第83話 感動する聖君
母は真剣な目を、聖君に向けていた。
「聖君の気持ち、ついていってないのに、いいの?式を挙げたり、桃子と結婚生活を送っていても」
母は、そう口にした。すると父がようやく、
「そうだな。聖君の気持ちは大事だな」
とそう言ってから、私のほうを心配そうに見た。
「えっと。あの…」
聖君は戸惑った。それを見て、母も父も、息をのんだ。
「俺、いえ、僕は、桃子ちゃん、いえ、桃子さんと結婚していることも、これから夫婦でいることも、式を挙げることにも、抵抗もないし…。嫌じゃないし、逆に嬉しいって言うか」
「え?」
母と父は、身を乗り出した。
「嬉しいって今、言った?」
母は自分の耳を疑ったのか、そう聞き返した。
「はい。言いました」
聖君は顔を赤らめ、そう答えた。
「それは、その…」
父が私の顔を見てから、また聖君を見た。
「で、ですから、僕は多分、記憶があった時、桃子さんをすごく好きで大事に思っていたと思うんですが」
「うん。そりゃもう…。ね?お父さん」
母がそう言って父に同意を求めた。
「ああ、大事にしてくれていたとも。それがわかったから、結婚も認めたんだ」
そう父が言うと、聖君はほっとした顔になり、
「今も、すごく好きですし、大事です。あ、凪のこともです」
とそうちょっと照れくさそうにしながら言った。
「い、今も?記憶がないのに?」
母は不思議そうに聞いた。
「記憶がなくなってからすぐには、どうしていいか戸惑いました。でも、数日一緒にいたら、桃子ちゃんのことがすごく大事に思えてきて。あ、凪もです。凪もすごく可愛いです」
聖君はそう言うと、ちらっと私を見て、父の腕の中でおしゃぶりをしている凪の顔も見た。
「っていうことは…。聖君は桃子のこと」
母はそう言って、黙り込んだ。そして、
「い、いいのよ。それだったら、何も問題ないわ」
とそうつぶやいた。
「桃子。桃子もちゃんと、記憶がない聖君のことは、受け止めているのかい?」
「うん」
父の質問に、私はすぐにうなづいた。
「そうか」
それを見て父は、安心したように目を伏せた。
それから顔をあげ、凪のことを聖君の膝の上に乗せると、聖君の肩を父はぽんぽんとたたいた。
「聖君は、うちの家族に今日、初めて会ったんだな?」
「はい」
「そうか。これからよろしく頼むよ。もし、気が向いたら、釣りに一緒に行こう」
「え?」
「釣りだよ。聖君の道具も置いてあるから」
「……い、いいんですか?」
「いいもなにも、聖君にあげたものだから使っていいさ」
「いえ、そうじゃなくて。俺、受け入れてもらえるんですか?」
「はははは。当たり前だよ。記憶がなくなっても、聖君は聖君だ。桃子の大事な旦那さんで、僕にとっては大事な息子なんだよ?」
「息子?」
「そうだ。これからも、息子ができたことを喜び、息子として扱っていくから、聖君もそのつもりでいてくれ」
「……はい」
聖君は、なんだか感動しているようだった。
「聖君。遠慮はいらないから。言葉づかいだって、僕なんて使わないでもいいわよ。ここに住んでいたんだし、もっとリラックスしてちょうだいね?」
母がそう言うと、聖君はちょこっとお辞儀をして、
「すみません」
とそうつぶやいた。
「な~~~~」
その時、寝室の方からしっぽと茶太郎が顔を出した。
「あ、猫?」
聖君は目を輝かせた。
「しっぽと茶太郎。きっと凪に会いに来たんだ。凪のこと、可愛がっていたの」
私は聖君にそう教えた。
凪も反応した。しっぽと茶太郎が凪の顔を覗きに来ると、凪は「あ~~う~~」と二匹に向かって話しかけた。
「え?凪、猫たちと話ができるの?すごいね」
聖君はそう言うと、しっぽと茶太郎の背中を撫でた。2匹とも嬉しそうに今度は聖君にすり寄った。
「しっぽも茶太郎も、覚えてるのね」
そう母が言うと、
「ごめん。俺の方が忘れちゃってて」
と聖君は2匹に申し訳なさそうに謝った。
「大丈夫よ。2匹ともそんなこと気にしないから。でも、ひまわりはそうはいかないわね」
母はそう言うと、腕組みをして、
「あの子は、そうとうショックを受けそうだわ。どうします?お父さん」
と父に聞いた。
「ま、しょうがないだろ、隠し通せるわけでもないんだし、正直に話すしかないな」
父がそう言うと、母はがっくりとうなだれながら、キッチンのほうに入って行った。
「聖君、ちょっと釣りの話でもしないかい?釣りには興味ないかな?」
「え?いえ、聞きたいです」
そんな会話が始まったので、私も遠慮してキッチンに行った。
母はキッチンで、ぼ~~っとしていたが、私の顔を見て、
「あ、ごめん。ちょっと考え事しちゃったわ」
と無理やり笑顔を作った。
「桃子、あなたは大丈夫なの?」
「え?」
「記憶ない聖君のこと」
「…うん。最初は悲しかったけど、今は、全然」
「そう。ほんと、あんたたちって、いつも強いわよね」
「え?」
「何が起きても、前向きに受け止める。お父さんも言ってたけど、本当ね」
「それは、聖君がいてくれるから」
そんな話を母としていると、リビングから父と聖君の笑い声が聞こえてきた。
「あら、もう打ち解けたみたいね、聖君。さすがだわ」
母の言葉に、私もうなづいた。ほんと、さすがだ。来るまでずうっと緊張していた聖君とは思えないよ。
でも、あれが本来の聖君。聖君は聖君だ。やっぱり父とも仲良くなっちゃう、聖君なんだ。
「お昼、2人で何か作りましょうか?桃子」
「うん。聖君と凪は、お父さんに任せよう」
私と母はそれから、お昼ご飯作りを始めた。
12時をまわった頃、
「ただいま~~」
とひまわりが帰ってきた。
「あ、お兄ちゃんまだいた。良かった。かんちゃん、お兄ちゃんいるよ。入って入って!」
玄関の靴を見たからか、そうひまわりが大きな声で言っているのが聞こえてきた。
リビングで笑っていた聖君が、一瞬にして静かになった。
「おかえりなさい」
母が手をエプロンで拭きながら、玄関の方へと向かって行った。
「お母さん、お兄ちゃん来てるよね?車は置いてなかったけど」
「来てるわよ。凪ちゃんも桃子も。あ、かんちゃん、どうぞ、あがって。お昼多めに作ったから、食べて行ってね」
母はいつもと同じように、明るくふるまっている。
私はキッチンからリビングに移動して、聖君の隣に座った。聖君は、緊張しているのか、顔が真顔だった。
「お兄ちゃん!凪ちゃん!」
ひまわりは顔を高揚させながらリビングに来た。
「お姉ちゃんも、おかえりなさい」
「か、帰ってきたわけじゃないから」
「泊まってくんでしょ?」
「ううん。帰るよ」
「え~~!!!なんで、なんで?!」
ひまわりはそう言うと、思い切り聖君に顔を近づけ、
「ちょくちょく、遊びに来るって言ってたよね?」
と口を尖らせてそう言った。
「こんちはっす」
遅れてリビングに入ってきたかんちゃんが、聖君と私を見て、ちょこっとお辞儀をした。聖君はかんちゃんを見て、ちょっとだけ頭を下げると、
「えっと。ごめん。ひ、ひまわりちゃん?」
と、顔をこわばらせたまま、ひまわりのほうを向いた。
ひまわりは、凪の顔を見て、
「凪ちゃん。ひまわりお姉ちゃんだよ~~」
と言って、聖君の話に耳を傾けようとはしていない。
「かんちゃん、座って。冷たいお茶持ってきたわ。ほら、ひまわりにも」
母はそう言って、テーブルに2人分のグラスを置いた。
「あ、すみません」
かんちゃんはボソッとそう言うと、ひまわりが座った横の椅子に腰かけた。
「二人とも、特にひまわり、冷静に聞いてくれる?真面目な話があるの」
母はそう言うと、お盆を床に置き、私の横に座った。
「真面目な話って、何よ、いきなり。お姉ちゃんに関係していること?」
ひまわりは、ちょっとうざったそうにそう言った。
「聖君のこと」
母がそう言うと、
「あ。まさか、別れちゃうとか?って、そんなわけないか。あ!もしかして、うちに戻ってくるとか?」
ひまわりは、思いつくままに口にしているようだ。
「ひまわり、黙って聞きなさい」
父が真面目な顔でそう言うと、ひまわりはさすがに黙り込んだ。ちょっと空気が違う、異変に気が付いたらしい。
「俺から話します」
聖君は静かにそう言って、ひまわりとかんちゃんを交互に見てから、
「俺、つい最近、頭を打っちゃって、3年分の記憶がなくなったんだ」
と話し出した。
「………何それ。え?記憶喪失ってこと?」
ひまわりが目を丸くしながら、そう聞き返した。かんちゃんは、口を開けたまま、聖君をじっと見ている。
「うん」
聖君はうなづいた。
「3年?ってことは…」
ひまわりは、無表情のまま、目を上に向け計算をしようとしていた。
「俺、高校2年の6月までしか、覚えていない」
聖君はひまわりが計算を終える前にそう言った。
「お、お姉ちゃんと知り合ったのは?」
「…聖君が高校2年の、7月」
「え?え~~?じゃ、じゃあ、お姉ちゃんと知り会う前までの記憶しかないってこと?じゃあ、お姉ちゃんのことも忘れてるの?!」
「……うん」
ひまわりとかんちゃんは、私を見た。
「お、お、お姉ちゃん」
ひまわりは、目をいきなり潤ませ、そのあと、聖君のほうを向くと、
「お兄ちゃんの、あほ!バカ!なんで、お姉ちゃんのことまで忘れてるのよ!!」
と怒り飛ばした。
「ひまわり、落ち着いてって言ったでしょ」
母がひまわりにそう言ったが、もう遅かった。ひまわりは顔を赤くさせ、
「お姉ちゃんが可哀そうだよ。なんで忘れちゃうのよ!!」
とすごい剣幕で怒りだした。
「…。ほんとだ。似てる。杏樹と同じ反応」
「杏樹ちゃんも怒った?当たり前だよ、そんなの!!!!」
聖君の独り言を聞き、ひまわりはまた、怒りだした。
「ひまわり、ちょっと深呼吸でもして落ち着いて」
父もそう言ったが、ひまわりはまだ、興奮していて、聖君に何か文句を言おうとしている。
「ひまわり。私、別に落ち込んでもいないし、大丈夫だから!」
私は思わず、ビシッとひまわりにそう言ってしまった。するとひまわりは、私を見てようやく黙り込み、椅子に深く腰掛けた。
「で、でも、お姉ちゃん…」
ひまわりは泣きそうだ。そして、
「じゃあ、私のことも忘れちゃったんだ」
とそう言って、本格的に泣き出してしまった。ああ…。母も父も、やっぱりな…という顔をして、ひまわりを見た。
かんちゃんは、ひまわりにポケットからハンカチを出して渡した。なんと、ハンカチを持ち歩くような子なんだね。
「ひまわりちゃんは、高校2年?」
「そう」
ひまわりは、聖君の質問にぶっきらぼうに答えた。
「俺、3年分の記憶がないから、今、高校2年なんだ」
「…え?」
「16なんだよ」
聖君がそう言うと、ひまわりは驚いた顔をして、
「うそ。私はもうすぐ17」
とそう答えた。
「ああ、じゃ、俺より数か月年上ってことだ」
聖君がそう言うと、
「じゃ、俺より学年は下になっちゃうんすか?」
とかんちゃんも目を丸くしてそう言った。
「うん。かんちゃんのほうが先輩だね」
聖君はそう言うと、少しだけ笑った。
「でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。お姉ちゃんの旦那さんで、私のお兄ちゃんなんだから」
ひまわりはそう言って、また泣き出した。
聖君はそんなひまわりを優しく見た。それから下を向き、凪の顔を見た。そして次に私の顔を見て、にこりとした。
「桃子ちゃん、俺って、桃子ちゃんが言うように、桃子ちゃんの家族にすごく愛されちゃってたんだね?」
聖君は私に向かってそう言った。
「そ、そりゃもちろんよ」
「そうだ。うちの家族はみんな、聖君を家族の一員だと思ってるんだからな」
母と父がそう言った。聖君は2人の顔を見た。
「私だって、私だって、ずうっと、お兄ちゃんのことは大好きで、お姉ちゃんと結婚して、私のお兄ちゃんになったことも、すんごく嬉しかったんだから」
ひまわりはしゃくりあげながら、そう言った。
「…ひまわり、最近、泣き虫」
その隣でかんちゃんは、ボソッとそう言うと、ひまわりを優しい目で見て、
「あ、俺も。聖さんのことは、尊敬してます」
とそう聖君に告げた。
「……ありがと」
聖君は目を細めてそう言うと、はにかんだ笑顔を見せた。
「実は、ここに来るまで緊張してて」
聖君は、視線を下げそう言って、
「でも、今は…、なんだか感動しています」
と顔をあげてみんなを見てからそう話した。
「感動?」
母が聞いた。
「はい。俺、ちゃんと受け入れられてるっていうか、大事に思ってもらってるって」
「………」
母は一瞬黙った。でも、
「それは聖君だから」
とそう答えた。父も、
「聖君は聖君だ。僕たちはみんな、聖君が大好きだからなあ」
とにこにこしながらそう言った。
聖君は顔を赤らめ、目を潤ませた。
あ、もっと感動しちゃった?
そうだった。聖君って、実は感動しいなんだった。
と思いながら横で聖君を見ている私も、目がうるうるとしてきていた。