第87話 16歳のキス
「待ってて。俺の気持ちがついていけるまで」
そう言われて、ショックを受けた。でも今は、その言葉を素直に受け止められそうだ。
聖君はベッドに座って、凪のことをあやしだした。凪は声をあげて笑い、聖君も嬉しそうに笑った。
「すげ、可愛い~~~。凪」
本当に嬉しそうだ。
「桃子ちゃん、俺さあ、桃子ちゃんが妊娠した時、すぐに受け入れて、結婚だ!って喜んじゃったんでしょ?」
「うん」
「ブッ!」
え?なんで笑ったの?
「俺って単純って言うか、単細胞って言うか」
「え?なんで?」
「………。桃子ちゃん、まだ、高校生なんだしさ、もっと俺、悩めよって感じだよね?」
「でも、聖君のお父さんやお母さんも、すぐに喜んでいたよ?私たち、おじいちゃんとおばあちゃんになるのね、きゃ~~って感じで」
「あはははは。目に浮かぶ。あ、俺のじいちゃんもすげえ喜んだんじゃないの?」
「うん。おじいちゃんもおばあちゃんも。お祭り騒ぎみたいだったの」
「あははは!やっぱりね」
聖君は目を細め、思い切り笑った。その笑い声で凪も、
「うきゃきゃきゃきゃ」
と大笑いした。
「あ、凪もおかしい?おかしいよね。うちの家族」
そう聖君は言うと、凪の頬にキスをした。
「私、つわりがひどかったの。それがおさまってから、結婚披露パーテイみたいなことをれいんどろっぷすでしたんだ」
「へえ、そうなんだ」
「あ、身内だけでね?聖君の親戚も来て、本当にお祭りみたいだったんだよ?みんな、喜んでくれて」
「うちの親戚、パーテイ好きだしなあ」
「そうだよね。みんな楽しくって、仲良くって、あったかいよね」
「…じいちゃんがさ、癌で死にそうだったのに、奇跡が起きちゃった話、知ってる?」
「うん。日記も見せてもらったよ」
「あ、そうなんだ。ああ、それで俺らも、凪に日記を書いたのか」
「うん」
「ふ…。でもさあ、俺らの日記見たけど、なんだか、俺、バカ丸出しだったよ?あんなの凪が将来見て、大丈夫かな?」
聖君は、笑いながらそう言った。
「バカ丸出し?」
「うん。っていうか、俺と桃子ちゃんってやっぱり、バカップルだよね?」
「う、うん…」
自分でもそう思うのか。
「俺ってもっと、クールな奴だと思っていたから、かなりびっくり」
「え?!」
「あれ?俺がクールじゃないって思ってた?あ、桃子ちゃんの前ではバカな俺も見せていたのか」
「…可愛い聖君を見せてくれてたよ?」
「可愛い?」
「うん!」
「あはは。凪のママは、俺にベタ惚れなんだね?」
聖君はそう言うと、凪に顔を近づけた。
「う…」
「あれ?凪、なんだか機嫌悪い?」
「お腹空いたのかな。そろそろおっぱいの時間かも」
「あ、そうなんだ。はい。じゃあ、隣でおっぱいあげてくる?」
「うん」
私は、凪を聖君から受けとった。
「…それとも」
聖君は、顔を赤くしながら、
「ここで、おっぱいあげる?」
と小声で聞いてきた。
「……え?いいの?ここであげても」
私がそう聞くと、聖君は黙って赤くなってうなづいた。
そうなんだ。今まで私がおっぱいをあげるのを見るのに抵抗があったみたいなのになあ。じゃあ、ここであげちゃおうかな。
私は服をまくしあげた。すると聖君は慌てて、反対のほうを向いた。そして凪がおっぱいを吸い付くと、
「も、もう、そっちを見ても大丈夫かな」
と聞いてきた。
「え?いいよ?」
そう言うと聖君は、ちらっとこっちを見た。
「あ、凪、思い切り飲んでる?」
「うん。お腹空いてたんだね」
聖君は恥ずかしそうに、おっぱいを吸う凪を見ている。
「いいな」
聖君はぽつりとそう言った。
「え?何が?」
「あ、あ、桃子ちゃんのおっぱいに吸い付いているのがいいなってことじゃないよ?ただ、無心に飲んでいる凪が、無心でいいなって思っただけで」
「うん」
聖君、今、なんか頭の中、もやもやしていたのかな。やっぱり、血のつながりがないってことで、考え込むこともあるのかな。
「俺、なんで考え出しちゃったのかな。結婚式を挙げることも、違和感なかったと思ってたんだけどな」
ああ、そのことか。
「……桃子ちゃんも大好きだし、凪も大好きだ。それにすげえ大事だ。だから、別に、結婚に対しても、抵抗なかったはずなのに…」
聖君は凪から視線を外し、遠くをぼ~~~っと見つめた。
「沖縄…。もし行ってたら、どうしてたかな」
「そうだね…」
「桃子ちゃん、卒業したら、沖縄に来てた?」
「うん。行っていたかも」
「…沖縄に行っていたら、凪はここにいないかな」
「…そうかも」
「…じゃあ、今ここに俺らが3人でいることはなかったね」
「うん」
「そっか」
聖君はまた凪を見た。
「ここに凪がいないのは、なんだか考えられないね」
「え?」
「こんなにでっかい存在になっている凪が、いないなんてさ」
「そうだよね」
「……そっか」
聖君はまた、自分に言い聞かせるようにそうぽつりと言った。そして今度は私を見た。
「桃子ちゃん」
「え?」
「やっぱり、俺、思ったんだけど」
「うん」
「俺が沖縄行きをやめた理由、何より一番の理由って、桃子ちゃんから離れたくなかったんじゃないのかな」
「……」
「ずうっとそばにいたいって、そう思ったんじゃないのかな」
「…聖君は、私もだけど、お母さんのことも心配で、それで、大事な人を大事にしていく自分でいたいって、そう言って、沖縄に行くのをやめたよ…」
そう私が言うと、聖君はもっと私に顔を近づけた。
「俺、沖縄に行くかどうか、悩んでた?」
「うん」
「………。桃子ちゃんは、どうしてた?行かないでって言ってた?」
「本当は離れたくなかったの。でも、聖君の夢なんだし、行かないでって引き留めちゃいけない気がして言えなかった」
「じゃあ、ずっと俺が沖縄の大学に行くってこと、辛かった?悲しい思いをしてた?」
私は黙って、コクンとうなづいた。
「そっか」
聖君はそう言うと、私から離れた。そしてベッドから立ち上がり、パソコンをシャットダウンした。
「やばいな」
「え?」
「…俺、きっと、桃子ちゃんが好きで、かけがえのない存在になってて、失いたくなくって、ずっとそばにいたくって、それで沖縄行くのをやめたんだ」
「へ?」
「俺、きっと、桃子ちゃんと結婚することも、家族を持つことも、夢に見てたんだね」
「……」
「沖縄に行くことよりも、もっと叶えたい夢になっていたんだね、きっと…」
聖君は私に背を向けたまま、そう言った。背を向けているから、表情は見えなかった。
「で、叶っちゃったんだな。それが…」
聖君はぽつりとそう言った。
「あ~~~~!」
いきなり聖君は次の瞬間、頭を掻くとそう叫んだ。凪が一瞬びっくりして、おっぱいを飲むのをやめた。
聖君は今度、頭を抱え込んで座り込んでしまった。
「ひ、聖君?」
いきなり、頭痛?それとも、悩み?
「俺ってさあ」
「う、うん」
「もう、すげえ大事なものを手にしてて、すげえ幸せ者で、夢を叶えちゃっているんだよね?」
そう聖君は、ちらりとこっちを見て聞いてきた。
「え?ど、ど、どうかな?」
「どうかなって…。俺、そう言ってなかった?」
「言ってた。幸せ者だって」
「やっぱり」
聖君は顔を赤くした。
「ああ、納得!」
「え?」
「これで納得した!」
聖君はそう言うと、すくっと立ち上がった。それからくるりとこっちを向いて、私のそばにやってきた。
「桃子ちゃん」
「え?」
「沖縄に行くの、俺の夢だったんだ」
「うん」
「でも、それよりももっと叶えたい夢ができたんだ」
「……」
「で、それが叶っちゃってるんだ」
「…え?」
「だから、沖縄に俺はいないんだ。そんで、ここにいるんだ」
「…」
聖君?
「やべ…」
聖君は私の胸元を見た。凪はおっぱいを口からはずし、うとうとと眠っていた。
「み、見ちゃった。しっかりと。うわ」
聖君は顔を真っ赤にして、すぐに後ろを向いた。
私は凪をそうっとベッドに寝かせると、服を整えた。
聖君はまだ、耳まで赤くして後ろを向いていた。
「聖君」
「うん」
「……私の夢も叶ってるの」
「え?」
聖君は私のほうを見た。
「聖君のそばにずっといること…」
「…桃子ちゃんの、夢?」
「一番の夢」
そう言うと、聖君は照れくさそうに笑って、私の横に座り、そっと私を抱きしめてきた。
「桃子ちゃん…」
「うん」
「今は凪がここで寝てるし、しないけど」
「ん?」
何を?
「そのうち、俺…、桃子ちゃんを押し倒すかも」
へ?
「………。桃子ちゃん」
「う、う、うん?」
「俺、やばいかも」
「な、何が?」
「やっぱり、桃子ちゃんが、すげえ好きかも」
ドキドキ。いきなり、何?聖君。
「キス、してもいいかな?」
ドキン。
わ。ドキンってしちゃった。そんなことを聞かれて。
私はコクンとうなづいた。聖君は私からいったん離れると、私の顔を見て、それからそっと顔を近づけてきた。
ふわ…。
それは触れるか、触れないかわからないくらいのキス…。
聖君は顔を真っ赤にさせ、ぱっと私から離れると、下を向いた。
「あ、あ、あのさ」
それから聖君は、まるで照れを隠すように、いろいろと話し始めた。
内容は、子供の頃に好きだったお笑い番組とか、あのギャグは最高だったとか、そんななんでもない内容で…。
そういえば、聖君と初めてキスをした時にも、聖君はキスのあと、べらべらと話をしていたっけ。内容は、先生はかつらなんだとか、まったく意味のない内容をべらべらと。
あれって、実は照れく隠しだったんだなあ。
今頃になって、聖君の照れ屋ぶりを知ることできた。あの頃は私のほうがキスで放心状態になり、そこまでわからなかったよ。
今では、必死にべらべらと話している聖君が可愛いと思えるくらい余裕が出てきたのかも。そんなことを思いながら、私は黙ってただ話を聞いていた。
ピタリ。聖君の話が突然止まった。
あれ?どうしたのかな。そう思って聖君を見ると、黙って私を見つめていた。
「な、なあに?聖君」
「もしかして、桃子ちゃんは、今のキスだけじゃ物足りなかった?」
「え?!なんで?」
「だって、そんな顔をしてる」
「今?私が?」
「うん」
「そんなことないよ。そんなこと思ってないってば」
「ほんと?」
コクコクと私はうなづいた。なんで、聖君ったら、そんなことを思ったんだろうか。
「前は、俺、どんなキスしてた?」
うひゃ?そんなこと聞いてきちゃうの?まさか、とろけるような、私の体の力が抜けちゃうようなキス…なんて言えるわけないじゃない。
私が真っ赤になっていると、
「そんなすげえキス?」
と聖君は聞いてきた。私は何も言えず、下を向いた。
聖君はコホンと咳払いをしてから、
「あ~~」
と言いづらそうにして、そして、下を向き、
「ごめん。今の俺には、無理かも」
と恥ずかしそうにそう言った。
ああ、やっぱり、16歳の聖君は、可愛いよ。そんな聖君にも胸キュンだ。