応……ね?」

 スーザンはわずかに緩んでいる脇を一気に締め込んだ。

 これはジュードが居なくなってからスーザンがカウロの逃亡を防ぐために身につけた技の一つである。カウロよりもはるかに身体能力が優れたジュードがこれをかいくぐるのは容易いことではあるが、彼は動揺していた。

 自分の不在中に一層たくましくなった妹の姿に。

「えっと、逃げないから。手、離してくれない?」

「え? 何か言った?」

 腕をホールドして、身体は密着している。隣で解放を訴えるジュードの声がスーザンの耳に届いて居ないということはありえない。スーザンにはしっかりとジュードの訴えが聞こえていてわざと聞き直したのだ。ジュードの訴えを聞き入れる気はさらさらないのだと知らしめるために。

 その甲斐あってかジュードはすっかり縮こまっている。その状態はジュードが過去に狩った動物たちと同じであった。もちろんジュードは動物たちのように殺されることも、ましてや喰われることもない。だが水をたくさん吸い上げた雑巾のようにコッテリとギッチリと絞られることは十分ありえたし、スーザンはそうするつもりだった。

 幸いにもジュードの持ち帰った土産物はスーザンの趣向を理解しているからか、はたまた自身への土産なのか、食べ物ばかりだった。甘いお菓子から長期保存のきく乾物まで様々だ。そのほとんどがスーザンが口にしたことのないものばかりで余計に力が入った。

 今晩の夕食はきっと今頃、シェフが作っている頃だ。だからこれらはいい夜食になるだろうと想像し、口からは自然にふふふと声が漏れる。

 隣のジュードはひたすらにスーザンから逃れる術を模索していた。そして一歩踏み出す前にそれを思いついた。いや、本来の目的を思い出したのだ。


 ジュードがこの村に帰ってきた理由。


「あ、そうだ!スーザン、お客さんが来ている」

 それはとある男をスーザンに会わせるためだった。


「え?」

 その言葉にスーザンの脇は緩まる。それを瞬時に察知したジュードはするりと腕を引き抜いて、解放された身体をスーザンの前へと持って来た。

「わざわざ王都からスーザンに会いに来たんだよ。大樹の下で待っているから俺なんかに構ってないで行ってきなよ」

「とかいいつつもお兄様、逃げるつもりでしょう?」

「違うって本当なんだって。嘘だったら明後日の朝、スーザンのためにクマを一頭取ってきてもいい!」

「その言葉、忘れないでよ?」

「ああ」

 ジュードの言葉に心を弾ませつつも、彼がそれだけ言うのだから嘘ではないのだろうなとも思いつく。

 だがスーザンに王都に村を訪ねてくるような仲のいい相手はおろか、そもそも王都にいる知り合いなど一人しかいない。

 その知り合いというのも先日会ったリガルドのことであり、出会ったきっかけは舞踏会へ参加しなかったことへの苦言をいいにリガルドが村を訪れたことだった。リガルドの去り際はもう気は済んだようにスーザンの目に映っていた。そんな彼が再び、そう期間もおかず、この特にこれといって見所があるわけでもない村に来る理由が思いつかなかった。


 緩やかな坂を登り、半分まで到達すると大樹の下には何者かの姿があった。それがジュードのいう『お客さん』なのだろう。スーザンは小走りでその姿を目指す。

 前だけを向いていたスーザンの走りは大樹の幹が近くなるごとに重くなっていく。

 けれどその代わりに相手がスーザンへと駆け寄ってくる。先ほどのジュードの速さよりは遅いが、スーザンとの距離は確実に狭まっている。逃げることも出来ずに、小さな一歩を進めていく。

「スーザン」

 大樹の緑を背景に、視界のほとんどを占める姿も、耳に直接語りかけるような声も、つい先日のものと嫌になるくらいに一致する。

「リガ……ルド、様」

「久しぶりだな」


『久しぶり』

 その言葉にスーザンはふざけているのかと声をあげたくなる。

 ジュードの話からすると彼は王都からやってきたのだ。この村から王都への距離はかなりあって、数日は要する。

 彼と出会ったのが一週間ほど前。この村から王都への往復にかかるのが約4~5日間。

 商人でもない限りはそんな短期間に行って帰る距離ではないのだ。

 安い宿屋が途中の村にあるとはいえ金もかかれば食料の調達だって必要だ。


「なぜここにいるのですか?」

 招待した覚えもないが、ジュードは彼を『お客さん』と呼んだ。何かしらの用事があってきたのだろう。それならその用事をさっさと済ませて帰ってほしいと思った。

 リガルドの姿はリールを彷彿とさせる。記憶の奥底に眠らせておいたのに、忘れたいのに忘れられない。長年かけてやっとできたカサブタを無理矢理剥がされたような気分になる。

 必死で忘れようとしていたのに未だに頭の中に刻まれたリガルドの姿は一層強く刻まれる。それは彼といる時間が長ければ長いほどに強く、消えないものとなる。


「なぜって……その、スーザン、君に会いに来た」

「……今なんと?」

 恥ずかしそうに口ごもるリガルドの言葉にスーザンは耳を疑った。

 確実に捉えたはずのその言葉が嘘であってほしいと願い聞き返す。

 けれどもリガルドの言葉は変わらなかった。

「君に会いに来た」

 今度は力強く。

 少しだけ怒っているようにも感じるのはスーザンの気のせいではないようだ。


「そう……ですか。それでご用件はなんでしょうか?」

 スーザンは自分に会いに来たという言葉を鵜呑みにしたわけではない。他に理由があっても構わないと思っている。どんな理由があれリガルドがこの場にいることは変わらない。それにリガルドは彼の目的が達成されるまでは帰らないであろうという予感があった。ならば目的は何であれそれを達成することに一役買おうと思ったのだ。


「明日、明日の生誕祭、一緒に回らないか?」

「……はい?」

「だから明日一緒に過ごそうと言っているんだ」

 前回の訪問といい、さっきの会話といい、リガルドは聞き返されることが嫌いなようで、再び彼の機嫌は悪くなる。

 こんな短期間に二度も聞き返され苛立つ気持ちはスーザンにもわからないでもないが、だからといってそのまま聞き流すわけにもいかなかった。

 なにせ生誕祭だ。

 7年に一度のお祭りをなぜよりにもよってこの男と過ごさなければならないのだ、とそこまで思ったところでスーザンの頭には1つの可能性がよぎった。

 それはリガルドが城からの使いで来たという可能性だ。

 カインザス領には少なくともここ数年は見回りが来ていない。

 どれくらいのペースで見回りに来るのかは、田舎の下級貴族であるカインザス家には知らされていなかった。それにやましいことをしているわけではないので特別気にしているわけでもない。ただ来たら来たで事前通告もしていないというのに国からの使いということでそれ相応のもてなしをしなければならないという点に一抹の面倒臭さを感じるだけだった。

 そうだと結論づけて仕舞えば話は早い。リガルドがスーザンの名前を挙げたのも資料作成者にスーザンの名前を書いたからであろう。


「わかりました。明日、大樹の背で日が隠れる頃に広場でお会いしましょう」

 ならば1人の女ではなく、カインザス領の娘、スーザン=カインザスとしてリガルドをもてなさなければならない。

 生誕祭といっても特に目玉になるものは村人が作ったオーナメントくらいなもので、王都の祭りのように出店がでたりするというのもない。

 一通り共に回って村の現状を簡単に説明すればいいだろう。

 それだけなら日が高いうちにリガルドは村から出ることができる。


「あ、ああ。楽しみにしている」

「ところで今日の宿は決まっておいでですか?」

「ああ。知り合いのところに泊めてもらう予定だ」

「……そうですか」

 ならばその知り合いとやらに案内を押し付けたいという気持ちをぐっと抑え「それではまた明日」とリガルドに向けて一礼した。



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