第77話 悩める聖君
その日の夕方は、やすくんではなく絵梨さんがシフトに入っていた。だから、杏樹ちゃんは帰ってくるのが遅かった。
5時半頃、お父さんが凪をお風呂に入れるので、お母さんもリビングに行き、私がキッチンに代わりに入った。
聖君は、絵梨さんにあれこれ話しかけられ、それに答えている。時々絵梨さんは聖君の腕を触ったり、背中を叩いて、喜びながら話しているのが見える。
それに対して聖君は、嫌な顔もせず、応対している。
お店には、一組のお客さんがいるだけだ。
ああ、聖君。ホールは絵梨さんに任せて、キッチンに来て。絵梨さんとそんな笑顔で話したりしないで。絵梨さんに触られたら、ちゃんとよけてよ。
ちょっと暗くなりながら、私はディナーの準備を始めていた。すると、いつの間にか聖君は、私の横にいた。
「サラダ切るよ」
「あ、ありがと…」
良かった。絵梨さんから離れてくれたんだ。
聖君は黙々と野菜を切り出した。でも、ちょっとだけ私のほうを見ると、
「俺も、凪をお風呂に入れたいんだけど、大丈夫だと思う?」
と聞いてきた。
「うん。大丈夫だよ。きっと手が覚えているんじゃない?」
「そうだよね。注意点だけ父さんに聞いて、明日入れてみようかな」
「うん」
聖君、凪のことは本当に可愛いんだね。
「オムツ替えとかは、桃子ちゃんが教えてね」
「え?それもしてくれるの?」
「もちろん。あれ?俺、前はしてなかった?」
「ううん。そういうのもばっちりしてた」
「クス。だと思った」
「なんでそう思ったの?」
「凪可愛いもん。きっと俺、凪の世話、全部したくなるだろうなって思ってさ」
「今もそう思う?」
「うん、思う。いつごろから離乳食?離乳食って作るの面白そうだよね。スプーンであ~んって食べさせるんでしょ?やってみたいな」
「……」
さすが、やっぱり聖君だ。思ってることは同じなのね。
「聖君はすごいな」
「え?どうして?」
「いきなりお父さんになって、赤ちゃんの世話をちゃんとしたいだなんて。そうそう思えないよね」
私が聖君のほうを見てそう言うと、聖君はにこりと可愛い笑顔を向けて、
「だって俺、子供や赤ちゃん、好きだもん」
とあっさりと答えた。
「保父さんになれるかも。って、前にも言ったんだった。そうしたら聖君、自分の子供じゃないとかわいく思えないとか、そんなようなこと言ってた気がするなあ」
「ほんと?」
「え?うん」
聖君はちょこっと首を傾け、
「そっか。じゃ、凪が可愛いと思えるのは、やっぱり俺、ちゃんと父親の自覚がどっかであるってことなのかな」
とそうぼそぼそと言った。
「そうなの?」
「…わかんないけど」
聖君はそう言ってしばらく宙を見つめ、それから私を見ると、にこりと笑った。
今日はやけに、微笑みかけてくれるな。嬉しいな。
「ね、杏樹、今日遅いけどさ…」
聖君は突然話題を変えた。
「もしかして、やすがバイトだと早く帰ってきて店を手伝うのは、あいつ、やすに気があるの?」
「うん」
「やっぱり?あ、まさか付き合ってたりする?」
「ううん。まだ、お互い、思いを告げずにいる」
「じゃ、やすも杏樹を?」
「う、うん」
ばらしちゃった。い、いいよね…。
「そっか。やっぱりそうか」
「あれ?気が付いてたの?」
「うん。だってやす、杏樹と話すとき、すげえ嬉しそうだし…」
「だよね。私もそう思う。優しい目をするしね」
「…なんであいつら、お互い好き合ってるのに、気持ちを言わないわけ?」
「さあ?あ、そうだ。杏樹ちゃんに好きな人がいるっていうのはやすくん知ってるの。でもそれがまさか、自分のことだとは思っていないんじゃないかな」
「ふうん…」
聖君はそう言うと、包丁をまな板の上に置き、腕組みをした。
「なんか、いい方法ないかな」
「いい方法って?」
「だから、あいつらが思いをちゃんと伝え合う方法」
あれ?前は聖君、成行きを見守って行こうって感じだったのにな。
「杏樹の初恋だよね?あいつ、前に比べたらやけに女の子らしくなったと思ったんだ。恋をすると女の子って変わるんだな」
「え?違うよ。前にも付き合ってた人いるよ。別れちゃったけど」
「……え?あ、杏樹に?」
「うん」
「どんなやつ?」
「真面目そうな頭のいい男の子。受験勉強し始めてから、距離を置くようになって、そのまま別れちゃったけど」
「中学3年の時ってこと?」
聖君はかなりびっくりしている。
「うん」
「…まじで?あいつ、花より団子で、まったく恋とか興味なさそうだったのに?」
「う、うん」
「へ~~~~~~~~」
聖君はしばらく、へ~~。そう。へえ、そうなんだ。と腕組みをしながら、そう繰り返していた。
「杏樹ちゃん、そんなこともあったし。恋に慎重って言うか、臆病になっているところあるかも」
「…。桃子ちゃん、あいつにいろいろと相談されたりしてんの?」
「うん」
「そっか。杏樹、桃子ちゃんのこと慕ってるもんね」
「杏樹ちゃん、可愛いよね。聖君がすごく可愛がってるのわかるよ。私も可愛いんだ」
「杏樹のこと?」
「うん」
「そ、そう…」
聖君はものすごく嬉しそうな目で私を見た。
「なんか、いいな」
「何が?」
「…桃子ちゃん。うちの家族と、すごく仲いいんだね」
「……だって、聖君の家族、みんなあったかいし、優しいもん」
「…そっか」
聖君はもっと嬉しそうな顔をした。
「聖君も、私の家族と仲いいよ?お父さんなんて息子ができたって喜んでいたし」
「桃子ちゃんのお父さん?」
「うん」
「まだ、俺が記憶をなくしたこと言ってないよね?」
「うん。いつ言おうかな。びっくりするだろうな」
「……。そんなやつに桃子をやれん。すぐに離婚だ。なんて言って、怒ったりしない?」
「お父さん?まさか~~~~」
と思うけど…。思うけどさ…。
「だ、大丈夫だと思うよ。だって、お父さんも聖君が大好きだし。お母さんもひまわりも。逆に聖君が桃子ちゃんとは別れますって言ったとしたら、めちゃくちゃ悲しむかも」
「………」
聖君は突然私の顔を覗きこみ、目を丸くした。
「え?」
なんか、驚くようなことを私言ったかな。
「そんな発想しないでもいいって」
「え?」
「だから、俺が桃子ちゃんと別れますって言うなんて発想」
「……」
聖君は一度視線を他に向けてから、また私を見た。
「凪が俺の子供だって、どこかで自覚してるのと同じで、桃子ちゃんが俺の奥さんだってことも、俺、自覚してるから」
「え?そ、そうなの?」
「あ、だからって、いきなりきっと昔の俺みたいにはなれないとは思うけど。って言うか、なれって言われても覚えてないからなれないけど」
「……」
「だけど…。こうやって隣にいて話をしてて、なんか感じるんだ」
「何を?」
「……えっと」
聖君は顔を赤くして、ぼりっと頭を掻いた。
「す、すごく幸せだな~~…とか?桃子ちゃんが可愛いな~~~…とか?」
え~~~~!そうなんだ!!!
嬉しすぎるかも。
「だから、とても別れるなんて発想、俺にはできそうもない」
う、う、う、嬉しすぎるかも。
「あ、泣くのを我慢してる?鼻、真っ赤だよ?」
「う、うん」
私がうなづくと、聖君はくすくすと笑った。
「桃子ちゃん、こんなに可愛いんだもん。とてもじゃないけど、別れたくないな」
うわ~~~~。じわ~~~~~。
「っていうか、もっともっと、いろんな桃子ちゃんを知りたいし」
「え?」
「………。俺の隣で、桃子ちゃんはどんな表情をしていたのかな…とか、どんな話をして、どんな想いを持ってくれていたんだろう…とか。いろいろとさ、気になってさ」
「……」
聖君。私のこと、すんごくあれこれ考えてくれてるんだ。
「俺って、きっと桃子ちゃんに夢中だったよね?」
「え?」
ドキン。い、いきなり何?
「何となく自分でわかる。桃子ちゃんを見ていて、それも納得できる」
「……」
ほんとに?
「今も…。やばいなってまじで思ってるし」
「やばい?って?」
「だからさ。隣りにいて、かなり嬉しすぎて、浮かれまくってて。俺、女の子苦手だったし、こんな気持ちになったこともなかったから、自分で驚いてる」
「……」
「まさか、自分が一人の女の子にこんなになっちゃうなんて、超びっくり」
「……」
うそ。
「ね?かなりやばいでしょ?」
聖君は顔を赤くしてそう言った。
「でも、私もかなりやばすぎるから」
「あはは。俺のこと惚れすぎちゃってるんだっけ。うん。やばすぎるね」
聖君はものすごく爽やかな笑顔でそう言った。
でも、そのあとに黙り込んで下を向くと、
「桃子ちゃんでよかった」
とつぶやいた。
「え?」
「…っていうか、桃子ちゃんじゃなかったら、俺、こんなに惚れないか…」
え?え?え?
聖君はちらっと私を見ると、頭をボリボリって掻いた。
「いらっしゃいませ」
絵梨さんの声がして、聖君はさっと表情を変え、ホールのほうに行ってしまった。
「おう!聖」
基樹君だ。私はキッチンから顔を出した。あ!うそ!蘭までいる!
「桃子!」
蘭は私に気が付き、足早に私のもとにやってきた。
「だ、大丈夫?私、基樹から聞いてびっくりして。聖君、記憶ないんだって?桃子の記憶、まったくないんだって?」
「う、うん」
「大丈夫なの?桃子、なんにも連絡してこないんだもん」
「ごめん」
蘭の顔は真っ青だった。もしや、私がものすご~~く落ち込んでいると思って心配したのかな。
「信じられないよ。聖君ってば。でも、基樹に聖のことは責めるなって言われて。聖のせいじゃないって。でも、でも…」
え?蘭、泣きそう。
「私だったら大丈夫だから。本当に大丈夫なの」
私は慌ててそう蘭に言った。
「蘭…ちゃん?」
聖君が蘭に近づき声をかけた。
蘭はキッと聖君を睨んだ。うわ。怖いよ、蘭。睨まなくてもいいから。
「基樹の彼女…の蘭ちゃん?桃子ちゃんの親友…なんだよね?」
「そうよ。私のことも覚えてないんでしょ?それはいいの。私のことは別にいいんだけど、桃子のことは…」
「蘭」
基樹君が、蘭に声をかけ、静かに首を横に振った。聖を責めるなってきっと言いたいんだろうな。
「あら、蘭ちゃん、基樹君。いらっしゃい」
そこにお母さんがリビングから戻ってきた。
「あ、こんにちは」
基樹君が軽く頭を下げると、
「聖も桃子ちゃんも、今、お店空いてるし、蘭ちゃんと基樹君とゆっくりしたら?」
とお母さんは私と聖君に言った。
「うん。じゃ、悪いけど、そうさせてもらう。父さんにリビングあけてもらうようにお願いしてもいいかな。店よりも家の中のほうが、話やすいよね?基樹」
聖君がそう言うと、お母さんは、
「いいわよ。凪ちゃんはどうする?爽太にみててもらう?」
と聖君に聞いた。
「……。ううん。凪、起きてるよね?俺と桃子ちゃんがいるから、大丈夫だよ」
「そう」
お母さんはさっと家の中に行き、そのことをお父さんに告げ、戻ってきた。
「蘭ちゃん、基樹君。どうぞあがって。あ、何か飲む?聖、あんたみんなの飲み物持って行ってあげたら?」
「うん。そうだね」
先に私と基樹君、蘭がリビングに行った。
「やあ、いらっしゃい」
「すみません。家まであがりこんじゃって」
基樹君がそう言うと、お父さんは、
「いいよ。さ、座って、座って。俺は部屋で仕事してくるから。ゆっくりしてってね」
と言って立ち上がり、階段を上って行った。
「凪ちゃ~~ん。目、バッチリあいてる。ご機嫌なの?」
蘭が、座布団の上でおしゃぶりをしている凪に話しかけた。凪は蘭のほうを見て、にこりと笑った。
「可愛い~~。ね?基樹、凪ちゃん、可愛いね」
「ああ、うん」
基樹君は子供が苦手?凪のほうを見ても、ちょっと体が引いている。
「桃子、凪ちゃん抱っこしてもいいかな」
「いいよ」
蘭は凪を抱っこして、膝の上に乗せた。
「どんどん表情豊かになって、可愛くなるよね~~」
「蘭ちゃんも、子供好きなの?」
聖君がジュースの入ったグラスをテーブルに置き、それから蘭に聞いた。
「うん。けっこう好き…」
と蘭はそう言って聖君を見て、
「聖君、凪ちゃんのこと可愛くないの?」
とそう聞いた。
「え?!可愛いけど?」
聖君がびっくりして、逆に目を丸くした。
「はい。凪ちゃん、パパでちゅよ」
蘭は多分わざとだろう。凪を聖君の膝の上に乗せた。聖君はすぐに凪を受け取り、抱っこした。
「あ~~~~。う~~~~」
凪は嬉しそうに聖君に話しかけ、聖君の顔に手を伸ばした。聖君は目を細め、凪のほうに顔を寄せると、凪は聖君のほっぺをぺちぺちして、キャハッと笑った。
「凪、パパの顔たたくの好きだね。いい音でもするの?」
聖君がそう聞いた。すると横で、蘭と基樹君がびっくりしていた。
「聖、凪ちゃんのことは覚えてるのか?!」
基樹君がそう聞いた。
「え?いいや。覚えてないけど」
「でも、今、自分のことパパって言った」
今度は蘭がそう言った。
「あ、うん。だって、パパだし。他の呼び方、ないし…」
「………」
基樹君と蘭は顔を見合わせてから、今度は私のほうを同時に見た。そしてまた、基樹君は聖君の顔を見て、
「桃子ちゃんのことは、なんて呼んでるの?」
と聞いた。
「桃子ちゃんは、桃子ちゃん」
聖君は、凪に指をしゃぶられながら、そう答えた。凪はさっきから、聖君の指を舐めたり、聖君の顔を叩いたり、あ~う~としゃべったり、好き放題している。
ずるいぞ、凪。聖君を独り占めにして、好き放題しているなんて。
「いて。いてて。凪、髪はひっぱらないで」
あ~~あ。とうとう、聖君の髪までひっぱりだしちゃった。
「凪ちゃん、すっかり聖になついてるね」
「そりゃそうだろ。凪にしてみたら、俺が記憶喪失になったかどうかなんて、関係ないわけだし。凪から見たら、前の俺も今の俺も、変わらず、パパだよ」
「なるほどね。まあ、凪ちゃんからしてみたらね。でも、桃子はそうはいかないわよね」
蘭が怖い顔で、聖君を睨みつけながらそう言った。
「蘭」
また基樹君が、蘭に目配せをした。
「蘭ちゃん、怒ってるんだよね?俺が桃子ちゃんの記憶なくしたから」
「……」
蘭は黙り込んで、私を見た。そしてまた、聖君を見ると、
「桃子のことを思ったら、なんだか腹が立って」
とそう言った。
「…うん。葉一が昼に来たんだ」
「え?葉一も来たのか?」
「勉強教えてもらうようお願いしたんだ。断られたけど。基樹に教えてもらえって」
「無理無理。俺と聖、出来が違うんだからさ。俺が教えられるわけないじゃん」
「……ま、いいや。それはまた考えるから」
聖君はあっさりとそう言った。
「いいのかよ」
基樹君はぼそっとそうつっこみを入れたけど、聖君はそれに対しては何も言わず、
「葉一は、葉一の彼女…、菜摘ちゃんだっけ?まだ、俺が記憶をなくしたこと言ってないらしい」
と基樹君のほうを向いてそう言った。
「菜摘ちゃんのことも、お前、忘れちゃったのか…」
「うん。きっと知ったら、俺のこと殴りに来るって言われた」
「ああ、そうかもなあ」
基樹君がぽつりとそう言うと、
「蘭ちゃんにも殴られるかもって、言われたから、俺、覚悟してるんだけど」
と聖君は蘭のほうを見てそう言った。
「殴らないわよ。殴るんだったら、桃子がもう殴ってるんじゃない?」
「私?私、殴ったりしないよ」
もう~~。みんなして、なんでそんなことを言うんだ。
「桃子ちゃん、葉一も言ってたけど、何?怒ると殴っちゃうの?」
聖君が今度は私にそう聞いてきた。
「な、殴らないよ」
「桐太にだけよね。それも、聖君のことで頭に来て、ブチ切れたんだよね」
「…。俺のこと?」
「桐太が、聖君を苦しめるっていうか、侮辱したっていうか。それで、桃子、ブチッて切れて、聖君を苦しめるなんて、許さない~~~!みたいになってバキって。桐太の歯まで折れたんだよね」
蘭がばらしてしまった。あ~~~、聖君が、引いちゃうよ。ドン引きしちゃう。
「まじで?まじで桃子ちゃんが殴ったの?でも、なんだか、桐太と仲良くなってなかった?」
聖君が聞いてきた。
「あれから桐太は、桃子のことを見なおして、すっかり桃子になついちゃったんだよ」
蘭がそう言うと、聖君は、納得のいかないって言う顔をして、
「ふ~~ん」
と相槌を打った。
「それだけ、桃子ちゃんは、お前に惚れてたってことだ。自分のことだとそうでもないんだけど、お前のこととなると、めっぽう強くなるから」
「あ!そうか」
基樹君の言葉で、蘭は何かを閃いたらしい。
「じゃ、今もそんなに傷ついていないのか。あれ?それとも、聖君のことで、なんとかしようと桃子、頑張っていたりする?」
蘭がそう聞いてきた。
「え?どういうこと?」
聖君は蘭に聞いた。
「だから、自分のことよりも聖君のことで、桃子はいつでも一生懸命になっちゃうの。だから、自分が忘れられたことよりも、聖君のために何ができるだろうかとか考えて、悩んでたり、頑張っていたりしてるのかなって思って」
蘭がそう聖君に言うと、聖君は目を丸くして黙って私のことを見た。
「そうだよなあ。桃子ちゃんってほんと、健気だもんなあ。いつだって、聖のために一生懸命でさ」
「………」
聖君はちらっと基樹君を見て、また私を見た。そして私としばらく見つめ合うと、顔を赤くして、ぱっと凪のほうに視線を移した。
「う、そうか。そうなんだ」
聖君は微かにそう言うと、口元を緩め、下を向いたまま耳まで赤くなって黙り込んだ。
「聖、にやけてんの?お前」
「うっさい」
「お前、桃子ちゃんにそれだけ思われて、嬉しいの?」
「うっさい、基樹」
「なんだよ。聖、桃子ちゃんには惚れてるわけ?今も」
「うっさいってば!いいだろ、惚れてても。ちゃんともう結婚もしてて、俺の奥さんなんだろ?その奥さんに惚れていようが、めろめろだろうが、いいじゃん。ほっとけよ」
「………。めろめろなんだ。なんだよ。蘭、心配しなくてもいいみたいだぞ?」
基樹君はにやって笑って聖君の肘をつつき、それから蘭のほうを見た。
「それ、本当なの?聖君」
蘭は疑いの目で聖君を見た。でも、聖君が真っ赤になって照れているのを見て、
「まじみたいだね」
とそうつぶやき、ふうってため息を吐いた。
「なんだ。桃子と聖君が、すんごく気まずい状態になっているのかと思って、心配したけど、全然大丈夫そうじゃん。ね?桃子」
「……うん」
私は小さくうなづいた。
「そうだよなあ。あんだけ、桃子ちゃんに惚れてたんだもんなあ。そりゃ、記憶なくしちゃっても、また惚れちゃうよなあ」
基樹君がそう言って、また聖君の肘を突っついた。
「うっせ~~って、基樹。それ以上言ったら、もう口もきいてやらないからな」
「なんだよ、それ…。あはは!そっか。今のお前って、16歳だもんな。16の頃のお前って、まだまだシャイだもんね?」
「うっさい!」
聖君はもっと赤くなった。
「桃子ちゃんと付き合いだした頃、お前をからかうと、そんなだったもんなあ。あの頃、からかい甲斐があったもんな。またその頃に戻ったみたいだ」
基樹君はそう言ってから、わははって笑うと、
「だんだんとお前、ずうずうしくなって、結婚してからは、桃子ちゃんとのことをのろけまくるばかりで、うざかったけど、今のお前はまた、シャイでうぶな青少年に戻っちゃったわけね?」
「なんだよ、その青少年って」
「だって、16って言ったらお前、まだ童貞…」
「基樹!何を言ってるの!もう~~。信じられないよ。桃子の前で」
蘭が基樹君にそう言って怒った。
「え?あ、ごめん。って、なんで俺、怒られてんの?いいじゃん。ね?聖」
ボカッ!
「いてえ!」
聖君は、基樹君の頭をグーでこついた。かなり痛かったらしく、基樹君はしばらく頭を押さえて痛がっている。
「そ、そういうこと、言うなよな」
聖君は赤くなるって言うより、真面目な顔をして基樹君を睨んだ。
「…わりい。ちょっとおふざけが過ぎた」
「そうだよ。もう、デリカシーのかけらもないんだから。基樹のアホ」
蘭もそう言って、基樹君を睨みつけた。
聖君は、さっきまで照れて赤くなっていたのに、一気に顔が青ざめた。そして、あ~う~とおしゃべりをしている凪に対しても、顔を暗くして黙り込み、しばらく沈み込んでしまった。
ああ、なんだかまた、悩みこんでいる。聖君。一人で悩んだり、落ち込んだりしないでいいからね。
私はそんな聖君を見ながら、心の中でそう言っていた。