表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/134

第69話 記憶喪失?

「ひ、聖?」

 お父さんが聖君の肩をぽんとたたいた。

「病院、行こう。頭、診てもらおう」

「だから。おおげさなんだよ」


「おおげさじゃない。かなり、大変なことになってるぞ」

「大変って?」

「お前は、高校2年じゃないんだ」

「……は?」


 聖君は眉間にしわを寄せた。

「今年の4月から、大学2年生になったんだよ」

「俺が?何言ってるんだよ」

「それにね、聖」

 今度はお母さんが、真面目な顔をして聖君の真ん前に立ち、

「この子は、桃子ちゃん。赤ちゃんは凪ちゃん。あなたの奥さんと娘なのよ?」

と、ゆっくりと説明した。


「……」

 聖君は一瞬目を丸くして、

「あ、あはははは!なんだよ、みんなして。今日、もしかしてエイプリルフール?でも、6月だよな?それか、なに?ドッキリとか?」

とわざとらしく笑って、2人に聞き返した。


「ううん。違うの。あなた、階段落っこちて、きっと打ち所が悪かったのね。3年分の記憶、忘れちゃったのよ」

「3年…分?」

 うそ。うそ。嘘だ。聖君が私たちをだましてるんだよね?なんちゃってって、そう言って、舌でもべろって出して、またでへへって笑ってくれるんだよね?


「俺、なに?記憶喪失にでもなったっていうの?」

「そ、そうみたいだな。聖」

「冗談だろ?そりゃちょっと母さん、皺が昨日より増えた気もするけど、でも、そんなもんだったような気もするし」


「皺?」

「父さんは…。変わってないじゃん。あ、髪型、替えた?」

「自分の顔を鏡で見てきたら?」

 お母さんにそう言われ、聖君は洗面所に入って行った。


「桃子ちゃん、大丈夫だよ。きっと、一時の記憶喪失だ。とにかく今日、あいつを病院に連れてって、調べてもらうからね?」

 お父さんは、真っ白になって固まっている私に、優しくそう言ってくれた。

「は、はい」

 本当に?一時の記憶喪失?


 高校2年の6月以降の記憶がないの?その頃ってまだ、私、聖君に出会ってないよ。

 聖君は、まったく、私のことなんて覚えてないんだ。まったく知らない女の子なんだ!


 さっき、すごく冷たい目で私と凪を見た。ものすごく、冷たい視線で…。

 ゾク。

 寒気がした。血の気が引いた。

 聖君が私のこと、忘れちゃったよ。


 泣きそうだ。でも、必死にこらえた。凪は、ヒックヒックと涙をためて私を見ている。


「俺…、髭はえてる」

 聖君が洗面所から出てそう言った。

「それに、髪型、なんか違う」

「3年たってるんだ。今、聖は19歳だよ。髭もはえるさ」


「19~~?」

 聖君はそう言うと、また頭を押さえた。まだ、頭が痛いのかもしれない。

「ふえ…。ふえ…」

 凪がまた泣き出した。聖君が眉間にしわを寄せ、凪を見たので、私は慌てて凪を連れ2階に上がった。


 ドクン。ドクン。

「な、凪。どうしよう。パパがママのことも、凪のことも忘れちゃったよ」

 和室の布団に座り、凪におっぱいをあげながら、そう言った。

 ポト…。凪の顔に私の涙が落ちた。


「ごめん、凪」

 私は、涙を拭いて、泣くのをこらえた。

 私が泣いたら、凪が不安がるかもしれない。


 でも、信じられないよ。だって、さっきまで聖君は私の横で、幸せだって言って笑ってたんだよ?

 聖君の腕の中で目覚め、聖君の笑顔を見て、聖君に優しい言葉をかけてもらって、私も幸せだって、そう凪にも言って…。


 世界が一変した。

 聖君の記憶の中から、私は消えてしまった。

 ど、どうしたらいいの?!


 泣きそう。でも、必死にこらえた。

 凪のオムツも替えてあげて、凪と一緒に一階に行った。聖君は、着替えを済ませ、お店のカウンターに座って朝食を食べていた。


 その横で新聞を読みながらも、聖君を気遣っているお父さんがいた。

「頭、まだ痛むのか」

「うん。ズキズキする」

「そうか」


「…俺、本当に3年分の記憶、なくしてるの?」

「ああ」

「…店の雰囲気も違うもんな。あ、じゃあ今は、誰が店のバイトに来てるの?」

「絵梨ちゃん。覚えてるか?お前が5~6歳の頃、引っ越して行った…」


「近所に住んでた子?」

「ああ、覚えてるんだ」

「うん。なんとなくね。へえ、こっちに戻ってきたんだ」

「そうだよ。それで6月に入ってから、この店のバイトしてもらってる」

「ふうん」


 聖君は、朝食を食べ終え、コーヒーを飲みながら、相槌を打った。

「他は?」

「夜はやすくんっていって、高校2年の男の子が入ってる。平日の昼間は、紗枝ちゃん。夜や、休日には、桜ちゃんが来ることもある」


「え?桜さん、まだバイトしてくれてるんだ」

「ああ、そっか。3年前って言ったら、桜さんがよくバイトに入ってくれてたんだっけね?」

「うん。そっか。知ってる人もいるんだ」

 聖君は、ほっとした顔をした。


「桜さんのお母さんも、夜、キッチンを手伝ってくれてるよ」

「あ、そうなんだ。そっか~~」

 聖君の顔は、もっとほっとしていった。


「お前、女の人苦手だもんなあ。紗枝ちゃんも、絵梨ちゃんも、ちょっと話しづらいかもしれないね」

「…どんな子たち?」

「紗枝ちゃんは、おとなしい感じかな」

「あ、ダメかも」


「絵梨ちゃんは、良くしゃべる子だね。ちょっと変わってるけど」

「ふうん。しゃべってくれる分には助かるかな。桜さんも向こうからべらべら話してくれるから、楽だし」

「…おとなしい子は駄目なんだっけ?お前」

「うん。何話していいかわかんないし」


「…そっかあ」

 お父さんはそう言うと、コーヒーをゴクンと飲んだ。

 私は、お母さんが用意してくれた朝ごはんを、テーブル席について食べだした。その間は、お母さんが凪を抱っこして、私の前の椅子に座り、凪をあやしてくれた。


「凪ちゃん。お腹いっぱいになって、機嫌治った?」

「うきゃ」

 ああ、凪はすっかりご機嫌だ。パパの記憶喪失のことなんて、気になってないんだね。って、当たり前か。


「俺が結婚して、子供がいるっていうのはさ、まじな話なわけ?」

 聖君の声が聞こえてきた。ちょっと声を潜めているようだけど、丸聞こえだ。

「桃子ちゃん?そうだよ。凪ちゃんが生まれたのは、今年の3月。桃子ちゃんとはもう、去年の夏に籍を入れてるよ」


「…いつ、出会ってるわけ?」

「高校2年の夏。お前、海の家でバイトするんだよ」

「あ、そうなんだ。基樹とバイトしようって言って、探してたんだ。やっぱりすることになってるんだ。って、なんかおかしな気分だ。俺だけタイムスリップして、未来に飛んできた気分…」


「そうか。お前の中ではお前、まだ高校2年なんだもんなあ」

「…俺さ、大学2年だろ?なんで、沖縄にいないの?」

「……ん~~。まあ、いろいろとね」

「もしかして、子供ができたから?」


 聖君はまた、声を潜めた。だけどやっぱり、お店が静かだから聞こえてきてしまう。

「違うよ。もっと前に、沖縄行きはやめてるよ」

「…なんで?」

「店も大変だったしね。まあ、お前もいろいろと考えたってことだよ」


「店?この店?」

「客、ぐっと増えちゃったんだよ。母さん一人でやっていくには、大変だったんだ。高校2年のお前は、毎日夜手伝ってたけど、3年になって受験勉強するんで、手伝えなくなって。母さん一人でやっていくのも、大変になったんだよ」


 お父さんは私のことではなく、お店のことやお母さんの話を持ち出した。

「それで?店手伝うために、こっちに残ったの?」

「まあ、いろいろとね」

 お父さんはそう言うと、聖君ににっこりと微えみ、またコーヒーを飲んだ。


「…俺、ずいぶんと親孝行な息子になっちゃったんだね」

「あはは!そうだね。高校2年の頃からお前、いろいろとあったから。一気に成長したんじゃないの?」

「いろいろと?」

「そう。いろいろと」

 お父さんはそう言ってから、真面目な顔をした。


 そうか。まだ、お父さんと血がつながっていないことも知らないんだ。そんな記憶も、消えてるんだよね。


 ドキ…。記憶、戻るのかな。もし、戻らなかったら、どうなるんだろう。

 聖君は、高校2年から、また人生をやり直すの?

 私との結婚は?凪は?どうなるの?


「さてと。もうそろそろ出るか。きっと受け付けはしてるだろうし、あんまりのんびりとしていると、総合病院って言うのは混むからなあ」

 お父さんはそう言うと、カウンターの椅子から立ち上がり、

「車、店の前に移動させてくるからな」

と聖君に言って、お店から家のほうに上がっていった。


「聖…」

「え?」

「なんでもないわ」

 お母さんは何かを言いたかったらしいが、そう言って、また凪をあやしだした。


「うっきゃ~~」

「凪ちゃん、ご機嫌ね?」

 聖君はお母さんのほうに来た。そして凪の顔を覗きこんだ。

「きゃ!」

 凪は聖君を見て、手を伸ばした。


「可愛いね」

「もちろん。あなたの子だもの。可愛いのは当たり前よ」

「…そう言われてもなあ。いきなり、子供ですって言われても、俺さ…」

 聖君はいきなり、戸惑った顔を見せた。


「…まあ、そうよね」

 お母さんはそう言うと、ちょっと顔を曇らせたが、私の顔を見て、またすぐに明るい顔に戻った。もしかして、私に相当気を使っているかもしれない。


「抱っこしてもいい?」

 聖君がお母さんに聞いた。

「いいわよ。聞かなくたって抱っこしたら?あなたの子なんだから」

「…凪ちゃんだっけ?」

「凪って呼んでたわよ。な~~ぎって。そりゃもう、目の中に入れても痛くないくらい、可愛がっていたのよ?」


 聖君は凪を抱っこした。凪は聖君の顔に手を伸ばし、

「あ~~~」

と話しかけた。

「あ…」

 聖君は一瞬、動きを止めた。でも、すぐに凪のことを揺らしながら、辺りを歩き回りだした。


「あ~~う~~」

「クス。話しかけてるの?可愛いなあ」

 聖君、凪のこと、可愛いんだ!

「ワン!」

 クロが嬉しそうに尻尾を振り、聖君のあとをついて回った。


「この犬、名前なんて言うの?」

「クロよ。まだ赤ちゃんの頃、もらってきたのよ」

「やっぱりクロかあ。我が家はずっと犬の名前はクロなんだね」

 クロはもっと嬉しそうに尻尾を振った。


「可愛いな。こいつ。人懐っこいね」

「あなたが可愛がっていたからよ」

「そっか。それでか…。クス。なんか、似てるね、お前」

 聖君はそう言うと、凪を抱っこしたまま、クロの前にしゃがみこんだ。


 クロは聖君の顔をベロベロと舐めた。

「あはは。くすぐったいよ」

 聖君が笑うと、凪はうきゃって喜んだ。

「あ、今、喜んだ」


「パパが笑ったからでしょ?」

「わかるの?もう」

「わかるわよ。ねえ?凪ちゃん」

 お母さんは聖君の横に立ち、凪の顔を覗きこんでそう言った。


「母さん、もう、ばあちゃんなんだ」

「いやあね。くるみママって呼ばせるわよ。絶対にばあちゃんなんて、呼ばせないわ」

「なんだよ、それ」

 聖君はまた、笑った。


「ワン」

 クロが吠えると、凪はクロに手を伸ばした。クロはその手をベロンと舐めた。

「クロと凪って仲いいの?」

「いいわよ。クロは凪ちゃんのお守役だもの」

「へえ、そうなんだ。えらいんだね、クロ」

 聖君は片手で凪を抱き、もう片方の手でクロの頭を撫でた。


「ワン」

 クロは嬉しそうにまた吠えた。

「やっぱり、似てる」

「誰に?」

 お母さんが、聖君の隣にしゃがみ込んで聞いた。


「……あの子」

「あの子って?桃子ちゃん?」

「うん。似てない?クロに」

「似てるわよ。クロが赤ちゃんの頃はもっと似てたわよ。クロじゃなくって、桃ちゃんって名前にしようかって言ってたくらい」


「………そうなんだ」

 聖君はそう言って、しばらくクロを見ていた。

 私は、クロに私が似てるって言ってくれたのは嬉しかった。

 でも、悲しかった。


「あの子」って、私のことだよね?

 桃子ちゃんとも、呼んでくれないんだ。


 お父さんが車を店の前に回してきたので、聖君はお店を出て行った。顏はげんなりしていた。病院に行くのがよっぽど嫌なんだろう。


「大丈夫よ、桃子ちゃん」

 お母さんが、外をぼ~~っと眺めている私の肩を抱き、そう言ってくれた。

「聖、きっと帰ってくるころには、思い出してるわよ」

 そうだったら、嬉しい。そうだったらいいけど…。


「さ、店の準備しちゃおうかな」

 お母さんはそう言うと、キッチンの奥へと入って行った。

 私は凪を抱っこしたまま、しばらくお店にいた。

 いったい、何をしたらいいのか。頭は真っ白だった。


 10時半。紗枝さんがお店にやってきた。

 私は凪を2階のゆりかごに乗せ、洗濯物を干したり、2階の掃除をしたりしていた。

 何かをしていないと、悪いことばかりを考えてしまうので、何も考えないようにして体をひたすら動かした。

 聖君はまだ帰ってこなかったし、お父さんからもなんの連絡もないままだった。


 掃除が済み、凪を連れて一階に下りると、紗枝さんがリビングに来て、

「桃子ちゃん、お母さんから聞いたんだけど、聖君、記憶喪失なんだって?」

と心配そうに言ってきた。

「はい。今、病院行ってて」

「そうなんだ。早く、記憶戻るといいね」


 紗枝さんはそう言って私を元気づけようとしてくれた。私はそれに答えて、必死に笑顔を作った。でも、きっと引きつっていた。

 紗枝さんはそれ以上何も話さず、お店に戻って行った。


 う。また、泣きそう。でも、凪が見てる。

 私はリビングのソファに座り、泣くのをこらえた。足元にクロが寄り添い、私の気持ちを察したのか、

「く~~ん」

とすり寄って私を慰めてくれた。


「いいね、クロ」

 クロのことはすぐに聖君、名前を呼んだし、頭も撫でてあげてた。

 それに、凪のことも。抱っこしていたし、可愛いって…。


 でも、私のことは…。

 見ようともしなかった。桃子ちゃんとも呼んでくれないし、話しかけてもくれない。

 ああ、おとなしい子は駄目だって言ってたっけ。きっと、あれ、私も入っているんだよね。

 ドスン。


 まるで、聖君に会ったころに戻ったみたいだ。

 ううん。聖君にとっては、私は初めて会ったまったく知らない子なんだ。


 どうしよう。

 このまま、聖君の記憶が戻らなかったら。私のことなんて、好きになってもらえるわけもないし。


 私、この家にいていいの?

 聖君の奥さんでいても、いいの?!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ