第92話 記憶が戻る?
翌朝、目が覚めると、聖君はもう起きていた。そして、私をじいっと見ている。
「おはよう、聖君」
「おはよう」
聖君はにこりと微笑んだ。
「あれ?凪は?」
「起きてるよ。ご機嫌でいるよ」
凪を見てみると、本当だ。おしゃぶりをしながら、まあるい目をこっちに向けた。
「桃子ちゃん」
「え?」
「寝顔、可愛かった」
うわ!そうか。先に起きて寝顔見られていたんだ。
「あ~~~」
凪がおしゃべりをしてきた。
「凪も可愛かったよ」
聖君はそう言うと凪のほうに行き、凪を抱っこした。
「あ~~う~~~」
「今日もよくしゃべるね、凪」
聖君はそう言うと、凪の頬にキスをした。
「桃子ちゃん」
「え?」
「俺、変な夢を見てさ。それで目が覚めて、そのあと寝れなくなっちゃったんだよね」
「どんな夢?」
聖君は凪を抱っこしたまま、あぐらをかいた。
「絵なんて、描いたこともないくせに、すげえ鮮やかな色彩の絵を描いてるんだ。それを見て、桃子ちゃんが感動してて、また俺に惚れちゃったとか、これからもいろんな聖君を見て行きたいとか、そんなことを言ってんの。で、俺はそれを聞いてまた感動して、泣いちゃってんの」
「え?!」
「変な夢でしょ?」
「夢じゃないよ!それ、記憶だよ」
「え?…俺、絵なんて描けないよ」
「ううん。私のおじいちゃんの家で描いたの。それはもう、本当に色鮮やかで、すごい絵だったの」
「…おじいちゃんの家で?なんで俺…。絵なんて描いたんだろう」
「おじいちゃん、絵の先生なの。聖君は自分で独創的な絵を描くんですって言ったら、ぜひ見てみたいから、描かないかって言われて、それで描いたんだよ。去年の話だよ、それ」
「……記憶」
「うん。聖君、もしかして記憶、取り戻してる?」
「そうかな。あ、じゃあさ」
「うん」
「…もう一つ、変な記憶って言うか、頭に浮かぶことがあるんだけど」
「な、なに?」
ドキン、変って?
「俺が大勢の女子高生の前で、なんだか演説みたいなのをしてるんだよね。で、最後にはみんなが総立ちして拍手喝采。で、俺、そんなみんなの前で桃子ちゃんに抱きついてるの。これはさすがに俺の、妄想か、夢だよね?」
「ううん!それも、過去の記憶だよ~~!」
「うそ。え?なんで?なんで俺、女子高生に演説してるの?」
「私が妊娠して、聖君、私の高校の校長や理事長に、私が卒業まで高校にいられるようにお願いしに行ったとき、一緒に行ってくれたの」
「…」
「その時に、自分の出生のことや、ご両親とのことを話して、命の大事さを理事長に言ったら、理事長が感動しちゃって。それで、2学期の始めにみんなの前で、話してくれないかって頼まれて」
「それで俺、話しちゃったわけ?」
「うん。私のことをみんなが応援してくれるように…」
「…そっか。桃子ちゃんのためにか。だったら、なんとなくうなづけるな」
「え?どうして?」
「女の人苦手だから。そんなみんなの前で話をするなんて、ちょっと考えられなかったからさ」
「そっか。そうだよね。でもすごかったんだよ?みんなの心を鷲掴みにして」
「俺が?」
「うん。そう。聖君のあの話があったから、PTAまで私たちのことを賛成してくれて、応援してくれたの。だから、私、卒業できたんだもん。あ、小百合ちゃんも」
「……小百合ちゃん」
「うん。理事長の孫の」
「…へえ。あ、もしかして、髪が長くて、やたらお嬢様って感じの?」
「うん。あれ?会ったことあった?」
「ない。でも、その記憶の中に出てきたから」
お、思い出してきてるの?!
ドキドキドキ。
「………」
聖君は、今度はなぜか赤くなってうつむいた。
なんで?小百合ちゃん、まさか、聖君の好みのタイプだったとか?じゃあないよね。なんで赤くなったの?
「うわ!」
「え?!」
「今、なんか、すごいことを思いだしたかも」
「何?!」
「……い、いい」
「え?」
「……」
聖君、首まで赤いよ。何を思いだしたの?
「お、俺、お風呂に桃子ちゃんと入るとさ、桃子ちゃんの体、洗ってあげてた?」
「…うん」
それ、思い出したの?
「そっか」
聖君はそう言うと、もっと赤くなり、顔を下に向けた。だからまた、凪に顔をぺちぺちとたたかれている。
「あ~~~~。なんだか、いろんなことが今、頭の中に。やべえ」
聖君?あれ?赤かったのに今、顔が白くなってきている?
「ごめん。凪のこと、桃子ちゃん抱っこしてくれる?」
「え?」
「なんだか、気持ち悪い」
「え?大丈夫?」
凪を受け取りながらそう聞いた。聖君、真っ青になって来てる。
「頭も痛い。ごめん。トイレ行ってくる」
「うん」
聖君は、静かに部屋を出て行った。
記憶が戻ってきているの?でも、それが原因で気持ちが悪いの?
ドキドキ。ああ、嬉しいけど、すごく心配だ。聖君、大丈夫なんだろうか。
しばらくすると、聖君は部屋に戻ってきた。
「駄目だ。頭痛がひどくって」
「だ、大丈夫?今日お店休みなんだし、病院行く?」
「病院?もっと具合が悪くなりそう。大丈夫。寝てたら治る」
聖君はそう言うと、布団に横になった。
「ごめん、桃子ちゃん。父さんに聖は頭痛と吐き気で、今日は部屋で休んでるって言ってくれる?」
「うん、わかった。あ、ベッドじゃなくてここでいいの?」
「うん。いい…。でもあとで、桃子ちゃん、来てくれないかな」
「いいよ」
聖君は弱々しく笑うと、目を閉じた。私は凪を連れ、そっと音も立てずに部屋を出て一階に下りた。
「あの…」
お店でお父さんとお母さんが、カウンターについて朝食を食べていた。
「あら、聖は?寝坊?」
お母さんが聞いてきた。
「いえ、頭痛と吐き気がするから、今日は寝てるって」
「え?」
お母さんは青くなった。
「爽太。あの子、まさか打ち所が悪くて…」
「いや、それはないだろう。頭を打ってからだいぶ経つんだし。それに病院でもしっかりと診てもらったんだから、大丈夫だとは思うんだけど。でも、念のため病院に行った方がいいかもなあ」
聖君のお父さんも心配そうにそう言った。
「病院、嫌がってました」
「だろうな」
私の言葉にお父さんはうなづいた。
「それに、なんだか、記憶をところどころ思い出しているみたいで」
「え?!」
お母さんもお父さんも、びっくりしてカウンターの椅子から立ち上がった。
「思い出してるのか?」
「本当なの?桃子ちゃん」
「あ、でも、ところどころです」
「…」
2人は顔を見合わせた。
「様子を見てみようか、くるみ。午後から病院に行ってもいいんだし」
「そ、そうね」
そして、その日、聖君は午前中、一回も部屋から出てくることはなかった。
私はお父さんとお母さんに、凪のことをお願いして、何度か聖君の様子を見に行った。でも、聖君はずっと寝ていた。
そして12時を過ぎた頃、聖君は2階から下りてきた。
「聖君、だ、大丈夫?」
「聖、頭痛治ったのか?」
「聖、病院は本当にいいの?」
みんなでいきなりそう聞くと、聖君は、
「うん。いい。それより腹減った」
と、あっさりとそう答えた。
「お、お腹空いたの?気持ちが悪いのは治ったの?」
私は心配で、抱っこしていた凪を座布団に乗せてから、聖君のそばにいった。
「うん。本当にもう大丈夫。なんだか、爆睡したら治っちゃったよ」
聖君はにっこりとそう言うと、
「桃子ちゃん、お昼2人でどこかに食べに行かない?」
と聞いてきた。
「え?でも」
「いいかな、母さん、父さん。凪のことみててもらっても」
「あ、ああ。それは全然かまわないが、お前、本当に具合の方はいいのか?」
「そうよ。また途中で頭が痛くなったりしたら」
「…そうしたら、父さんのことでも呼ぶよ。それに、そんな遠くまでは行かないから。その辺の店で食べてくる」
「…そう?」
「じゃ、気を付けて行ってこいよ。本当に何かあったら、すぐに連絡いれろよ?」
「了解」
聖君は爽やかにそう言うと、私の手を引いてお店のほうに行き、
「2人でデートしよう」
とそう言って、私にもにこりと爽やかな笑顔を見せた。
うん。顔色もいいし、笑顔も思い切り爽やかだ。無理している様子はない。
そして、聖君は、海が見えるファミレスに私を引きつれ入って行った。
私たちは、海が良く見える席に案内された。
「ちょうど海が見える席が空いていてよかったね」
聖君はそう言いながら、椅子に座った。
そして店員さんに注文をすると、聖君はまた、にっこりと爽やかな笑顔を私に見せてくれた。
「だ、大丈夫そうだね。顔色もいいし」
「ごめんね?心配かけて」
「ううん」
「…部屋にも来てくれてたよね?」
「わかった?」
「うん。でも、ちょっと話しかける元気もなくて」
そんなに悪かったの?
「あ、でも、今はもう大丈夫」
「そう…」
「……」
聖君は海のほうを見つめた。
「ここで桃子ちゃん、俺から離れて行こうとして泣いちゃったんだよね」
「え?!」
「水族館の帰り…」
「…それって、付き合ってる演技をした頃のこと?」
「うん。そう」
「…思い出したの?」
「クス。桃子ちゃん、勝手に俺から離れようとして、泣いてたんだよね。あ、そんなこと他にもあったね。ああ、俺はデートだと思っていたのに、桃子ちゃんは勝手に別れ話だと思い込んじゃって」
「それも思い出したの?」
「うん」
うそ。うそうそ!そんなにいっぱい、記憶が戻ったの?
私が目をうるうるさせていると、聖君は目を細めて笑った。
「…桃子ちゃん、何かあると俺から離れようとしていたのに、今回は離れようとしなかったね」
「え?」
「俺の記憶がなくなっても」
「そ、それは、だって…。私は聖君の奥さんなんだし」
「…うん」
「凪もいるし」
「うん」
「で、でも、聖君が私みたいな奥さんいらないって思ったら、離れなくっちゃいけないって、そうは思っていたけど」
「え?何それ」
「…だって、聖君、私とどう接していいかもわからないって言ってたし」
「…言ってたね、そういえば」
聖君はそう言うと、突然席を立ち私の横に座ってきた。そしてテーブルの下で私の手を握りしめ、
「ごめん!」
と謝った。
「え?怒ってないよ?聖君が謝ることじゃないよ」
「ううん!俺、いっぱいいっぱい桃子ちゃんを悲しませた。桃子ちゃん、泣いてたよね?ほら、桐太が来た時」
「え?うん」
「ごめん!桃子ちゃんが泣いているっていうのに俺は、桐太にただただ、嫉妬してた」
「ううん。だ、大丈夫だよ」
「もう~~~~。何でそう桃子ちゃんは、いつもそんなに優しいんだか…」
「え?」
「俺のこと、怒ったり、殴ったりしてもよかったのに」
「な、殴らないよ~~」
「でも、一発殴ってくれてたら、記憶一気に取り戻していたかもよ?」
「ま、まさか~~~」
あれ?聖君、そういえばさっきから、話し方が違うような。
声のトーンとかも違うし、それに、なんでこんなに私にべったりとくっついてるの?
「…ああ、やっぱり家で昼飯食えばよかったかなあ」
「え?」
「ここじゃ、桃子ちゃんに抱きつけない」
「え?え?」
「……まあいいや。今日は店、休みなんだし、帰ってから思い切りいちゃつこうね?桃子ちゃん」
「…?!」
「ね?」
聖君はそう言って、可愛い笑顔を見せた。
「ひ、聖君?」
「ん?」
「も、も…」
「桃?」
「そうじゃなくって」
「お待たせしました」
そこに店員さんが、セットのサラダを持ってきた。聖君は私から少しだけ離れて座り直した。
店員さんは、サラダを私と聖君の前に置いた。そして、戻って行った。
「なんだか、隣に並んでいるのも、変だって思ったよね」
聖君はそう言うと、私の隣から立ち上がり、また前の席に座り、
「いただきます!」
と、聖君は元気にそう言って、バクバクと美味しそうにサラダを食べだした。
さっきの…。いちゃつこうねってセリフ、どっからどう聞いても、19歳の聖君だった。
もしかして、記憶すっかり戻ったの?それとも…。19歳の聖君に一気に近づいちゃってるの?
お昼を終えて、私たちはお店から出ると、
「浜辺のほうをぐるっと回ってから帰らない?」
と聖君は私に言った。
「うん。でも、大丈夫なの?頭痛とかしない?」
「うん。全然元気」
「…」
本当だ。聖君の顔、すっきりとしている。
そして私たちは、海のほうに歩いて行った。
海は曇空だったが、サーファーがいた。それに、子供連れの親子が浜辺で遊んでいたり、カップルが石段に座っていた。
「あそこらへんに、座らない?」
聖君はそう言うと、カップルから離れたところに座った。私もちょっと間をあけて座った。
「なんで、間あけたの?」
「え?」
なんでって…?
聖君はそう口を尖らせて言うと、私のすぐ横に来て、腰に手まで回してきた。
うそ。ここ、浜辺だし。そんなにべったりされても。っていうか、こういうこと平気でできていたっけ?16歳の聖君は…。
「桃子ちゅわん」
「うん?」
「桃子ちゅわん」
「?」
「桃子ちゅわん!」
うわ!聖君が抱きしめてきた。
「ちょ、ここ、外!誰かに見られる」
「大丈夫だよ。もう俺ら夫婦なんだし」
「だ、だけど」
聖君は私が慌てふためいていると、やっと離れてくれた。
「あはは。真っ赤だ、桃子ちゃん」
え?なんで、聖君の方は赤くないの?なんで恥ずかしがっていないの?あれ?
「クスクス」
聖君は笑ってから私をじっと見て、
「桃子ちゃん、大好きだよ」
といきなりそうささやいた。
「え?」
うわ。なんで、こんなところで、そんなこと言うの?
「ひ、聖君、なんだか、変だよ」
「え?それはないでしょ」
「だって、こんなところで抱きついたり、大好きだなんて言ってきたり。どうしちゃったの?」
「どうしちゃったのって…。俺ら、バカップルなんだからいいじゃん」
「い、いいけど…。え?」
「桃子ちゃんだって、本当はずっとうずうずしていたくせに」
「な、何が?」
「欲求不満になってた?俺がなかなか桃子ちゃんのこと抱かなかったから」
「え?!」
ちょっと待って。いきなり何?女たらしの聖君に変身したわけじゃないよね?
「もう~~~。桃子ちゃんたら。そりゃ久しぶりだからって、あんなに激しいキスとかしてきちゃ駄目だよ。俺、あの時はまだ、16だったんだよ?」
「………え?」
「桃子ちゃんの、エッチ」
「…聖君?」
「ん?」
「聖君なの?」
「…ずっと聖だけど?」
「そうじゃなくって、19の聖君なの?」
「……泣くの我慢してる?桃子ちゃん」
私は鼻がひくひくしているので、手で鼻を隠した。
「あはは。だからさ、今さら隠しても遅いってば」
「ひ、ひ、聖君?」
「ごめんね?ずっと、記憶ないままで」
「も、戻ったの?思い出したの?」
「……」
聖君は優しく私を見ると、私にチュッってキスをして、
「ただいま」
と優しくそう言った。
19歳の、聖君なんだ!
うえ~~~~~~ん!
私はそのあと、声を出して泣いてしまった。聖君はそんな私を優しく抱きしめ、
「ごめんね。桃子ちゃん」
と何度も謝っていた。