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人鳥恋路  作者: 高坂喬一郎
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聖女とペンギン

 大衆居酒屋の二階奥の一室で新入生歓迎会が開かれていた。壁には亀裂が入り、汚れた畳の上には干からびたような座布団が置かれている。周囲から匂ってくるアルコールの香りは僕の鼻を通り過ぎ脳へと入り込む。数十人単位の飲み会は初めてで匂いだけで酔ってしまいそうになる。机には既に料理が運ばれ、なし崩し的に宴会は始まっていた。


 真ん中辺りの席に座り周囲を見渡す。入り口に最も近い机は騒々しく、男女比一対五で一人の女性に男たちが群がっている状態だった。カラフルな髪の男どもが誘蛾灯よろしく女性に引き寄せられている。半面、入り口から離れていくごとにだんだんと男女で席が分かれていく。奥側には女性、手前には男性といった感じだ。


 目の前に置かれたから揚げとレモンを見比べながらどうするべきか迷っていると、隣に男が座った。首を隣に向けるとそこには濁った金色の頭をした男がいた。


「ここ座ってもいいですか」


 既にすわっているじゃないか。突っ込みたくなる気持ちを抑え僕は軽く頷いた。


 彼は僕の前に置かれた皿を引き寄せて全てのから揚げにレモンの汁をドバドバと無遠慮にかけた。それから一つ摘んで口へと放り込む。


「うんめえ」咀嚼しきらないうちに言った。


 僕の視線に気が付いたのかこちらに向き直り言葉を繋ぐ。


「俺は岩水寺です」


 邪気のない清々しいほどの笑顔に拍子抜けする。僕が八幡と名乗ると、公共の場ではから揚げにレモンかけていいかいいか聞くのがマナーでしたっけ、と彼は申し訳なさそうな顔をして頭を掻いた。


 その姿を見て少し不快に思っていた気持ちはどこかへ消えた。中々いい奴なのか、と安易にも気を許しそうになる。


 岩水寺の背丈は僕よりも少し高く、隣に座るとちょっとだけ僕が見上げる形になった。


「八幡はどこ出身ですか?」


「山梨」


「梨が有名な所ですよね」


「有名なのはブドウだよ」


「山梨なのにですか」


「ニホンヤマナシが沢山生えていたから山梨って名前になったらしいけど」


「やっぱり梨じゃないですか」岩水寺はわざとらしいほど豪快に笑った。


「とりあえずビールお願いします」店員を呼び止め岩水寺が注文する。


 もう二十歳なのだろうか、飲酒禁止法が気になったけれど周りはそんなこと気にした様子もなく過半数が既にアルコールを摂取していた。


「あれはどんな気持ちなんでしょうね」


 注文をし終わった岩水寺が入り口に近い席を見ている。僕もつられて見てしまう。


 入り口に最も近い席は金髪茶髪が入り乱れる。その中心には一人だけ髪を染めていない女性がいた。


「悪魔のささやきを懸命に耐える聖女みたいじゃないですか」


 誰かの話に頷くわけでもなく黙々とサラダを食べる彼女は聖女には見えなかった。聖女というには堂々としすぎている。


「聖女は言い過ぎじゃないか」


「八幡にはそう見えないんですか」


 岩水寺があまりにうっとりと眺めるので僕もよく見る。


 肩まで伸ばした髪に切れ長な目が周りにクールな印象を与える。可愛いと言うより美しいという感じだ。


「確かに美人だと思う」


 そうでしょうそうでしょうと岩水寺は満足気に頷いた。


「西ヶ崎さんは同じ一年なんですが、彼女の周りにいるのはみんな二年なんですよ」


「なんでそこまで知ってるんだ」


 何を当たり前のことを聞いているんですか、岩水寺は呆れたような顔で僕を見る。僕がおかしいのだろうか。


「話しかけに行かないのか」


「今は行かないことにしておきます。悪魔の仲間と間違われたくないですしね。聖女が油断している隙をつきます」


 どっちが悪魔か分からないな、喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。出会ったばかりでそこまで言う必要もないだろう。


 最初から無軌道な歓迎会はそのまま誰かが舵を取るわけでもなく進む。周りに知らない人がたくさんいるにも関わらず、気づけば僕は岩水寺としか話していない。岩水寺と反対の隣のくせ毛の男はひたすらたこわさをつつくばかりで話に入ってくる気配はない。


 半分ほど入ったビールジョッキを掴み、顔を赤らめた岩水寺は話を続けた。


「俺はね、実はペンギンが好きなんですけどね」


 酔っぱらっているのか話の前後関係なく話題がころころと変わる。


「ペンギンの和名は人に鳥って書くんですよ。それで俺は思うんですけどね、もしかしたらペンギンは人と鳥の合体した種もしくは人と分岐して進化した形態のひとつなんじゃないですかね」


 突拍子もない意見だ。この金髪は普段そんなことを考えているのか。


「進化論を無視しすぎてる。横暴な妄想だ」


「横暴な妄想いいじゃないですか。確かに進化論を無視していますけどね。進化論だって別に俺が研究したわけでも八幡が研究したわけでもないでしょうに」


「ダーウィンが研究したはずだ」


「ダーウィンって誰ですか、そんな人俺の知り合いにはいませんよ」


 とぼけたように言ってからジョッキに残ったビールを飲み干した。


「俺が言いたいのはここからなんですよ」


 いいですか、岩水寺がそう言ったところで対面の席に誰か座っていることに気付いた。岩水寺の演説に耐え切れずに入れ替わり立ち代わり、最終的に空席となっていた席が埋まる。


 顔を向けると、そこには聖女がいた。酔いがまわり視野が狭まくなったのか岩水寺は全く気付かない。


「ほとんどのペンギンは頭を見れば分類できるんですよ。例えばマカロニペンギン属に属するペンギン達は頭に黄色の冠羽を付けているんですよ」


 僕は黄色の鶏冠のような毛を生やしたペンギンを想像する。氷の大地の上で悠々と過ごす彼らは勇ましくもあり、優雅でもある。


「俺はね、人間もペンギンと同じように分類できると思うんですよ。あそこで群れている連中はこのマカロニペンギン属に分類されるんです」


 岩水寺は入り口側に目を向ける。そこでようやく西ヶ崎が僕らの対面の席に移動していたことに気付いた。


 岩水寺は西ヶ崎を見つめ数秒固まって僕に小さな声で問う。


「いつの間にいたんですか。というよりなんでいるんですか」


「ペンギン学が始まった時には既にいたよ」


「それ本当ですか」酒で赤くなった顔をさらに赤くさせた。


「あなたも髪が金色だけどマカロニペンギン属に属するの?」


 偶然対面に座ったのかと思えばどうやらそうでもないらしい。するりと会話に入ってくる。


 どうするんだと岩水寺を見れば、彼はずんずんと先へ進もうとしている。真っ赤になった顔を逸らすことなく彼女だけを見ていた。


「ペンギンの半数はこのマカロニペンギン属に属するんですけど、もう一種類金色の頭をしたペンギンが他にいるんですよ」


 その時僕らの左右の席にさきほどまで西ヶ崎を囲んでいた連中が座った。金色の髪は天を突かんばかりに立っていた。僕の想像したペンギンの面影はまるでない。先ほどまで僕の隣にいたくしゃくしゃ髪の寡黙な彼はたこわさの小鉢と共にいつの間にか入口傍の席に移っていた。


「せっかくの新歓なんだから一年生と親睦を深めないとね」


 隣に座った二年が言う。岩水寺の隣に座った二年もそれに同調するように岩水寺の肩に手を掛けた。


「突然なんですか」


 肩の手を払い、二年に対して臆することなく言う。


「そう邪険にすることないだろう。これから一緒に大学生活を送る仲間なんだから」


 いつもの通りだ、自分がこの場にいないイメージをする。ただひたすら嵐が過ぎ去るのを待つしかない。これが僕のこれまでの生活で培った唯一の処世術だった。


「ほらこれあげますから元の席へ戻ってください」


 僕が小さく縮こまっている時、岩水寺は攻勢に転じていた。イカリングの盛りつけられた皿を二年に押し付ける。


「そう固いこと言うなって」


 二年の先輩はさらりと皿を受け取って机に戻す。もし彼らがペンギンだとしたらイカリングを持って帰って行ったかもしれない。残念なことに彼らは人間だった。


「西ヶ崎ちゃんばっかりじゃなくて俺たちにもお話聞かせてくれよ。別に西ヶ崎ちゃんが特別ってわけじゃないだろ」


 岩水寺は正面の西ヶ崎をちらりと見るだけで顔を逸らした。こういう機微にだけは聡い先輩たちがそれを見逃すはずもなく。


「お前ドーテーだろ」僕らにだけ聞こえるトーンで言う。


 だからどうしたと一蹴してしまえばいいような陳腐な言葉だ。岩水寺はどうするのだろうか。


「ご飯を食べた回数と眠った回数は自慢しないのに性行為の回数だけは自慢する、これはおかしくないですか。三大欲求の内でなぜ一つだけ贔屓するんですか」


 先輩たちと向かい会う岩水寺は力強く堂々としていた。


「もしかして先輩たちの性欲が強いからですか」


 思いもよらない反論に先輩たちはしどろもどろにしか言い返せない。怒りの表情が露骨に顔に出ている。岩水寺はそのことに気付かずさらに次の句を紡ごうとしている。攻勢攻勢また攻勢で逃げることを知らない。


「ほらこれもあげますから、豆には性欲を減退させる効果があるらしいですよ」


 今度は冷ややっこの皿を先輩の前に出す。当然と言えば当然だが先輩は皿を受け取ろうとはしなかった。


「食い気よりも色気ですか」呆れたように大きくため息を吐いて皿を机に戻す。


 先輩の手が怒りで震えていた。これ以上挑発させてはいけない。


「岩水寺、もう帰ろう」


 岩水寺を促して立ち上がる。周囲の視線が痛いほど感じる。先輩たちの真っ赤な顔が僕らを見上げていた。


 店から出ると岩水寺は膝に手を置いて下を向いた。小さく呻く声がする。岩水寺が調子を取り戻すまでただ近くにいた。


「八幡も俺のことをバカにしますか。ペンギンバカとか童貞とか、両親がいないとか」


 地面を向いたまま問いかける。先輩の前で見せたような勢いはない。


「まさか、その程度のことでバカにされるなら世界中バカだらけだ」


 岩水寺が顔を上げる。


「あいつもこいつもそいつもみんなバカさ」


 道行く人を小さく指さしながら笑いかける。


「その通りですよ。俺がバカならあいつもあいつもあいつもバカバカバカですよ」


 元気を取り戻してくれたのは良かったが、大きな声で言い過ぎだ。指された人が怪訝な顔で僕らを見た。


「今日も明日も世界はバカが回すんですよ」


 手を大きく広げ、その場でクルクルと回る。


「今日はこのいい気分のまま帰ろうと思います。八幡はどうします」


「僕も帰るとするよ」


「そうですか、ではまた大学で会いましょう」


 そのままクルクルと軽やかなステップで通りを歩いて行った。八幡が去って行くのを確認してから帰ろうかと足を踏み出したところで店から西ヶ崎が出てきた。


「あれ、もう一人の彼は」


 彼女は忙しなく周りを見渡す。


「あいつなら帰ったよ」


 そう告げるとかなりがっかりした様子を見せた。


「それなら仕方ないわね」ため息交じりにそう呟く。


 それじゃあと僕が帰ろうとすると彼女も僕の隣を歩き始めた。


「西ヶ崎も帰るのか」


「そうね、あの飲み会あんまり面白くなかったし」


 なかなか辛辣な意見を顔色を変えずにいうものだ。これはただの美人ではないぞ、と彼女を見る目が変わる。


「それよりなぜ名前を知っているの、それにいきなり呼び捨てなのね」


 岩水寺が教えてくれたんだ、と言いかけて止めた。僕が無言でいると何かを察したらしく「まあいいわ」と特別気にした風もなく言った。


 きっと彼女の人生では自分の名前だけ知られていることが多かったのだろう。


「あなたはあのペンギン君と親しいのね」


「今日初めてあったばかりだけど」


「でもずっとしゃべっていたじゃない。後半はこっちまで聞こえるかなり大きな声だったわよ」


 酔いにやられたのか恥ずかしいことをしてしまった。変な事を言ってないだろうか。


「まあ、あなたの声は気にならなかったけど」


 声が小さかったということだろうか。


「まだ始まったばかりなのにペンギン君の大学生活は前途多難ね」


「あいつならきっと大丈夫だろう」


 今日あったばかりだけれどきっと岩水寺なら大丈夫だと確信できた。


「あなたはペンギン君と。ペンギン君じゃあ呼びにくいわね。彼の名前教えてくれる」


 そこで僕はあれと疑問に思う。


「彼は岩水寺で、僕は八幡」


「ふ~ん」何を思ったか西ヶ崎の口角が少し上がった。


 それから礼儀的に駅まで西ヶ崎を見送った。

評価だけでも頂けたら幸いです。

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