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第二章 アンハッピー・マンデー



 月曜日は憂鬱だ。

 世間には『ハッピーマンデー』なる謎の月曜日が蔓延(まんえん)しているらしいが、私にとって月曜日というは、すべからく憂鬱なものである。

 別に勉強が嫌いなわけでもないし、学校が無い休日にテンションが上がったりもしないけれど、だからといって、行動を制限されることに何も感じないと言えば嘘になる。人は誰だって自由に憧れるのだ。そう、野生のヒョウのように。

 女子高生、それも校則のユルい学校ともなれば、(さか)った女子の一部がガッツリと化粧したりしているけれど、私は特に何もしない。だって、面倒だし。

 今日も朝起きて顔を洗い、その場でちょっとの水と手櫛だけで髪形を整える。あとはテキトーに制服を着て出発だ。ああ……それにしても、やっぱりスカートって嫌だ。スースーする。つーか、十月ともなると、ちょっと寒い。

「やあ、おはよう!」

「――――――――」

 ドアを開けた直後、真正面から正体不明の不審者に声をかけられた。思考が停止する。

「ひどいよー。結局昨日、無視して寝ちゃったでしょ? まあ、そんな淡居ちゃんも愛しているけどね!」

 …………不審な男だ。

 背は男子高校生の平均くらい。痩せ型で学ランを着ている。……いや、学ランか? 一応、上下黒のセットアップだが、デザインがやたら派手だ。ちょっと近未来的。

 そして何よりも、こちらからでは全く目元が見えない、異様に長い前髪が不気味だった。

「あ、これ? 実は、僕が世界で一番尊敬する男達がこんな髪形をしているんだよ。だから、そんな彼らにあやかる意味も込めて、僕も同じ髪形にしてるってワケ」

 口元だけヘラヘラと歪めて自分の前髪を指し、説明する男。

「って言っても、ぶっちゃけ、ギャルゲーの主人公なんだけどね?」

 知らねーよ。

「いやー。彼らはほんとすごいよ。大して変わったことはせず、善良な一般市民を演じているだけで、何人もの美少女が寄って来るんだもの。僕もおこぼれに預かりたいナー……って、なんで淡居ちゃんは僕を無視して階段を下りているのかなっ?」

 私としては、なぜそこでその質問が出るのかの方がよっぽど謎だ。どう考えてもこれが常識的な対応だろ。

 私は華の女子高生(←ここ重要)にまとわりつく変態ストーカーを無視して、学園に向かった。



「ところで僕は女子高生のスカートを捲ることに多大なる憧れがあるんだけど、「その夢、叶えさせてあげるっ♪」みたいなボランティア精神溢れる期待の美少女を知っていたりしないかな? あっ! もちろん、淡居ちゃんでも大歓迎だよ?」

 うるさい。

 迷惑極まりないことに、変態ストーカー男は学園に向かう女子高生たる私に平然と並歩してきた。何気にこれが私の初・『男子高校生と一緒の登校』なのかと思うと、微妙に自分の運命を呪わざるを得ない。別にクラスの女子ほど恋愛に(さか)っているわけじゃないが、それにしたって、もう少しまともな相手がよかった……。

「――もちろん、捲った先にあるのがパンツじゃなくてスパッツだったりブルマだったりする場合も許容可なんだけどね? そもそも、捲ってみるまでスカートの中身はわからないわけで、そこに至る過程に価値があると言うか――」

 隣の変態男は変わらず変態トークを延々と続けていた。

 どう考えても、朝っぱらから女子高生にする会話内容とは思えない。今のご時勢、女子高生と歩いているだけでも逮捕される可能性すらあるのに……。あ。でもコイツ、一応、男子高校生なのか。成人男性ならともかく、高校生だと、そういうのもないのかな。

 隣で変態が騒いでいようと、私はいつもの私である。

 相槌一つせず思考の海に溺れていると、あっという間に学園に到着した。学園指定のマンションに住まわせてもらっているお陰で、登校には徒歩で十五分もかからない。ありがたい限りだ。

「……へー。『朝霧学園』か。いい高校に通ってるね」

 校門に書かれた学園の名前を見て、変態ストーカー男が顎に手をやりながら感心する。

 ……それだけか? もっとここは驚くべきだろう。

 なぜか広島県の片田舎にあるこの学園だが、その人気度は、今やハー○ード大学すら凌駕する。学園長が変わり者のせいで十六~十八歳(すなわち、自然な高校生)しか入学を許可していないが、その制限を取っ払えば世界中からあらゆる年代の入学希望者が殺到するだろう。

 在校生の中にも世界有数の頭脳や才能を持つ人間が多い。『世界で最も夢に近い場所』という触れ込みも、あながち間違いじゃないのかもしれない。

「おはよー! おう、おはよー! みんな、おはよー!」

 と、そんなことを考えていたために思考が現実化してしまったのか、校門を入ってすぐのところに学園長が立っていた。

「おー! 淡居じゃないか! 今日も憂鬱そうだなー!」

 黒髪ロングの妙齢の女性。今日もトレードマークの派手な真紅のドレスを着用しており、口元にはパイポを咥えている。下手したら女子高生だと言われても納得してしまうほど若々しい容姿に漢口調。……キャラが立っていて、大変羨ましい。

「……おはようございます、学園長。今日も元気に鬱キャラやってます」

「おー、そうかー。はっはっは! その捻くれてるとこが、淡居のいい所だよなー」

 ちなみに、私の名前を覚えている数少ない教師でもある。

 いつも影のように存在感を消しているのに、どうしてこの人が覚えているのか本気で謎だ。ひょっとしたら、全校生徒の名前を覚えているのかもしれない。

「だけど、そんなんじゃ苦労するぞー? もうちょっと可愛げ出したらどうだ、可愛げ。そしたら淡居も男子と同伴で登校、なーんて青春の1ページを刻めるかもな!」

 はっはっはっは、と笑う学園長。

 私は脳内が疑問符でいっぱいになり、反射的に隣を見やった。

「ねえ! この美人は誰かな、淡居ちゃん? ぜひ僕に紹介してほしんだけど! ほら、確かにミニスカートは捲りやすいし、ヒラヒラと誘惑されるけど、このドレスのロングスカートもそれはそれで――」

 変態男は相変わらずセクハラ発言しつつ、学園長を不躾(ぶしつけ)にジロジロと視姦(しかん)している。

 それに対する学園長の対応は、一貫して無視だ。……いや、無視というよりも……気付いて、ない……?

「あの……」

「ん?」

 私は意を決して変態男を指差してみる。

 学園長は「なんだ?」と言いながら虚空に視線をさ迷わせた。すぐ隣に得体の知れない男がいるのに、その危険人物に対して目の焦点が合わないみたいだ。

「……いえ。すみません。なんでもありません」

 私はテキトーに挨拶して教室に向かった。

 非常に残念ながら、私の平凡な毎日は終わりを告げたようだ。

 ……まあ、それすらも私にとっては、どうでもいいことなのかもしれないけど。



「……で。あなたは結局、何なんですか?」

 教室に到着し、自分の席に座ったところで私は切り出した。

 この変態男が普通の人間(少なくとも周囲の人間)に見えないことは承知しているため、本来ならこんな場所での会話は控えるべきだろう。しかし私の席は、窓際の最後列という神ポジションである上に、この存在感の薄さだ。ボソボソと独り言を言っていても、大して目立たない。

「うわー! 女子高生がいっぱいだー! テンション上がってきたー!」

「……あの。話を聞いてください」

「え? なんだって?」

「……ですから、あなたは何なのかと訊いたのです」

「いや、今のは難聴系主人公を真似てみたんだけど……」

 知るか。

「コホン。昨日も名乗ったけど、僕は死神です!」

 ババーン!と口で効果音をつけながら、バンザイして両手を上げる変態。もとい、死神。

 とてもじゃないが、そんな超常存在には見えない。もちろん、その真偽は私にとってどうでもいいことなのだが。

「そんなつれないこと言わないで、ここは思いっきり疑ってほしいんだけどなー。「ええー! 見えなーい!」みたいな」

「確かに死神には見えないと思います」

「でも残念。事実なんだよね。鎌かノートでも持ってれば良かったかな?」

 鎌は分かるが、ノートって何だ。

「……それで、そんな死神さんが私に何の用ですか?」

「僕は死神だよ? 決まってるじゃない」

 そう言って死神は一歩後退すると、私の関心を引き付けるように両手を広げた。


「宣告します。貴女の命は、あと一週間です」


 ――――――――。

「あは。驚いた? さすがに無関心系女子の淡居ちゃんも、自分の余命を知っちゃうと声も失うか」

「……死因は安楽死。文言は『心不全で23日後に安らかな眠りの中で死亡』にしてもらえますか?」

「……君、実はノートの元ネタ、知ってるだろう?」

 何を言っているんだ、私は。(がら)にもなく動揺してしまった。

 普通に考えて、鼻で笑えばいいだけの話である。変態でストーカーで不審者な謎の男から、突然「残りの命は一週間だ」と言われて、信じるバカがどこにいる。

 だけど……だけど、悔しいかな。私は、この男の言葉を信じてしまった。いや、なんとなく〝わかる〟のだ。この男が本物の死神であること。自分の死期が近いこと。

「そんな顔しないでよ、淡居ちゃん。むしろ、感謝してほしいぐらいだぜ。同じ死神連中の中じゃあ、余命宣告もしないまま、その時間・その場所でバッサリと突然、命を刈り取る奴だっているんだ。そういう意味じゃ、きちんと君の目の前に姿を現して正面から死の宣告をした僕は、死神の中じゃかなり真面目な優等生の部類に入る」

 先程までのお調子者の雰囲気はどこへやら。

 口元に残忍な笑みを浮かべ、ポケットに手を突っ込む。たったそれだけことで、あり得ないほどの威圧感を放った。それだけでも、こいつは人外だ。

「……まっ、安心してよ。余命は一週間だけど、逆に言えば一週間は絶対に死なないってことなんだからさっ。ポジティブに行こうぜ。これから一週間は雷に打たれる心配も無いし、乗った飛行機が突然墜落する心配もしなくていい。やったね、淡居ちゃん! これで君の人生は、イージーモード確定だ! なんてったって、〝死〟の心配をしなくていんだから。おめでとう! 心からおめでとう!」

 パチパチパチ、とささやかな拍手が送られる。

 私は一度だけ目を閉じ、心のざわめきを抑えた。

「……死ぬのは、いいです。ただ私は、美しく死にたい。美しくない死に方は嫌なんです。そこだけ、なんとかなりませんか?」

「うーん。死因はこっちじゃ中々コントロールしづらいんだ。時間が来たら絶対に死んじゃう。その時、一番死にやすい方法で。……あれ? でもじゃあ、淡居ちゃん自身がその時間に『美しい』自殺をすればいいのかなぁ?」

 顎に手をやって困ったように小首を傾げる死神。その口元はのん気に笑っている。

 ……いや、よそう。きっと彼にとっては、それが普通なのだ。標的にされた、もうすぐ死んでしまう立場に自分がいるからそういう態度に腹が立つだけで、向こうにしてみれば、人に死の宣告をして殺すなんて日常茶飯事なのだ。

だから、ここで私が彼の態度に文句を言うのは、ゴキブリに「なんで家に入ってくるんだよ!」とマジギレするくらい愚かで滑稽なことなのだろう。

「うん。そうだね。僕は僕の仕事をするし、君は君で自分の人生をしっかり生きなきゃね。だって、あと一週間しか無いんだし」

 そう言って死神は笑い、私は笑わなかった。



 一時間目終了。

 一時間目の授業は私の好きな数学だったが、授業内容は全然頭に入ってこなかった。

 当然だろう。どこの世界に死の宣告をされて、なおも平然と学校の授業を受けるバカがいる? むしろ、奇声を発して暴れ回らなかったことを評価してほしい。

「そうだね。確かにその通りだ。いやー、淡居ちゃんが物分かりのいい子で助かるよ。極稀に聞き分けの悪い子に当たっちゃうと大変なんだ。「なんで俺が死ぬんだ!」、「お前が悪い!」、「嫌だ! 殺さないで!」、etc、etc……お門違いもいいところだよね」

 ヘラヘラと笑うその態度に腹が立つ。

 森羅万象全てに対して無関心で、とうの昔に生への執着も死への恐怖も克服したつもりでいたが、それは勘違いだったようだ。未だ私の生存本能は正しく生存しているらしい。

「生存本能が生存って、淡居ちゃんもすごい言い方をするなぁ」

「……これまで認めたくない現実をスルーしてきたのですが、ひょっとして死神さんは、私の思考が読めるのですか?」

「うん。読めるよ。読めると言うよりも、普通に淡居ちゃんが喋ってるのと同様、聞こえると言った方が正しいかな?」

「…………」

 困った。これは困った。

 いくら物事に無関心な私でも、自分の頭の中、ひいては心の奥まで見透かされてしまうのは、さすがに恥ずかしい。

「気にしないでよ、淡居ちゃん。見ての通り、僕は経験豊富な紳士さ。うら若き乙女の淡居ちゃんが、日の明るい内から邪で卑猥な妄想に浸っていようとも、別に軽蔑したりしないさ。むしろ、僕的にはポイント高いよ、『えっちぃ女の子』。女の子が普段どんなエロい妄想をしているのか興味もあるし、ぜひともそういう思考や妄想は垂れ流しにしてくれると嬉しいなっ」

 うるせぇ。死ねよ、バーカ。

「……出会った頃から薄々気付いていたけど、淡居ちゃんって実は、かなり口悪いよね?」

「人の人格を否定するようなことを言うのはやめてください。私はこれでも、生まれてから十七年間、ずっと品行方正のいい子として有名ですよ?」

「いやそりゃ、確かに外面(そとづら)だけはそうだけどさ……」

 死神が女の子に幻滅したかのように、弱った顔をする。

 いい気味だ。現実の女の子をゲーム世界のキャラクターと一緒にするんじゃねぇ。大きい方のトイレだってするし、無駄毛処理だってするぞ。洗濯が面倒だから大して汗かいてない服を着回すこともあるし、化粧してそのまま寝ちまった日には――

「うぎゃぁぁあああ! もうやめて! 僕のライフポイントは完全にゼロよ! ゼロなのよ!!」

 死神が首に手をやり、天を仰いでもがき苦しむ。男の子の幻想を壊すことで、ささやかな復讐に成功した。

 ……しかし、いつまでもこんなつまらないことをしている場合ではない。私の命は冗談抜きで残り一週間なのだ。こんな何の興味も湧かない変態でストーカーで不審者な死神なんて、心底どうでもいい。

「……ひどくないかな?」

 ちょっと黙ってろ。

 それより、問題なのは残り一週間で何をするかだ。できれば、やり残したことがないように全部やって、悔いの残らないように死にたい。それだってきっと、『美しい死』の条件の一つだと思うから。

 そう。そのためにも、まずは……。

「……私の命、正確にはいつまでなんですか?」

 これ。これだろう。

 自分の残り時間は正確に把握しておきたい。それはもう、秒単位できっちりと。

「うん? 淡居ちゃんの命は、あと一週間だよ。正確に言えば、今週の土曜日の23時59分59秒まで。もっと端的に言えば、次の日曜日がスタートする午前零時に死亡、って言った方がわかりやすいかな?」

 なんだその切りのいい時間は。神展開かよ。設定なのかよ。

「設定といえば、そうなのかもね。この世のことは(すべか)らく、神サマの(はかりごと)さ」

 と、そこでチャイムが鳴る。

いくらステルススキルの高い私とは言え、長々と自分の席で独り言を言っていれば、さすがに目立ってしまう。なので、今は教室外の廊下へ出ていた。窓の枠に頬杖をついて、理不尽な運命と戦う薄幸美少女を気取ってみたが、残念ながらヒーロー気取りの王子様は現れなかった。

「……淡居ちゃんって、時々すっげー乙女チック思考だよね」

 うるせぇ。ほっとけ。

 私は、人生のクライマックスになっても主人公が現れない駄作ストーリーにガッカリしつつ、教室の席へと戻った。



 お昼休み。

 いつものように購買でパンを買う。

 この学園は学食も購買も非常に低価格・高クオリティなランチを提供しているのに、生徒の大半はお母さん手作りの弁当を持参している。異常なほど人気校なくせに、これまた学園長の趣味で地元学生を積極的に受け入れているせいだ。私みたいな一人暮らし組は、本当に少数なのだろう。

「サンドイッチかー。そんなもんじゃお腹膨れないでしょ?」

「……私はこれで十分です」

「そんなもんじゃ、お胸膨れないでしょ?」

「…………私はこれで十分です」

 耐えた。耐えたぞ、私。偉い。ちょー偉い。ここで反抗すれば、まるで本当に私の胸が手のひらサイズで手のひらピカチュウみたいじゃないか。

「うん。返事のところまでは良かったんだけどね? せっかく外面を繕っても、心中でそれだけ動揺していれば結果は同じじゃないかな?」

「……今のところ、私の容姿に関する描写は一切無いはずです。この物語のヒロインの容姿は完全に読者の自由。どうぞご自由に、ご自分の一番好みな美少女で妄想してください」

「なるほど。自分視点の世界を上手く利用してきたね。でも、どうかな? 例えば僕が今ここで、淡居ちゃんの容姿に関することをあれこれ発言すれば――」

 そこまで言ったところで、なぜか死神は股間を押さえて(うずくま)った。なぜかは全然わからない。私の足は相変わらず地面についていて、死神の身体を、ましてや股間を攻撃した形跡なんてまるで見られないのに。とても不思議だ。不思議だなー。

 そうして、やっとのことで本日初の静かな空間を手に入れた私は、上機嫌で階段を昇る。

 目指すは、屋上。 

 最近の学校は大抵、屋上が閉鎖されている。私が通う朝霧学園も例外に漏れず、高い校舎から眺められるはずの美しい朝霧の風景は、職員たちの手によって封印されていた。その美しい『朝霧の風景』が由来して今の学園名になったのに、それを生徒に見せないとはどういう了見だ。

もっとも、一年前、私が入学した当初はまだ、施錠なんてされていなかった。鍵をかけられたのは、五月の前半頃だ。なんでも、新入生の女子生徒が屋上から続く螺旋階段を使用した際、足を滑らして落ちてしまったらしい。幸い、一緒にいた優等生が庇ったお陰で怪我はなかったものの、そのせいで屋上が立ち入り禁止になった。

 そんなわけで、本来は絶対に入れない青春プレイスであるのだが、私はこっそりと合鍵を所有している。以前、文化祭の後片付けをしいていた際、一緒になったセンパイと――

「おっ。いいもの持ってるじゃん、淡居ちゃん。やっぱり高校生と言えば屋上、屋上と言えば高校生だよねー」

「……汚らわしい。あなたがそのセリフを言うのはやめてください」

「え? そんなに屋上に憎しみがあるの?」

「……そっちじゃありません」

 いや、何を言っているんだ私は。

 そんなことに興味は無い。私は全てに無関心。遠い思い出や過去の出来事なんて、空想するだけ時間の無駄だ。そんなことに私の貴重な人生を割いてなるものか。

 私はポケットから取り出した銀色に輝く宝物で、屋上へと続く扉を開いた。

 押し開けた扉から光と風と青空が射し込み、気持ちの良い秋の世界が私の胸へと届く。

「ひゃー。こいつは絶景だ」

 お調子者の死神もさすがに目を奪われたのか、月並みなことを言って、眼下に広がる風景を俯瞰(ふかん)している。

 高いところは気分がいい。世界がどれだけ広いか再認識させてくれる。私が今思い悩んでいることの小ささにも気付かせてくれる。そして、自分の存在なんて、世界から見ればどうでもいいことなんだと教えてくれる。足下で一匹のアリが死んだところで、この世界の生物は誰一人気に留めたりしない。

 私は校庭側の空に続く柵に背を預け、サンドイッチの包装を破いた。

「それで。何をしようか、淡居ちゃん」

「そうですね。まずは、食の快楽を味わえない死神さんの目の前で、サンドイッチを頬張ります」

「……ひどいよ、淡居ちゃん。こんな僕でも食への興味はあるし、食べることもできるんだよ? もちろん、死神だから食べなくても死ぬことはないんだけど、やっぱり人間として生きていた頃の習慣というのは恐ろしいもので、こうして食物を口に運んでいる人間を見ていると、自然と唾液が――って、ああっ!」

 長々しい口上を述べてヨダレを垂らす死神の目の前で、私はサンドイッチの最後の一欠片を口に放り込んだ。一緒に買っていたストロベリーミルクで流し込む。

「そこはさぁ、やっぱり、屋上で若い男女が二人きりなんだから、「はい、あーん♪」みたいなベッタベタの展開があってもよくない? イベントシーンが発生してもよくない?」

「そういうのは恋人としてください」

「そうは言うけど僕に恋人はいないし、淡居ちゃんだっていないんだろう?」

「確かにそうですが、それでもあなたとイベントシーンするくらいなら、死んだ方がマシです」

「まっ、もうすぐ死ぬんだけどね」

 確かに。

「でもそれじゃあ、死ぬまで処女のままだぜ? 僕で妥協しなよ、淡居ちゃん。人生で一番大事なのは妥協だよ」

「うるせぇ。死ね」

「ついに内面が外面に!?」

 あ。しまった。私の黒さは永遠に胸に秘め続け、墓場まで持って行くつもりだったのに。

 まさかゴール一週間手前でヘマをやらかすなんて、信じられない。ミスった。

「まぁでも、僕はそんな毒舌少女の淡居ちゃんも愛してるぜ」

「そうですか、ありがとうございます。それじゃあ、私のために死んでは頂けないでしょうか?」

「おおっと。敬語に戻ったことに安堵しかけたけど、発言の内容は先程同様黒いままだ」

 タラリと汗をかきながら、死神が一歩後退。 

 さすがに、ここまでデレの無い女の子から敬語で睨まれると、退くしかないらしい。

「あ。そういえば、ツンデレのツン対デレの黄金比が何対何なのかという話だけどね?」

 うぜぇ。心を読むな。

「……それで、死刑宣告は終わったわけですから、そろそろ離れてもらえませんか。私、誰かが隣にいるのは苦手なんです。それとも、監視しないといけないシステムでもあるんですか?」

「うーん。確かに昔は、監視義務なんてものもあったんだけどねー。だってみんな、自分の死期を知った途端、ハチャメチャな行動をしてくれるんだもの。だけど、最近の人たちは大人しい人が多いから、その義務も外れているよ。もちろん、問題がある人は監視するか、最初から宣告しないかのどちらかなんだけど」

「……それじゃあ、私から離れてください。迷惑です」

「うわーお……こいつはまた、ピシャリと拒絶されたもんだ。普通、『自分の最期に傍にいてくれる若い異性』ってのは、歓迎されるものなんだけどなぁ……」

 ただし、イケメンに限る。

 お前みたいな胡散臭い変態ストーカーなんて、お呼びじゃねーんだよ、カスが。

「……ねえ。一応、訊いておくけどさ。世の中の女の子が、みんな淡居ちゃんみたいな毒舌少女なわけじゃないよね? ねぇ、そうだよね?」

 ねっ? ねっ? と訊いてくる死神を意図的にスルー。この世の地獄を味わえ。

「閑話休題。さておき、確かに僕は淡居ちゃんを監視する義務は無いんだけど、その代わりに別の義務があるんだ」

「…………別の義務?」

「うん。それはね……」

 コホン、と。

 そこで間を取るようにわざとらしく咳払いする死神。

 そして、死の宣告をした時のようにあっさりと、それよりもずっと晴れやかに、私に笑って見せた。


「僕はね。君を、幸せにしたいんだ」




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