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人鳥恋路  作者: 高坂喬一郎
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ハッピーとピクルス

 講義初日。僕は大学へ行く為に折り畳み自転車を駐輪場から引っ張り出す。一人暮らしをするには申し分のないアパートであるにも関わらず駐輪場は小さく、数台の自転車しか止められない。僕が引っ越してきたときには既に許容台数を超えていたので、まだ見ぬアパートの先輩方に倣って押し込むように駐輪した。そのため、朝から他の自転車をどけて自分のだけを引き抜く重労働が科せられる。


「君も大変だなあ」


 いらいらしすぎて他の自転車を蹴ろうとした所で後ろから声を掛けられた。


 振り返るとリュックを背負いロードバイクに跨る、颯爽とした様子の女性がいた。すらっとした体形のおかげか中々に絵になる。


「見たことない顔だけど新居者?」


 女性の問いかけに僕は頷く。


「君二階住みだろう」


 怪しい発言に少し様子を窺う。二階建てのアパートだから二分の一で当てずっぽうで言っているのだろうか。


「そう身構えないで。一階の住民はそこに止めないのさ」


「じゃあどこに止めてるんです?」


「玄関を出たすぐ横さ」


 どうだと言わんばかりに胸を張るけれど僕は曖昧に反応するしかない。


「頑張れよ、新入生」


 そう言ってペダルを漕ぎ始めた。


「それだけですか、手伝ってくれるとかじゃないんですか」


 後姿に問いかけるけれど彼女は右手を挙げただけで振り返りもしない。


 そこから数分してようやく自転車を取り出すことができた。


 高校生の頃から愛用している自転車は取り出した弾みでハンドルが少し右に曲がってしまった。真っ直ぐ進んでいるつもりでもちょっとずつ右に曲がる。どうにも先が思いやられる。


 しっかり頼むぞ、と声を掛けてみても直りそうもないので車輪を足で抑えハンドルを無理矢理左に曲げる。ようやく元の姿に戻った。さっきの女性の根性もこうすれば直せるのではないか、と考えた。


 僕の住むアパートは大学から少し登った所にある。大学自体が坂の途中にあり、頂上には戦国武将を祀った神社があった。 


 坂を自転車で駆け抜けるとすぐに大学へ着いた。


 講義室は分かりやすい場所にあり、すぐに見つけることができた。部屋へ入ると何人かが僕を見て何かを話始めた。


 岩水寺を探しても見当たらないので仕方なく一人席へ着く。


 新歓での鮮烈なデビューをしてしまったせいか、僕の周りは不自然に空いていた。


 一人空しく頬杖を付いて教授の登場を待っていると後ろの席に西ヶ崎が座った。


「一人で寂しそうね」


「的確な現状報告ありがとう、僕の後ろに座ったからって岩水寺とお近づきになれるとは限らないよ」


 何言ってるの、と彼女が声を荒げた所で教授が登場した。岩水寺はどうやら初日から遅刻らしい。


 講義中に何度か後ろから鋭いモノで突かれたけれど断固として無視を続けた。結局講義中に岩水寺が現れることはなく、背中は蜂の巣になるんじゃないのかというくらい突かれた。この女にはまず淑やかさを教えてやらねば。


 昼飯を食べる為、もとい西ヶ崎から逃げるために学生食堂へ行こうとすると彼女に肩を掴まれた。


「普通に無視して行かないでよ」


 仕方なく対応する。


「岩水寺が今日何してるかなんて僕が知ってるわけないだろう」


「何を寝ぼけたこと言ってるの」否定の声は思ったよりも大きく周囲の目が集中した。彼女が狼狽える姿を見てるのも楽しいがヒソヒソと聞こえる声に耐えられる気がしない。


「ちょっと来なさい」


 再び逃げようとしたところで、手首を捕まれた。彼女はグイグイと僕を引っ張る。されるがまま、態勢を崩しながら連れ去られた。


 教室を出るときの周囲の目線で胃に穴が開きそうだ。


 外に出てからようやく魔の手から解放される。


「もし僕が女だったら西ヶ崎は犯罪者だったぞ」


「もしあなたが女でも私も女だから大丈夫よ」


「もし僕が少女だったら」


「姉妹にしか見られないわ」


「もし僕が」


「もしもシリーズはもう十分」


 負けないぞという意思表示のためにファイティングポーズを取って見せた。


「私はさっきので今日の講義終わりなんだけどあなたの予定は?」


 僕の様子を一瞥してから何も見なかったように話を続ける。


「ええっと、ないです」


 咄嗟に嘘をつけない自分とそんな誠実な青年に育てた両親が憎い。彼女は周囲を見渡し、しばし思案した後である方向を指した。講義室から続々と出てきた薄情者達が好奇の目を僕らに向けている。


「ここじゃあ人が多いから移動しましょう」


 予定がないと言ってしまったこともあり、僕はしぶしぶながらついて行く。大学を出て坂を下り、到着したのはファストフード店だった。


 彼女が先導し入店する。入りたくないなと歩を止めると、さっさと来る、と彼女に手首を掴まれた。


「岩水寺に気があることは誰にも言わないって」


 彼女の手を振りほどきながら述べる。数秒固まった後にだんだんと頬を赤くする彼女は可愛かった。


「気になってるわけないじゃない」


 説得力を持たない言葉が店内に響いた。なるほどねえ、意味あり気に言うと彼女は顔をさらに赤くした。クールぶっている女性が耳まで真っ赤にするのはなかなかにそそられる。


「ほらこっち来て」


 結局手首を引かれながら僕は入店した。


「なんでも好きなもの頼んでいいから」


 レジの前まで引っ張ってきて彼女はそう言った。注文を躊躇っている僕を急かすように早く、早くと言い続ける。注文を待つ男性店員が不思議そうな顔をして僕らを見ている。


「いや、彼女がね」となぜか弁明したくなる。


 鋭い一撃が脇腹を襲った。恐る恐る見ると彼女の人差し指が脇腹を一刺ししている。


「じゃあこれで」と仕方なくおもちゃ付きのセットメニューを選ぶ。彼女は僕を押しのけてお金を出した。店員からはお前が払うんじゃないのかと鋭い目を向けられる。僕だって払おうとしたんだぞ、と言うように取り出した財布をアピールした。


 彼女は商品の乗ったトレーを持ってつかつかと先を急ぐ。


 口止め料よ、椅子に座り、トレーを手渡される。


「さっきも言ったけどこんなの無くても、西ヶ崎が岩水寺を好いていることは誰にも言わないよ」


「それを口に出すのもやめて」


 身を乗り出して僕を睨む。赤みの引いた彼女の顔は思いのほか恐い。僕が数度頷くと満足したのか椅子に座りなおした。


「それにしてもなんでこんなおもちゃまで頼んだわけ」


 おもちゃの入った袋を摘まみあげる。


「西ヶ崎が怖い顔をしてるから少しでも場を和ませようと思って」


「あなた頭がよっぽどハッピーなのね」


 彼女が溜息をつく。やはり聞きたくなってしまう。


「なんで岩水寺の事を好きになったの?」


 彼女がまた睨んでくる。ほら、頭がハッピーだから、僕がおちゃらけた口調で言うと彼女はさらに大きく息を吐いた。


「あなたに言う必要があるの?」


 単純な好奇心だ、正直な言葉に彼女は頭を抱える。


「真面目に話をしている私がバカみたい。それよりなんで私がその、岩水寺のことを、その」


「好きって分かったかって」


 そうよ、イライラした声で言う。


「新歓の帰り道、会話している僕の名前も聞かないで岩水寺の名前聞いたからそうなのかなと思ってかまをかけてみた。そうしたら案の定というか」


「不覚だったわ。あなたにあまりにも興味がなさすぎて忘れていた」


「ちなみに僕の名前覚えてる?」


「六幡」間違った名前を本人の前で自信満々に言うものだ。


「惜しい」


「四幡」


「八幡だよ、覚えてね」肩を落として自己紹介する。


「八幡ね、たぶん覚えたわ」信用ならない言い方だ。


 ハンバーガーの横から包みに落ちたピクルスを摘まんで食べると彼女は苦虫を噛むような顔をした。


「ちょっとはしたなかった?」


「そうじゃなくてよくそんなもの食べられるなって」


「ピクルスが苦手なんだ」


「見た目から味から全部駄目ね。バーガーもいつもピクルス抜きにしてもらうわ」


 はっと気づいたように彼女は立ち上がった。


「あなたとこんな世間話をする必要ないわ。岩水寺には絶対に言わないでね」


 それだけ言うと彼女は嵐のように店を後にした。台風一過、彼女が出て行った後は静かだ。今回の会話でひとつだけわかったことは彼女が聖女なんかではないことだ。


 おもちゃのステッキを振りながら岩水寺と彼女が結ばれますようにちょっとだけ願った。店員の目が少しだけ気になった。

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