第76話 新たな不安
聖君は、目をまん丸くさせている私を見て、
「好きだけど、なんつうか…。どう表現していいか、よくわからなかったっていうか」
と、照れくさそうにそう言った。
「………え?」
「言ったよね?可愛いって。桃子ちゃん、可愛いんだ。隣りにいるとかなり緊張するけど、でも、今も安心って言うか、ふわってあったかい気持ちにもなれる」
「……」
「だけど、手が触れただけで、俺、かなりびびってる」
「び、びびるって?」
「…だから、その…」
聖君はまた視線を外し、下を向き、
「ドキってして、顔とか赤くなったり…。ちょっと冷静でいられなくなるって言うか…」
と話を続けた。
え?え?え?
じゃ、手が触れると、パッと手をひっこめたのは、やっぱり恥ずかしくてだったの?
「あ~~~~。このさいだから、言うけど」
「う、うん」
「ほんとは…、こうやって、隣にいるのがかなり嬉しい」
え?!
「っていうか、できたらこうやって、すぐそばにいたいっていうか」
え?え?
「ドキドキするんだけど、嬉しくって。でも、今のままの俺じゃ、がっかりさせちゃうような気もして」
「が、がっかりって?」
「結婚して、旦那になった俺とは、全然違うよね?3年間の間にできた絆っていうのもないし、それに、何より、俺、君を守っていくだけの度量とか、受け止めるだけの器とか、備わってないと思うんだ」
「……」
「そんなこと気にしても仕方ないと思ったけど、だけど、父さんも、今の俺でいいって言いながら、やっぱり19の俺と比べてたし。16の俺のことは、ガキだって思ってると思うし…」
あ、昨日のこと気にしてたんだ。
「桃子ちゃんも、16の今の俺に、がっかりしないかなって、そう思ったら…、なんか、もっと緊張って言うか、いろいろと気にしちゃって…」
「……聖君が言ってたみたいに、16の聖君でいいよ?」
「……」
私がそう言っても聖君の顔は曇っていた。
「あ、あのね。私、本当に聖君に、惚れすぎって言われてたの」
「う、うん」
聖君は、ちょっと照れた顔をしたけど、また暗い顔つきに戻った。
「多分…、ううん。絶対、確信してる」
「…何を?」
「今、目の前の聖君にも、私、惚れちゃう」
「……えっ?」
聖君は一瞬目を丸くしたと思ったら、そのあと真っ赤になった。
「私、本当にどんな聖君も大好きなの」
「………」
聖君は耳まで真っ赤になった。
「だ、だから…。私ががっかりしちゃうとか、そんなこと心配しなくてもいい。それよりも、覚悟がいるかもしれないくらい」
「覚悟って、なんの?」
「…私、きっと聖君を大好きになるから。その覚悟…」
「………」
聖君はまた、目を丸くした。
「あ、あ、引いた?」
私は慌ててそう聖君に聞いた。
「………」
聖君は、真っ赤になったまま固まっていて、それから数秒後に、
「も、桃子ちゃんって」
と、ようやく口を開いた。
「え?」
「すげ、前向き」
「私が?」
「うん。それに、なんだか」
なんだか、何?
「おっきい器してるんだね」
「う、ううん。私なんて小さいよ」
「……。いや、でかいって。それに強いし…」
そんなことないよ。う~~。でも、前もよく、桃子ちゃんは強いって聖君に言われてたんだった。
「は…。あはは…」
聖君は、下を向いて笑い出した。すると凪が、聖君の顔に手を伸ばし、きゃきゃって笑った。
「凪のママ、すごいね?」
すごくないってば。
「うん。俺、覚悟するよ」
「え?」
「桃子ちゃんに大好きになってもらう覚悟。でも、それ、かなり嬉しいけど…」
本当に?!
「……じゃあさ、桃子ちゃんも覚悟しておいてくれる?」
「な、なんの?」
「俺が桃子ちゃんのこと、すんごく大好きになる覚悟」
「え?!」
「なるから。っていうか、もうかなりまいってる」
「え?え?」
「やばい。俺、やばいかも」
聖君?
聖君はそのあとも、下を向いたままだった。それから、いきなり足をじたばたして、凪を抱っこしたまま立ち上がった。
「桃子ちゃん」
「え?」
「俺さ、本当に、ドキドキして緊張してるんだけど」
「うん」
「でも、俺、もっと自分に正直になってもいい?」
「???」
正直って?
「今度の水曜、デートに誘ってもいい?」
「え?」
「凪は、父さんと母さんに見てもらって。って、ダメかな」
「ううん。きっと見てくれると思う」
嘘。デート?デートしてくれるの?聖君。
「そんとき、手、とか繋いじゃってもいい?」
「う、うん。もちろん」
「……そっか。いいのか。そうだよね。俺ら、もう結婚してるんだし、手なんて繋ぐの、どうってことない…って、桃子ちゃん、顔、真っ赤。なんで?」
「う、嬉しくって」
「…泣くのをこらえてた?」
「嬉し泣きだから」
ボロ。そう言った後に涙が出てきた。
「え?えっと、何が嬉しいの?」
「デート」
「へ?」
「聖君とデートできるのが、嬉しい」
ボロボロと泣くと、聖君はそんな私を見て、
「本当だ。桃子ちゃんは、俺のことがそんなに好きなんだね」
と言って、クスッと笑った。
「…」
聖君の笑顔、胸キュンだ。爽やかな笑顔だ。
「…い、今、もしかして、俺に見惚れてたりした?」
「うん。笑顔素敵で見惚れてた」
「……」
聖君は赤くなり、一回そっぽを向いてから、また私のほうを見ると、
「俺、相当な覚悟が必要?」
と聞いてきた。
「うん」
うなずくと、聖君はまた照れくさそうに笑った。
その日の昼前、聖君はお店で手伝いをしていた。お母さんにはいいわよと言われていたが、葉君が来ると思うからと言って、お店にいた。
バイトに入っているのは、紗枝さんだ。
「聖君、なんだか最初の頃に戻っちゃったみたい」
私がキッチンでスコーンを焼いていると、そう紗枝さんが言ってきた。
「最初って?」
「あんまり話してくれなかったころ」
ああ、そうだった。聖君、紗枝さんのこと苦手だったんだっけ。
「桃子ちゃんには?」
「え?」
「あんまりお店で話しているところを見かけないけど…。まさか、桃子ちゃんにも話しかけてくれないの?」
「ううん。そんなことないよ」
そう私が言うと、紗枝さんは、
「そっか。良かったね」
と言って、私にはいつ、心開いてくれるのかな…と寂しそうにつぶやいていた。
12時をちょっと回った頃、葉君がお店に来た。葉君はカウンターに座ると、聖君に「今日のランチ」とオーダーした。
「聖、葉一君の隣でお昼に入っていいわよ」
「え?でも…」
「ホールは紗枝ちゃんがいるし、キッチンは桃子ちゃんが手伝ってくれてるから大丈夫」
お母さんがそう言うと、聖君は、ごめんって紗枝さんと私にそう言って、葉君の隣に座った。
凪は、リビングでクロとお父さんが見ていてくれている。私は、キッチンでの手伝いをしながら、聖君と葉君の話に耳を傾けた。
「本当に3年分の記憶がないの?桃子ちゃんと出会う前までしかないわけ?」
葉君がそう聞くと、聖君は、
「うん」
とうなずいた。
ホールのテーブル席は埋まっていた。常連さんが一組来ていたが、すでに聖君の記憶喪失のことは、聞いて知っているようだった。
あと3組のお客さんは、初めて見るお客さんだ。もう、50代くらいのおば様たちで、自分たちの話に夢中になっていて、聖君の話は聞いていないようだった。
聖君と葉君は、カウンターの一番奥に座っていて、そこはキッチンからも距離が近く、話声はしっかりと聞こえて来ていた。
「桃子ちゃんとはどうなの?気まずくなってるの?」
葉君が聞くと、聖君はまた、
「ううん」
と一言だけ、返していた。
「…それよりさ、葉一、勉強教えてくれよ。高校2年と3年の」
「無理だよ。もう忘れた。それだったら受験した基樹に頼めよ」
「基樹?メールで聞いたら、大学に行ってから遊びほうけてるし、勉強なんて教えられないって言われたよ。あいつ、大学で何やってるんだ?」
「蘭ちゃんとデートしまくってるんじゃないの?」
「蘭ちゃん…。ああ、一回別れたっていう?」
「基樹に聞いた?」
「いや、桃子ちゃんに昨日写真見ながら、いろいろと聞いた。あ、お前の彼女も見たよ。菜摘ちゃんだっけ?」
「うん」
「可愛いじゃん。でも、お前の好みとちょっと違う気もしたけど」
「そうだな。どっちかっていったら、聖の好みだもんな」
「俺?」
「元気はつらつな女の子、好きだろ?」
「好きって言うか…。話しやすいってだけで」
「話しやすかったのは蘭ちゃんだろ?お前さあ、最初の頃、菜摘と全然話せないでいたし」
「…え?」
やばい。葉君。変なことを言いそう。
「好きな女の子の前だと、話せなくなるんだよな?どう話していいかわかんねえって、よく言ってたもんな」
「桃子ちゃんと?」
「菜摘だよ。桃子ちゃんとは、べらべらしゃべっていたし、手も平気で繋いでたし。だから俺、桃子ちゃんとは付き合ってるふりをしてて、好きでもなんでもないって思い違いして」
「付き合ってるふり…」
「そうだよ。お前さ、俺が菜摘のこと好きなのを知って、そんで、菜摘のことが好きなのにあきらめようとしたのかと、そう勘違いしたんだよ。あの時はさ」
あ~~~。言っちゃった。聖君が最初、菜摘を好きだったってことは、まだ聖君に言っていないのに。
「だけど、お前って桃子ちゃんだけは特別だったんだよな」
「……特別?」
「最初からデレデレ」
「え?俺?」
「うん。可愛くてしょうがないみたいだったし。女の子苦手なお前が、桃子ちゃんの前では全く違ってたよな」
「…で、デレデレ?俺が?」
「そうだよ。桃子ちゃんに惚れまくってたんだよ。まったく記憶にないわけ?」
「……」
「今のお前は?桃子ちゃんのこと、どう思って…」
「え?今何か言った?」
「…聞いてなかった?」
「ごめん。考え事してた」
「まったく。まあ、記憶が消えたのはお前のせいじゃないんだろうけどさ。でも、桃子ちゃんのことはちゃんと大事に考えろよ。な?」
「…わかってる。凪もいるんだし、わかってるよ」
「あ、凪ちゃんのことは、覚えて…」
「ないよ」
「…そっか~~。あんなに可愛がってたのになあ。もう、目の中に入れたって痛くない状態で」
「今も可愛いよ」
「そうなの?」
「うん。めちゃ可愛いよ」
「桃子ちゃんは?」
「……」
「前のお前なら、めちゃ可愛いって言ってるんじゃない?そこで」
「俺が?」
「………。は~~~~~」
葉君はいきなりため息をついた。
「俺、菜摘にはお前の記憶喪失のこと、言ってないんだ。だって、言ったらまじで、怒りまくってお前のことぶん殴りに来そうで」
「そんなに怖い彼女なのか?」
「桃子ちゃんをすんげえ大事に思ってるんだよ。あの3人、ほんと、仲いいんだから。あ、蘭ちゃんに知られても、お前、殴られるかも」
「……」
「桃子ちゃんには殴られなかった?」
「え?桃子ちゃんが?まさか」
「あ、そう。ま、桃子ちゃん、自分のことでは切れないか」
「え?切れる?切れたことあるの?あの桃子ちゃんが」
「そう。桐太にね…」
わ~~~!葉君、それもまだ、言ってないのに!
「桐太!お前も知ってるよな。同中だもんな。なんであいつは江の島にいて、俺の店に来たりするわけ?それも、なんで桃子ちゃんのこと呼び捨てにしたりしてるわけ?」
聖君は突然、そう大きな声で葉君に聞いた。
「………ま、いろいろとあったのさ。本人に聞けば?」
「…あいつから?顏を見るのも嫌なのに」
「そんなに毛嫌いしてたっけ?」
「仲悪くなって、あいつ転校して、それっきりだったけど?」
「そういえばそうだっけ…」
葉君はそう言うと、
「ご馳走様」
と椅子から立ちあがり、聖君にお金を渡した。
「じゃあな。勉強の件は悪いけど、俺には無理だ。他を当たってくれよ。でも、いろいろと相談には乗るからさ」
「ああ、サンキュ」
聖君はお店のドアまで葉君を送って行き、カウンターの上の食器を片づけ、キッチンに持ってきた。
「桃子ちゃん、聞いてた?聞こえてたよね」
そう言いながら、聖君はシンクに食器を入れると、
「ね。あいつの彼女って…、菜摘ちゃんだっけ?俺となんかあった?」
と聞いてきた。
ああ、ほら。聖君、気にし出したじゃないか。
でも、いつか知られちゃうことだから、言ったほうがいいの?だけど、この話をしたら、聖君はお父さんと血のつながりがないってことを知っちゃうよね。
「……」
私の隣にはお母さんがいた。私はちらっとお母さんのほうを見た。
「聖、桃子ちゃんが今度お昼を食べるから、あなたがキッチンに入ってくれる?」
「ああ、わかったよ」
お母さん、きっと今、助け船を出してくれたんだよね。
あとで、お母さんや、お父さんに相談しなきゃ。
菜摘の話を聖君にしてもいいかどうか。
聖君、どうするかな。それでなくても、今、いろんなことで気が滅入ってると思うのに、受け入れられるのかな。
大丈夫。聖君なら乗り越えられる。と思う反面、今の状態で本当に大丈夫だろうかという不安も残る。
私にできること。私に…。
今の私には、それが思いつかなかった。