第52話 癒しの凪の笑顔
れいんどろっぷすに着いたのは、5時をもう軽く過ぎてからだった。
「ただいま~~~」
「おかえりなさい」
杏樹ちゃんが、エプロン姿でホールにいた。その横には、やすくんも。
「杏樹?部活は?」
「4時までだったんだ。だから、急いで帰ってきて手伝ってるの」
「…でも、店…」
聖君がお店をくるりと見回した。お客さんは、一人カウンターにいるだけで、他には誰もいなかった。
「あ、さっきまで、混んでたんだよ」
杏樹ちゃんが焦ってそう言った。可愛いなあ。きっとやすくんと一緒にいたかったんだろうなあ。
「よう~~。聖!桃子!」
「桐太?」
カウンターにいたのは、桐太だった。
「桃子に会いに来たのに、大学行ってたんだって?」
「うん。麦ちゃんに会ったよ」
「なんだよ。それなら、俺も行ったのに。今日、店休みなんだよね」
「そうなの?」
あ。思い出した。いまだに、聖君に好きだって言い寄ってるってこと。あとで、ちゃんと聞かなくっちゃ。
「ちょっと待ってて。話がるの。でも、一回凪のこと見てくるから」
「あ、凪ちゃん?店に連れて来てよ」
そう桐太が言うと、
「駄目」
と聖君が即座に断った。それから、聖君はにこにこ顔でリビングに上がって行った。
私もあとから続いた。
「凪~~~!」
聖君が、喜びの声をあげながら凪に近寄り、
「パパでちゅよ~~、ただいま~~」
と思いっきり顔をデレデレにして、座布団で寝っころがっている凪を抱っこした。
「きゃきゃきゃ」
「あ、なんだか、いい匂い。お風呂はいったばっかり?」
「そうよ。さっき上がったのよ」
座布団の隣にいたおばあさんがそう言った。ちょうどその時、お風呂場からおじいさんが、髪をバスタオルでふきながら現れた。
「今日もじいちゃんが凪をお風呂に入れたの?」
「そうだよ。今日もご機嫌だったな?凪ちゃん」
おじいさんがそう言って凪を覗き込むと、凪はまた、きゃきゃって笑った。
「そっか~~。俺、しばらく凪と一緒に風呂入ってないんだなあ」
聖君がぽつりとそう言った。
「な~~ぎ」
私も聖君に抱っこされている凪を見た。凪は私のほうを向いて、にこにこしている。
「か、可愛い。凪の笑顔。あ~~、癒される」
私はそう言って、思わず、凪のほっぺに頬ずりをした。
「ね?桃子ちゃんも、しばらく凪に会ってないで、凪の笑顔見ると、めろめろになっちゃうでしょ?」
「うん」
本当だ。聖君の気持ちがよくわかっちゃった。
「聖君、私も凪を抱っこしたい」
「あ、うん」
聖君が私に凪を手渡した。
「じゃ、俺は店出てくるから。あとでね、凪」
聖君は凪の頬にキスをして、さっさとリビングに置いてあった店用の服に着替え、お店に出て行った。
「凪~~~」
私はまた、凪に頬ずりをした。
「きゃきゃきゃ」
凪が喜んだ。
「桃子ちゃん、大学どうだった?」
お父さんが、テレビを止めて聞いてきた。
「はい。楽しかったです」
「大学の聖って、どんななの?」
今度はおじいさんが聞いてきた。
「えっと。どうって言われても。女の人とはあんまり話さないし、男の友達とはけっこうふざけてたし…。多分、高校の頃と変わってないんじゃないかなって思います」
「ふうん。そっか~。女の人とあまり話さないんだったら、桃子ちゃんも安心だね」
おじいさんはそう言って、バスタオルで髪をゴシゴシと拭いた。
「聖、桃子ちゃんのこと自慢しながら、歩いてなかった?」
「え?」
お父さんが突然そう言った。なんでわかったんだろう。
「今日喜んで連れて行ったもんなあ」
「そうね。桃子ちゃんと大学行くの、嬉しそうだったわね」
おじいさんとおばあさんも、そんなことを言いだした。
う…。なんて答えていいものやら。
「今度は、凪も連れて行きたいって言ってました。凪のこと、自慢したいみたいで」
「ははは。でも、連れて行かないほうがいいかもなあ。聖のデレデレ顔、みんなにばれちゃうもんなあ」
聖君のお父さんはそう言って、笑っている。
「あ、そうか。がっかりする女の人も、いるかもしれないですね…」
あれ?それって逆に好都合ってこと?
「じゃ、連れて行ったら?聖のファン減ったほうが、桃子ちゃんももっと安心するんじゃない?」
おじいさんに言い当てられた。
「え、えっと。そ、そうですね」
また返事に困ってしまった。
「あ、そうだ」
桐太のことを思いだした。
「凪、ちょっとここで待ってて。ママも店に行ってくるね」
「大丈夫よ。クロがお守りをしてくれるって」
おばあさんがそう言うと、クロは凪の横に来て、尻尾を振った。私は座布団に凪を寝かせ、
「クロ、よろしくね」
とクロの頭を撫で、お店のほうに行った。
「桐太」
それから、桐太の隣の席に座り、小声で、
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
とちょっと怖い声でそう言った。
「な、なに?」
あ、たじろいでるぞ。
「桐太って、今でも聖君に言い寄ってるの?」
キッチンにいる聖君には聞こえないくらいの小声でそう言うと、
「え?お、俺が?まさか」
と桐太は、ちょっと引きつった。
「どうなの?真相は」
もっと低い声でそう言うと、桐太は顔を引きつらせながら笑って、
「あ、あはは。言い寄るって言ってもあれだよ。じょ、冗談でだよ」
と汗を流しながら答えた。
「…」
無言で桐太のことを睨んでみた。
「な、なんだよ、いいじゃん。いくら俺が言い寄ったって、あいつはびくともしないんだからさ」
あ、開き直ったな~~。
「いいけどね」
「それよりさ、麦、なんか言ってなかった?」
「え?」
あ、そういえば、桐太が本当に聖君を好きかどうかを聞かれて、私ついばらしちゃったんだ。う…。立場逆転?
「たとえば~~」
桐太がちょっと、私の顔色をうかがいながら口ごもっている。
「な、なに?」
「麦が、桃子を好きとか、そんなようなこと」
「え?あ…」
そっちか~~。
「言われた?」
「う、うん」
「俺が聖を好きな気持ちも、なんとなくわかるって言われたんだよね」
「え?!」
何?ほんと?
「まあ、いいけどね。別にだからって、桃子にせまろうとかそんなつもりもないしって言ってたし」
「あ、当たり前だよ~~」
そんな、せまるだなんて。
え?
まさか…。
「まさか、桐太は聖君にせまりたいなんて、思ったことないよね?」
「…ん?」
あ、今、誤魔化さなかった?
「まさか、ないよね?」
もう一回念を押して聞いてみた。
「…たまにね、聖、可愛いじゃん。無邪気に笑ったりすると、このやろう、可愛いじゃねえか!ってそんな気にはなるかな」
え~~~!!
「ならない?」
「私が?」
「うん」
う…。
「私からせまったりしないもん」
「あれ?そうなの?なんで?」
「なんでって、そんなの恥ずかしいじゃん」
「いいじゃん。夫婦なんだし」
「夫婦だといいの?」
「いいんじゃないの?奥さんなんだから、旦那さんにせまったって、全然」
「…」
そうなの?そういうもの?
「聖って、大学でモテないって自分で言ってる?」
「うん」
突然、桐太が話を変えてきた。でも、聖君には聞こえないくらいの小声で。
「今日行ってみてどうだった?」
「…モテてた。っていうか、変な女の人もいたし」
「…うん。みたいだね。サークルにもいるんだって?聖を好きになった子が」
「麦さんに聞いたの?」
「うん。麦がちゃんと阻止してるって言ってたけど」
「…やっぱり、モテてるよね」
「特に高校と違って、年上の女も多いしさ。せまってくる女性もいるんじゃないの?」
いた。聖君は動じずに断っていたけど、けっこう聖君、気づかれしてるみたいだった。
「だから~~。奥さんがちゃんと捕まえておかなきゃ」
「え?どうやって?」
「たまにはせまったりして…」
ブルブル。首を横に振ると、
「桃子、じゃあ、俺がせまっちゃってもいいの?」
と桐太は顔を思い切り近づけ、そう聞いてきた。
ボコ!その時聖君がカウンターに来て、桐太の頭を思い切りこついた。
「い、いってえなあ、聖」
「なんでお前が桃子ちゃんにせまってんの?」
「せまってないよ」
「今、せまっていいかって聞いてたよな?」
「ああ。それは俺がお前にだよ」
「………」
聖君は何かを言おうとしていたのに、いきなり桐太にそんなことを言われ、口を開けたまま黙ってしまった。
「せ、せまられても…、俺、お断りだから。悪いけど」
「…ふうん。じゃあ、大学生の年上の女性だったら?」
桐太が意地悪そうな顔で聖君にそう聞いた。
「断るに決まっているだろ?そんな当たり前のこと聞くなよ」
「じゃ、桃子だったら?」
「はあ?桃子ちゃんがせまってきたとしたらってこと?」
ひえ~!何を聞きだすんだ。私は思わず桐太の腕を掴み、首をブルブルと横に振った。
「桃子ちゃんからせまられる。大歓迎なんだけどね、そんな嬉しいことそうそうないんだよね」
え?!
「ふ~~ん。大歓迎なんだ」
「当たり前のこと聞くなよ。桃子ちゃんはだって、俺の奥さんだよ?」
聖君はそう答えると、桐太が飲んで空になったカップを下げて行ってしまった。
「あれ、何気にもう帰れって言ってるよなあ」
そう桐太はつぶやくと、千円札をポケットから出して、
「釣りはいらないから」
と言って、カウンターの上に置いた。
「じゃあな、桃子。聖、喜んじゃうからせまってみたら?」
桐太は私にそう言い残し、カウンターからドアのほうに向かって歩き出した。
「あほ。何が釣りはいらないだ。100円足りない!」
「あ~~。そうだった?ほいよ」
聖君が桐太のほうに行くと、桐太は100円を聖君の掌に乗せ、そのあと聖君の手を握りしめた。
「おい。なんのつもりだ?」
「ついでに!」
そう言うと、桐太は突然、聖君にハグをした。
「桐太?!ちょっとやめて!」
私は急いで聖君から桐太を引きはがした。
桐太はあはははって笑って、それからお店を出て行った。
あいつ~~。何がついでだよ~~~!聖君に抱きついたりして!
「………桃子ちゃん」
「え?」
「なんで俺にひっついてるのかな?」
あ…。
桐太をひきはがしたあと、どうやら、聖君の胸にしがみついちゃったみたいだ。
「…」
そんな私と聖君を、黙って顔を赤くしてやすくんが見ていた。
「あっつ~~~。そういうのは家の中でやってね。お兄ちゃんもお姉ちゃんも」
杏樹ちゃんは慣れたもので、そう言うとキッチンの奥へと入って行った。
「ごめんなさい。つい…」
「…うん。抱きついてくるのは大歓迎なんだけど、やっぱりそれは、2人っきりの時ね?」
聖君は耳元でそう言うと、カウンターの上を綺麗に拭きに行き、キッチンの奥に入って行った。
私はやすくんと目が合ってしまった。やすくんは顔を赤くしたまま、ぱっと視線を外した。
ああ、ついしがみついちゃったよ。恥ずかしい。
お店からリビングに戻ると、凪がクロの尻尾で遊んでいた。
「あ~~~。う~~~」
「クロ、いつもありがとうね」
そう言って凪の横にちょこんと座った。
「ねえ、桃子ちゃん」
そんな私におばあさんが話しかけてきた。
「結婚式のこと、そろそろ決めるんでしょ?楽しみね」
「あ、はい。そうなんです。もうそろそろしたら、私のお腹も引っ込みそうだし、凪も首が座ったら、抱っこしやすくなるし」
「…ウエディングドレスを着るの?」
「はい。あ、でもまだ、和装もいいかなってちょっと迷ってて」
「いいわね!私もくるみさんも洋装だったし、和装の結婚式も見てみたいわ。桃子ちゃん、綿帽子似合いそうよ」
「…そうですか?でも…」
言ったら絶対にバカにされるかな。でもでも…。
「あの…、私、聖君の羽織はかま姿が見てみたくて」
「…ああ、そっか。くす」
やっぱり、笑われた。
「そういえば、くるみさんも爽太のタキシード姿にうっとりしていたっけね」
「え?」
聖君のお母さんも?
「私は…、圭介、結婚式の頃髪がなくって」
「え?」
「癌の治療を受けた後だったから、髪が抜けちゃってたの。だから、白のタキシードに毛糸の帽子をかぶっていたのよ。それも夏だっていうのにね」
おばあさんはそう言って笑った。するとそれを横で聞いていたおじいさんが、
「瑞希が編んでくれた、目が不ぞろいの帽子だよな?」
と懐かしそうにそう言った。
「ふふ。そうよ。だって私、思い切り不器用だったんだもの」
「あはは、そうだよね。でも、瑞希の帽子をかぶって式を挙げられたのは、俺には嬉しいことだったよ?」
「そう?」
2人は見つめ合ってしまった。
ああ、2人だけの世界かも~~~~。
すると、私の横にすっと聖君のお父さんが来て、
「で、どうする?式は神前にする?」
と聞いてきた。
「え?あ、はい。できれば…」
「そっか。じゃ、まじでそろそろ決めて行かないとね?」
「…爽太。懐かしいわね。結婚式が」
「俺の?」
「そう。くるみさん、綺麗だったわよね~~」
「…俺のことはもういいって」
「くすくす。爽太ったら、照れちゃって、ちゃんとくるみさんに綺麗だって言ってあげられなくって」
「だから、もういいって!」
「今は?ちゃんとくるみさんにそういうこと言ってあげてるの?」
「え?」
「たまには、そういうことも言ってあげないと…」
「……い、いいんだって、俺のことは」
聖君のお父さんはたじたじになってしまった。ああ、おばあさんの前ではまだまだ、息子なんだ。
「ははは。杏樹が言ってたぞ。お母さんとお父さんは、よくいちゃついてるって。だから、瑞希、2人の心配はいらないさ」
「…杏樹、ばらしてたのか」
聖君のお父さんは顔を少し赤くして、ぼそっとそう言った。
あ、今の表情、聖君に似てたかも。照れ屋なところは、お父さん譲りなのかなあ。
それにしても、結婚式か…。
わ~~~、なんだか、ドキドキのワクワクだ。
「あ~~~~」
凪が私を見て何か話しかけてきた。
「うん。凪も式には思い切り可愛い服を着ようね?」
そう言うと凪は、きゃきゃって声をあげて嬉しそうに笑った。