はとがあると黒兎
流石に無視するわけにもいかないだろう。あの生真面目ミステリックな鯱の子が嫌がる理由が気になるのはきっと、自分があの子を嫌えないところにあるのだと思う。
ただしかし。苺を頬張る女の子、オムライスを貪る乙女、ザクロにかじりつく鬼子母神。何だかどんどんひどくなったが、兎に角そんな感じだろうか。
口から一杯に赤い液体を滴らせ、満足げに白い皿を、周りを赤く染める幼い少女。濃灰色のフードの胸や腹は黒ずんだ赤に染まり、それだけなら未だ可愛らしく見えた。
こちらを向き、少女は口元を拭いながらにこりと笑った。
「おにーさん、いらっしゃあい!おにーさんと話したいこといっぱいあるんだァ!」
なんてメルヒェンなことだろう。願わくば赤いそれが贓物云々でなければいいのだが、彼女の空腹は何で満たされているのか解らない。
皿を舐めるかのように頬張り、パステルカラーの花畑で授受は巴椰へと裸足のまま駆けてきた。
「私ね、行けないからね、リンゴ渡したでしょ?それがね、ね、助けてくれたの!」
「あ、あぁ、あのリンゴ?ごめん、あれ途中で落として来ちゃって」
「いいの、助けてくれたの!私の命みたいなものだもん!」
電波すぎるほど電波だが、一体何があったのだ。貰ったものをなくしてしまったのにこんなに楽しげとは。
ハンカチできれいに口回りを拭いてやり、巴椰は周囲を少し見回した。
彼女一人だけ。いつも以上の不気味な静けさに寒気すら。あの過保護な花野郎がいないというのも珍しい。
「なぁ、授受。レインは?あいつの連れて行った『黒兎』ってのに用があるんだけど」
果たしてこの子が知っているものだろうか。自分でさえしっかりと見ていなかったというのに。
一瞬きょとんとし、授受はすぐさまにこにこと、変わらない笑顔に戻った。
「ロワールに?おにーさん、ロワール虐めるの?」
笑顔の中にトゲがぎっしり。ここでも別の地雷を踏んでしまったらしい、何というしくじりであろうか。
その声の明るさに身の危険を感じ、巴椰は首を強く横に振った。まず真っ先に、「喰われる」と感知した。
「虐めない、虐めない。用事があるだけだから絶対に虐めない」
「……嘘吐いたら授受、おにーさんのこと食べちゃうからね」
言いやがった。ついに言いやがった。うっかりすれば補食されるとは何事だ。それもこんなに愛らしい少女に二度目だ。物理的な意味でのそれは流石に喜べない。
今度は強く首を縦に振り、巴椰は精一杯彼女に誠意を表した。事実、知らない相手なのだから答えようもなかった。
にぱーと、「そっかぁ」と納得したかのように彼女は尖った歯を見せて笑った。
「ならいいよ。ロワールいい子だもん、おにーさんならきっと好きになれるよ。だからさ、絶対に約束だよ?」
「解ってるよ。授受の友達なんだしさ、虐める理由がない」
『黒兎』--過保護なまでにこの子の心配するものとは一体。もしや自分は、また面倒な一件に足を突っ込んでいるのでは無かろうか。
軋んだ音を立ててドアが開き、「おや」と聞き慣れた声がした。
「トモ君じゃない、久し振りだね。元気にしてた?」
「うわぁ元凶が話しかけて来やがった」
あの日放置したまま今の今まで姿を見せなかったハイネコ様、杯猫が機嫌よく笑いながらそこにいた。罪悪感など皆無と言わんばかりに。
巴椰の腕に絡み、猫は授受に笑みかけた。
「授受、ロワールは?あの子どこ行ったか知らないかな」
「おにーさんに探してもらおうとしたとこ。ネコも、虐めるの?」
「いやぁ、面倒を起こされたくないのさ。起きれば必ず、この子に厄が降りかかってくるだろうし。それはまた、可哀想で」
哀れみの目でこちらを向くが、全ての元凶は誰だか解っていないのだろうか。こいつの「面倒」は本物だ。
辟易したことではたと思いだし、巴椰は猫の腕を逆に掴んで尋ねた。
「な、授受って何の武器持ってんの?逆叉さんに聞いたら殺されそうになったんだけど」
「本人に聞けばいいじゃない」邪険にするも楽しいのか猫は彼女を横目で見やった。「ま、『guillotine』だよ。首切り、はとがある」
首切り鳩ガール。なんだそれは、また新手の攻撃手段か。それとも何だ、二流アイドルの名前か。兎にも角にもいい気は全くしない。
ぷーっと頬を膨らませている授受の頭を戯れに撫でてやり、猫は尾を振って悦んでいた。
「『花畑』の連中は皆鬼畜ばかりだよ。あまり関わり合いにならないことをお勧めする--と言っても、君がここの面倒を回収しないっていう保証はどこにもないっていうのが現状。せめて、なるたけ避けるようにしなよ?」
「あんたが一番の面倒事だよバカネコ。どうせ、冴みたいに実は良い人ってオチだろ?」
「さぁー、どうだろうね?牢に閉じ込めなければならないのはここの皆の共通項。誰が善人なのかは見方による」
嫌なやつだと思う。どうして真っ直ぐに安心するような言葉を投げかけてくれないのか。どうして笑ってばかりで答えを教えないのか。首をそのギロチンとやらで刈ってやりたい。
授受の頬を両手の平で揉みながら、猫は彼女に向かって巴椰に言った。
「不幸を招く黒い兎。それこそ君を守る盾と剣が必要だね。君を救いたがるものはごまんといるけど」
「迷惑かけんなって言いたいんだろ。解ってるよ、誰にも迷惑はかけないようにする」
不機嫌めいてそう吐き、巴椰はふいと二人から離れてドアの向こうへと戻ってしまった。苛ついているらしく、授受の呼び掛けにも応えなかった。
また彼女の頬がぷーっと膨らんでくるのを何とも愉快そうにぽにぽにと揉み、猫は巴椰の後を目を細めて見やった。
「--果たして、どう動けるかね」
「おにーさんのこと壊しちゃったら、私にゃんこのこと刃に掛けるからね。許してあげないから」
おぉ怖い怖いと、猫はおどけて道化師の如く笑った。この状況でも楽しむ余裕があるらしい。
パステルカラーの、絵に描いたようなメルヒェンな花畑。贓物をぶち撒けた白い皿の黒紫。飛び散る赤い色に、少女の存在の無いような灰色。そぐわない色の数々に、猫はどうにも悦んでいた。
「『ヒト』の子は、好かれるから大丈夫。問題は別にあるのさ、もっとおぞましいものが」