第93話 19歳の聖君
戻った。記憶が戻った。戻ったんだ!!
嬉しくてしばらく泣いていて、周りの人に注目を浴びているのにも気が付かなかった。でも、聖君はそんなのも気にせず、ずっと優しく私の背中を撫でてくれたり、抱きしめてくれたり、頭を撫でてくれたりしていた。
やっと泣くのがおさまると、聖君はにこっと可愛い笑顔を私に向けて、
「帰ろうか?」
と言ってきた。
「うん」
私はうなづき、聖君と手を繋いで家に向かって歩き出した。
「……桃子ちゃん」
「え?」
「ありがとう」
「…え?」
「どんな俺も、愛してくれて」
「……そんな」
じわ~~~。また、涙が出てきた。それを見て聖君はクスッと笑い、
「ごめん。また、泣かせちゃった」
と優しくそう言った。
お店に着くと、お店には誰もいなかった。多分リビングで、2人とも凪のお世話をしているんだろう。
クロが私たちに気が付き、お店まで尻尾を振って来てくれた。
「ただいま!クロ」
聖君はそう言って、クロに抱きついた。クロはグルングルン尻尾を振って喜んで、聖君の顔をぺろぺろ舐めた。
「あはは。くすぐったいって」
その光景を見て、また私は泣きそうになった。ああ、19歳の聖君なんだ。
それからリビングに行くと、凪は座布団の上に寝ていて、お父さんがパソコンを開き、お母さんがその横から覗き込んでいた。
何か調べ物でもあったのかな。真剣な顔つきでいるけど。
「あ、嫌だ。びっくりした。黙って入ってこないでよ」
「ごめん。ただいま。…なんか調べてたの?2人して難しい顔していたけど」
聖君はそう言って、凪の横に座った。クロも凪のすぐそばに寝転がった。
私は聖君のすぐ横に、ぴとっとくっつくように座った。
「凪、気持ちよさそうに寝てるね」
聖君は目を細めてそう言うと、凪の髪を撫でた。
「…聖。桃子ちゃんが今朝言ってたんだけど、お前、記憶が戻りつつあるのか?それでもしかしたら、頭痛や吐き気がしていたのかもしれないな」
「それを調べていたの?」
「うん。見つからなかったけどな」
「……。父さん、母さん」
「聖、何よ、改まって」
聖君のお母さんは、聖君を見てそう言った。お父さんは、パソコンをシャットダウンさせて、聖君のほうを向いた。
「2人にはすごく感謝しているんだ」
「だから、なんなの?改まって」
「…いつもさ、明るく前向きでいてくれてるし。どんな俺でも、受け止めてくれるし、助けてくれるし、支えてくれるし」
「ちょっと~~。やだ、聖。やっぱりあなた、どっかおかしくなっちゃったんじゃない?」
お母さんは最初は笑っていたけど、だんだんと顔がこわばっていった。聖君のお父さんも珍しく、固い表情をしている。
「違うよ。まじで俺、感謝してるんだって。父さんと母さんの子でよかったって、まじでそう思ってるよ」
「何かあったのか?」
お父さんが聞いた。
「記憶なくなってもさ、暗くなったりしないで、明るくしてくれてたし。いつも励ましてくれてたしさ。そういうの、すげえありがたかったなあって思ってさ」
「…そ、そりゃそうよ。みんなで暗くなったってしょうがないもの。ねえ?爽太」
「そうだぞ。まあ、もともと俺は能天気だからな。お前も知ってるだろ?」
「…父さんがそうだから、俺、いつでも前向きでいられると思う」
「そ、そうか?」
「それに、母さんも。けっこう心配性なくせに、明るくしてくれてたよね?」
「……な、何を言いだすのよ。いったい、どうしちゃったのよ」
お母さんは目をうるうるさせ、そう聞いた。
「………。俺、3年で、かなりいろんなことがあった。桃子ちゃんがいてくれて、支えてくれて、それで乗り越えられたこともいっぱいあるけど、でも、父さんや母さんの支えも、すげえでかかったんだなって、なんだかつくづくそう思って…」
「聖?」
お父さんが、首をかしげた。お母さんは、ティッシュを取って、涙を拭いている。
「本当にサンキュ」
聖君はそう言うと、照れくさそうに頭を掻いた。
「お前、記憶戻ったのか?すっかり、3年分思い出したのか?」
お父さんは勘付いたらしい。
「うん。戻った。頭痛くって、気持ち悪くって、2階でしばらくはのたうちまわってたけど、なんか、わあって、一気に記憶が戻ってきて…」
「………」
お父さんはお母さんを見た。お母さんもお父さんを見ると、すぐに聖君のほうを向き、
「今は?頭痛や吐き気は大丈夫なの?」
と聞いた。
「うん。もうすっきり。頭の中、靄がかかっていたようだったのも、すっかり消えたよ」
「靄?もしかして、ずっとそうだったのか?」
「思い出そうとするとね。頭痛がしたり、靄がかかるからやめてたんだ。でも、いろいろと思い出してきたら、一気に頭が痛くなって…」
「そうだったのか」
お父さんはそう言うと、聖君の前髪をくしゃっとして、
「良かったな」
と一言言った。
お母さんは泣いていた。でも、
「聖、良かった。桃子ちゃんも、良かったわね」
とそう言って、私のほうを微笑んでみた。
「はい」
お母さんが泣き出してしまったので、私までまた泣いてしまった。
「ああ、また桃子ちゃん、泣いてる。さっきも、ずうっと浜辺で泣いちゃってたんだ」
「だって。嬉しくって」
「そうよ。嬉しくて泣いちゃうわよ。でも、なんでそれをここで言って行かないで、外に行ったりしたのよ」
「…ごめん。桃子ちゃんにまず、報告したかったんだ。それに父さんや母さんには、ちゃんとお礼を言いたかったんだけど、ちょっと、こっぱずかしくって、海でも見て、気持ちを落ち着かせてからにしようと思ってさ」
聖君はお母さんの言葉にそう答えると、また恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そっか。いや、本当に良かったな」
「でも、一応病院に行って来たら?」
お母さんの言葉に聖君は、思い切り嫌そうな顔をしたけど、
「そうだよね。これから行ってくるよ」
と力のない声でそう言った。
聖君は、お父さんの運転する車に乗って、病院に行った。
「桃子ちゃん、本当に良かったわね」
車を見送ってから、お母さんがまたそう言ってきた。
「はい」
私は思い切りうなづいた。
凪はもう起きていた。聖君は、私の腕の中にいる凪の頬にキスをしてから、車に乗りこんだ。かなり顔がこわばっていたけど、大丈夫だよね。
私とお母さんは、お店の掃除をしたり、凪の世話をしたり、洗濯物を取り込んで畳んだり、アイロンを掛けたりしていた。
「まだかしらね」
お母さんは、ちょくちょく時計を見てはそう言った。
「そうですね。病院、混んでいるのかもしれないですよね」
私もそう言いながら、時計を見た。私もお母さんも、なかなか落着けなかった。
「聖も爽太も、連絡くらい入れてもいいのにね」
お母さんはそう言いながら、リビングのソファに腰を下ろした。私もお母さんの前に座った。
するとその時、私の携帯が鳴った。
「もしもし?」
慌てて出ると、
「桃子ちゃん?会計も終わったから、これから帰るよ。父さんがみんなで、どっかで晩飯食いながらお祝いしないかって言うんだけど、夕飯の準備しちゃったかな」
と聖君が言ってきた。
「ううん。まだ、買い物にも行ってないの」
なにしろ、ずっと連絡を待っていて、外に行く余裕なんてなかったもんなあ。
「杏樹は?」
「まだ、帰ってない」
「じゃ、一回家に帰るね。それから、杏樹が戻ってきたらみんなでご飯食べに行こう」
「うん。お母さんにもそう伝えるね。あ!聖君。それで、先生、何だって?」
「記憶戻って、おめでとうって。念のため、脳の検査もしたんだ。なんの異常も見られなかったよ」
「そっか~~~~」
ああ、ほっとした。
電話を切ってから、お母さんに今聞いた話を報告した。
「そう。良かった~~~」
お母さんも相当心配していたんだな。思い切り安堵のため息をついて、ソファの背もたれに、もたれかかっている。
「はあ。夕飯も作る気なかったのよ。記憶が戻ったのは嬉しいけど、頭痛と吐き気が心配で…。でも、良かったわ~~」
お母さんはまたそう言うと、いきなり立ち上がった。
「ね?どうせなら、どっか素敵なレストランに行かない?凪ちゃんだって、きっと連れて行っても大丈夫よ」
「え?」
「だから、桃子ちゃん、オシャレしていきましょう。私も着替えてくるわね」
お母さんはそう言うと、2階に駆け昇って行った。
わ。いきなり、お母さん、元気になったなあ。さっきまで、何度も時計を見てはため息をついていたのに。
「凪もおしゃれする?」
「うきゃ?」
凪は私の腕の中で、なぜかそう声をあげ喜んだ。おしゃれをするのが嬉しいんだろうか。
私も凪を連れ、2階に上がった。そして、凪にまず可愛い服を着せた。これはお祝いでもらったもので、なんとなくもったいなくって、今まで着せていなかった。だから、今日初めて袖を通す。
「うわ。可愛い。思い切り女の子だ!」
私は思わずデジカメを持って、凪を写した。
「桃子ちゃん、用意できた?」
お母さんがノックをして聞いてきた。
「ま、まだです。今、凪の着替えだけが済んだところで」
そう言ってドアを開けると、お母さんは部屋の中に入ってきて凪を見た。
「まあ、凪ちゃん、可愛い!」
お母さんも、思い切り目じりを下げ喜んだ。そして、
「先に凪ちゃんと下に下りているから、桃子ちゃんはゆっくり着替えて来て」
とそう言って、凪を抱っこして部屋を出て行った。
私はタンスを開け、何を着て行こうか迷った。とはいえ、お出かけ着なんてものは、持っていない。
「これなら、お腹が目立たないかなあ」
ふわっとした可愛い柄の、ブラウスを選んだ。そしてウエストがゴムのパンツを履いた。
結局はだぼってしていて、お腹が目立たないもので、すぐに凪におっぱいをあげられる服になってしまう。
着替えをして下に下りると、すぐに杏樹ちゃんが、
「ただいま~~」
と元気に帰ってきた。
「杏樹!杏樹!ビックニュース」
お母さんが凪を抱っこしたまま、お店にすっとんで行った。
「わ、どうしたの?お母さん、ワンピースなんて着て。あ!それに凪ちゃんも可愛い。この服初めて見る」
杏樹ちゃん、さすがめざとい。
私もお店に行った。すると、
「あれ?お姉ちゃんも、そのブラウス、あまり見かけないよね。すごく可愛い。もしかして、今日、外食?」
と聞いてきた。
「そうよ。聖の記憶が戻ったお祝いをしに行くのよ」
お母さんが興奮しながらそう言うと、杏樹ちゃんは一瞬黙り込み、
「え~~~?!お兄ちゃん、記憶戻ったの~~~?」
と叫んだ。
「お兄ちゃん、どこどこ?家の中?」
「今、お父さんと病院に行っていて、そろそろ戻るわ。だからあなたも、着替えてらっしゃい」
「わかった!おしゃれしてくる~~~~」
杏樹ちゃんは、ダッシュでリビングに上がり、そのあと2階にどたばたと駆け上がって行った。
「凪ちゃんにおっぱいあげておく?桃子ちゃん」
「あ、そうですね」
私は凪を受け取って、リビングに行った。お母さんは、そのままお店に残っていた。
そして、聖君とお父さんが帰ってきた。
「お帰りなさい!」
お母さんの嬉しそうな声。それから杏樹ちゃんが2階から駆けおりてきて、お店にすっとんで行った。
「お兄ちゃん、記憶戻ったの~~?おめでとう」
と叫びながら。
私もおっぱいをあげ終り、凪のオムツも替え終っていたので、すぐに凪を抱っこしてお店に行った。
「あ、みんな出かける用意できてるんだね。じゃ、すぐに行こうか」
お父さんはそう言うと、お母さんと一緒にお店を出た。杏樹ちゃんは、聖君にまだ、あれこれ聞きたそうにしていたが、お母さんに呼ばれ、お店から出て行った。
「桃子ちゃん、凪、行こう」
聖君はにっこりと私たちに微笑みかけ、クロに、
「クロはごめんね?お留守番頼んだよ」
とそう言って頭を撫で、それから私たちとお店を出て、お店のドアの鍵をかけた。
「聖君」
「ん?」
「先生、本当になんでもないって?」
「うん。心配しちゃった?」
「…うん。お母さんも心配してた」
「ごめんね?心配ばっかりかけてるね。でも、まじで、大丈夫だからさ」
「…聖君」
「ん?」
「聖君」
私は嬉しくて、凪を抱っこしたまま、聖君にひっつこうとした。すると聖君のほうが、私の腰に手を回して、私の髪にキスをしてきた。
16歳の聖君も、可愛かった。照れて赤くなっている聖君、とっても可愛かった。でも、やっぱり、こうやって抱きしめてくれたり、キスをしてくれる聖君が嬉しい。
それから聖君は、私の腰に手を回したまま、鼻歌を歌って歩き出した。
凪はそんなパパの顔を見た。聖君も凪を見た。凪は嬉しそうに、うきゃっと笑った。
「パパの鼻歌、楽しかった?凪」
聖君はそう言うと、凪に顔を近づけた。
「うきゃきゃ」
凪は嬉しそうにまた笑った。
「凪もわかるの?パパの記憶が戻ったこと」
「凪はきっと、聖君がご機嫌だから、嬉しいんだよ」
「あ、そっか。凪はパパがご機嫌だと、ご機嫌なのかあ」
聖君はそう言って、私の腕から凪を受け取った。
「な~~~~ぎ。凪がお腹にいた頃から、ちゃんと思い出したからね」
「あ~~~」
「あ、そうだ。凪、顔にお湯かけてごめんね?あの時の俺は、新米パパだったからさ」
「う~~~~」
「怒ってる?」
聖君がもっと凪の顔に顔を近づけた。
「うきゃ」
凪は嬉しそうに笑い、聖君の顔をぺちぺちとたたいた。
「クス。怒ってないよね?」
聖君は目を細め、思い切り嬉しそうに笑った。
凪のパパ、戻って来たね。凪。
でも、ずうっとずうっと、パパはパパだったね。記憶がなくなっても、聖君はちゃんと凪のパパをしていた。
そして、私のことも、大事に思ってくれてた。
「聖君」
「ん?」
「どんな俺も愛してくれてサンキューって言ってたでしょ?」
「うん」
「私こそ、記憶がなくなったのに、また私のことを好きになってくれてありがとうね」
「………うん」
聖君はしばらく黙って私を見てから、凪のほうを向いて、
「そんなの当たり前なのにね?ママはこんなに可愛いんだから、惚れちゃうの当たり前だよねえ」
とそう言った。
うわ~~。もう、そんなこと言って。でも、嬉しすぎる。
嬉しくって、また涙が出てきた。
19歳の聖君、おかえりなさい!