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オリヴィエは夜空に身体を投げ出して、ぎゅっと目を瞑った。

飛んだ瞬間自分がいったい何を考えて、どういう心持ちだったのかわからない。

ただあの瞬間、ああするしかないと思った。


死ぬっていうのは、案外呆気ないんだな。


そう思って、オリヴィエはゆっくり目を開けた。


「…あれ?」

「あ、起きましたか?オリヴィエ様。寝惚けてたんですか?」


目の前で力が抜けるようにへらりと笑うのは、シルヴァンの側近の少年アンジュであった。

いや、アンジュに似た天の遣いだろうか。

無防備に地面に投げ出された両足を見て、どうやら彼に支えられているらしいと理解した。手に触れた冷たい感覚は石畳だ。

なんとか上体を持ち上げて辺りを見回した。


「…此処どこ?」

「あ、やっぱり寝惚けてる。お城ですよ。決まってるじゃないですか」

「…なんで?僕、今落ちなかった?」

「落ちましたけど」


当然、とでも言いたげにアンジュは首を傾けた。

記憶に齟齬でもあるのだろうか、まったく事態が呑みこめない。


「…落ちたのになんで生きてるの」

「死んで無いからに決まってるじゃないですか」

「そんな当たり前な事聞いてるんじゃないの。普通あんな所から落ちたら死ぬでしょ。此処、石畳だよ」

「そうなんですか?」


そうなんですかって。

何なのだろうか、この状況は。

オリヴィエは自分の方が馬鹿なのだろうかと、愈々混乱してきた。

アンジュが下で受け止めてくれたのだろうかと思ったが、オリヴィエとそう体格の変わらないのにそんな事ができるとは思えない。

少なくとも全く何の衝撃もなく無傷だなんてあり得ない。

オリヴィエは気がつけば此処にいたのだ。気絶していたと言われた方がまだ解る。


「まったく無茶をしてくれるね」


オリヴィエが混乱する頭を冷静にさせるのに躍起になっていると、頭上から声が降って来た。

振り仰ぐと、呆れたように微笑むシルヴァンが立っていた。

そのまま屈んで片膝をついて、オリヴィエに視線を合わせた。


「怪我は…うん、ないようだね」

「うん。不思議な事に無傷だよ。何が起こったの?」


シルヴァンがにこりと微笑んだ。


「オリヴィエ…!」


シルヴァンが何か言いだす前に、もうひとつ声が響いた。

息を切らせてやって来たのは、焦ったように顔を歪ませるレオナールだった。


「お、オリヴィエは…ぶ、無事ですか…!シルヴァン兄上…」

「落ち付きなよ。ほら、無傷だよ」

「は、…はあ…」


ようやく落ち着いたように、レオナールが両手を膝について荒く呼吸を繰り返した。


「良かった…」

「…兄上様、先生は?」


オリヴィエが問いかけると、レオナールがちらりとオリヴィエを見て、更に息を整えた。


「兵士に捕えさせた」

「そう…兄上様も無事だったんだね。良かった」

「ああ…」


安心すると同時に、途端に先生の言葉が闇となってオリヴィエの心を覆う。

オリヴィエは唇を噛みしめた。


「ねえ、先生が僕を王様にしようとしてたって…本当なの?」

「…ああ。王位簒奪を狙う貴族と結託していたようだ。怪しい動きがあったから調べさせた」


あんなに優しくて、面白い人だったのに。

何より文学の素晴らしさをオリヴィエに教えてくれた人だった。

あれも嘘だったのだろうかと思うと、オリヴィエの大半が否定されたような心地になった。


「僕が…文学…なんかに、傾倒するから…」

「オリヴィエ」


シルヴァンの手が伸びて、オリヴィエの髪を梳いた。


「君は君で、文学を愛しても良いのだよ。あの先生も、文学を愛していた事は本当なのだろう。だから面白いと感じられたんだ」

「でも…悪い人と同じだなんて…」

「そうじゃないよ。人には様々な側面がある。文学を愛する心がたまたま君と同調した。それだけだ。現に君はあの人の悪い部分を否定し、こんな事までしてみせた。まったく、無茶をしてはいけないよ」

「うん…でも…」

「オリヴィエ、僕は君が文学を愛する心を棄てるのはとても勿体ないと思うよ。文学を愛する人、全てが悪い人なのかい?」

「そんな事…!」


あるわけない。

あんな素敵な物語や文章を描ける人々が悪い人ばかりだなんて、そんな事は思わない。

シルヴァンはにこり、と微笑んだ。


「そうだろう?他にも君に面白い文学を教えてくれる人はたくさんいるよ」

「でも…僕が意固地になって、先生の言う事信じたりして…」


だけどこの心を真に理解してくれるのは先生しかいなかった。

急に頭が熱くなって、涙があふれ出した。


「だっ…だって。先生が言う事、ぜんぶ…ぜんぶがぜんぶ間違いじゃないって…そ、そう思って。ぼくももっと…もっと理解して欲しくて」


文学にもっと興味を持って欲しいと思っていたのは、本当の事なのだ。


「だけど…誰も話を聞いてくれなくて…ダメだって言われて…」


涙が止まらない。

うまく言葉が出て来ない。


「すまない」


小さな囁きが耳に入り、嗚咽しながらオリヴィエはゆるゆるとレオナールの方を見た。


「あの男の怪しい動きは察知していた…だからお前に近づかないようにしなければ、と思って…」


だからレオナールはあんなにオリヴィエに厳しく言っていたのか。


「お前が誑かされているのではないかと思って…。考えが浅かった。追いつめてしまってすまない…」

「あ、兄上様…」


涙でゆがむ視界。

その合間合間に、哀しそうに顔を伏せるレオナールが目に入る。

暖かいぬくもりを、再び頭に感じた。


「だったら君達の思う事、もっと話してくれないかな」

「シルヴァン兄上様…」

「僕の知らない君達の事を知りたい。それに、王に相応しく無いと思ったなら、遠慮なくそう言って欲しい」


レオナールもシルヴァンの方を見る。


「君達の大切なものを僕は蔑ろにしたくない。間違っていると思ったなら、遠慮なくそう言ってほしい」


シルヴァンの穏やかな微笑みが、オリヴィエの心を落ち着かせる。


「…有り難うございます。シルヴァン兄上」


言いながらレオナールはシルヴァンに向かって深く頭を下げた。

それは素直な敬意の表れで、そんな風にできる兄の姿がオリヴィエにはとても輝いて見えた。

ようやく嗚咽が収まり、オリヴィエも涙をぬぐった。


「ありがとう、兄上様達。…やっぱり凄いよ、兄上様は」


そう言うと、自然と笑みがこぼれた。

いつものように穏やかに笑うシルヴァンと、そしていつもでは考えられない笑みを浮かべるレオナールを見て、心の闇がすっきりと晴れていくのをオリヴィエは感じていた。



冷静になってみて、どうして生きているのだろうかと今更ぞっとするのと同時に、疑問が舞い戻ってきた。

アンジュ曰く、オリヴィエが落ちた先は石畳だ。

あの高い見張り台からこんな場所へ落ちれば…考えると背筋が凍る。


「…シルヴァン兄上様」

「ん?」


穏やかに微笑むシルヴァンの両目がオリヴィエを覗きこんだ。

シルヴァン以外の王族は誰ひとりとして持っていない、その瑠璃を薄く引いたような澄んだ瞳を見るたびに、オリヴィエは安堵感を得られた。


「結局誰がどうやって助けてくれたの?」


オリヴィエの純粋な問いかけに、シルヴァンはふふ、と軽く笑った。


「天使だよ。神様が天使を遣わせて助けてくれたんだ」

「…嘘ばっかり」


ご丁寧にウィンクしながら悪戯っぽく笑うシルヴァンの顔を、オリヴィエは半ば呆れて見た。

自分がそれほど子供だと思われているのか、それともシルヴァン流の冗談なのか。


「はは。オリヴィエ、君も頭が固いなぁ。ダメだよ、君ぐらいの歳ならもっと夢見がちに生きなくちゃ」


言いながらシルヴァンが立ち上がると、その背中に何かが激突した。

シルヴァンは今までの爽やかさが嘘のような奇怪な声をあげた。


「殿下ッ!」

「…アンジュ。何故突進してくるんだい」

「勢いです。それよりもボクは役に立ったでしょう!凄いでしょう!」

「……アンジュ。そういうのは自賛するものじゃないよ。他人に称えられるものだ」

「じゃあ、いくらでも褒めてくれていいですよ!」

「………そのうちね」


腰をさすりながらシルヴァンが力無く言った。


「じゃあ後は任せたよレオナール。僕は一足先に帰らせてもらうよ」

「了解しました」

「よろしくね」


シルヴァンはすっかり意気消沈してしまったのか、後をレオナールに任せて、元気なアンジュを伴いとぼとぼと去って行った。

二人きりになってから、オリヴィエはレオナールに助け起こされてようやく立ち上がった。


「どうして僕があそこにいるってわかったの?」

「門番が知らせてくれた」


真奥宮のあの門番かと、オリヴィエは溜め息をつく。

自分は臣下にも信用されない程子供なのだなと思うと、胸がざわついた。


「勘違いしているかもしれんが、門番はシルヴァン兄上に知らせたのだ。それから兄上が俺に知らせてくれた」

「シルヴァン兄上様が?」


伏せた顔を持ち上げると、レオナールが深く頷いた。


「信頼できる臣下からの報告だと。本当ならオリヴィエが危ないかもしれない。しかし自分は助けに行けるような身分ではないし、兵士なら俺の方が迅速に動かせるだろうと」


だから外に居たのかと納得した。

この城内で最も貴き御身は父王で、次いでシルヴァンである。

そしてシルヴァンと弟たちの間には深い隔たりがあった。

その身を自ら危険にさらすような事は、シルヴァン自身だけの問題でなく、下手をすれば本当に継承争いになりかねない。

それにレオナールは兵士に信頼されているため、すんなりと動かしやすい。


全てを計算づくであの場にいて、尚且つオリヴィエを救ったのは恐らくシルヴァンだ。


そしてオリヴィエがどうやって救われたかわからない以上、表向きシルヴァンに手柄は無いのだ。


「…オリヴィエ?何か頭についているぞ」


レオナールの大きな手が伸びてきて、一瞬目を瞑る。

目を開けると、レオナールの手に白い羽根が乗っていた。


“天使を遣わせて助けてくれたんだよ”


その一点の汚れもない、白雪のような純白の羽根を見て、シルヴァンの言葉を思い出した。


「…ねえ、レオ兄上様。シルヴァン兄上様ってさ、何者なの?」

「…さあな。俺もあの人の事はよく知らない。剣も振れないような人だけど…」


言いながらレオナールはシルヴァンが去って行った方を見た。


「けど、凄い人なのは確かだな」


そのレオナールの言葉には、オリヴィエも心から同意できると思った。





物語はとりあえず此処で一旦終了です^^

此処まで読んでくださり有り難うございました。

あともう一話、オマケ的なものがつきます。

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