psychoだと笑う男
低脳な所詮ケモノの吠え声。それが空間を震わせ歪め、傍観者の目をも開かせた。愉快げに遠くで笑み、当人達を賭け事の一種のように眺めて。
ニマ、と笑み、その細身の身体はくらりと揺れただけであった。
「イカンしねぇ、ウサギちゃん。あん様じゃ、埋まらんきし。空っぽは辛かのうことなんし」
「サイコパスがほざくな。僕を捕らえたいなら狂気の元を持ってこい」
きししとサイコに、ゲナ・ゼナは笑うだけだった。双方武器は持たず、丸腰で廊下のど真ん中で対峙していたのだ。
狂いに染まった奇抜な色のその眼は、ロワールの遥か後方を見て、喜びに大きく見開かれた。
「巴椰ァァア!あァ、『psychoう』やしに!あん様がこんなに早よぅ、ここへ会いに来るなんしねぇ!」
「、ゲナ!?ロワールも……お前等何してんだよ!」
最高に『psycho』に、ゲナは巴椰を見てそう叫いた。自身の身体を抱き、嬉しさにその身を震わせて。
駆け寄ってきた巴椰をちらとだけ見やり、ロワールはすぐにまたゲナを睨んだ。
「あんたは下がっててくれる。これは全部僕の問題なんだから」
「ふざけんな、お前を守るのも考えてんだよ馬鹿兎!つかそれがメインだわ!」走ったのが仇となり、頭にはかぁっと血が上っていた。「ゲナも救い出すからな!」
「いい子やしに、あん様はやっぱり俺の見たとおりの子ゆあ!ヒトとして最高、『psychoう』!人間学、完全なる数式!愛されるべき存在の夢現の序章の子!」
いつも以上にゲナはおかしくなっていた。というのはあの奇妙な方言めいたものではなく、こちらを見る眼に光がなかったのだ。ある意味では、大変な光は宿っているのだが。
ひはぁと吐息を吐き、ゲナは巴椰へとその手を伸ばした。
「巴椰!さぁ、その内全部晒しるぁんし!俺はあん様の全てが見たい、その内の愛されるものが何なのか、科学者として、一友として、解剖し尽くしてやりぁんし!」
「何言ってんのか解んねぇよ!兎に角戻ってこい、俺はあんたを助けたい!」
「助けるのは俺の役目しに。汚れたケモノどもから救い出して、ハラん中がどんな色しとるんか暴く!」
それが正義だと信じているような口振りで、ゲナは巴椰へと狂った笑みを向け続けた。ロワールなど、最初から眼中にないように。
巨大なサージカルナイフを喚び、ゲナはその切っ先を彼の胸の中心へと向けた。それはただ、純粋な殺気であった。
狂気にフレるということはそういうことで、自らの好奇心等の感情が真っ直ぐに表れていた。まるで子供のように、混じり気なく。
片手で大きく一振りし、ゲナは床を蹴って巴椰へと駆け出した。体勢低く、その細身をしならせて。
風が素早く身体を巡り、キィンッと、甲高い金属音が目の前でかち鳴った。
「--さて。鈍いくせに足だけは達者な恋人様。傷つくなと言ったのを忘れたか」
嫌みったらしく、遅れて優雅にやって来た狼はそう吐いた。あのライフルを構え、ナイフを自分の眼前で受け止めて。
ただ呆然とそれを見つめ、巴椰はさもおかしそうにふふと笑った。
「忘れてないよ。あんたなら助けてくれるって算段だった。何せ、約束した」
「とことんひどい悪女だな、お前というやつは」銃身で受けていたナイフを弾き、ブレットは面白くなさそうに少し眼を伏せた。「俺でなければ斬られていた。ありがたく思えよ」
「なぁんし?やっぱりあん様、狼の妾やったんに?俺の見解は間違っとらんじゃないやの」
狂っていても不服そうに、何故か少し嬉しそうに、ゲナはそうこぼした。
『妾』という言葉に、今度はブレットの方が何とも嬉しそうに笑みを浮かべた。狡猾な狼の眼は、喜びに歪んでいた。
「妾じゃないよ」そう否定するしかなく、巴椰ははーっとため息を深く吐きだした。
「残念だけど、もうすぐ花嫁予定。ものっそい不服」
「不服?--なら、可哀想なヒトの子。助けてにゃらんと?解剖したら、ケモノどもに好かれる訳も解るやろうっちゅう!」
キハハハハハッとおかしな笑い声を盛大にあげ、ゲナは再び構え、ブレットめかげてそれを振り下ろした。
悠然と立ったままの狼の眼前で、刹那刃は空気に弾かれたように高く悲鳴を上げた。
「……俺はこれ以上、ここで遊ぶわけにいかないんでな。式に遅れる」
「御意」
すらりと長い日本刀をその手に構え、逆叉がそこに立っていた。弾いたのが彼女だとは見えず、何が起こったのか巴椰は解っていなかった。
「なぁんで邪魔するんし?折角ハラワタ見れたにあ、綺麗かもしれんしに」
「……友達を止めに来たから」
逆叉の答えは真っ直ぐに、ただ一言だった。
銃を消し、勝手に走っていかないように巴椰を担ぎ上げ、ブレットはロワールを見やった。
「……お前は、さっさと元凶を断ちに行くと良い。お前にしかできないことだ」
「言われなくても。あんたの担いでるその子をあんたからも救い出してやるから」
「あぁ、そうかい。あれはこいつの意思なんだが、できるものならするといい。お前のような低級のケモノには負ける気もしないがな」
ふんと不敵に笑むも、ブレットの巴椰を担ぐ手にはぎりぎりと力がこもっていた。少しでも仲良くしていたのを悟ったらしく、眼が笑っていなかった。
三人がその場から走り去ってしまうと、逆叉はシュラリと彼に刃を向けた。
「--掛かってこんに。返り討ちにしょうよ、逆叉ァ!」
「今まで武器を使わなかったのに勝とうとするなんて、笑止。わっちが止める」
切りそろえた黒髪の陰からその眼をケモノのごとく煌めかせ、逆叉は高笑いを繰り返すゲナへと駆け出した。