飴と鞭
さっぱり情報のない『黒兎』。果たして自分はそんなものを見つけられるのか。というかここにいるのか。いつもと違う面子がいれば解るだろうが、そんなもの見たことがない。第一、すでに自分はほとんど好奇心のみで動いているだろう。
コールにも尋ねたが「解らない」と一言、仕方なく何故か小動物の飼い方の図鑑を借りてきてしまった。兎と言ってもここの面子と同じく人型なのだろうが、無作為に探すというのはあまり好きでない。かといってこれは自分でもどうかと思うが。
自室に戻って適当にページを開いていると、不思議となかなか楽しく、巴椰はのめり込むようにその挿し絵と文字に食らいついていた。
「兎用クッキーとか初めて見たー……レタスって駄目なのか、へぇ」
兎にモルモットにハムスターとは、なんともふりがいのある可愛い生物だろう。ふっくらと柔らかく、手の平に収まるほどのミニサイズ。今更ながら飼ってみたくなる要素が詰まりすぎていた。
床に座り込んで夢中で読んでいる巴椰の背に、べたっと可愛くない動物が寄りかかった。
「何だ、そんなものに浮気する気か。お前は毛があれば何でも良いと見えるな」
「毛並みが良い獣は最高だと思うよ。あっち行ってろ、今忙しい」
有閑なのは解るが相手をしてやるほどに暇じゃない。毛並みを妄想するのに手一杯だ。
むぅ、と眉をひそめ、ブレットは自身のコートのファーや尾を手の平でしだいていた。こんなものの何がいいんだと腑に落ちないように。
「セラピーだよセラピー。『黒兎』ってくらいだからクッキー食べるよな。兎用の」
「俺の知ったことか。まず、浮気前提なのかお前」
「え、何、お前も食べたいの?狼用の菓子って何かあったっけ」
「どうして斜め上の回答ができるんだお前は。流石に鈍いという問題ですらないぞ」
毎度毎度、何かある事にこの狼殿は嘆いてくれる。自分が一体何をした、と聞くと、何でもない、としか返さないのだが。
暑苦しいまでに巴椰の背にひっつき、ブレットは彼の肩に顎を乗せてページに目をやった。
「お前を取り巻く有象無象と意見が同じなのは癪だが、俺も近づかないことを提案する。あれは、あの竜と互角にヤれる化け物だ」
「冴と。なら大丈夫じゃないの?なにかあったらお前が守ってくれるし」
冴と互角なら我が侭狼よりは少し弱いということになる。危惧する意味が分からないのは自分の感覚が麻痺している所為だろう。その自覚はある。
虚を衝かれたかのようにぽかんとし、ブレットはページにしか興味のない巴椰の首を腕を回した。
「お前は突然可愛いことを言うんだな。他人にもそれを言っていたらどうしてくれようか」
「はぁ?何言ってんだよバカイヌ。首絞めんぞ」
「今絞められるのは俺なんだがな。守ってやるとも、俺以外が触れられないくらいに」
解りやすく感情を表に出す狼だと思う。しかしその反面、かなり解りにくいのも確かだ。言葉に出さないときの感情は二人きりでもさっぱり解らない。
首に絡められた手は襟元を滑って胸肌に直に触れ、尖爪で赤いラインを引いた。
「、痛っ……あぁもう、触んな阿呆」
「気持ちよさそうな顔をして言うな。俺なりにコミュニケーションをとっているんだ」
「誰が気持ちいいって?痛いんだよ、引っ掻くな」
自室に戻ってこの狼がいるのがいつのまにか自然になってきてしまっているこの現状。それを断ることのできない自分が悪いのだろう、押しに弱いのは悪いところだ。
腕を抜いて、ブレットは今度は彼の胴に腕を回した。ぬいぐるみでも抱くかのように。
「--守ってやる、が。あまりふらふらしないでくれるか。お前が悲しむから撃ち殺すことも叶わない。何でもかんでも首を突っ込まないでくれ」
「……心配してくれてんの?大丈夫だって、ちょっと捜して授受に渡すだけだから」
「お前は世間を知らなさすぎる。誰に彼に友好的に接して、心配をかけさせ続ける。お前を失うのが怖いんだ」
あの我が侭がこれほどまでにしおらしく、ヒトらしい感情でそう言ってくれる。今日は槍でも降るだろうかと、何故か少し笑ってしまった。
本を閉じて胸の前で抱え、巴椰は脱力して彼の胸の中にもたれかかった。ひどく安堵しているかのように安らいだ表情を浮かべて。
「解ったよ、もう首は突っ込まない。向こうから近付いてくるまでは何にもしない」
「真か虚偽か疑わしいな。嘘なら嘘と言えよ」
「疑いすぎだよ馬鹿狼。俺は今みたいに優しいあんたは大好きだよ。だから疑うな阿呆」
これは自分から近付くと自分の身が危険すぎる--ブレットは下手をすると、こちらの脚を撃ってでも止めに掛かってくるだろう。台風の前、静けさと優しさは一番恐ろしい。
腕を伸ばしてうりうりと彼の頭を撫でてやり、巴椰は鼻をひくつかせて彼の匂いを肺一杯に嗅いだ。
相変わらず甘い、バニラの香り。目を抉られても耳を潰されても、舌を抜かれても。きっとこの匂いで、自分はこのヒトを見つけ出せるだろう。
嫌っていたのに、いつからここまで気の置けないヒトになってしまったのだろう--
自分に問うても解らない。それでも安堵し絆される。もふもふへの中毒ならまだ構わないのに。
「俺の望みを聞いてくれるなら、ついでに他の奴らとも関わらないでくれるか。特に、朔門冴やレイン=ローズ=ペリツェらと」
「お断りだよふざけんな。友達と接して何が悪い」
「全てにおいて。俺は君を愛しているから、独り占めしたくなるんだよ」
甘い甘い囁きで蝕み、無理難題も通そうとする。普段の無愛想さからの優しさと笑顔は、誰だって絆されるだろう。飴と鞭の使い方にここの住人はかなり長けている。
ブレットの尾を手の平で揉みしだきながら、巴椰はまた不機嫌めく彼に、顔を上げて目を合わせた。
「俺はお前に絶対に縛られないからな。お前なんかに縛られてたまるか」
「ほう、自信があるのか。構わないが、それは強行手段をとってもいいとと受け取るぞ」
親しい友人同士の他愛ない会話だと。そう捉えてくれないこの困った狼は、やはり不穏めいている。自分が何を考えているのか、知りもしないくせに。
黒い不幸の兎--ケモノと聞くだけで、いい気はしない。それでも好奇心が減らないのは、それだけ退屈と言うことなのだろうか。
目元を眠そうにこすり、巴椰はブレットの胸にふかふかと頭を埋めた。