第3話 生まれた!
長い夜だった。聖君と母が交代で、私のそばにいてくれた。母は廊下のベンチで、時折うたた寝をしていたようだが、聖君はいっさい寝ていないようだった。
「桃子ちゃんだって寝ていないのに、俺、寝れないよ」
聖君が切なそうな顔をしてそう言った。キュン。その切ない顔に、胸がキュンとした。のもつかの間、また痛みが襲ってくる。
「ん~~~~~~!」
思い切り、力みたくなってきた。その時看護師さんが来て、聖君を部屋から追い出し、また診察をした。
「あ、もう子宮口も開いたし、分娩室に移動しましょう」
そう言われ、
「あ、聖君に伝えないと」
と言うと、看護師さんが聖君を呼んでくれた。
「もうすぐ生まれますから、分娩室に移動します。旦那さんはどうなさいますか?立ち合い出産」
「え?あ、僕は外で待ってます」
聖君は戸惑いながらそう答え、
「じゃあ、桃子ちゃん。頑張ってね」
と私に引きつりながらそう言ってくれた。
「うん」
今、少し陣痛がおさまってるから、どうにか返事ができた。そしてすぐさま、私は分娩室に移動した。また陣痛が来たら、歩けるかどうかもわからない。
分娩台にあがった。さっきの看護師さんと、ラマーズ法を教えてくれた優しい助産婦さんがそばにきた。それから、2~3回診てもらったことがある、50代くらいの男の先生がやってきた。
「榎本さん、ラマーズ法勉強しましたよね。陣痛が来たら一緒に、ラマーズ法の呼吸、しましょうね」
すぐ横にいる優しい助産婦さんがそう言った。
「う…」
すぐに陣痛がきた。
「ふっふっふ」
助産師さんも看護師さんも、呼吸を一緒にしてくれている。
「はい、息とめて、ん~~~~って力んで!」
先生に言われた。私は思い切り力んだ。でも、そのうち力みが消えていった。
「大丈夫。次の陣痛で」
先生が優しくそう言ってくれた。ああ、この先生、いつも優しかったんだよな。この先生でよかった。
「う…」
「来ましたか?」
「はい」
ふっふっふっふ~~~。呼吸をみんなが一緒にしてくれる。それに合わせて私も、呼吸をする。
「はい、力んで!」
「ん~~~~~!!!!!!」
力んでと言われなくても、思い切り力みたくてしょうがない。
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!」
「はい、力むのやめて!力抜いて!」
先生に言われ、力むのをやめた。
ズル…。
ズル?
それからしばらくして、
「おぎゃ~~~~っ!」
という声…。
「生まれましたよ!元気な女の子。榎本さん、よく頑張りましたね」
助産師さんがそう言った。
う、生まれたんだ。
おぎゃ~~、おぎゃ~~。
ああ、泣いてる。すごく元気な泣き声だ。これ、聖君も聞いてるかな。
聖君に会いたい。
は~~~。すごい脱力感だ。
そんな中、私はずっと凪を見ていた。凪は助産師さんに産湯にいれてもらい、綺麗になってタオルに包まれ、私のもとにきた。
「お母さんですよ」
助産師さんが言った。凪の顔をのぞいた。もう泣いていなかった。色が白くて、髪がほんの少しはえている。それに、小さい。
「かわいい」
私がそうぽつりと言うと、助産師さんは、私の顔の横に凪を置き、写真を1枚撮ってくれた。
「榎本さんはもう少し、ここで横になっていてね。赤ちゃんは、今、お父さんやおばあさんにご対面してくるから」
「はい」
聖君、凪を見てどんな反応をするのかな。ああ、それ、見てみたかったな。きっとめちゃくちゃ、喜ぶよね。
早く会いたいな。いつまでここでこうしているのかな、私。
先生が分娩室から出て行った。看護師さんもいろいろと片づけをして、私は分娩台に一人残された。
体中の力が一気になくなった感じだ。だるい。だけど、達成感と言うか、ものすごい充実感がある。
生まれたら泣くかもしれないって思ったけど、やっと痛みから解放されるのと、脱力感で、そんなのなかったな。
だけど、凪の元気な産声、嬉しかった。それに、凪、すごく可愛かったな。
聖君、もう抱っこしたかな。お母さんも抱っこできたかな。あ、ひまわりとお父さん、それに聖君のご両親はどうしたのかな。
「榎本さん、車いすに座ってくださいね。これから病室に行きましょう」
看護師さんが分娩台のそばに来て、そう言った。
「はい」
分娩台からよっこらしょと降りて、看護師さんが用意してくれた車いすに座った。そして、分娩室を出ると、
「桃子ちゃん!」
と聖君が駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「うん。聖君、もう凪にあ…。あれ?」
聖君の目、真っ赤。もしかして泣いてた?
「凪、会った。抱かせてもらった。めちゃくちゃ小さくて、めちゃくちゃ可愛かった。俺、すんげえ感動しちゃって」
聖君の目、うるうるしている。
「凪の生まれたときの声も、ちゃんと聞こえた。桃子ちゃん、よく頑張ったね。助産師さんが、奥さん、すごく頑張ったんですよって言ってた」
ズズ…。聖君はそう一気に言うと、鼻をすすった。
「桃子、よく頑張ったわね」
「お姉ちゃん、凪ちゃん、可愛かった!」
「桃子ちゃん、本当によく頑張ったわね。大変だったでしょう?」
「桃子ちゃん、凪ちゃん見たよ。桃子ちゃんに似てたね」
「桃子!無事、元気に生まれてよかったな~」
母、父、ひまわり、聖君のご両親が変わりばんこに私の顔を覗き込み、そう言ってくれた。
「ありがとう」
「それじゃ、病室に行きますが、二人部屋ですし、大勢ではちょっと…」
看護師さんがそう言うと、
「ああ、そうね。じゃあ、私たちはこれで帰りましょうか。ね?爽太」
と聖君のお母さんがそう言った。
「凪ちゃんにもう一回会ってから帰りたいな」
「新生児室に行くと、見れますよ」
看護師さんがそう教えてくれた。
「じゃあ、新生児室に行ってから、帰りましょうか」
「父さん、母さん、ありがとう」
聖君がそう言うと、
「聖、お前はまだ残ってるだろう?今日は店の手伝い、俺ができるから、お前は休んでいいぞ」
と聖君のお父さんがそう言った。
「うん、サンキュー、父さん」
「桃子ちゃん、明日杏樹も連れて、また来るからね」
聖君のお母さんが私に優しくそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
私がお礼を言うと、母も父も、聖君のご両親にお礼を言った。そして二人は、2階の新生児室に向かって行った。
「じゃ、ひまわり、父さんと先に帰ろうか」
「あ、お母さんも家で休んでください」
「そうね。一回家で休んでから、また午後にでも来るわね。桃子、何か持ってきてほしいものある?」
「ううん、お父さん、お母さん、ひまわり、ありがとう」
「うん。お姉ちゃん、ゆっくり休んでね」
「じゃ、僕らももう一回、凪ちゃんに会ってから帰るか」
「うん、そうする」
ひまわりはにこにこしながら、2階への階段を上って行った。その後ろからお父さんとお母さんも続いた。
「では榎本さん、こちらのエレベーターで2階にあがりましょうね」
看護師さんがそう言って、車いすを押しだした。
「はい、すみません」
聖君が頭をさげて、そう言った。
「榎本さんの旦那さん、まだお若いのにしっかりしてるわよね」
「え?」
看護師さんの言葉に、聖君がびっくりした。
「この産婦人科でも有名なのよ、お二人は。若いのにしっかりとしたご夫婦だって」
「そ、そんなことないです。俺、あ、僕はまだまだ…」
聖君が口ごもると、看護師さんは笑って、
「これからが大変だと思うけど、頑張ってね」
と言ってくれた。
病室に行き、ベッドにまたよっこらしょと横になった。今までお腹に凪がいたから、寝るのも一苦労だった。さぞ、生まれたら楽になるだろうと思っていたが、いまだに、横になるのに苦労する。
というか、痛みなんだか、しびれなんだか、よくわかんない感覚が下半身にあり、ベッドに体を乗せるのもやっとこって感じだった。
二人部屋だったけど、隣はあいていた。
「お隣はさっき、陣痛室に入ったから、今日中には、生まれると思いますよ」
看護師さんがそう言った。
「そうなんですか」
聖君がそう答えた。私はなんだか、ぼ~~ってしてしまい、答える気にもなれないでいた。
「それじゃあ、何かあったら呼んでくださいね」
看護師さんは出て行った。
「桃子ちゃん」
聖君が私のすぐ横に来て、そっとキスをした。
「疲れた?眠っていいよ」
「寝れない」
「なんで?」
「ぼ~~ってしてるけど、興奮してるみたい」
「まだ?」
「うん…」
聖君は優しく頬をなでてくれている。
「痛かった?」
「めちゃくちゃ…」
「…桃子ちゃん、俺、やっぱり何の役にも…」
「ううん。ずっとそばにいてくれてたもん。心強かったよ」
「…桃子ちゃん」
聖君は私の手を握りしめ、顔を近づけて、
「愛してるよ」
とささやいた。
ああ、聖君だ。ほっとする。聖君の優しいオーラに包まれる。
すう…。私は知らない間に、寝ていたようだ。
目が覚めると、そこには誰もいなかった。
「…帰っちゃったのかな」
心細さがまた出てきた。早く、隣の人来ないかな。お母さんでもいい。誰か、来てくれないかな。
ああ、凪。いつ会えるのかな。
ドアが静かに開いた。
「あ、起きた?」
聖君だ。
「うん。私、寝ちゃってた」
「爆睡してたよ」
「ほんと?」
「どっか痛いとこない?」
「うん」
聖君は私の横に来て、椅子に座った。
「凪、見てきたよ」
「凪、泣いてた?」
「ううん、寝てた。すやすや気持ちよさそうに…」
「そっか。私も見たいな」
「まだ、寝てないとダメだって、さっき看護師さんが来て言ってたよ」
「そうなんだ」
聖君はまた、私の手を握ってきた。
「凪、桃子ちゃん似だね」
「そうかな」
「お母さんもお父さんも、桃子の赤ちゃんの時とうり二つって、目を細めて言ってたよ」
「そうなの?」
「色白で、髪が薄くって、ほわほわしてて…。めちゃくちゃ、可愛い」
聖君が目を細めた。
「泣いちゃったの?聖君」
「う、だって、感動しちゃって…。凪に会えたんだよ?そりゃ、嬉しいよ。桃子ちゃんは?生まれた時、泣いちゃった?」
「ううん。なんだか、脱力感でいっぱいで」
「そっか。ずっと痛さと戦って、最後の力振り絞って産んだんだもんね。そりゃそうだよね…」
「…」
聖君の目をずっと見ていた。
「ん?」
「聖君の目、優しいなって思って」
「え?」
「聖君、キスして?」
そう言うと、聖君は優しくキスをしてくれた。
「…無事生まれたね」
「うん」
「聖君と、私の子…」
「うん」
「聖君、ありがとうね」
「え?」
「ずっとそばにいてくれて、ありがとう」
「桃子ちゃんこそ、凪を無事に産んでくれて、ありがとう」
「…聖君」
私は両手をのばして、聖君の首に回し抱きついた。聖君も私の背中に両手を回し、抱きしめてくれた。
ギュ…。聖君がちょっと腕に力を入れた。
「聖君、もっとギュって抱きしめていいよ」
「ほんと?大丈夫?」
「うん。もっとギュってしてほしいよ」
ギュ~。さっきよりも力強く、聖君が抱きしめた。
「聖君」
その力強さが嬉しかった。聖君の胸に抱かれ、私はやっと、心底ほっと安心できた。