第2話 陣痛!
「お母さんっ!聖君っ!」
父のけたたましい声が響いた。どうやらリビングから、2階にいる2人を呼んでいるらしい。
「う…」
また、痛くなってきた。さっきよりも痛みが強い。
ドタドタドタ。階段を駆け下りてくる音がする。多分、聖君だ。
「桃子ちゃんは?」
「今トイレに入ってる。桃子!大丈夫か?」
父の声がドアの真ん前から聞こえた。
「桃子ちゃん?どうしたの?」
聖君の声もした。
私はどうにか、トイレから出た。
「お、お腹痛い…」
「お腹?」
聖君の顔が、こわばった。
「出血もあった」
「え?!」
聖君の顔が青ざめた。
「お、お父さん、すぐに病院行ったほうがいいですよね?まさか、凪になにかあったってわけじゃないですよね?!」
聖君が、ものすごく動揺しているのがわかる。
「病院に電話しましょう。桃子、何分おきに来てるの?陣痛」
「…10分もないかも」
「まあ!聖君、車、用意しておいて!」
「え?じ、陣痛?」
聖君が、固まった。
「え?う、生まれるの?」
「そうよ!聖君、しっかりして!今、病院に電話するから、聖君はすぐに車だせるように、駐車場から出しておいてちょうだい」
母が、バシッとそう聖君に言った。
「あ、はい」
聖君は慌てて、車のキーを取りに2階に上がった。
「聖君!スエット、何かに着替えなさい!」
父が階段の下からそう叫ぶと、父も寝室に向かった。
母はさっさと病院に電話して、陣痛が10分おきになっていることを伝えた。
「さ、桃子も、着替えなさい。今、2階から服を持って来るから。マタニテイのジャンパースカートがいいかしらね」
「う、うん、お願い」
まだなんとなく痛い。でも、だんだんと痛みが遠のいていく。
こうやって、何度も痛みが繰り返し来るのかな。ああ、なんだか怖くなってきた。私、耐えられるのかな。
バタバタ。けたたましい音とともに、聖君が2階から下りてきた。その後ろから、
「お姉ちゃん、生まれるの?」
と服に着替えたひまわりが下りてきた。
「さ、桃子、これに着替えて」
その後ろからは母が、私の服を持って下りてきた。
「聖君、入院の用意が入ってるカバンも、持って行って」
母はそう言うと、和室に行きカバンを持ってきた。
「あ、はい」
聖君がものすごく、緊張している。
「聖君、車のキーは?」
父が聖君に聞いた。
「は、はい」
「僕が運転しよう。聖君は桃子に寄り添っていてあげてくれ」
「え?でも…」
「それに、聖君、かなり今、気が動転してるようだから、運転したら危ないよ?」
「すみません」
父はそう言うと、玄関から出て行った。
「私もついていくからね」
ひまわりがそう言って、カバンを持って出て行った。
「さ、桃子も行きましょう。今は痛みあるの?」
「ううん。今はないよ」
「じゃ、今のうちよ」
「電話したらなんて言ってた?」
「気をつけて、来てくださいって」
「そ、そう。じゃ、やっぱりもうすぐ生まれるの?」
「それはわからないわよ。初産は陣痛が来てもまだまだ、時間がかかるかもしれないからね」
「そうなんだ」
これから、何時間もかかるかもしれないんだ。
「桃子ちゃん、行こう」
「うん」
私は聖君に寄り添ってもらって、玄関を出て行った。母が最後に家を出て、鍵を閉めた。
父とひまわりはすでに、車に乗っていた。私はお腹が大きくて、車に乗り込むのもやっとだ。
「俺によっかかってていいからね」
聖君がそう言ってくれた。
「ありがとう」
みんなが乗り込むと、父は車を発進させた。
「は~~~~~」
私は長いため息が出た。
「苦しいの?」
母が聞いてきた。
「うん、ちょっと。お腹が張っちゃって」
「そう。痛みはない?」
「うん、今は…」
病院は車で、10分もかからないところにある。でも、着くまでにきっとまた、陣痛が来る。
「いたた。腰、痛い…」
「腰?」
聖君がさすってくれた。
「う…」
来た~~。鈍い痛みが…。思い切り顔をしかめると、
「桃子、陣痛?」
と母が聞いてきた。
「うん」
「そんなに痛くなってきた?」
「そんなでもないけど、なんかこう、鈍い痛みで…」
「生理痛みたいな?」
「そう…」
痛い。腰まで痛い。
「は~~~~~~」
また、大きなため息が出た。
聖君はずっと腰をさすってくれている。でも、聖君の顔まで真っ青だ。
「聖君、病院に行って、大丈夫なの?」
「え?俺?」
「苦手でしょ?病院」
「大丈夫だよ。ちゃんと分娩室の前で待ってるから」
「…ほんと?」
「うん。凪の産声聞きたいし…」
「うん…」
ほっとした。ああ、なんだ、私。やっぱり、聖君にそばで見守っててほしいんだな…。
「痛みおさまった…」
「ほんと?よかった」
聖君までほっとしている。でもまだ、腰をさすってくれていた。
父が安全運転で走らせたので、いつもよりも着くのに時間がかかったが、無事病院に着き、私はまた、聖君に支えられながら車を降りた。
それから、父は車を駐車場に入れに行き、私は聖君、母、ひまわりと一緒に病院に入った。
「榎本さん。どうぞ」
中に入ると、待っていてくれたようで、すぐに看護師さんがやってきた。
「痛みはどうですか?」
「今はないです」
「何分おきにきてますか?」
「10分は切りました。もう、5分おきくらいかも」
「そうですか。では、入院の手続きをしちゃいましょうか。それから、荷物は病室に持って行ってしまいましょう」
「はい」
「じゃ、お父さま、病室まで案内しますので、荷物を持ってきてください。榎本さんは、そこの長椅子に座って、書類に記入してください。今、受付の人が来ますから。他の家族の方は、ここで一緒に待っていてくださいね」
「はい」
看護師さんは父と、2階に上がっていき、受付の人が奥のほうからやってきた。そして、書類の書き方を説明してくれた。
「あ…。また…」
書いている途中で、痛みが来た。すぐに聖君が腰をさすってくれた。
「聖君、お母さんとお父さんに連絡いれた?」
「あ、まだです」
「じゃ、連絡してきたら?桃子は私が見てるから」
「はい。じゃ、ちょっと電話してきます」
聖君はそう言うと、携帯をポケットから出して、外に出て行った。
「桃子、痛みはどう?」
母が私の腰をさすりながら聞いてきた。
「さっきよりも痛い」
「5分間隔くらいですか?」
受付の人が、私に聞いた。
「いえ、もうちょっと短いような…」
私がそう言うと、受付の人は階段を下りてきた父と看護師さんを見て、
「あ、戻ってきた。じゃ、あの看護師と一緒に陣痛室に行って、子宮口の開きを診てもらってください」
と言った。
その時、聖君も急ぎ足で、外から戻ってきた。
「父さんと母さん、これから車で来るって」
「え?でも、大変じゃない?江の島からでしょ?」
母がそう言うと、
「はい。でも、絶対に産声聞きたいから来るって言い張って…」
と聖君は真顔で答えた。
「そう。じゃあ、お二人が着くまで、生まれないといいわねえ」
そんなのんきな…。私はできたら、すぐにでも生まれてほしい。これから何時間も痛みと戦うなんて嫌だよ~。
鼻からスイカを出すみたいだって、前に聖君言ってたっけ。うわ~~。どんな?どんななの?いきなり、怖くなってきた。
「痛い」
また痛みが来た。
「あら、早いですね。間隔がずいぶんと短くなってきてますね。では、陣痛室に行きましょうか」
看護師さんに言われたけど、痛くて動けないくらいだよ。
私が腰を押さえ、前かがみになって歩き出すと、聖君がすぐに来て、腰をさすってくれた。
パツン!
「あ!」
「え?!」
私の声にみんながいっせいに、反応した。
「なんか、割れた」
「え?!」
聖君の顔が一番、驚いている。
「破水ですか?」
看護師さんは、ものすごく冷静に聞いてきた。
「あ、あ、そうです。きっと」
何かあったかいものが、子宮から流れ出てる。
「落ち着いて、大丈夫ですよ」
看護師さんにそう言われ、私はゆっくりと陣痛室に入って行った。
「では、みなさんは外でお待ちくださいね」
「はい」
私と看護師さんだけが、陣痛室に入り、他のみんなの前でドアがバタンと閉められた。
うわ。一人になって、いきなりもっと、不安が押し寄せてきた。
駄目だ。絶対に大丈夫だって思ってた。聖君がそばにいないでも、大丈夫って。だけど、ちょっと顔が見えないだけで、こんなに不安だ。
ああ、私、こんなでどうするの!これから凪を産むんだよ。しっかりしなきゃ!
でも、痛いものは痛い。腰がだんだんとくだけそうになってきた。
「子宮口は、6センチ…。破水もしたし、もうちょっとですね」
「ま、まだ生まれないんですか?」
「そうね。まだね…。初産だし、まだまだかかるわね」
うそ~~~~。
「もっと痛みが、強くなりますか?」
「もっと強くならないと、生まれないわよ。陣痛が弱かったら、赤ちゃん下りて来てくれないから」
「…」
ああ。今でもすでに、かなり痛いのに…。
「じゃあ、もう家族の人を呼んでも大丈夫だから、呼びますね」
「はい」
看護師さんはドアを開けて、みんなを呼んだ。
「大丈夫?桃子」
母が1番に入ってきた。
「う、うん」
「ひまわり、お父さんとひまわりは外のベンチにいよう。ここにいても、邪魔になるだけだ」
「ごめんね。1回家に帰ってもいいから」
私がそう言うと、ひまわりが、
「嫌だよ。私も凪が生まれたらすぐに見たいもん」
と言ってきた。
「だけど、これから生まれるまで、時間かかるみたいだよ」
「そうよ。何時間もかかるかもしれないし、一回戻りなさい。桃子が分娩室に入ったら、また連絡するから」
母もそう言うと、ひまわりはしょうがないって顔をしてうなづいた。そして父と、帰って行ったようだ。
「お母さんは大丈夫なんですか?家で休んでいてもいいですよ。俺がついているし」
今度は聖君が母に聞いた。
「大丈夫よ。でも、今はちょっと外のベンチで休んでこようかな。聖君、あとで交代しましょう。それまで、桃子をお願い」
「はい、わかりました」
母はそう言うと、陣痛室を出て行った。
「桃子ちゃん、痛くない?」
聖君がベッドのすぐ横に来て、私に優しく聞いてきた。
「ちょっと痛い」
「ちょっとだけ?」
「うん。今はね。でも、またすぐに痛みが来るかも」
「大変なんだね、陣痛って…」
「う…。来た…」
「腰も痛い?」
「う~~~~~~。痛い~~~~」
聖君は腰をさすってくれた。
「はあ、はあ…」
痛い。さっきよりもさらに痛くなった。
「た、耐えられるかな。私…。う~~~~~」
「そんなに痛い?」
「痛い~~~~」
お腹よりも腰だ、腰が痛い。私は聖君にしがみついた。
「聖君…」
「ん?」
「ずっとそばにいて」
「うん。いいよ。いるよ」
「ご、ごめんね」
「え?なんで?」
「病院、嫌いなのに」
「何言ってるんだよ。俺のことなんかいいから、凪のことだけ考えて」
「う、うん」
そうだった。凪だ。凪だって、今、苦しいかもしれないんだ。
「う~~~~」
はあ。息が漏れる。
「大丈夫?」
聖君はずっと腰をさすってくれてる。
「うん、ちょっとおさまってきた」
「…」
聖君、顔色悪い。本当に大丈夫かな。
「聖君、もし具合悪くなったら言ってね?私に言えなかったら、お母さんにでも看護師さんにでも」
「だから、俺の心配はいいから!」
あ、怒られた…。
「あ、ちょっと今、楽かも」
私はほっと溜息をついた。
「何かいる?飲み物とか」
「いらない。あ、でも聖君が欲しいなら買ってきて」
「だから、俺の心配はいいから。もっと自分と凪のことだけを考えて」
「うん」
だって、聖君のことを考えてたほうが、気が散って怖さもなくなるんだもん。とは言えない。
怖いっていうのも、言っていいかどうか。ああ、でも、でもでも。隠し事は無しだよね?言ってもいいよね?
「聖君…」
私は聖君の腕をギュって握った。
「ん?」
「私、怖いよ」
「え?」
聖君がびっくりしている。
「痛みに耐えられるかどうかも怖いし、ちゃんと無事生まれてくるかどうかも…」
「…」
聖君は一瞬黙ったけど、私の手を両手で握りしめ、
「大丈夫。ちゃんと無事生まれてくるから。ね?」
と力強く言ってくれた。
「うん…」
「俺がついてるから」
「うん」
「分娩室まで一緒に行こうか?」
「ううん。それは大丈夫。聖君が倒れたら大変だもん」
「だよね。ぶっ倒れる可能性大だからな…。ごめんね、まじで…頼りなくて」
「ううん」
「…」
う、また来た。
「痛い」
「また陣痛?」
「う、うん」
聖君は腰をさすってくれた。
「う~~~~~~~、痛いよ~~~~」
「腰?この辺?」
「うん、痛い」
「…」
「痛い~~~~~~~~~~~っ!!!」
ああ、痛がってるところ、見せたくなかったのにな。でも、今離れてほしくない。
「変わってあげられたらいいのに」
聖君がぽつりと言った。
「嫌だ。こんな痛み、聖君に感じてほしくない」
「え?」
「本当に痛いから、聖君は感じなくてもいい」
「本当にもう。なんでそうやってさっきから…俺のこと…」
聖君は最後まで言わず、黙って私の腰をさすった。
「う~~~~~~~」
痛い。いた~~い~~~~~。ああ、凪、ごめん。ママは耐えられるかどうかわかんないよ。
って嘘。ちゃんと頑張って産むからね。今、凪もお腹の中で頑張ってるんだよね。
母親学級で習った。赤ちゃんにとっても、苦しいって。産道を通って、出てくるんだよね。
もしかしたら、ものすごく怖いかもしれないよね。
うう、しっかりしろ、私。これから母親になるんだから!
でも、痛いよ~~~!
私は思い切り聖君の腕にしがみついた。聖君はしがみつかれていない手で、私の腰をさすり、しがみつかれた手はそのままにしている。
前かがみでかなり、聖君も無理な体制でいる。ずっとさすってるって、手がきっと疲れちゃうよね。だけど、やめていいよとは言えない。本当にさすってくれていないと、今より何十倍も痛くなりそうだ。
「聖君」
「ん?」
「聖君」
「何?桃子ちゃん」
「聖く~~~~ん」
ああ、痛くて泣きそうだ。っていうか、泣いてるかも、私。
痛みがひいても、またすぐに来る。ああ、この繰り返しをあと何時間してないとならないんだろう。
「痛いよ~~~~~~~」
ぎゅうう。聖君を握りしめている手に、力が入る。
「う~~~~、腰、割れそう」
「そんなに?」
「うん、痛い~~~~~~~~~~~」
それから、どれくらい時間がたったろうか。ひいてはまたすぐに来る痛みとの戦い。
途中で母が来て、聖君と交代すると言ってきたが、聖君は大丈夫と言い張った。
「あとでまた呼ぶから。だから、ちょっと休んでて」
私がそう言うと、聖君は仕方ないって顔でようやく出て行った。
「桃子。まだ痛みが続くかもしれないけど、凪ちゃんも頑張ってるの。だから、桃子も頑張って」
母に言われた。そうか。母はこんな大変な思いを2回もしたのか。
「うん」
母が今度は腰をさすってくれた。
いつまで続くのか。私には永遠に陣痛が続くんじゃないかと思えるくらい、辛い夜になった。