第65話 Wパワー
5時近くになり、お店が一気に空いた。その間にお父さんが凪をお風呂に入れ、お母さんがリビングで、凪が出てくるのを心待ちにして待っていた。
私はその間、キッチンに入った。
今までいたお客さんが、長居をしているくらいで、他にお客さんも来なければ、オーダーもない。
「聖君」
ホールのテーブルを拭いたり、ラックにある雑誌を綺麗に並べ直し終えた聖君に、絵梨さんが話しかけた。
「え?」
聖君は涼しい顔をして、絵梨さんのほうを向いた。
「聖君って、高校の時モテたでしょ?」
「……そうでもないけど」
嘘ばかり!
「共学でしょ?奥さんとは同じ高校?」
「いや。違う」
聖君ったら、思い切り言葉が少ない。
「え?じゃあ、どこで知り合ったの?」
「海」
「ナンパ?」
「いや、違う」
本当に言葉が少ない!それに、表情をまったく変えないでしゃべってる。
「すみません」
「はい!」
お客さんから呼ばれて、聖君はすごくにこやかにテーブル席に行った。
「スコーンを二つ、持ち帰りたいから用意してもらってもいいかしら?」
「はい。いつもありがとうございます」
あ、常連さんなんだ。そういえば、見たことあるかも。
聖君はキッチンのほうに来て、スコーンを出したりし始めた。
「クリームとジャム、つけるよね?」
「うん」
聖君と2人で、スコーンを持ち帰り用に用意していると、それをじいっと絵梨さんが見ていた。
う。なんだか、やりづらいなあ。
「サンキュ、桃子ちゃん」
そう言うと、聖君はそれを持って、すぐにテーブル席に戻って行った。
「お待たせしました」
「ありがとう。さ、じゃあ、会計お願いしようかしら」
お客さんはテーブルを立ち、レジに移動した。レジで聖君が会計をしていると、なぜか絵梨さんは片づけにも行かず、ぼけっと聖君を見ているだけだった。
あ、あれか。何かを妄想してるのって。そう言えば、目が、どっか行ってるよなあ。
しょうがない。私はトレイを持って、テーブル席を片づけに行った。
「ありがとうございました」
聖君はにこやかにお客さんを見送って、私のほうにやってきた。
「サンキュ。桃子ちゃん。それ、キッチンに持って行くよ」
「うん」
聖君がコーヒーカップやコップを持って行ったので、私は台拭きでテーブルを拭いてからキッチンに行った。
「あ、リビングがにぎやかになった。凪、お風呂から出てきたのかな」
そんなことを言いながら、聖君はシンクにカップを入れた。
「洗っちゃうね、それ」
「うん。お願い」
「お客さん、誰もいなくなっちゃったね。聖君、今のうちに休憩入ったら?」
「いい。母さんが来るまでは、ここにいる」
「でも、凪のこと見たいんじゃないの?」
「いい。桃子ちゃんといる」
そう言って聖君は、何気に私の近くに寄ってきた。
「……み、見てるよ」
「え?」
「絵梨さんがこっちを」
「知ってる」
聖君はまだ、私のすぐ横にいた。
「はあ」
あ、溜息ついてる。
「聖君」
あ、絵梨さんがまた、聖君を呼んだ。
「え?」
聖君はまた、絵梨さんを見た。
「この伝票、今のうちに整理しておいたほうがいい?」
「ああ、そうだね。じゃ、お願いします」
「どうやってするんだっけ?」
「………」
聖君は一瞬、思い切り眉間にしわを寄せたけど、クールな顔つきになって、絵梨さんの方に行った。
「これ、昨日も教えた気がするんだけど」
「ごめん。一回じゃ覚えられなくて」
そんなことを言って、絵梨さんは聖君のすぐそばに立った。そして聖君が説明しだすと、聖君の肘に自分の肘がくっつくくらい接近して、顔のすぐ横に顔を持って来て、うんうんと聞いている。
イラッ。なんでそんなに、接近してるの?
それも、ここに奥さんがいるっていうのに。
「じゃ、そういう手順でお願いします」
聖君はそう言うと、すすっと絵梨さんから離れた。
「ねえ、聖君。ナンパしたわけじゃないの?桃子さんのこと」
「…違うよ」
「そうよね!ナンパするような、そんな性格してないわよね。やっぱり、聖君は私が思っていたとおりの人だ」
「………」
聖君はまた、眉間にしわを寄せた。
「それ、反対」
「え?」
「だからさ、伝票は古いほう上にしてから、束ねてほしいんだけど」
「…あ、そうだったっけ?」
「………」
聖君の口が、今度は一文字になった。ちょっと、イラってしているかもしれないな、聖君。
「ねえ、聖君」
また、絵梨さんは聖君に近づいた。
「聖君って、もしかして、いろんな人と付き合ったりしてた?」
「…は?」
「実はプレイボーイだったとか、そんなことない?ナンパしなくたって、モテちゃいそうだし。それも、モデルクラスの女生と付き合ったりしてない?」
「してないけど?」
「そうなの?似合いそうなのに。で、たまたま、ちょっと違った子のことをつまみ食いしたら、その子が妊娠しちゃって、結婚することになっちゃったとか」
「だから~~~。いつも言うけどさ。なんでそう、勝手に妄想して、俺にそれを当てはめようとしてるわけ?悪いけど、俺は桃子ちゃん以外の子と、付き合ったことないから」
「え?嘘。じゃあ、初めてエッチしたのって、桃子ちゃんなの?」
「そんなこと、なんで絵梨ちゃんに教えないとならないわけ?」
聖君のこめかみが、ひくひくとしてるけど、相当今、頭に来てる?
私は頭に来るより、恥ずかしくって顔が赤くなったけど。よく、そんな質問ができるなあって。
「え?付き合った子はいないのに、エッチは他の子としたことあるの?」
「……。絵梨ちゃん」
「なに?」
「悪いけど、俺、仕事以外のプライベートな話は、ここでするつもりないから」
出た。聖君。今、相当怖いオーラ醸し出してる。高校生の頃の、クールな聖君に、一瞬にして戻ったよ?
「……」
絵梨さんは、さすがに話すのをやめたらしい。伝票を真面目に整頓しだした。とそこへ、お母さんが戻ってきた。
「聖、お客さん誰もいないのね。休憩に入っちゃっていいわよ。あ、桃子ちゃんもありがとうね。もう、あとは大丈夫だから、聖とリビングで休んで」
「凪は?寝ちゃった?」
「まだ起きてるわよ。ご機嫌だし。あ、でも、お腹空かせてるかも。白湯をごくごく飲んでいたけど、物足りなさそうだったし」
「はい。じゃ、おっぱいあげてきます」
そう言ってリビングのほうに行こうとすると、聖君はぴとっと私にくっつき、
「桃子ちゃん、一緒に行こう」
とちょっと甘えた声を出した。
あれ?つい今しがた、クールな聖君だったのに。
また視線を感じて、絵梨さんを見た。わ、じっと聖君を見てるよ。
ハッ!そういえば、俺にべったりくっついててって言われたんだっけ。それにじっと熱い視線で見ていてって。すっかり忘れて仕事に専念してたかも。
でも、べったりくっつくのに抵抗がある。なんだか、わざとらしいっていうかなんていうか。だけど、私が奥さんなんだから、聖君にべったりくっついたっていいんだよね。さっきなんて、絵梨さんのほうがべったりしていたんだし。
そうだよ。私が奥さんなんだよ?まるで、立場が逆みたいだったじゃない。
ベタッ。聖君の腕に腕を回して、私は聖君と家に上がった。
そしてそのままリビングに行くと、
「あれ?仲いいねえ。お二人さん」
とお父さんにひやかされた。
「ちょ、ひやかすなよ。父さん」
聖君は一気に照れて、パッと私から離れてしまった。
あらら…。なぜか、お父さんの前だと、シャイになるよね。聖君。
「凪~~~。お風呂気持ちよかった?」
聖君は座布団に寝ていた凪を抱っこした。でも、凪はぐずりだして、私のほうを見た。
「あ、そうか、お腹空いてたんだっけ」
「2階でおっぱいあげてくるね」
「じゃ、俺の部屋行こう。俺も休みたいし」
聖君はそう言うと、凪を抱っこしたまま2階に上がった。私もすぐ後ろをついて行った。
「凪、お腹空いてたんだね。すごくよく飲んでるよ」
聖君の部屋で、ベッドに座っておっぱいをあげていると、聖君も横に座って、凪の顔をじいっと見た。
「可愛いなあ。凪」
「癒される?」
「うん」
「なんだか、聖君、気疲れしてたもんね?」
「…絵梨ちゃん、どう思う?」
「どうって?」
「変わってない?俺、桃子ちゃんがいたらさすがに、あんなふうにべったりくっついてこないと思ったんだけど、平気でくっついてきたね」
「…あれって、今までもそうだったの?」
「うん」
ム~~。なんだか、嫌だな。
「離れても、いつの間にかくっついてんの。それに、さっきみたいな妄想を言ってきて、勝手に盛り上がってるしさ」
「…聖君、どうしてるの?いつも」
「あんまり、話に乗らないよう、最小限の返事しかしていない」
だから、言葉がやたらと短かったんだ。
「お父さんが、絵梨さんは恋に恋する少女から抜け出してないだけだから、ほっておいていいって言ってたんだけど」
「それは俺も聞いた。母さんもそう言ってた。でもさ、実際あんなにべったりされられて、あれこれ話しかけられたり、仕事中も、仕事忘れて俺のこと見られたりしてたんじゃ、俺、たまったもんじゃないんだけどな」
「だよね」
「なんなんだろう、あの人。ほんと、俺、わかんないよ。俺は、結婚もしてて、奥さんも子供もいて、絵梨ちゃんに気があるわけでもないし、なんとも思ってないのに、なんであんなにべったりしてくるわけ?」
「さ、さあ」
「桃子ちゃん。お店にいる間は、俺にべったりしてていいから」
「でも、仕事もあるし」
「はあ。そうだよね。普通はそう言うよね」
「?」
「朱実ちゃんも、紗枝ちゃんも、桜さんや、麦ちゃんも、仕事だけは真面目にやってくれてたのになあ」
「そうだよね。紗枝さんは緊張してへましたこともあったけど、聖君にべったりとか、うっとりとか、そういうのはなかったよね」
「母さんもね、ちょっと困ったわねって言ってるんだけど、なにしろ友達の娘さんだし、辞めさせるわけにはいかないみたいでさ」
「あ、そうか。そうだよね」
そうだった。絵梨さんのお母さん、聖君のお母さんと仲いいんだっけ。
凪がおっぱいを飲み終えた。聖君は凪を抱っこして、そしてなぜか、ベッドの隅に、凪を寝かせてしまった。
「桃子ちゅわん」
あ、抱きしめてきた。っていうか、え?ちょっと?
「聖君、ブラジャーもできないし、ブラウスもボタンできないよ」
胸に顔、うずめてきちゃった。
あれれ?凪の隣に私まで寝かされちゃったよ?
「桃子ちゅわん。しばらくこのままでいて」
そう言うと、私の胸に顔をうずめたまま、聖君はじっと動かなくなった。
「あ~~~う~~~~」
凪が聖君の髪をひっぱった。
「いて」
「あ~~~」
「凪、痛いでちゅ」
聖君は凪のほうを見た。
「う~~~~」
「あ、怒ってる。もしかして、ママのおっぱいは私のもんよって、怒ってるのかな」
ど、どうかな?
「食べ物の恨みは怖いのよって、言ってるのかな」
「まさか~~」
「あ~~あ~~~あ~~~」
あれ?
「凪、聖君の髪っていうか、頭撫でようとしてるよ?きっと、いい子いい子したいんだよ」
「え?そんなことこの月齢でできるの?」
「できないと思うけど…」
「あ~~~~」
どっからどう見ても、聖君の髪を掴んだり、くしゃくしゃにしてるようにしか見えないか。でも、励ましてあげたかったようにも思えたんだけどな。
「ま、いいや。凪の顔見てたら、元気になったし」
聖君は顔をあげ、凪の頬をつついたり、お腹や胸をくすぐったりした。
「きゃきゃきゃ」
凪は嬉しそうに声をあげた。
「な~~んだ。凪、パパに遊んでほしかったの?」
そんなことを言って、聖君はすっかり凪と遊びだしてしまった。
「凪。くすぐり攻撃!」
「きゃ~きゃっきゃっきゃ」
「あはは。凪の声、でかいね」
あ~~あ。すっかり絵梨さんのことなんてもう、忘れちゃってるよね。子供の、それも赤ちゃんの威力って、やっぱりすごいわ。
「聖君」
凪をあやしている聖君の背中に、べったりとくっついた。
「私がべったりするのは、いいの?」
「もちろん。なんでそんなこと聞くの?」
「じゃあ、なるべくべったりとくっついてる」
「…うん」
ビト。私は聖君の背中から腕を回し、聖君の背中にべったりとへばりついた。
「桃子ちゃん、胸当たってるけど」
「うん」
「…まだまだ、胸、でかいね」
「もう~~!聖君のスケベ親父」
「へっへ~~。どうせ、スケベ親父です」
あ、開き直ってるし。
「今日、お風呂でいちゃつこうね?」
もっとスケベになってるし!でも…。
「うん」
とうなづいてしまった。
「あ、そういえば、麦ちゃんに言われたんだったっけ」
「え?何を?」
「この前さ、東海林さんと店に来た時、麦ちゃんも絵梨ちゃんを見て、ピンと来たらしくって、早く桃子ちゃんといちゃついてるところを見せて、あきらめさせた方がいいって言ってたんだよね」
「いちゃついてるところを?」
「そう。俺と桃子ちゃん、平気でリビングでいちゃついてたって。それを目撃したりして、さすがにそんなの見ると、あきらめざるを得なくなるって」
「見られたっけ?」
「うん。キスしてるところを、麦ちゃんに見られたと思うよ」
「そっか」
「俺らがバカップルだってわかったら、きっと絵梨ちゃんも熱が冷めるんじゃないかってさ」
「え?」
「特に俺。にやけてる締まりのない顔見たら、100年の恋も冷めるから、さっさと桃子ちゃんをれいんどろっぷすに呼んだら?って言われちゃった」
「それで、べったりくっついててって、聖君言ったの?」
「違うよ。麦ちゃんに言われたことは、今の今まで思い出してもいなかったし」
「……」
「あれはただ、絵梨ちゃんがくっつく余地もないくらい、ベッタリしてて欲しかっただけだよ」
びと~~~。もっともっと、聖君にくっついた。
「桃子ちゅわん」
「ん?」
「俺も抱きしめたい」
聖君がそう言うので、私は腕を離した。そして聖君はこっちを向き、私をぎゅうって抱きしめた。
「うん。やっぱり桃子ちゃんパワーはすごいね」
「そう?」
「一気に俺、元気になれる」
「凪のパワーも大きいでしょ?」
「うん。でっかい。2人分だからWパワーだね」
聖君はそう言うと、エヘヘと嬉しそうに笑った。