第73話 思い出の写真
聖君は、食べ終わった食器を片づけに行き、また戻ってきた。
そして、しばらくリビングで、のんびりと休んでいた。
聖君は凪のことを抱っこしてあやし、しばらくすると凪が眠そうにしたので、立ち上がりゆらゆらと凪を抱っこしまま揺らして、あっという間に寝かしつけた。
ああ、こうして見ていると、いつもの聖君だ。どっからどう見ても、いつもと同じで、凪のことを寝かしつけるのがとても上手な聖君だ。
「寝たね…」
聖君はそう言うと、そっと座布団に凪を寝かせた。その上にタオルケットをかけると、そのすぐ横にクロが来て丸くなった。
「クロ、そろそろお前、凪にくっついてると暑いかもよ?」
聖君はそう言いながら、クロの頭を撫でてから、
「ふ…。ほんと、クロは凪のお守り役なんだね」
と目を細め、聖君は笑いながらそう言った。
そんな光景も、やっぱりいつもの聖君だ。
でも…。
聖君はじいっと私が見ていることに気が付くと、私のことを見て、
「え?な、なに?」
とちょっと戸惑いながら聞いてきた。
「う、ううん。寝かしつけるのが鮮やかだなって思って」
そう言うと、聖君は、
「ああ、そうだね。なんだか手馴れてたよね。やっぱり、そういうのも感覚で覚えてるみたいだ、俺…」
と頭を掻きながらそう言った。
聖君は凪やクロに対しては、前と同じように接しているのに、私にはよそよそしくなっちゃうんだな。それが寂しいな。
「お店、戻らないの?」
「客少ないからいいってさ。それに、平日の昼間はもともと、俺、出ない時間帯らしいし」
そうだった。本当だったら大学に。
「…聖君、大学、ずっと休むの?」
「どうするかな。行っても、誰も知ってる人もいないし、勉強だってついていけないだろうしな」
そうだよね。まったく見知らぬ人ばかりがいるところに行くことになるんだよね。
「…記憶が戻ることを当てにしてもしょうがないからさ…。とりあえず、今できることをしようとは思ってるんだけどね?」
「え?」
「高校の教科書や参考書、取ってあるみたいだから、そのへんの勉強していこうかと思ってるんだよね」
さすがだ。前向きなんだなあ。こういうところも、聖君なんだ。なんでも、受け入れちゃうって言うか、受け止めちゃうって言うか。
「桃子ちゃんに教えてもらおうかな。桃子ちゃん、今年の春でしょ?卒業したの」
「無理」
「え?」
「私、そんなに頭良くないもん。成績だってよくなかったし…」
「そうなの?」
「それに、私文系だから、数学とかまったくわかんないし」
「あ、そっか。選択科目が違ってるか。じゃ、基樹か葉一に頼むとするかな」
「ごめんね?」
「え?何が?」
「役に立てなくて…」
そうしんみりとすると、聖君は、
「ね。ちょっとここで待ってて。教えてほしいことがあるんだ」
と言って、階段を上って行った。
私が教えられることなんてある?あ。失敗。文系って言ったからってまさか、古文だの漢文だの、そんなのを教えてって言って来るんじゃないよね。それも、全然得意じゃないんだけど。
聖君は、手に何かを持って階段を下りてきた。
「それは?」
「写真。俺の机の引き出しに入ってた」
あ、聖君って、私の写真を机の引き出しに閉まっておいたんだっけ。
聖君は写真をテーブルに並べると、
「まず…。この辺のがもしかして、桃子ちゃんと出会ったころのかな?」
と聞いてきた。
それは、2回目に海にみんなで行った時の写真だった。
「うん。そう…。みんなで江の島に遊びに来て、聖君たちと海で遊んだの」
「…これは誰?」
聖君は、聖君の横に写っている菜摘を指差した。
「菜摘。私の友達」
「じゃ、こっちは?」
「蘭。やっぱり、友達。私たち3人は中学から仲がいいんだ」
「へえ…」
「蘭が基樹君と付き合っていて、菜摘は葉君と」
「こんときからの付き合い?みんな長いね」
「あ…。蘭と基樹君は一回別れたの。それで、よりを戻して…。葉君と菜摘は…、えっと。いつからだっけな」
「…」
聖君はじっとその写真を見て、
「俺の隣に桃子ちゃんはいないね。なんで?」
と聞いてきた。
「だ、だって、まだその頃、付き合っていないし。それどころか、会話もなかった」
「え?そうなの?じゃ、俺らいつから付き合ってるの?」
「秋…」
「そうなんだ。俺、てっきり、海の家でバイトしてた時に、桃子ちゃんに俺が惚れて、押しまくって付き合ったのかと思った。あ、そっか。秋まで桃子ちゃんがOKしてくれなかったとか?」
「ち、違う。全然違う」
「え?違うの?どこがどう違ってるの?」
「ひ、聖君は、私にこの時、興味示してなかったし」
「…そうなの?」
「私のほうが、聖君に一目ぼれしちゃったから」
そう言うと、聖君は目を丸くして私を見た。あ、あれ?変なこと言った?
「父さんも母さんも、俺が惚れまくって、結婚したって言ってたけど?」
「それも、違うの。私のほうが、いつも聖君に俺に惚れすぎって言われるくらい、好きになって…」
か~~~~。
あ、顔が勝手に火照ってしまった。なんだか、調子狂う。いつもの聖君なら、こんなこと言ったら、もう、桃子ちゅわんったらって言って、抱きしめて来たりするのに。
目の前にいる記憶をなくした聖君は、ちょっと距離を開けて私を目を丸くして見ているし。
あ、惚れすぎって言ってやばかったかな。引いたのかな。げ~~~。なんだよ、この子。ストーカー?くらいに思っちゃった?女の子苦手なのに、こんなこと言ったりしてやばかったかな。
「………」
まだ、聖君は黙っていた。そして私から視線を外し、写真をまた眺め出した。
「じゃ、俺、いつ君を好きになったの?」
聖君がそう聞いた。
「…いつって、それは」
いつかな。私が好きだってわかってから、意識し始めたって言ってたけど、でも、そのあとに、花火大会の時にはもう、桃子ちゃんを好きになってた…みたいなことを言ってたし。
「これは?みんなで浴衣着てる。花火大会?」
「うん。江の島の花火大会」
「これも、俺、桃子ちゃんの隣にいないね」
「…うん」
その時、まだ、聖君は菜摘が好きだった。
「ちょっと、今の桃子ちゃんより幼い感じがあるね。まだ高校1年?」
「うん。小学生みたいだよね」
「誰が?」
「私」
「あはは。そんなことないよ」
嘘。今、笑ったし。そう思えたんだ、聖君。
「……蘭って子は基樹の、もろタイプって感じ」
「そうなの?」
「うん。大人っぽくって、元気そうで…」
「聖君も最初、蘭と基樹君とばかり話してたよ」
「話しやすい子?」
「うん。そうかも」
「菜摘って子は?見た目体育会系…。元気よさげ」
「うん。菜摘は物怖じしないし、元気だし、明るいし」
「葉一って、そういう子がタイプだったっけ?あいつ、どっちかっていうと、真面目で清楚で、お嬢様タイプが好きだったけどな」
「菜摘、お嬢様って言ったらそうかも。一人娘で大事に育てられてて、箱入り娘って感じだから」
「なるほどね。じゃ、葉一のタイプだ」
「聖君のタイプは?」
「俺?」
菜摘だよね。元気で明るくて…。話しやすい子。
「俺は…。実は女の子があまり得意じゃなくて。って、変な意味じゃなくって。だからって男に興味があるとかじゃなくってさ」
「うん。知ってる」
「え?」
「苦手なんだよね」
「あ、そっか。知ってるよね?そりゃ、3年も付き合ってたら」
「…」
それに、奥さんだもん。知ってるよ。
「……だから、好みとかっていうのも、ないかな」
あれ?付き合った当初は、元気のいい子って言ってたけどな。
聖君はまた、写真を見だした。
「……こっちも浴衣着てる。同じ浴衣だけど、微妙に桃子ちゃんが大人っぽい」
「あ、それは私が高校2年の時」
「あ、やっぱり?この時もみんなで、花火大会に行ったの?」
「うん。行ったよ。お母さんに浴衣着せてもらったの」
「ふうん」
菜摘と2人で撮った写真と、聖君、葉君、菜摘、私で撮った写真。それに、菜摘と聖君が、仲睦ましく腕を組んで撮っている写真もあった。
「なんで、俺、この子と腕組んでんの?」
「え?えっと…」
困った。だって、兄弟だから。とは言えないよね。でも、いつかそれも知る時が来るんだよね。
「菜、菜摘と聖君、仲よくて」
「え?」
「…それで」
「なんで?なんで、俺、葉一の彼女と仲いいわけ?」
「…なんでって言われても」
「それに、桃子ちゃんとのツーショットはないけど?」
「あ、そう言えばそうだよね」
なんでだ?
「あ!わかった。私がもらっちゃって…。聖君、きっとそのあとプリントアウトしてないんだ。うちに行ったらあるよ」
「なるほどね…」
聖君はちょっと納得したように、うなづいた。それから、私とひまわりが聖君の家に泊まりに来た時の写真が出てきた。
「この、杏樹とでかい口開けて笑って写ってる子、誰?」
「ひまわり。私の妹」
「…花の名前シリーズ?他にも妹かお姉さんいる?すみれだの、あやめだのって名前だったりする?」
「2人姉妹だから…」
「なんだ」
なんでそこで、がっかりするかな。聖君、面白がったのかな。
「桃子ちゃんの妹が、うちにいるっていうのは、なんでかな?」
聖君は、榎本家でパジャマ姿でいるひまわりの写真を見てそう聞いてきた。
「私と一緒に泊まりにきたの。ひまわり、杏樹ちゃんと仲良くて…。それに、聖君のことが大好きで」
「…俺とまさか、3角関係?」
「なってないよ。大好きって言っても、お兄ちゃんって慕っていただけで…。ひまわり、かんちゃんって彼氏もいるし」
「かんちゃん?」
「聖君のことを尊敬している青年」
「何それ」
聖君はそう言った後に、あははって笑った。
「俺、もしかして、桃子ちゃんの家族と仲いい?」
「うん。お母さんもお父さんも、聖君が大好き。あ、おじいちゃんも」
「へえ。そうなんだ」
聖君はしばらく、大口を開けて笑っているひまわりの写真を見ていた。
「明るそうな子だね」
「うん。杏樹ちゃんに似てるって、聖君、よく言ってた」
「ああ、なんとなく納得。じゃ、俺、可愛がってたとか?」
「うん」
「ふうん…。会ってみたいな」
聖君はボソッとそう言ってから、次の写真を見た。
「あ、それは駄目」
「なんで?」
「私、変な顔で笑ってるから」
「え?なんで?可愛いじゃん」
「駄目」
私がその写真を取ろうとすると、聖君はパッとその写真を手に取り、私に届かないように、わざと後ろを向いてしまった。
「駄目!可愛くない。アホ面してるもの」
「え~~?可愛く笑ってるじゃん」
それ、前にも言ってた~~。
「ほんと、それはいいから。もう返して」
「嫌だよ」
「聖君!」
私が聖君の手にある写真を取ろうと、聖君の腕を掴み、写真を取ろうとすると、
「うわ」
と聖君が体勢を崩し、一緒に倒れこんでしまった。そして、私は聖君の胸にすっかり抱きついてしまう形になった。
ふわ。いつもの、聖君の匂い。それに、あったかい…。
ほんの一瞬、聖君の胸にしがみついた。でも、
「も、桃子ちゃん!ちょ、離れて」
と聖君に言われ、しぶしぶ聖君から離れ、座り直した。
聖君の手から写真は奪い取った。これはもう、私が持っていようかなあ。なんて思いながら、あまりにも静かな聖君が不思議になり聖君を見ると、聖君は耳まで真っ赤になっていた。
あれ?なんで?
「だ…」
だ?
「こっちは見ないで」
「え?」
「だから…」
聖君は、めちゃくちゃ恥ずかしそうな顔をして、ぱっと顔をそむけ、
「び、びびった」
と一言つぶやいた。そしてまた、しばらく黙り込んでしまった。
もしかして、私が聖君に抱きついたから、照れてるの?恥ずかしがってるの?
嘘。
聖君はそのあとも、私の方はまったく見ようともせず、明後日のほうを向いて、黙り込んでいた。
まだ、耳が赤い。まだ、照れてる?
聖君はようやく、視線を写真に戻すと、また写真を見だした。
「この俺、何してんの?」
「文化祭で歌ってた…。そのあとに一緒に撮った写真だ」
「この髪、何?」
ああ、ところどころメッシュを入れて、ディップで固めたんだっけ。
「かっこよかったよ。聖君、高校ですんごいモテるよね?」
「モテないよ」
またまた~~。知ってるんだからね。すんごいモテてるの。
「彼女もできなくて、それで、海の家でバイトしようって基樹と言ってたんだ」
「女の子、苦手なのに」
「だ、だから。そういうのも克服…。いや、高校2年にもなって彼女もいないって寂しいでしょ?なんかさ」
克服したかったの?
「でも、ちゃんとできたみたいだし」
「え?」
「…出会って、結婚までしたみたいだし」
あ、私のことか。だけど、最初に好きになったのは、菜摘のことだったんだよ?
菜摘の写真を見て、どう思ったかな。もし、今菜摘に会ったら、惹かれちゃったりしないかな。
会う前に、血のつながった妹だって言っておいた方がいいのかな。
まだ、お父さんと血のつながりがないことも知らない聖君。知ったらどうなっちゃうのかな。
そんなことがいきなり、気になりだしてしまった。