第79話 立ち場、逆転?
その日の昼ちょっと前、私の携帯に電話が入った。私はお店もすいていたし、リビングでお父さんと凪とクロとのんびりとしていた。電話番号は、登録もしていない知らない番号だった。
誰かな。不安に思いながらも、
「もしもし…」
と電話に出ると、
「もしもし、緑川です。先日はどうもありがとうございました」
と丁寧な女の人の声が聞こえてきた。
あ、ウエディングプランナーの緑川さん。
「すみませんでした。連絡が遅くなって。10月に空いている神社とレストランが見つかりました」
あ~~~。そうだった。探してもらっていたんだった。こっちもすっかり忘れてたよ。
「あ、えっと」
戸惑っていると、緑川さんはどんどん話を進めて行った。
「今度の土日のどちらかに、レストランを見に行きませんか?私も同行させていただきますが」
「え、えっと。じゃ、じゃあ、聖君…、主人と相談して、また電話します」
「はい。お待ちしています」
緑川さんはそう言うと、電話を切った。
「式場、見つかったの?」
電話をしているのを横で聞いていたお父さんが、そう私に聞いてきた。
「はい。神社とレストラン、見つかったって」
「そう、よかったね」
「でも、聖君…今…」
記憶がないのに。いきなり結婚式の話をしても、大丈夫なんだろうか。
「結婚式の話は進めていいんじゃない?」
「え?」
お父さんがあまりにもあっさりとそう言うから、こっちが驚いてしまった。
「これからもし、聖の記憶が戻らないとしたら、あいつは16までの記憶のまま、19歳の聖として生きていかなくちゃならないんだ。いろいろと、今あることに、ちゃんと向き合っていかないとならないんだしね」
「でも…。大学のこともあるし、そんなにいっぺんに大丈夫でしょうか?」
「桃子ちゃんも、俺らもいるんだから、大丈夫なんじゃないの?大学の方は、事情を話してしばらく休むようにしてもらったし」
「そうなんですか?」
「聖、言ってなかった?」
「はい」
聞いてない。なんにも。
「まあ、あいつ、あんまり休んだりして、大学行けなくなったら困るしって、焦ってたけどさ。でも、しょうがないよね。1年くらい休学をすることも、考えてもいいと俺は思うけどね?」
「1年も…ですか?」
「今は1年って長く感じるかもしれないけど、あとあとになってみたら、そんなに長い期間じゃないさ」
「……。そうですね」
聖君も、誰も知っている人のいない大学、今すぐに行きたいとは思わないだろうし。
「まあ、結婚式のことは、聖と相談してみてよ。あいつ、もしかすると喜ぶかもしれないし」
「え?」
「あいつ、桃子ちゃんが妊娠したってわかった時も、すごく喜んじゃったじゃない?俺ですら、あいつの行動も思考も、予想不可能だからさ」
「そういえば、そうですよね…」
だけど、16歳の、初々しい、可愛い聖君が、いきなり結婚式って言われて、受け止められるんだろうか。
そんな疑問を持ちながら、私はお昼をカウンターで聖君と一緒に食べる時、思い切って聖君に言ってみた。
「あのね。さっき、ウエディングプランナーさんから電話があって」
「なに?それ」
「まだ、私たち式を挙げていなかったから、相談してたんだ。10月頃に、式を挙げられる神社と、レストランがないかどうか」
「へえ。あ、もしかして、見つかったの?」
「うん。見つかったって。だから、今度の週末、見に行きませんかって」
「ふうん」
思い切り、聖君、他人事?ランチのコロッケをほおばって、美味しそうに食べてるし。
「そうだな…。やっぱり、土曜日がいいかな。でもなあ」
え?
「俺、週末に桃子ちゃんの家にも行きたかったんだ。記憶なくなったことを報告しないとならないしって思ってたし。それに、桃子ちゃんの家族にも会ってみたいし」
「ほんと?行ってくれるの?」
「うん。だから、式場は日曜に行く?桃子ちゃんはどっちがいい?あ、桃子ちゃんのおうちの人にも、予定聞いたほうがいいよね?」
「式場も、見に行ってくれるの?」
「うん。もちろん」
うわ。聖君、まったく動じないし、困ってもいないよ?
「神社で挙げるの?教会じゃなくって?」
「うん。聖君の紋付き袴が見たかったんだ」
「それだけの理由?」
「うん!」
「………。まじで?」
聖君は目を丸くして私を見た。
「だって…。絶対に似合いそうだから」
「桃子ちゃんも、あれ、なんていったっけ?綿帽子?似合いそうだよね。きっと可愛いだろうな」
「…」
それ、前にも言ってたな。
「そっか。10月か。あ、レストランでは披露宴?いろんな人を呼ぶ予定?」
「ううん。本当に内輪だけ。私の家族と、聖君の家族や親せきだけの予定だよ?」
「ばあちゃんやじいちゃん?春香さんや、櫂さんも?」
「うん、そう」
「そっか、よかった。じゃ、そんなに俺の知らない人は来ないんだね」
「でも、2次会は…」
「2次会は誰を呼ぶ予定だった?友達だよね?」
「うん。大学とかの友達も」
「そっか」
聖君はそう言って、しばらく黙り込んだ。
「俺さ、父さんは大学、しばらく休めって言うんだけど、早めに行こうと思ってるんだよね」
「え?」
「勉強がついていけるかが、ちょっと不安だけど。でも、教授とかに、相談してみようと思うんだ」
「でも、知らない人ばっかりだよ?」
「うん。だけど、向こうは俺のこと知っているわけだし。最初は俺にとっては初対面になるけど、そのうち、知っていったら、友達になれるわけじゃん」
さすが、聖君。考え方が前向きだ。
「そうしたら、結婚式の2次会までには、友達になってるだろうしさ。大学の友達なら、多分、大学行き始めたら、仲良くなれると思うよ」
「そ、そう?」
さすがだ~~。
「ただ、大学行くまでの、高校の時にできた友達は、どうかなあ」
「聖君、高校で仲良かったのって、葉君と基樹君だから。あとは、桐太と…」
「桐太ね。知ってるやつだけど、どうもいまだに、嫌悪感を感じる」
聖君はそう言った。それは困った。そのうえ、桐太が私にキスをしたことがあるなんて知ったら、とんでもなく怒り出すんじゃないだろうか。
「他には?誰か俺、友達になってたかな」
「籐也君って、知ってる?」
「誰、それ」
ああ。まだ、16の時には知り会ってなかったんだね。
「私と同じ年で、今、ウィステリアっていうバンドのボーカルしてる…」
「…そのバンド、テレビで見たよ。え?うそ。俺、そんな有名人と知り合いなの?」
「うん。それに、籐也君の彼女は、私の親友なの」
「へ~~。そりゃまたすごいね。じゃ、そいつも2次会に呼ぶの?」
「うん。2次会で歌わせるって言ってたよ、聖君」
「まじ?すげえな、それ」
……。なんていうか、聖君のことなのに、聖君、他人事みたいになってるんだね。
聖君は、ご飯をぺろっとたいらげると、
「籐也っていうやつと、一回会ってみたいな。会えないかな」
と私に聞いてきた。
「たまにお店に来てたみたいだから、また来るんじゃないかな」
「そっか…」
「聖君、なんでそんなに前向きなの?」
「へ?」
「いつもそうだけど。聖君って、ちゃんと今を受け止めて、しっかりと生きていけるんだよね」
「俺、そんなに強くなんかないよ?」
「でも…」
「もしそう感じるなら、桃子ちゃんのおかげかな」
「え?なんで?」
「……。なんだかさ、記憶なくしてうじうじしているのが嫌になったんだよね」
「…え?」
「っていうか、うじうじしたり、落ち込んでいたりするより、桃子ちゃんといる時間とか、大事にしたいなって思えて」
「…私と?」
「それから、凪…」
「…」
じ~~ん。なんだか、感動だ。
「だって、一緒にいると、すげ、俺幸せなんだ」
「え?」
「今も。だから、なんだか落ち込んでいられないっていうか、前向いて、桃子ちゃんと歩いて行くことにわくわくすらしてるっていうか」
え~!!わくわく?
「結婚式も、わくわくしてる」
「ほ、本当に?」
「うん」
聖君はにこりと笑って私を見た。
は~~~~~。やっぱり、すごい。と思って聖君を見ていると、私の後ろから、お父さんが凪を抱っこしてやってきて、クスクスと笑った。
「やっぱり、聖って、予想不可能だな」
「何それ」
聖君は眉をひそめてお父さんに聞いた。
「ははは。なんでもないよ。ね?桃子ちゃん」
「なんだよ?!」
聖君は、笑っているお父さんに向かって、もう一回聞いた。
「お前、桃子ちゃんが妊娠したってわかった時も、喜んじゃったし。ほんと、前向きって言うか、お気楽って言うか」
「お気楽はないだろ?でも、もしそうだとしたら、父さんの血を受け継いでるからだろ?」
「え?」
「それにじいちゃんだ。遺伝だよ。遺伝子の中に、お気楽な遺伝子が組み込まれちゃってるんだ」
「………。そっか」
お父さんは静かにそう言うと、凪を連れ、またリビングに戻って行った。
「なんだ?いきなり、静かになっちゃって。俺、なんか変なこと今言った?」
「う、ううん」
ズキ。きっと、血がつながっていないのに、聖君が、血を受け継いでいるなんて言ったからだ。
聖君、お父さんと血がつながっていないの。それを知っても、ちゃんと受け止めていけるのかな。
ううん。大丈夫。だって今だって、ちゃんと前を向いてる。だから、きっと大丈夫。
でももし、もし、聖君が傷ついたり、落ち込んだ時には、私、そばにいるからね。何もしてあげられないけど、ただ、すぐ隣にはいるからね。
そんなことを思いながら、アイスコーヒーを飲んでいる聖君を私は見ていた。
聖君は、その日の夕方、凪をお風呂に入れると張り切っていた。
「聖、凪ちゃんの耳には水やシャンプーが入らないように気を付けるんだぞ」
「うん」
「あと、凪ちゃんは、顔にも水がかかると嫌がるから、それも気を付けて」
「わかったよ」
聖君はお父さんからの注意ににこりと微笑むと、
「な~~ぎ、今日はパパとお風呂に入ろうね」
と凪にそう言った。
「先に聖、お前の体を洗っておけ。凪ちゃんがすぐにお風呂に入れるように準備して、お前が呼んだら連れて行くから」
「父さんが?」
「桃子ちゃんが連れて行く方がいい?」
「…。い、いや。やっぱり父さんが連れてきて。出る時も俺呼ぶから、父さんが凪のこと受け取りに来て」
「わかったよ」
聖君とお父さんはそんな会話を繰り広げ、そして聖君はお風呂に入りに行った。
「やっぱり、今の聖は桃子ちゃんに自分の裸を見られるの、抵抗があるんだなあ」
お父さんはそうぽつりと言った。私は黙々と、凪をお風呂に入れる準備をしていた。
バスタオルを用意したり、新しいオムツを出したり。
「それとも、サプライズで、桃子ちゃんが凪ちゃんを連れて行く?」
「え?だ、だ、ダメです。きっと聖君、怒っちゃう」
「あはは。怒りはしないだろう。びっくりはするだろうけど」
「でも、お父さんが凪を連れて行ってください」
「そう?聖を驚かせる、いいチャンスだったのに」
お父さん。お茶目すぎますってば。
そして、お父さんは聖君に呼ばれ、凪をお風呂場に連れて行き、5分後、お風呂場から、大きな凪の泣き声が聞こえてきた。
「あ、聖の奴、何かしでかしたな」
「私、見てきます!」
まさか、お風呂に凪を落っことしたりしていないよね?
「聖君、凪、どうしたの?」
お風呂場のドアを叩き、私はそう聞いた。
「うぎゃ~~~!」
まだ、凪が泣いている。その声で私の声が、聞えていないみたいだ。
「凪、ごめん!ごめん!」
聖君の謝る声も聞こえてきた。
「聖君!」
ドンドン!ドアを叩くと、ようやく、
「誰?桃子ちゃん?」
と中から声がした。
「凪、どうしちゃったの?」
「顔に思い切りお湯かけちゃった」
「うぎゃぴ~~~~!」
こりゃ、かなりひどい泣き声だ。大丈夫かな。
「凪、ごめん!」
まだ聖君は凪に謝っている。多分それだけじゃ、泣き止まないと思うんだけど。
「聖君、開けるよ!」
私はお風呂場のドアを開けた。凪は、聖君の膝の上で、大泣きをしていて、聖君はかなり困惑しているようだ。
「凪、大丈夫だよ。おいで」
凪は私の顔を見た。私が抱っこしてあげると、凪はちょっとだけ、泣き止んだ。でもまた、思い出したように、うぎゃ~~っと泣き出した。
「大丈夫、大丈夫」
私は抱っこしたままゆらゆら揺れて、凪の背中をぽんぽんとしてあげた。凪はだんだんと落ち着いていった。
「凪、お風呂に入れてあげたら、もっと落ち着くよ。ゆ~らゆ~ら揺らしてあげると、すごく喜ぶって、お父さん言ってたよ」
「そうなんだ」
聖君は、やっと安心した顔になった。でも、自分が素っ裸なのに気が付いたのか、慌てて私に背を向けた。
「えっと…」
聖君は背中を向けたまま、困っている。
うわ~~~。あの、裸で平気で私に抱きついてくる聖君と、同一人物だとはとても思えないよ。
「聖君、先にバスタブに入って。それから凪を渡すから」
「うん」
聖君は、さっと私の方も見ず、バスタブの中に入った。それから、やっとこ私と凪のほうを見た。
「凪、おいで」
凪はもう泣き止んでいた。でも、まだ顔が、こわばっている。そんなに顔にお湯がかかるのが嫌いだとは知らなかった。今まで、あんなにお風呂でぎゃんぎゃん泣いたことなかったしなあ。
それともあったのかな?だから、お父さん知ってるのか。でも、お店に出ていたから、私が気づかなかっただけ?
「はい。凪。お風呂気持ちいいよ?」
そう言って私は聖君の腕に凪を渡した。
聖君は注意深く凪を受け取り、お湯の中に凪を入れた。凪は緊張した顔になっている。
「凪の背中の方に腕を回して、ゆ~~ら、ゆ~~らってしてあげるんだって」
私が聖君にそう教えると、聖君は、言われた通りに凪をゆらゆら揺らした。
凪はだんだんと緊張していた顔が、ゆるみだし、ほえ~~~っていう顔をした。
「あ、アホ面」
聖君、酷い。自分の娘をアホ面って…。
「可愛い」
聖君の顔もようやく笑みが出て、凪はその顔を見て、もっとリラっクスしたようだ。
「ゆ~~ら、ゆ~~ら。凪、気持ちいい?」
聖君は凪に夢中になりだした。だから、横で私が見ていても、気を取られることがなかった。
「いいな。今度は私が凪をお風呂に入れようかな」
凪の顔を見ながらそう言うと、聖君は私を見て、一気に顔を赤らめた。
「も、桃子ちゃん。そこから、俺の…、丸見え」
「え?」
「だからさ…」
「あ…」
聖君は、凪を自分の胸元近くに引き寄せ、股間を隠した。
「凪、まだ入ってる?それとも、もう出る?」
「あんまり入っていたら、のぼせちゃうね。今日も蒸し暑いし」
私がそう言うと、聖君は、
「じゃ、このまま凪のこと、桃子ちゃんに任せていい?」
と聞いてきた。
「うん。待って。バスタオル、持って来るから」
私は一回お風呂場から出て、凪のバスタオルを持って、またお風呂場に入った。
「はい。凪、ママのほうにおいで。もうお風呂出ようね?」
聖君はバスタブの中で立ち上がり、私の両腕の上に広げたバスタオルに凪をおこうとした。その時、凪がやけに喜んで、足をばたつかせた。
「うわ。凪に顔蹴られた。いって~」
本当だ。見事に聖君の顔に命中したよ、今…。
「うきゃ!」
「うきゃじゃないよ。もう。さっきの仕返し?凪」
聖君は、顔を撫でながらそう言って、それから私を見て、
「あ!」
と、慌ててバスタブの中にジャブンと入り、私に背を向けた。
もう。そんなに隠そうとしなくたって、聖君の全裸、見慣れているのにな。
って、はずかしがることもない私って、どうなの?
そんな疑問を抱きながら、私は凪を抱っこして、お風呂場をあとにした。そしてドアを閉めようとすると、
「桃子ちゃん」
と、バスタブから赤い顔をして聖君が、話しかけてきた。
「え?何?」
「み、見た?」
「え?何を?」
「だから、俺の…見た?」
「……。見てないよ」
「嘘だ。見えてたよね?しっかりと」
聖君、まっか。それ、のぼせて赤いんじゃないよね?
「…見えたけど…。でも、気にしないで」
「え?どうして?」
「…聖君、いつも全裸で平気でいたから」
「え?」
「お風呂も一緒に入っていたし。朝とか、平気で素っ裸で布団から出て、そのままカーテン開けたりしてたし」
「俺が?」
「うん。だから、気にしないで」
そう言うと、聖君はもっと赤くなり、
「あのね。桃子ちゃんが気にしなくたって、俺が恥ずかしいんだよっ」
と怒った口調でそう言った。
う~~わ~~~。やっぱり、聖君、シャイ。可愛い。照れ屋さん。初々しい。
今、怒った顔も、可愛かった。クラッときた。
凪を落っことさないように抱っこして、私はリビングに戻った。でも、凪の体をふいたり、服を着せながらも、ずっと聖君の可愛い怒った顔が頭から離れないでいた。
駄目だ。やられた。あのうぶな聖君が、やたらと可愛い。
なんだか、立場が、逆転しつつある?
そんなことを思うとつい、顔がにやけてしまった。ああ、私ったら…!