第4話 同室
聖君は私のベッドの横に座っていたが、いつの間にかベッドに顔を伏せて寝てしまっていた。そうだよね。聖君だって一睡もしてなかったんだもん。
すうすうって聖君の寝息を聞いていたら、私まで眠たくなり、知らない間に寝ていたようだった。
夢を見た。まだお腹の大きい私がいて、聖君と一緒に部屋で凪に日記を書いていた。
「女の子かな。男の子かな」
聖君がにやけながらそう言った。お腹の中で凪がぐにって動いた。
聖君は私のお腹に手を当てて、
「あ、今動いたね」
と喜んでいる。
突然、お腹が痛くなった。次の瞬間、私のお腹が平らになっていた。
「凪は?」
私が聖君に聞くと、聖君も不思議そうな顔をしている。
「凪は?どこ?」
ふくらみの消えたお腹。手で触っても、ぺったんこだ。
「凪?」
どこ?どこにいるの?
パチ。目が覚めた。
「?」
ここ、どこ?しばらく私は天井をぼんやりと見ていた。それからお腹に手を当てた。すると、お腹のふくらみがなくなっていた。
「え?」
凪は?!
「桃子ちゃん…」
横を向くと、聖君がもそっとベッドから顔をあげた。
「あ、俺寝てた…」
「…聖君、凪は?」
「凪?ああ、そうだね。まだ桃子ちゃん、寝てないとならないのかな。看護師さんに聞いてこようか?」
「え?」
キョロ。当たりを見まわして、ようやく病院のベッドにいることを思い出した。
「そうか。もう、お腹にいないんだ」
もう一回私はお腹を触った。まだ、凪がお腹にいるようなそんな気がしてしまう。
「寂しい?」
聖君が聞いてきた。
「うん。だって、ずっと一緒にいたから」
「ふ…。これからだって、ずっと一緒だよ。退院したら、凪の世話で大変なんだから、入院してる間くらいのんびりしたら?」
聖君はそう言うと、優しくおでこにキスをした。
「聖君、疲れてない?もう家に帰っても大丈夫だよ?」
「やだよ。これから桃子ちゃんと一緒に、凪を見に行くんだから」
聖君はそう言うと、大きく伸びをした。聖君、やっぱり疲れてるみたいだ。
「大学、春休み中で良かったな」
「うん。だから、昼間はずっと凪の世話ができるよ?」
「嬉しい?聖君」
「うん!」
あ、満面の笑顔だ。本当に嬉しそうだ。それに女の子…。聖君、きっと目の中に入れても痛くないくらい、可愛がるんだろうな。
「1時か…。桃子ちゃん、腹減らない?」
「え?もうお昼?聖君、ご飯食べてきていいよ」
「食堂ってなかったよね。俺、ちょっとその辺のコンビニで、弁当でも買ってくるね。桃子ちゃん、なんか食べたい?」
「…水飲みたい」
「うん。わかった。買ってくる」
聖君は病室を出て行った。
「凪、どうしてるかな」
お腹をさすっても、もうお腹にいない。なんか、寂しいな。今頃、寝てるかな。泣いてないかな。
トントン。
「失礼します。榎本さん、どうですか?ご気分は」
看護師さんが入ってきた。
「あ、はい。なんかまだ、ぼ~~ってしていて」
看護師さんはベッドの周りのカーテンを閉めた。
「お小水取りますね。あ、旦那さんは帰っちゃいましたか?」
「いえ、買い物に行ってます」
「そうですか」
看護師さんが用を済ませ、またカーテンを開けた。そして、病室を出ようとしたので、
「あの、赤ちゃんにはまだ会えないですか?」
と聞いてみた。
「夕方、おっぱいをあげに行きましょうね。それまで、もうちょっと休んでいてくださいね」
「はい」
がっかり。そりゃまだ、ふらついてる気もするけど、早くに会いたかったのにな。くすん。
聖君もさっきから、30分以上たっているのに、帰ってこない。もしかしてどっかで、お昼食べているのかなあ。あ、まさか病院内で、具合が悪くなっちゃったんじゃないよね?
しばらくして、ようやく聖君が戻ってきた。
「はい。水買ってきたよ。あと、ゼリーとか、ヨーグルトとか、プリンも買ってきちゃった」
「え?」
「お腹空いたら食べてね」
聖君はそう言うと、横にあった小さな冷蔵庫にそれらを入れた。
そしてお弁当を広げると、聖君はにこにこしながらいただきますと食べだした。
「遅いからどこかで食べてきたのかと思った。どっかに寄ってたの?」
「うん!新生児室」
あ、そっか。凪を見てきたのか。
「ずるい。さっき、私と見に行くって言ってたのに」
「ごめん。ど~~~しても、誘惑に負けてしまって、凪に会いに行っちゃった。あ、それと菜摘にも生まれたってメールしたから、あとで来ると思うよ。蘭ちゃんと一緒に見に行くって返事が来たから」
「…」
「あれ?怒ってる?」
「うん」
私も凪に会いたいのにっ!ずるいよ。
「ごめんね?」
聖君は謝ってから、またお弁当を食べだした。そして食べ終わると、お弁当を片づけ、
「凪、また寝てた。俺、まだ凪が目を開けてるところ、見てないんだよね」
と話し出した。
「あれ?そうなの?生まれてすぐに目を開けてなかった?」
「うん。つむってたよ。なんで?」
「私が見たときは、目を開けてたのにな」
「うそ。そうなの?」
「うん」
「…でも、抱っこはした。小さくて、柔らかくって、怖かった」
「怖い?」
「うん。壊れそうでさ」
聖君はそれから、両手で凪を抱っこしているふりをした。
「このくらいだったかなあ」
と思い出している。
「私、まだ抱っこしてない」
聖君だけずるいって思って、すねながらそう言うと、聖君は、
「すぐに抱っこするようになるよ」
と、あっさりとそう言った。でも、俺はもうだっこしちゃったもんって、そんな満足そうな顔つきをしている。
「…髪の毛薄かったよね」
凪のことを思い出しながら、私が言うと、
「うん。ほしょほしょってはえてた」
と聖君は目を細めて、嬉しそうな顔をした。
「ほしょほしょ?」
「うん。ほしょほしょって感じじゃなかった?」
うん、確かに。ほしょほしょって感じ…。
「は~~~。退院したら、沐浴させるんだよね」
聖君は遠くを見つめながらそう言った。
「お父さんにしてもらうんでしょ?」
「ううん」
聖君は首を横に振った。
「あれ?でも、お父さんに入れてもらうって、確か言ってたよね?」
「うん。そう言ったけど、やっぱり俺が入れる」
「え?」
「凪、可愛いんだもん!」
「……」
もう親ばかが…。こりゃ、先が思いやられる。やっぱり私、凪に絶対に、聖君を取られちゃうんだろうな。
「聖君…」
「ん?」
聖君がまだ、目じりを垂らしたまま、私のほうを見た。
「凪ばかりじゃなくって、私のこともかわいがってね?」
「…」
聖君はちょっと目を丸くして、
「あったりまえじゃ~~~ん。もう、桃子ちゅわんってば!」
と私に覆いかぶさり、キス攻撃をしてきた。
「だ、駄目。キス攻撃、こんなところで…」
って言ってもまだ、私の上から離れようとしない。とその時、
「失礼します」
と看護師さんが突然入ってきて、聖君はわたわたとものすごく慌てながら、立ち上がった。
「はい?!」
声まで裏返っている。だから、言ったじゃないか。こんなところで、覆いかぶさってキスなんてしてるから。
「お隣生まれたから、もうすぐ来ますよ。荷物を先に持ってきました」
「あ、そうなんですか」
聖君は、顔を赤くしてそう答えた。
「それじゃ、お隣ももうすぐ来るので、カーテン閉めましょうね」
看護師さんはそう言うと、私のベッドの周りのカーテンを閉め、
「それじゃ、ごゆっくり」
と言って、くすくす笑いながら出て行った。
「う。絶対に、見られたよね」
聖君が真っ赤になって、椅子に腰かけた。
「見られたよ。絶対」
私も真っ赤だった。
お隣も、生まれたのか。どんな人かな。初産かな?3~4日の付き合いだけど、ちょっとドキドキ。いい人ならいいな。
それから、聖君は椅子に座って、私の手を握っていろいろと話し出した。
「桃子ちゃんが分娩室に入ってる間、外ではみんなでずっと黙って、祈ってたんだよ」
そうだったの?
「おぎゃあって産声が聞こえたとき、思わずみんなで手を取り合って喜んだんだ」
「…」
そっか。嬉しいな…。
「あれ?目が真っ赤?」
「う。今、なんだか、じ~~んってきちゃった」
「あはは。でしょ?俺らみんなして、目を潤ませて喜び合ってたんだから。それに凪を見たときも、みんなして、可愛い可愛いってさ。そりゃもう、凪もみんなに抱っこされて、喜んでただろうな」
「え?」
「生まれたことを、みんなで喜んだんだから」
「そうだよね」
「桃子ちゃん。本当にお疲れ様。まじで、よく頑張ったよね?」
「聖君だって、寝ないで腰、さすってくれてありがとう」
「…そのくらいしか、俺にはできないからさ」
聖君は優しい目をしてそう言った。
「失礼します」
ドアが開いた。どうやら、お隣の人がやってきたようだ。
「さあ、筑紫さん。ベッドに横になってくださいね」
筑紫さん?
「小百合、大丈夫か?」
「小百合ちゃん?!」
私は思わず、大きな声を出していた。聖君も椅子から立ち上がり、カーテンを開けていた。
「あ。桃子ちゃん!」
「小百合ちゃん!」
隣、小百合ちゃんなんだ!!!
「知り合いですか?」
「はい。クラスメイトです」
「く、クラス?」
看護師さんがびっくりしている。
「あ、高校卒業したばかりなんです」
小百合ちゃんがベッドに寝転がりながらそう言った。
「まあ、そうだったんですか」
看護師さんは、にっこりとして、
「よかったですね。同室になって」
とそんなことを言ってくれた。
看護師さんが出て行ってから、聖君は輝樹さんに話しかけた。
「女の子ですか?それとも男の子?」
「男の子だよ。名前はまだ、決めてないんだけど」
輝樹さんがそう言うと、
「おばあさまがきっと、決めていると思う」
と、小百合ちゃんが言った。
「ご両親は?」
私が聞くと、
「うん。さっきまでいたけど、大勢で病室に来たら、同室の人に悪いからって、帰って行ったの」
と小百合ちゃんが答えた。
「うちも。みんなで来てくれてたけど、聖君だけ残ったんだ」
「輝樹さん、仕事は?」
聖君が聞いた。
「休んじゃったよ」
と輝樹さんは言ってから、
「小百合。少し寝たら?難産だったんだし、休んだ方がいいよ」
と小百合ちゃんのほうを見て、優しく言った。
「難産?」
私が聞くと、
「丸1日、かかったんだ」
と輝樹さんが答えた。
「じゃ、聖君、カーテン閉めてあげて。それから、静かにしていよう」
「うん」
聖君はカーテンを閉めた。でも、小百合ちゃんが隣から聞いてきた。
「桃子ちゃん、凪ちゃんは女の子?男の子?」
「女の子だよ」
私が答えると、
「そっか。あとで、一緒に新生児室に見に行けたらいいね」
とそれだけ言って、そのあとは小百合ちゃんも輝樹さんも黙っていた。
と思ったら、どうやら小百合ちゃんは寝てしまったようだ。静かに輝樹さんが病室を出て行ったのがわかった。
「男の子か」
聖君が声を潜めてそう言った。
「何て名前になるんだろうね?理事長が名付け親になるんだね」
「…複雑」
「え?」
「もう、凪の周りに男がやってきた」
「へ?」
「だって、きっと誕生日も一緒だし、これから一緒に遊んだりするだろ?」
「ブ…」
思わず私はふきだしてしまった。
「何?」
「聖君。そんなこと言ったら、凪、どこにも行けなくなっちゃう。公園に遊びにいったって、幼稚園にいったって、男の子はいるんだよ?」
「うん。そうだけどさ」
聖君は口をとんがらせて、すねてしまった。あ~~。こりゃ、大変な親ばかになるよね。凪もこれから大変だ。
それにしても、同室が小百合ちゃんで嬉しいな。前に同室になったらいいねなんて、そういえば言ってたっけね。
でも、難産だったって、大丈夫なのかな。隣りからはなんにも物音が聞こえてこないけど。
「聖君。小百合ちゃん、寝てるんだよね?」
私がそう聞くと、聖君は少しカーテンを開けて、隣をのぞいた。
「うん。寝てる。ぐっすり」
「輝樹さんは?」
「赤ちゃん、見に行ったんじゃない?」
「…そっか」
私はきっと、安産だね。すご~~く痛かったけど、まるまる1日かかったわけじゃないし。
聖君は椅子に座り、また私の手を握り、ベッドに顔を伏せた。
「眠いの?」
「ううん。でも、ちょこっとこうしていたい」
聖君はそう言うと、黙り込んだ。そして1分もしないうちに、すうって寝息を立てた。
やっぱり、眠たかったんじゃない。私は聖君の髪をなでた。
「おやすみ」
そっと聖君の髪にキスをして、私も目をつむった。握った手がやけにあったかくって、私は思い切り安心していた。