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人鳥恋路  作者: 高坂喬一郎
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トボガンと地方文化研究会

 僕と岩水寺のいざこざの間に先輩は探し終えたのかいつの間にか座っていた。


 どうでした、という岩水寺の問いに先輩は残念なことに成果ゼロだと答える。何が残念なのかいささか腑に落ちないけれど岩水寺からようやく解放された。


「もうさっさと始めましょう」


 僕は袋から缶を取り出してこたつテーブルの上に並べた。先輩の左隣に僕、その左隣に岩水寺という配置で座る。僕の対面の空席には西ヶ崎が座ることになる。


「西ヶ崎は少し遅れてくるって言っていたから先に飲み始めよう」


 いつの間にか立っていた缶タワーの解体を始める。各々の前に缶を配る。岩水寺は菓子の袋を開ける。


「それでは乾杯しましょう」


 岩水寺が音頭を取ってそれぞれ缶の蓋を開けた。プシュッと小気味良い音が鳴る。


「かんぱーい」


 缶同士をぶつけて飲み始める。何度か缶とつまみを口に付けてから先輩へ話しかけた。


「先輩の名前とか全く知らないんですけど何者ですか」


「そういえばまだ自己紹介してなかったね。生命環境学部二年の美園です、以後お見知りおきを」


「俺達は工学部一年の岩水寺と八幡です」


 岩水寺が僕の分まで自己紹介をしてくれた。僕はどうもと頭を下げただけだ。


 飲みが進むにつれて岩水寺の会話のペースもあがる。理性が働かなくなるといつもこれである。偏屈な会話が繰り広げられる。


「八幡聞いてくださいよ。前の新歓から俺のあだ名がペンギンになってるんですよ。しかも学科の全員がそれを知ってるんですよ。なんですかこれは世界統一政府による策略ですか」


 まくし立てるように僕にせまる。


「世界統一政府がなんなのか知らないけど、歓迎会であれだけ大きな声でペンギンペンギン言ってたらそれはそうなるよ」


 そんなに大きな声でしたか、とぶつぶつ呟く。美園さんへ目を向けると僕らの会話を一歩引いた所で笑って見ている。


「二人は仲がいいのね。仲良きことは良きことよ」


 そう言って頷きながら僕の肩を叩く。


 そこでピーン、ポーンと間の抜けたようなインターホンが鳴る。多分西ヶ崎が来たのだろう。


 俺が出ますよ、と岩水寺が立ち上がる。足取りがなんとも頼りない。大丈夫か、声を掛けるとこちらを見ずに手をあげた。


「心配ご無用。俺は今ペンギン歩きをしていますからね。転ぶはずがないんですよ」


 岩水寺を観察してみると前傾の体勢で一歩一歩小さく歩いていた。


 なるほど、あれがペンギン歩きなのかと納得する。


「彼、面白いね」右に座る美園さんが改めて言う。


 転ぶはずがない、と言いいながらも結果として岩水寺は転んだ。ドシン、と鈍い音の後にウッという呻く声が聞こえる。


「だから言ったろうに」と立ち上がり岩水寺を見ると彼はうつ伏せの体勢のまま腕を器用に使って進んでいた。


「私知ってるわ、トボガンね」


 美園さんが物知り顔で言う。


「なんですトボガンって」


「ペンギンが腹ばいになって氷の上を滑ることをトボガンっていうの。歩くよりも早い移動方法ね。人間でも効果あるのかは分からないけど」


 美園さんの意外な博識に驚く。それともペンギンブームなのだろうか。僕らが雑談を交わしている間に岩水寺は玄関へ到着した。


「なんか大きな音がしたけど大丈夫?」


 怪訝な顔をしながら西ヶ崎がドアを開けて入ってきた。この時いくつかの偶然が重なりあって小さな奇跡が起こった。


 岩水寺が転倒して大きな音をたて、さらにトボガンで玄関へ向かったこと。トボガンが人間にも有効であったこと。西ヶ崎が大きな音に誘われてドアを開けたこと。日頃からスカートをあまり穿かない西ヶ崎が今日に限ってスカートであったこと。


 これらの偶然が重なってアシカのような態勢の岩水寺の目線が西ヶ崎のスカートの中という奇跡を起こす。


「あーらら」美園さんが隣で呟く。あまりの光景に僕は目を逸らしてしまう。


 いやっ、小さな悲鳴が聞こえた。逸らした目を戻すと西ヶ崎の拳が岩水寺の脳天に直撃していた。


「一繋ぎの大秘宝はここにあったんですか」


 崩れ落ちる岩水寺は最後の力を振り絞り言い放つ。大半の呆れと少々の心配の後、急いで駆け寄る。


「大丈夫か岩水寺」そう言って上体を持ち上げようとして彼が眠っていることに気づく。呼吸は規則正しく、気持ちよさそうな笑顔である。本当に秘宝を見つけたかのような安らかな顔だ。


「それにしても、普通悲鳴をあげながら意識を失うほどの拳骨をくらわすかね」


 そっと岩水寺を寝かせて西ヶ崎を見る。岩水寺とは対照的に彼女は息を荒くしてこちらをにらみ返していた。


「私のせいだとでも言いたいの。私は被害者側の人間よ。正当防衛を主張するわ」


「弁護側は過剰防衛を主張する」


 西ヶ崎は右手を威嚇するようにゆらゆらと揺らす。到底逃げられる間合いではない。


「申し開きがあるなら聞きましょう。できなければ」


 どこぞの王妃のような物言いだ。


「この者の自業自得でござりまする」あっさりと岩水寺を見限る。弱肉強食こそが自然界のルールである。


 西ヶ崎は天井を見て大きく息を吸うと、静かに吐いた。


「まあいいわ。見られたのが岩水寺君で良かった」


 パンツ見られてよかったとは変態なのか。その割には思い切り拳をお見舞いしていたけれど。恋する乙女の盲目ぶりには呆れる。


「寸劇は終わったかしら」


 美園さんが僕の後ろから声を掛ける。


「なんで美園先輩がいらっしゃるんですか」


 僕が返事をする前に西ヶ崎が声をあげた。どうやら美園さんと知り合いらしい。


「狭い狭いと思っていたけれどここまで世界が狭いとは。ああ嘆かわしや」


 西ヶ崎の問いをてきとうに流して美園さんは席へ戻って行く。それを追うようにして西ヶ崎もどたどたと上り込んでくる。


 家主であるにも関わらず一人ぽつんととり残される。床に転がる岩水寺を揺すってみてもまるで反応がない。致し方なし。


 亡友へ合掌し僕も二人の後をそそくさと追った。


 部屋へ戻ると西ヶ崎が美園さんを問い詰めている。


「どうしてここにいるんですか。何が目的ですか」


 こたつテーブルの空いた席に座り、美園さんへ迫る。邪魔にならないように見つからないようにと小さく小さくなりながら元の場所へ戻る。


「八幡君はこの子の好きな子知ってる?」


 西ヶ崎の剣幕など意に介さず美園さんが尋ねてくる。


「一応知ってはいますけど」明確な答えを避けるように慎重に言う。対面に座す地雷を踏まないための配慮だったにも関わらず、眼前の顔は鬼の形相だった。


「大学で一緒に話している所を何度か見たからてっきり八幡君のことを好きなのかと思っていたけれど、そうかそうか」


 全てを悟ったようなニヤニヤとした悪い笑みを浮かべる美園さんがそこにはいた。


「岩水寺君が好きだったのね」


 名推理である。西ヶ崎は手近にあった缶を手に取り一度に飲み干す。


「何を証拠にそんなこと言ってるんですか」


「証拠を求めることこそが何よりの証拠よ。だって違うんだったらそのまま間違えさせておけばいいと思わない。ねえ」


 そう言って僕に同意を求めてくる。沈黙こそが金である。


「そうそう、そうですよ」


 僕の孤独な抵抗空しく、自暴自棄になった西ヶ崎は隠し立てすることなく正直に答えてしまった。日頃の尊大な態度は今はなく、ものの見事に美園さんに手玉に取られている。


「彼はユニークね。滅多に見かけないタイプだわ」


 美園さんの岩水寺に対する評価は高い。僕の事も聞いてみたいところだけれど先に聞きたいことがあった。


「美園さんは西ヶ崎とどういう関係なんですか」


「サークルの先輩よ、後輩への意地悪にかけては並ぶものがいないほどの女狐だから八幡も気をつけなさい」


 美園さんに代わって西ヶ崎が言う。かなり怒っているようだ。


「生意気いうのね」


 そう言って美園さんは机の下に両手を入れた。西ヶ崎が突然大きな声で笑い出し、倒れようとした所で背後の壁に頭をぶつけた。


 机の下をチラリと覗くと美園さんが西ヶ崎の足の裏を指で擦っていた。


 よほど痛かったのか西ヶ崎は頭を抱えて静かになる。


「もしかして女性をもう一人呼んでほしいって言うのは西ヶ崎を呼ぶための方便ですか」恐る恐る尋ねると美園さんは僕を指差して「ザッツライト」と言い放った。


「西ヶ崎に好きな人がいるっていうのは前々から知ってはいたのだけれど誰かは分からなかったの。何となく気になって西ヶ崎を観察してると八幡君と二人並んで歩いている姿をよく見かけるじゃない。それで西ヶ崎の好きな人は八幡君だと勘違いしたの」


 それから一呼吸おき、玄関付近で倒れる岩水寺を横目で見る。


「西ヶ崎を呼ぶように誘導したのだけれど、どうも八幡君のことじゃなかったみたい。それなら八幡君が日和見主義者ってことでいいのかしらん」


 さらりと述べられた言葉に西ヶ崎を凝視する。僕をそんな風に評価していたのか。落胆しつつも確かにそうかもしれないと納得してしまう自分もいる。それでもイラッとしたことには変わりなく、机の下で西ヶ崎の足を掴んだ。


 西ヶ崎が抵抗しようとする前に彼女の足の裏を擦る。笑い袋の様に足の裏を擦るたびに彼女は笑った。


 観念したのか許しを乞うたので足から手を放す。


「不名誉極まりない二つ名だ。訂正を求める」


「無論、却下よ。それに二つ名って本人が決めるものじゃないでしょう。日頃の態度から改めなさい」


 ふーふーと息を落ち着かせながら言う。全く懲りた様子が見られない。もう一度擦ってやろうと彼女の足を探すが見つからない。机の下を覗くと彼女は正座をしていた。してやったり顔で僕を見る。


「はいはい、そこまで」美園さんが僕らを制した。


 こほんと場を正すように咳をして話始める。


「八幡君に相談があるのだけれど、今何かサークルとか入ってたりする?」


「いいえ」首を横に振った。


「私達は地方文化研究会っていうサークルに所属しているんだけど八幡君にも入ってほしいの」


「いいえ」また首を横に振る。


「サークルの利点を聞けば、きっとその答えも変わるはずよ」


「いいえ」さらに首を横に振ろうとしたところで足の指に激痛が走った。どうやら西ヶ崎に右足の小指を抓られたらしい。このデンジャラスクイーンめ。


「とりあえずその利点を聞かせてもらうことにします」


「まず大学に自分の荷物を置く場所ができるわ。サークルとして一室与えられているからそこに教科書とか置きっぱなしにできるの。それにお弁当を買ってきてそこで食べることもできる。他人の目を気にしなくていいのは喜ばしいことでしょう」


 中々にそそられる誘惑である。しかし旨みばかりで心配になる。棘の無い薔薇はないように何か裏があるはずだ。


「何の活動をしてるんですか」


「特にこれと言った活動はしていないわね」


 待ってましたと言わんばかりに自信満々に答える。西ヶ崎も頷いている。そんなサークルに大学の貴重な一室が与えられるのだろうかと甚だ疑問である。


「なぜ僕なんですか。そんな魅惑的な条件なら他に入りたがる人がいっぱいいるでしょうに」


 そう問いかけると美園さんはしばし思案した。


「何か誤解されている気がするわ。別に壺や英会話教材を買わせたりしないから安心してほしのだけれど」


「常に物事の表と裏を見ろって爺ちゃんに教わったので」


「いいお爺さんね。美女の頼みは断るなとも教えてくれたかしら」


「自分のことを美女と自信満々にいう人は本当の美女ではないとは教わった気がします」


 うふふと不敵に笑うので僕もハハハと笑い返した。


「私たちのサークルに入りたがる人は多いかな。私や西ヶ崎がいるのだから、なおの事多いはずね」


 なんとも自己評価の高い人だ。しかし、客観的に見ると正しい評価であるからなおのこと質が悪い。


「それにあんまり人数はいらないのよ。サークルとして大学から認可されるには最低五人いればいいの。今は私、西ヶ崎、それとサークル長の三人しかいない。それで丁度二人必要なわけ」


 それから岩水寺の方を見たので二人の内に僕だけでなく岩水寺も数に含まれていることが判明する。西ヶ崎に助けを求めようと視線を向けると我関せずとそっぽを向いていた。


「君たちは西ヶ崎とも仲がいいでしょう。しかも面白い」


 僕には最後が一番の理由な気がしてならない。思わず考え込んでしまう。聞く分には悪い話ではないと思うが、真意が見えていない気もする。


 思い悩んでいる姿に呆れたのか西ヶ崎が溜息をついた。


「大学生活なんて今までと大差ないのだから少し違った行動してみたらいいじゃない。いつもの自分とは違う行動をしないと何も変われないわよ」


 顔を上げて西ヶ崎を見てしまう。心にぐさりと刺さる至言だった。


「それ私が勧誘の時に言ったセリフじゃなかった」


 美園さんにそう言われて西ヶ崎は照れくさそうにする。何だかんだ言って二人は仲がいいようだ。


「分かりました。入らせてもらいましょう」


 言葉を聞くやいなや美園さんが鞄から用紙とボールペンを取り出す。


「それじゃあ名前と学籍番号と連絡先を記入してもらえる」


 事務的にそう言われ、これは誤った判断をしたんじゃないかと早速不安になる。結局、引きづらい状況に身を任せて恐る恐る記入した。


 書き終えた用紙は即座に鞄に回収される。猜疑の目で美園さんを見ると彼女は僕にテーブルにあった新しい缶を押し付けてくる。


「さあ新たなメンバーに乾杯しましょう」


 そう促されて僕と美園さんと西ヶ崎は再び乾杯をした。


 二時間ほどだろうか。窓から夕日が差し込まなくなり、外が暗くなり始めた所で飲み会は解散となった。目を覚ました岩水寺は僕と違って喜んでサークルに加入した。西ヶ崎と美園さんが入っているならということらしい。


 玄関で三人を見送ると精神的な疲労からか飲み過ぎたからか分からない眠気に襲われた。ベッドに倒れた所で僕の記憶は途切れた。

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