第81話 嬉しい言葉
菜摘の出現で、一気に不安になった私の心を、聖君はいとも簡単に、安心させてくれた。
聖君は、記憶がなくなっても、私のことを安心させてくれる。
記憶がなくなってすぐは、聖君の冷たさにショックを受けた。近くに寄ることもできないほどだった。
でも今は、すぐ近くにいると、ものすごくあたたかい優しいオーラを感じる。
それは、前と変わっていない、聖君の優しさそのものだ。
聖君、閉ざしてた心を開いてくれたんだよね?
その日、お店があまり混まないので、私は家の掃除や洗濯に励んでいた。
聖君は部屋で勉強をしていたが、時々部屋から出てきて、凪をあやした。そして必ずその時には、私のすぐ横に来ていた。
凪をあやして、凪が笑うと、
「桃子ちゃん、凪、嬉しそう」
と私に話しかける。
「本当だ。凪は本当にパパが好きだよね」
私が返事をすると、聖君はものすごく嬉しそうに笑って、それから、はにかんだ顔でうつむく。
か、可愛い。
「桃子ちゃん」
「え?」
「あのさ。今度俺、大学に一回顔出しに行ってこようと思うんだ」
「大学に?」
「教授にも会いたいし…。それで、桃子ちゃんって、俺の大学の友達に会ったことある?」
「うん。大学にも遊びに行ったことあるし」
「まじで?」
「うん」
聖君は、なぜか目をキラキラと輝かせた。な、なんでかな。
「じゃあさ、桃子ちゃんも一緒に行ってくれないかな」
「え?」
「ちょっと、俺一人じゃ不安だったんだよね」
「いいの?私が行っても」
「うん。…大学の連中って、俺が結婚してること、知らないの?」
「知ってるよ」
「じゃ、桃子ちゃんが奥さんだってことは?」
「みんな知ってる」
「なんだ。じゃあ、何にも問題ないじゃん」
「うん…」
そうか。私、一緒に行ってもいいんだ。そ、そうだよね。だって、私、聖君の奥さんだし。
あ、なんだか、ちょっと嬉しいかも。
「桃子ちゃん」
「え?」
「一つ、疑問に思うことがあって」
「?なあに?」
私は洗濯物を干す手を止め、ベンチに座っている聖君の隣に座った。
「なんで俺のあだ名、兄貴なの?」
ギク。
「それって、他の奴からも呼ばれてた?」
「う、ううん。菜摘にだけ」
「そういえば、俺、あの子と腕組んで撮った写真あったよね?そんだけ仲良かったんだよね?」
「うん」
「…葉一の彼女なのに?」
「うん」
し~~~ん。聖君は黙り込んだ。
どうしよう。なんて言ったらいいのかな。この沈黙、けっこうきついよ。
「桃子ちゃん、俺とあの子が仲いいの、どう思ってた?」
「え?!」
何?突然のその質問。
「やきもちとか妬いてた?」
「ううん」
「……そうなの?」
あ。妬かないもの変?
「え、えっと。最初の頃は、妬いてた。でも、今は別に」
ああ、苦しいな。私、きっと変なことを言ってるよね。
「ふうん」
あ、ほら。聖君の「ふうん」が出たし。
「あのさ」
「え?」
「桐太のことも、気になってるんだよね。桐太って彼女とかいる?」
「いる。麦さんって、聖君と同じ大学の人」
「へえ。そうなんだ」
「サーフィンしてるの、2人とも」
「ああ、そういう接点があるのか」
「うん」
ドキドキ。聖君、実は桐太は聖君のことが好きだったって知ったらどうするのかな。
そう考えてみると、聖君の周りって、かなり電撃的なショックを受けそうな人ばかり集まってるよね。聖君に恋してた男の人や、聖君の血のつながった妹や…。
いきなりそういうのを全部知って、聖君は動揺しないかな。
す、するよね。さすがに…。
「そっか、なんだ、彼女いたんだ。じゃ、安心だな」
「うん。桐太とは本当になんでもないから、安心していいよ」
私は力を込めてそう言った。
「……俺さ。俺の性格からして、女性苦手だし、それも自分の彼女の親友で、俺の親友でもある葉一の彼女と、あんなに仲よさげに写真撮ったりするかなって、やっぱ、その辺が不思議で」
ギクギクギク。な、菜摘のことだよね。
「そんなことをしたら、桃子ちゃんが嫌がるんじゃないかって気になって、仲良くしないと思うんだけど」
「で、でも、ほら。本当に兄妹みたいな感じで仲良かったの。菜摘、お兄さんのように慕ってたし。菜摘って、一人娘で、葉君とのことで悩んでいた時、聖君にいろいろと相談してたし」
私は一気にそう話した。そこまで話して、一回深呼吸をした。
「……ふうん」
あ、聖君、まだ納得してないんだ。
「じゃあ、本当に俺とあの子、なんでもないんだよね」
「え?」
「あ、こんなことを桃子ちゃんに確認するのは変だね」
「……え?」
「俺って、絶対に、桃子ちゃん一筋だよね?」
「は?」
あ、もしかして、菜摘にたいして何か、思いを抱いちゃったとか?
「桃子ちゃんのこと、悲しませたことってあるのかな」
「ううん。ないよ。聖君はずうっと私のこと大事に思っててくれたよ」
「……」
聖君は黙って凪を見つめた。凪は風になびく洗濯物を見て、あ~う~と話をしていた。
「俺…」
「うん」
「もう一つ気になってたことがあって」
「……う、うん」
なんだろう。いったい今度は何を言いだすのかな。
「そんなに大事に思っている桃子ちゃんを、どうして…」
「え?」
「妊娠させちゃったのかな」
うわ!そういう疑問?
「それは、えっと」
困った~。避妊はしてたんだよ。でも、赤ちゃんできちゃったの。とは言い出しにくい。
「今も…。横にいて、桃子ちゃんに対して、なんていうのかな。すごく大事って言うか…」
「え?」
「桃子ちゃん見てると、絶対に壊しちゃいけない、なんか、ガラスか何かでできているような、そんな繊細さを感じるんだ」
「私に?」
「うん」
え~~~。そんな繊細じゃないよ?私。
「手なんて、早々出せないくらいの…。でも俺、出したんだよね?」
「へ?」
「だから、桃子ちゃん、妊娠…」
「う、うん」
「はあ…」
聖君はいきなりため息をついて、うつむいた。
「あ~~~」
そんな聖君のほっぺを、また凪がぺちぺちとたたいた。
「凪、可愛いから、俺、絶対に後悔はしてないだろうなって思うんだ」
「え?うん。聖君、一回も後悔なんてしたことなかったよ」
「桃子ちゃんは?」
「私も」
「そう…」
聖君はまだ、うつむいたままだ。
「でも…。俺、まさか、自分の衝動に駆られた勢いで、桃子ちゃんのこと抱いたりしてないよね?」
「へ?!」
「う…。ごめん、変なこと聞いた」
聖君は真っ赤になった。
「……してないっ」
私は思わず、そう力を込めて言っていた。
「え?」
「してない。聖君は、本当に本当に本当に、私を大事に思っててくれたのっ」
あんまりにも、私が力んでそう言ったからか、聖君は、あとずさりをした。
「あ、あのね。もし、聖君がその辺のことを心配してるなら、私、話してもいいよ?」
「何を?」
「聖君と私の…その、いきさつと言うか」
「え?ああ」
聖君は赤くなって、また下を向いた。
「なんか、自分のことだし、聞くの恥ずかしいけど、でも、やっぱり気になるし、聞きたい…かな」
聖君はポツリポツリとそう言って、黙り込んだ。
いきさつ。自分で言って、説明するのが恥ずかしくなった。
やっぱり、いきさつは話しづらい。
でも、聖君が私を本当に大事に思っていてくれたこととか、聖君の優しさは伝えたい。だから、安心してって、そう言いたい。
「私、男の人と付き合うの初めてだったし、もともと男の人は苦手だし」
「うん」
「それに、聖君のことは本当に大大大好きで」
と言ったところで、聖君は耳まで赤くなった。
「えっと」
私まで、顔がいきなり火照ってきた。
「だから、聖君が私にキスをしたり、抱きしめて来たりすると、思い切り硬直してたの」
「こう…ちょく?」
「うん。体が固まっちゃって」
「あ、ああ。そうなんだ」
「聖君はきっと、そんな私に気を使って、そっと抱きしめて来たり、まるで風が唇に触れるように、優しくキスをしてくれてたんだと思う」
「う…。そうなんだ」
聖君はさらに真っ赤になった。
「でも、わかる。うん。だって、桃子ちゃん、本当にガラス細工のようだし。俺、壊さないように大事にしてたんだと思う」
「…うん」
ドキン。そんなことを聖君に言われて、私も顔が真っ赤になった。
「でも、あの…」
「うん」
…どうしよう。幹男君のことや、桐太のことは、話さないほうがいいのかな。
う~~。どうしよう。
しばらく私が黙っていると、聖君は隣で顔を曇らせた。
「俺、何か、しでかした?」
「ううん。なんにも」
「……」
聖君はちらっと私を見た。
「あ、あのね」
「うん」
「……私、自分に自信がなくって」
「…え?」
「幼児体型だし」
「……は?」
「胸も、今は凪におっぱいあげてるから、大きいけど、本当はぺったんこなの。あ、聖君もがっかりするかも」
そう言うと、聖君は思い切り顔を赤くして、首を横に振った。
「私、コンプレックスの塊だったの。胸が小さいこともすごく気にしてて、それを聖君に知られるのも嫌だったの」
「…」
聖君は顔をあげて私の顔を見た。
「一回、聖君、聖君の部屋に居る時、私のことをいつもよりも力こめて抱きしめて来て」
「う、うん」
「そのまま、ベッドに押し倒されて」
「う…。俺が?」
「私、嫌がっちゃって」
「そりゃそうだよね。俺が無理強いしようとしたんだよね?」
聖君の顔は、一気に青くなった。
「ううん。そういうわけじゃないんだけど。それに、私が嫌がったのは、聖君に胸、触られて、私の胸が小さいってことがばれたら嫌で」
「………へ?」
聖君が目をぱちくりとさせた。
「怖いとか、そういうんじゃないの。聖君はそう思って、ごめんって謝って来たけど」
「……え?」
「聖君が怖いわけじゃなかったの。怖いって思ったことも一回もないの」
「俺のこと?」
「うん。だって、いっつも優しいんだもん」
「…」
聖君はまた、赤くなった。
「でも、私が私に自信がなかったの。だけど、聖君は、待つよって言ってくれたんだ」
「え?」
「大丈夫になるまで、待つよって」
「……ふ、ふうん」
聖君は顔を下に向けた。
「俺、待つよって言いながら、手、出した?」
「ううん!」
ああ、また勘違いさせちゃうところだった。
「違うの。聖君は待っててくれたの。でも、私が待てなくなって」
「…は?」
「えっと。えっとね?なんて言ったらいいのかな」
「…」
聖君はまた、私の顔をじっと見た。
「だから、その…。聖君にだったらいいっていうか、そんなふうに思っちゃって」
「………」
まだ見てる。
私のほうが目を伏せた。ああ、桐太のことは言えないし、どう説明したらいいのかな。
「…そっか。桃子ちゃんが、ちゃんと受け入れてくれたんだね」
「え?」
「俺の気持ち」
「……聖君は、いつだって、私の気持ちを優先してくれたよ。自分は我慢したり、こらえたりしながらも」
「え?」
「本当に大事に思っていてくれたの。それがわかって、私、なんだかもう、聖君に我慢してもらいたくないって思って」
「……」
聖君はちょっと顔を傾けて私を見た。それから、ふっと視線を外して、顔を赤らめた。
「大事にされてたのって、俺の方じゃない?」
「え?」
「うん。絶対にそうだよね」
聖君はそう言うと、はにかんだ顔をして私をちらっと見ると、凪のほうを見た。
「俺、今まで女の子、こんなに好きになったことないし」
凪の顔を見ながら、聖君は話し出した。顏は真っ赤だ。
「こんなことを自分で思っているのも、自分で信じられないんだけど」
「うん」
「…でも、言いたいから、言っていいかな」
「?」
聖君は私を見た。顏は真っ赤だし、かなり恥ずかしそうにしている。
「えっと」
「う、うん」
こっちまで、恥ずかしくなってきた。な、なんだろう。
「俺、菜摘ちゃんにも言ったけど、まじで桃子ちゃんが奥さんでよかったって思ってる」
「う、うん」
か~~。顏、熱い。
「っていうか、すげえ好きな子が奥さんになってるっていうのが、なんかもう奇跡って言うか」
「……」
奇跡?
か~~~。聖君は耳まで真っ赤になって、一度顔を伏せた。
でもすぐに顔をあげ、私をまた見つめた。その目は真剣な眼差しだった。
「俺、すげえ桃子ちゃんが好きみたいだ。すげえ大事で…。だから、桃子ちゃんが俺のことが好きで、大事に思っていてくれてるのが、本当に嬉しい」
「…」
「だから、その…。あ、ありがと」
「え?」
「俺のこと、好きになってくれてありがとう」
ええ?!それは、いつだって、私のセリフ。
「お、俺さあ、こんなこっぱずかしいこと女の子に言うキャラじゃないって、自分で思ってたんだ。でも、俺、こういうこと桃子ちゃんに今までも言ってた?」
「……」
私は黙った。口を開いたら泣きそうだった。
「あ、あれ?まさか、もっとこっぱずかしくなるようなこと、言ってた?」
黙ったまま、うなずいた。
「え?ど、どんな?」
聖君は顔を赤くして聞いてきた。でも、
「やっぱ、いい。言わなくていい。やっぱ、聞きたくない」
と言って顔をそむけた。
言ってたよ。いつも、桃子ちゅわん、愛してるよって。
今日は思い切り愛し合っちゃおうねって言って、抱きしめてきた。ぎゅ~~って言いながら。
だけど、そんなことを言ったら、今の聖君、卒倒するかもしれないし、言わないでおく。
…でもね。今さっきの聖君の言葉も、私の心に響いたよ。すっごくすっごく嬉しかった。
「好きになってくれてありがとう」そう言ってくれてありがとう。
聖君。大好きだよ。