憂いのトカゲ様
所詮すべて、夢であったと片付けられてしまうのが三文芝居のオチに相応しい。自身一番にそれを思い、望み、目が醒めるのを待っている。
次々に手当たり次第開いていく扉は、何もかもが一緒くたに、どうでもいい同じ風景の連続であった。誰も居ず、調度品が決まりきった形と位置で鎮座する。埃一つ積もっておらず、滞在の時間は二秒と無い。
どこかでネコの嘲笑う幻聴を聞いた気がし、巴椰は何度も頭を振った。
幾度目かの扉開、眩しい閃光にその目が眩まされた。
「あァ」軽い声がブレットから漏れ、事も無げにさらりと言い放たれた。
「罠にはまったらしい。いや、嵌められたと言うべきか」
思わず我が耳を疑った。光から背けた目は既にそれに慣れ始めているというのに、幻臭くていけない。
眼前に広がるのはいつもの部屋の姿ではなく、水平線の向こうへ沈まんとしている夕陽だった。数メートル進めば岸壁の淵へ着け、そこから先は遙か下方に白い飛沫を上げる海が横たわっていた。
入ってきた扉は気付く間もなく消え失せ、二人は朱に染まる空を仰いで呆然と立ち尽くしていた。
「……何、こっからどうすんの。こんなとこに誰が居るの」
「俺の知ったことか。これは罠だ、そのうち嫌でも何かが起こる」
果たして言葉の通りであった。
背後に茂る鬱蒼とした森の中、建てられた洋館の扉が軋みながら勝手に開かれた。見たことのない建物、迷子の子を誘うお菓子の家のよう。
不快な音を立てるそれをじっと見つめ、ブレットは尋ねることもせずに歩き始めた。
「乗ってやろう。お前でもきっとそうする」
何故か上機嫌に、対抗心を低く燃やしてそう言った。一体どう火を点けられたのかは解らないが、苛立つ風にはなく好戦的だった。
招かれるままに、ヘンゼルとグレーテルはその館へと足を踏み入れた。
しんと静まり返る玄関ホール。赤いカーペットもシャンデリアも、両脇にシンメトリーに控える階段も、全てがしゃんと収まっていた。
ーー不意に、部屋の奥からの強風に扉は強い音を立てて閉められた。
「お前達……何をしている」
聞き慣れたその声は、驚愕と疲弊を含んだ声だった。
部屋の奥から現れたのはコールであった。ジャケットは裂傷が目立ち、少ない露出部にも真新しい傷がラインを引いていた。
慌てて彼に駆け寄り、巴椰はその首に絡みついた。
「コール、コールっ!誰にやられたんだよ!言え、うちの馬鹿犬に始末させる。あんたに怪我させるなんて絶対許さない」
「落ち着け。未だ致命傷は受けていない」
言う割に口端から血の赤を垂らし、コールは巴椰の拘束を解かせた。
何の感情もなさげにその近くへ寄り、ブレットは軽く目を見開いた。
「お前がこうなるとは珍しいな。騎士殿にでもやられたか」
「解っていながら聞くな。この子に骨抜きにされ、お前も落ちぶれたということか」
「そうとってもらっても構わん。だからうちの子とベタベタ触れるな。その子を殺したくなる」
不適に笑っているというのに肩に置かれた手の爪がギリギリと締め付ける。またかと呆れる。嫉妬しているのが酷くあからさまだ。
血の混じる唾を吐き、コールはふんと鼻で笑った。
「戯れている時間はない。私には私の目的がある」
「あァ、知っている。手を貸そうか、二度とこの子に近付かないと言うならズタズタにしてやる」
「喧嘩すんな馬鹿」面倒そうに制し、巴椰はコールの手を取った。
「出来ることあるなら言って。コールが傷付くのだけはダメなんだ」
「大丈夫。アレは私が止める。お前達の探しているものは更に上階だ、さっさと行ってやると良い」
心配するなと、優しい聖母の笑みでそう言ってくれる。それが心配を更に生んでいるのだと、どうしても伝わらない。
未練がましくもブレットに手を引かれて歩き始め、巴椰は何度も振り返って彼を見ていた。
ーー二人が上階に消えると、コールはため息を吐いて髪を掻き上げた。
高く結い上げ、決意を固める。傷付いた身体には鈍い痛みも残っている。それでも行かなければならない、待っているヒトが居る。
自分が愛した、たった一人の主がこの先に。




