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人鳥恋路  作者: 高坂喬一郎
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ロマンチストと名コンビ

 本格的に授業が始まり日々の生活が忙しくなる。この講義は教科書を購入する必要がないとかこの教授は簡単に単位をくれるとか様々な情報が勝手に耳に入る。主な情報源は岩水寺であったりするから彼には感謝している。それにしても初回の講義を休んでいたのに情報をどこから仕入れてくるのだろう。


 岩水寺から聞いた簡単に単位をくれると噂されている講義は多くの人が受講していた。みんな考えることは同じだなと苦笑する。


 講義も終わり、鞄に教科書を詰めていると僕を呼ぶ声がする。


「お前、前の親睦会の後も西ヶ崎と一緒だったろ」


 僕が顔を上げると同じ学部の男が立っていた。名前の分からない彼は親睦会の時に西ヶ崎を囲っていた先輩の一人であったことを思いだす。


「もしかして西ヶ崎と付き合っているのか」


 先輩の声は早口で怒気を孕み、僕を脅すようだった。僕が首を横に振ると彼は安堵したように深く息を吐いた。


「やっぱりな。お前じゃ釣り合わねえしな」


 本人の目の前でよく言えたものだ、怒りよりもある種の清々しさを感じる。


「もちろんお前が駄目だと言っている訳じゃないんだぜ。でもほら、俺の方がいいだろう」


 彼があまりにも自信満々に言うのでそうですね、と僕も頷く。


「ところで西ヶ崎の好きなものとか知ってるか」


「そう言えばピクルスが好きだって言っていたような気も」


 何気ない口調でそう言った。そうかそうかと彼は満足げに頷く。


「でも彼女にはもしかしたら好きな人がいるかも」


「それはそうだろ。でも全員が全員本当に好きな奴と付き合えるわけでもないだろ。だから誰しもがこのレベルなら付き合ってもいいとかここから下はダメとかって基準を持ってるもんだ」


「そういうもんですかね」


「俺の経験上はそうだな」


「彼女と付き合える権利はたった一人だけにあるわけじゃないだろう。むしろ重要なのは順番だと俺は思うね」


 自信満々に恋愛マスターは語る。


「でも、西ヶ崎の基準を超えているのは世界でも一人しかいないかもしれませんよ」


「童貞をこじらせる前に忠告しとくが、誰も彼もが運命の相手を見つけられるはずなんてないからな。運命の相手見つけたとは、結局は後付けのこじつけだ」


「そういうも」「そういうもんなんだよ」


 先輩は食い気味に言う。


「でも今日はいい情報を聞けたわ。ありがとな」


 そこまで悪人というわけでもないらしい。酒の席の失態をとやかく言うのは無粋だろうか。先輩の後ろ姿に、少々の罪悪感を感じた。


 それから数日後僕はまた西ヶ崎に捕まった。何か用事があるのか岩水寺は講義が終わると教室を飛び出しどこかへ行ってしまった。僕が一人になったのを見計らったように、西ヶ崎は声を掛けてきた。


「最近様子はどう?」


「授業が始まって忙しいね。今の授業もさっそく課題が出たしさ」


「八幡の近況なんて誰も聞いてない。岩水寺の様子を聞いてるの」


 答えが不満だったのか彼女の態度はとげとげしい。


「岩水寺の近況を聞かれても本人じゃないんだから分からないよ」


「八幡くらいしか聞ける人がいないのよ」


 本人に聞けばいいのに、思わず口に出そうとしてしまう。


「近況ってどんなことを知りたいのさ」


 西ヶ崎はがらにもなくもじもじする。


「気になってる人が出来たとか好きな人が出来たとか」


「まだ大学始まって二週間だよ、そんな心配は杞憂だと思うけど」


「八幡は岩水寺の魅力が全く分からないからそう言えるの」


「魅力ねえ」からかおうと西ヶ崎の顔を見ると恥ずかしかったのかあらぬ方向を見ていた。


 僕の知る限りでは何もないよ、そう言うと彼女は安堵した。


「僕の聞いた話では恋人関係になるのは順番が大切らしいよ」


「順番ってなんの」


「何でも人はこのレベルな付き合ってもいいとかダメとかの基準を持ってるみたいで、基準の上を行ってる人たちの徒競走みたいなものだって」


「みたいって八幡の意見じゃないの」


「僕は運命の赤い糸の存在を信じたい…かな」


 西ヶ崎は笑いを堪えているようだ。口を隠しても空気の漏れる音を隠せていない。


「八幡がそんなロマンチストだったなんて良い意味で予想外だわ」


「馬鹿にしてるだろ」


「そんなことないわ。私もその基準とかって話より赤い糸の方が好きよ。だってそっちの方が楽しいじゃない」清々しいほどに言い切る。


「赤い糸の存在を信じたいね」西ヶ崎は復唱する。


 自分で言ってまた笑いを堪えているのだから世話ない。付き合いきれず話題を逸らす。


「そういえば彼から告白とかされた?」


「彼って誰のこと」


 名前の分からない先輩をどのように表現したらいいのか。


「親睦会の時に西ヶ崎を囲ってた先輩の一人なんだけど」


「それならされたわね」


 彼女を囲っていた先輩は複数いたにも関わらずきっぱりと断言した。


「あの時私の周りにいた男子全員から告白されたわ」


 嬉しそうな顔もせずむしろ少し不快そうに言う。


「さすがの行動力だ。僕も見習わないと」と思ってもないことを口にする。


「殊勝な心がけね」


 それで思い出した、と彼女が僕に詰め寄る。


「そのうちの一人がピクルスのいっぱい詰まった瓶を私に持ってきたのよ。彼は善意でくれたみたいだから貰っておいたけど。でもなんで彼は私にピクルスをくれたのかしら」


「さあなんでだろうねえ」


 適当に白を切ろうとすると彼女は目を細めて僕を見た。


「ピクルスが好きだなんて誰にも話したことないのに彼はどこから私がピクルス好きだって情報を仕入れたのかしら」


 鞄を手に持ち、その場を離れようとするとまた彼女に手首を掴まれる。手癖が悪いな、と呟くと掴む力が強くなる。


「そいういえばつい最近ピクルスの話題をあなたとしたような気がするわ」


 爪が肉に食い込む。僕が笑うと彼女も笑った。片方は痛みを堪えながら、片方は痛みを与えながら。優劣は明白である。


「そうです僕が言いました」


「なぜあなたは私がピクルスが好きだなんて嘘をついたの」


 面白そうだったから、僕の答えに彼女はにやりと笑った。


「そういえばあなたはハッピーな頭をしてるんだったわね」


 ようやく手を離して口を開く。


「今回は許してあげる、ただし今から私の家にピクルスを引き取りに来なさい」


 どう返答しようかと迷っていると彼女の目がまた糸の様に細くなった。


 はい、と渋々ながら答える。自ら撒いた種であるため収穫も自ら行うのが道理だろう。


 大学の最寄駅から八駅ほど電車に揺られ、そこから徒歩十分ほどでようやく西ヶ崎の家に到着した。


「電車に乗るのなら先に言ってほしかった」


「先に言ったら付いてこなかったでしょ」


「それは確かに」


 彼女は僕をドアの外で待たせて一人家の中へ消えて行った。その間になんとなく周囲を見渡す。歩いてくる途中も思ったけれどこの辺は大きな家が多い。彼女の家も例にもれず大きい。車二台は入る車庫に手入れの行き届いた広い庭。名家だろうか。これでペルシャ猫やレトリーバーがいたら完璧だ。


 彼女は高級そうな袋を持って出てきた。後ろからは従者のようにゴールデンレトリーバーとペルシャ猫の両方が付いてきている。まさか両方だとは。


 もしかしてお金持ち、僕が聞くと彼女は不快感を露わにした。


「親が金に困ってないだけよ」


「後ろの犬と猫は?」


「犬の方がホームズで猫の方がワトスン、外に出るときは毎回ついてきちゃうの」


 名コンビだ、二匹の方を見ると彼らもこちらを見ている。お前は彼女のなんだ、そう問われているようで居心地が悪い。


 彼女が渡してきた袋は僕も知っている高級ブランドの袋だった。


「いい袋だね」


「これに入れて渡されたのよ。最初は凄く期待しちゃったわ」


 袋の中をのぞくと入っていたのは大きな瓶だった。中にはピクルスが何十本も漬けられている。袋と中身に差がありすぎだ。


「予想以上にたくさんあるね」瓶を見て思わず苦笑いする。


「貰った時は嫌がらせかと思ったわ」


 鞄に入らない大きな瓶をそのまま持って帰るわけにもいかないためスーパーの袋を一つ頂戴した。彼女は瓶の入っていた高級な袋ごと渡してきたが丁重に断っておいた。


「これに入れて持ち帰りなさい」


「そんな袋いらないよ」「私もいらないわよ」


 何度か押し付け合いがあったのは名前を知らない先輩の名誉を傷つけてしまう為、秘密だ。

評価だけでも頂けたら幸いです。

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