第78話 恋する聖君
2人が帰ってから、聖君はまたお店に出て仕事を始めた。夕飯は、お店で絵梨さんと食べたらしく、リビングには来なかった。
聖君、顔、沈み込んでいたけど、大丈夫なのかなあ。それにしても、絵梨さんとご飯を食べちゃうなんて、ちょこっとジェラシーを感じちゃうな。前なら、さっさとリビングに来て、桃子ちゃんと食べるって言ってくれるだろうに。
あ、いけない。また前の聖君と比べちゃった。
きっと、何か悩みがあって、リビングには来づらかったのかもしれないよね。
私がお風呂からあがり、リビングで凪をあやしていると、聖君がお店の片づけを終え、リビングにやってきた。お母さんがお風呂に入り、お父さんはもう寝室に行っていなかった。杏樹ちゃんも部屋で、勉強をしているらしかった。
クロは私の横に座り、凪の顔を眺めていた。
「お疲れ様、聖君」
「うん」
うわ。思い切り、沈み込んでる。暗すぎるくらいに暗いけど…。
「あの…。聖君、何か悩んでいる?」
カラカラ…。私はガラガラで凪をあやしていた。聖君に話しかけても無意識で、ガラガラを動かしていたので、凪はあいかわらず、超ご機嫌で、
「キャ、キャ」
と笑っている。
「…うん」
聖君はそんな凪の顔を見ても、顔色を変えることなく、暗いままだ。
「えっと…」
基樹君が言ったことで悩んでいるんだよね。でも、なんて言ったらいいのやら。だいいち、なんで悩んじゃったのかな。童貞ってそんなに、悩めることなのかな。
「あのさ」
聖君は、すご~~く言いにくそうに話しだした。
「うん?」
「俺さ」
「…うん」
「今の俺さ、基樹も言ったけど、まったくの未経験者だから、桃子ちゃんのことを満足させてあげられないかもしれない」
「………………は?」
カラン。私は思わず、ガラガラを落としてしまった。ガラガラは凪ではなく、その横にいたクロの頭に命中した。
「あ、ごめん、クロ」
「く~~ん」
クロってば、痛かったろうに、ちょっとだけ鳴くと、私の手をべろっと舐め、大丈夫だよって言う顔をして私を見た。
「え、え、えっと。それって、どういう……」
意味?
私はクロから聖君に視線を向けた。聖君は、さっきよりもさらに気まずそうな顔をしている。
「結婚してるってことは、夜の…、その、夫婦の営みって言うの?そういうのってしてたんだよね?」
「う……」
コクン。私は、下を向いてうなづいた。
「それ、今の俺に求められても、その…。もしかしたら、体が覚えてるかもしれないけど、でも、やっぱり、なんにもわからないっていうか、その…」
え?それに対しての、悩み?
「桃子ちゃん、不満に思うかも」
「お、お、お、思わないよっ」
私は焦って首をぐるぐると横に振った。
「でも」
「そ、そりゃあ、隣に寝てくれなくなったのは、ちょこっと寂しかったけど、でも、そういうのは、本当に…」
100パーセントないと言えば、嘘だけど。やっぱり、ちょっと寂しいなって思ったし、抱きしめてほしかったし、キスもいっぱいしたかったけど。でも、不満なんて!
「隣に?あ、そうか。そうだよね。結婚してるんだから、俺、桃子ちゃんと一緒に寝てたんだよね?」
「うん。凪と川の字になって」
「そ、そうか」
聖君はそう言うと、なぜか赤くなってうつむいた。
「隣に寝る…くらいならできるかな。あ、でも、同じ布団?」
「ううん」
「そ、そうか、だったら、まだ、大丈夫かも」
まだ、大丈夫って?何が?
「あ、あ、そうか。大丈夫じゃなくても、大丈夫なのか」
え?聖君の言ってる意味が、わからない。
私がきょとんとして聖君を見ているからか、聖君は私のすぐ横にあぐらをかいて座ると、
「あのね。こんなこと言っても、桃子ちゃん、変に思うだけかもしれないけど」
と、下を向いて真面目な顔をして話し出した。
と思ったら、いきなり真っ赤になり、
「16の男子って、いろいろと、あるわけさ」
とぽつりと言った。
「………」
変には思わないけど、よくわからない。
「女の子の隣で寝るなんて、とてもじゃないけど。それも、自分の好きな子の隣だなんて」
「……」
「言ってる意味、わかる?」
「ううん」
「わかってないか。やっぱり。さっきからきょとんとして聞いてるもんね」
「うん」
「だから、その…。手も握れないくらい、恥ずかしいくせに、なんだか心臓バクバクして、キスしたくなったり、抱きしめたくなったり…。それ以上のことも」
「え?!」
「やっぱり、引いた?」
「ううん」
そうなんだ。そ、そうなんだ。手が触れただけで、恥ずかしがっているのに、そんなこと思ったりもするんだ。
「だから、隣に寝るなんて、とてもじゃないけどって思ったけど、もし、セーブできなくなっても、結婚してるから大丈夫なのか…って思って」
「あ、それで、大丈夫じゃなくても、大丈夫なのか…って言ったの?」
「うん」
聖君は赤くなってうなだれた。
「うそ。やっぱり、駄目だよね?だいいち、俺、いきなりそういうのは、無理っぽい」
「え?」
「だから、隣に寝るのも、もうちょっと待って」
「……」
聖君はそう言うと、チラッと私を見た。その顔は、恥ずかしそうな、ものすごく可愛い顔だった。
「うん。大丈夫。それに隣の部屋には聖君いるんだもん。それだけで嬉しいよ」
そう言うと、聖君はまた赤くなって下を向いた。
「桃子ちゃんって、ツボを心得てるよね」
「なんの?」
「俺が嬉しくなるツボ。やばい…」
聖君はそう言うと、明後日のほうを向き、しばらく、
「く~~~~」
とうなっていた。
どうやら、耳まで赤いし、嬉しさをかみしめているようだった。
「か、可愛い」
あ、いけない。思わず声に出てた。
「え?俺が?」
聖君が後ろを向いて私を見た。
「ごめん。可愛いなんて言っちゃって」
「………」
うわ、真っかっかだ。
聖君はまた、明後日の方向を見て、
「やばすぎる~~~~~」
と言うと、いきなりテーブルにうつ伏せ、テーブルをグーでドンドンとたたいた。
えっと。それも、あの…。嬉しいから?
そういえば、付き合いだした頃、聖君、メールの最中に、部屋で嬉しくって暴れまくってたって言ってたっけ。だから、すぐにメールを返信できなかったって。
もしかして、こんな状態だったのかな。
聖君と凪を連れて2階に一緒にあがった。聖君は、
「あ、布団敷いてないね。今、敷くね」
と言って、手早く私と凪の布団を敷いてくれた。
「もしかして、今までも布団敷いてくれてた?」
「うん」
ああ。聖君だったのか。優しい!
「ありがとう」
「これくらいしか、できないから」
聖君は照れくさそうにそう言った。
「じゃ、おやすみ。桃子ちゃん」
「おやすみなさい」
「凪、おやすみ。また明日ね」
聖君は私が抱っこしている凪に顔を近づけそう言うと、凪のほっぺにキスをした。
私には?
って、今の聖君にそんなことを、催促する方が無理か。
聖君は、にこりと私に笑うと、部屋を出て行った。
「いいな。凪…」
キスしてもらえるし、抱っこしてもらえるし、明日は一緒にお風呂も入ってくれるってよ?
それに、凪は聖君の顔をぺちぺちしたり、指舐めちゃったり。
あ。私、もしかして、寂しがってる?聖君には、隣の部屋に居るだけで、嬉しいなんて言っておきながら。
私は凪におっぱいをあげた。凪はお腹がいっぱいになると、満足したようであっさりと寝てしまった。
それから、携帯を取り出し、聖君にメールしてみた。
きっとまだ、起きてるよね?
今までずっと一緒にいたから、メールをするのも久しぶりだ。
>聖君、おやすみなさい。また明日ね。
そう書いて、そのあとにハートを7個もつけた。そして送信した。
どうするかな。メールがいったこと、すぐに気が付いてくれるかな。
ドキドキ。うわ、なんだかドキドキしてきちゃった。
そしてすぐに、隣から、ドタドタと言う音が聞こえてきた。何の音?あ、どうやら聖君がベッドの上で足をどたばた動かしている音らしい。
まさか、嬉しくてジタバタしてるとか?
ブルルル。携帯が振動した。開くと聖君からのメールがきていた。
>おやすみ、桃子ちゃん。
それだけ書いてあったが、そのあとにハートが10個もくっついていた。
やっぱり、さっきのは、嬉しくてじたばたしていたようだ。
可愛い。
16歳の聖君、可愛い。
私とまだ出会う前の聖君。まだまだあどけない少年が見え隠れする年齢の、初々しい聖君だ。
どうしよう。
私はまた、16歳の聖君に、出会っちゃったんだなあ。
それでまた、16歳の聖君に恋をしていくんだ。そう思うとドキドキする。
でも…。
でも、やっぱり、キスもしてほしいし、抱きしめてほしいし、隣に寝てほしいし、思い切り聖君と愛し合いたい。
これ、やっぱり、不満なんじゃない?それも、世間でいう「欲求不満」っていうやつ。
うわ~~~~。私ったら!
その夜、可愛い聖君のメールを見ながら、欲求不満で悶々として私は、なかなか眠れなかった。
翌朝、凪を連れて一階に行くと、すでに聖君はお店で手伝いをしていた。なんだか、朝からご機嫌だ。
「行ってきます」
杏樹ちゃんが、元気にそう言ってお店を出て行った。
「いってらっしゃい」
聖君は、お店のドアを開け、杏樹ちゃんを見送っている。その横にクロが、尻尾を振りながら嬉しそうに立っている。
あんな光景を見ると、聖君の記憶が3年分なくなっちゃったなんて、どうしても思えないなあ。
「な~~~ぎ」
聖君は、にこにこしながら私のもとにきて、私の腕の中の凪の頬をつっついた。
「おはよう。今日も元気そうだね」
ワン!クロも凪を見て、嬉しそうに吠えた。凪は聖君を見た後、クロを見て、嬉しそうに手を伸ばした。
「桃子ちゃん。凪とクロ連れて、散歩行かない?」
え?いいの?外、行きたがっていなかったのに。
「うん。行く!」
クロはその言葉を聞き、ものすごく嬉しそうに尻尾を振った。
聖君はクロにリールをつけ、にこにっこしながらお店を出た。私は凪を抱っこしていた。
「すげ、いい天気!」
聖君は、記憶が戻ったんじゃないかと思えるくらい、今日は表情が明るい。
あ、あれ?まさか、戻っていたりする?
「あ…。うそ。ここにあった店、なくなったの?」
海までの道を歩いていると、聖君がそう聞いてきた。そこにあったお店は、ついひと月前にお店を閉めたところだ。開店当時は、珍しがられ、お客さんがいっぱい入っていた。でも、その年の冬、ぐっとお客さんが減り、3年足らずで、お店を閉めてしまった。
やっぱり、聖君の記憶が戻ったわけじゃないんだね…。
「ひと月前に閉めたんだよ、そこ」
「え~~~。あんなに客入ってたじゃん。ちょっと可愛い小物もあって、店に置くのにいいものがあるかもって、期待してたのにな。俺が店に行く前に、つぶれちゃったんだ」
ううん。多分、よく行ってたと思う。そこの店長さんが常連さんになってくれて、聖君、けっこうよく話していたもん。だから、先月、店を閉める話を聞いて、聖君、残念がってたもん。
「桃子ちゃん」
「え?」
「今、そこのコンビニのバイトの子、俺にお辞儀したんだけど、知ってる子かな?」
「あ、よくお店に来るんだよ。去年あたりから、ここのコンビニで働いてる子。多分、聖君にお熱あげてると思う」
「……まじで?」
「うん」
聖君は、どうやらお辞儀をされても無視をしてしまったらしい。
「店来たら、謝らなくっちゃ。常連ってことだよね?」
「うん」
「やっぱり、3年って長いね。その間に店も変わるし、人も変わっちゃうんだ。あそこ、前は朝早い時間はおばさんしかいなかったんだけどな」
「聖君を好きになった子、いっぱいいると思うよ」
「へ?」
「お店がブログで紹介されて、聖君の写真が載っちゃったの。いっとき、お客さんが増えちゃって大変だったんだ。聖君目当てのお客さん、どっさり来ちゃったんだよね」
「今はそうでもないよね?」
「うん。聖君が結婚してるってわかってから、ぐっと減ったみたい」
「……」
聖君は、なぜか私のことをじっと見た。
「なに?」
「桃子ちゃん、俺、まさか浮気なんてしたこと…」
「……あると思う?」
わざとそんなふうに聞いてみた。聖君はちょこっと眉をあげ、
「ないと思う」
とそう答えた。
「なんで?なんでそう思うの?」
私はドキドキしながら聞いてみた。
「だって、もともと女の人苦手だし」
あ、なるほど。
「それに…」
聖君は、そこまで言うと、黙り込んだ。
「それに、なに?」
「俺、桃子ちゃんにどうやら、めちゃくちゃ惚れてたみたいだし」
「…」
うわ。そう言われると、嬉しいけど、照れる。
「桃子ちゃんも、浮気したことないと思うけど、でも、モテたんじゃない?」
「私が?まさか」
「…女子高校?」
「うん」
「そっか。そりゃ安心だ」
「なんで?」
「共学だったら、モテてたよね」
「私が?まさか」
「…桃子ちゃんってさ、絶対自分のことわかってないよね?」
「私が?!」
「うん。すげ、可愛いのに。俺、海で会ったら、ナンパしてるかな」
「まさか~~~。聖君がナンパするなんて思えない」
「でも、一目で恋に落ちてるかもよ?」
ど、どうしたんだ。聖君ってば。そんなこと言って来るなんて。
「おとなしそうな女の子苦手でしょ?私みたいな子、苦手じゃないの?」
「ああ、そうだね。そうなんだけど、桃子ちゃんは別」
「なんで?」
そんな話をしている間に、海に着いた。クロのリールを聖君は離してあげると、クロは思い切り浜辺を走り出した。
「桃子ちゃんは…、別格」
聖君は恥ずかしそうにそう言うと、クロを追いかけ、走って行ってしまった。
「凪、ママは別格なんだって」
そう言ってもらって、嬉しかった。
私は凪と石段に座り、聖君とクロを見ていた。聖君は、思い切りクロを追いかけ、10分すると、ぜえぜえ言いながら戻ってきた。
「おかしい。息が切れるのが早い。俺、もう年?」
「まさか~~。たった3年で?まだ聖君は19だよ?年なわけないじゃない」
「そっかな。すげえ疲れたんだけど」
そう言って聖君は、石段に座った。
「昨日はちゃんと早くに寝たの?」
「ううん。寝れなかった」
「勉強してたの?」
「いや、昨日の夜は、勉強も手につかなかった」
「……悩み事?」
「いや…。あまりにも嬉しくて、なかなか寝れなくって」
嬉しくて?
「だって、ハートマーク、7個もついてきた」
え?まさか、私のメール?!
聖君はちらっと私を見ると、顔を赤くして頭をぼりって掻き、
「桃子ちゃんって、ほんと、可愛いよね」
とそうつぶやいた。
うわ。うわわ。なんだか、照れる。聖君なんだけど、聖君じゃないみたい。ううん。聖君なんだけど…。
「桃子ちゃん、真っ赤」
「え?」
「クス」
聖君は私を見て嬉しそうに笑い、
「クロはまだ走ってるよ。あいつはタフだね」
と海のほうを見ながらそう言った。
凪は海や空を見ながら、まぶしそうな顔をした。聖君は私の横で、爽やかな笑顔でクロを見ている。
ああ、幸せなひと時だ。
聖君の記憶がなくても、やっぱり幸せな時間が流れるだけなんだなあ。今までとなんにも変っていないような気がするなあ。
そんなことを思いながら、私は幸せに浸っていた。
でも、ちょっとだけ前とは違っていることがある。それは…。
「桃子ちゃん」
「え?」
「なんだか、早朝デートしてるみたいだね…」
「うん」
そう言って、聖君は真っ赤になった。
「やば~~~~~、嬉しすぎるかも」
聖君は、下を向いて足をじたばたした。
そう。聖君が付き合った当初に戻ったことだ。
ちらっと聖君は私を見て、また前を向いた。そしてまた、足をばたつかせる。
そんなに、嬉しいんだろうか。私も嬉しいけど、聖君の反応があまりにも新鮮で、なんだか不思議な感じがしていた。




