プロローグ 不安定な日々
私は、美しく死にたい。
生きる意味はなにか、とか。
何のために生まれて来たんだ、とか。
そんなことはどうでもいい。
就職できるか不安で……とか。
年金がもらえるか不安で……とかは、もっとどうでもいい。
生ぬるい現実で腐ったようにボケーっとしている現代人は、とりあえず大自然のヒョウでも見てほしい。彼らが就職の心配をするか? 年金の心配をするか? しないだろう。
自然界においてエサがとれなくなることは、イコールで死を意味する。
自然治癒力が追いつかない病も、致命的な怪我だって同様だ。その瞬間にアウト。
腐った現代でゆとって生きている若者は「なんて過酷な世界なんだ……」と、まるで自分こそが正義であるかのように、遥かな高みから上から目線でもって哀れんだりするけれど、しかし、実際はヒョウの方が正しい。なぜなら、その方が『自然』だからだ。
ちょっと風邪になるだけで医者に掛かって。
不治の病すら延命治療で引き延ばして。
その結果、お金の心配をしてあわあわする。端から見ればびっくりするほど滑稽だ。
テレビを点ければ就職氷河期というニュースが流れるが、それだって別に仕事自体が無くなったわけじゃない。究極的に言えば仕事というのはお金を得るための手段で、もっと根源的なことを言えば食料を得るための手段だ。バイトでも全然構わないし、バイトも採用されなかったら、自分で自給自足しろ。
それでもダメなら、死んじまえ。
死ね。死ね。死ね。
今現在この世で起こっている問題の80%は、この世に何の価値も生み出さない、お金を自力で稼がない、エサを自分で獲らない人間が、それでも無駄にぐだぐだと生きているのが原因だ。
そんな彼らに、私は素直に「死ねよ」と言いたい。
お前らが生きているせいで、こっちはいい迷惑だ。
99%は私の都合でそんな風に文句を言っているけど、残り1%はその人を想ってのことでもある。そんな生き方はカッコ悪い。自分が無価値なのを自覚して、それでも命を長引かせて、いつも何かに怯えてビクビクする毎日。そんな日々なら、死んでしまった方がよほどマシというものだろう。
人間だって所詮、動物なのだ。
食って、寝て、ヤッて。遺伝子さえ後世に残すことができれば、それでお役目終了。その先は、さっさと死ねばいいんだ。(『ヤッて』とか、女子高生が口にする言葉じゃなかったかもしれないけど、これはモノローグなので見逃してほしい。)
……こほん。
さておき、すっかり長々と語ってしまったけれど、結局、私が主張したいことは最初に戻るわけだ。私は、美しく死にたいのである。
なにを以って『美しい』とするのかは広義であるため、目下、模索中だ。
わかりやすく医者が必要な病気や怪我なんかしたら、いの一番に「治療はいいです」と拒否して死ぬつもりであるが、私は健康優良児なので、未だその機会は訪れない。
そんなわけで。こんな風に。
私は今日も、くっだらないことをぐだぐだと考えながら、退屈な女子高生ライフを過ごしているのである。
……だから、それは必然だったのかもしれない。
私の前に〝死神〟が現れたのは――――