第45話 やっぱり安心
「あ、お兄ちゃん、もうやすくん帰っちゃったよね?」
杏樹ちゃんが、ラブレターを片づけた聖君に聞いた。
「いるよ。今、一人でカウンターで飯食ってるから、杏樹行ってきたら?」
「行ってきたらって言われても」
「お茶でも持って行ってやったら?」
「う、うん」
杏樹ちゃんは顔を赤くして、お店に出て行った。
「可愛いね、杏樹は」
おじいさんが目を細めてそう言うと、お父さんもにこにこしながらうなづいた。
「もう杏樹も、恋をする年になったのねえ」
「早いねえ。ついこの間、オムツが取れたと思っていたのに」
おじいさんの言葉に、聖君がブッとふきだした。
「それはないだろ、じいちゃん」
「そんなことないよ、聖。凪ちゃんだって、あっという間に大きくなって、彼氏ができちゃったりするかもしれないんだから」
お父さんがそう言うと、聖君の顔が引きつりだした。
「そうそう。男にラブレターあげたり、もらったりするかもしれないんだよ?あっという間に」
おじいさんまでが、そう言って聖君をあおった。
「な、凪は、絶対に誰にも渡さないよ、俺」
出た。聖君のバカ親…。
「そう思っていてもね、聖。いずれは誰かのものになっちゃうんだよ。俺だって、春香を誰にも渡したくなかったんだ。なのに…。なのに…」
おじいさんが、寂しそうにそう言うと、おばあさんは笑って、
「今じゃ、その義理の息子とヨットやサーフィンしまくる仲になっているくせに」
と言って笑った。
「まあね、それに可愛い孫もできたし」
「俺の従弟かあ、空、会ってみたいなあ」
聖君はぼそっとそう言った。
うん、私も空君に会ってみたい。でも、今は、ラブレターのほうが気になっている。やすくんと杏樹ちゃんのことも気になるけど、でも、やっぱり、ラブレターが。
なんで聖君は、ラブレターのことを全然気にしていないんだろう…。
あ、気にしてる方が、逆に気になっちゃうか。
お母さんがお店の片づけを終え、リビングに来て、
「ハ~~、落ち着く」
とお茶をすすってため息をついた。
「杏樹は?」
聖君が聞くと、
「まだ、やすくんとカウンターにいるわよ」
とお母さんが、含み笑いをしながら答えた。
「どう?二人の様子」
「ふふふ」
あ、お母さん、意味深な笑い…。
「なに?うまくいっちゃったの?」
聖君はすごく気になるようだ。
「ううん。杏樹ったら、まったくわかってないから、おかしくって」
「…やすが杏樹を好きだってことを?」
「そうよ。聖も気が付いてた?」
「え?ああ、うん、まあ」
聖君が、言葉を濁した。さすがに盗み聞きしたことはお母さんにも言えないよね。
「やすくん、杏樹の隣で、ずっと照れくさそうにしているの。杏樹の顔を見て赤くなっては、そっぽむいたりして、可愛いのなんのって」
「それ、杏樹、わかってないんだろ?」
「そうなのよね。そっぽを向かれて、落ち込んじゃってるのよね。あの子も可愛いわよね」
落ち込んでるのにいいのかなあ。ほっておいても。
「ふうん、そっか。やすのやつは、自分の気持ちを打ち明ける気はないのか」
「…わかんないわよ?」
お母さんはそう言って、お茶をずずずっと飲んだ。
「わからないって?」
「やすくん、杏樹のことどんどん好きになっているかもしれないし。いきなり告白しちゃうかもしれないってことよ」
「…やすが?」
「だって、さっきだって、杏樹に好きな奴に告白するの?とか、そいつは彼女いるの?とか、しつこく聞いてたし。杏樹が、告白できるかわかんないけど、伝えたいって言ったら、焦ってたし」
「…そうか。そこであきらめるか、それとも勇気出して告白するか…」
「なんだか、爽太を思い出すなあ」
おじいさんがそう言うと、おばあさんがくすくすって笑った。
「え?俺?」
聖君のお父さんがびっくりしている。
「爽太をって?」
お母さんはきょとんとした顔をした。
「爽太だって、なかなかくるみさんに告白できなかったじゃないか。一人わずらっちゃってなあ?」
「恋煩いよね」
おじいさんとおばあさんがそう言うと、
「む、昔の話はいいだろ?もう。だいいち、俺はちゃんとくるみに告白したよ」
とお父さんはちょっと顔を赤くしながら、そう反論した。
「そうだった。爽太も私に恋の相談したりして、なかなか思いを告げてくれなかったのよね」
お母さんがそう言うと、聖君のお父さんは、
「くるみ、いいって、過去の話は。今は杏樹とやすくんの話だろ?」
ともっと顔を赤くして、話を変えようとした。
なんだか、いつもの余裕のお父さんと大違いだ。こんな照れちゃってるお父さんって、なかなか見れないから面白いなあ。
「ま、見守るしかないってことだよな。でも、何かの助けができるなら、してあげたいね」
おじいさんは優しくそう言うと、凪を抱っこして、またあやしだした。凪は、
「きゃきゃきゃきゃ!」
と嬉しそうに笑った。
「杏樹の恋、応援したいわね」
おばあさんも優しい目をしてそう言った。
「聖、あなたもちゃんと応援しなさいよ」
「わかってるって。俺だってやすのことは認めてるし、ちゃんと応援するよ」
お母さんの言葉に、聖君は任せろっていう顔をした。
なんだか、ほんと、この家族ってあったかいよなあ。
こんなにみんなに見守られ、応援してもらっていること、杏樹ちゃんは知ってるのかな。
あれ?じゃあ、聖君の恋もずっと、みんなして応援していたのかな。
って、私とのことをだよね?
そう思ったら、なんだか嬉しいやら、恥ずかしいやらで、私はうつむいて赤くなってしまった。でも、私の様子には誰も気が付いていなかったみたいだ。
杏樹ちゃんはそれから、10分してリビングに戻ってきた。そして、
「先にお風呂入ってもいい?」
と聞いて、とっととお風呂に入りに行った。
「どうだったのかな?」
私は気になったが、聖君は、
「杏樹が出たら、桃子ちゃん、お風呂入ろうね?」
と、まったく杏樹ちゃんのことは気にしていない様子だった。
シャワ~~~。聖君が優しく私の体と髪を洗ってくれた。そして私がバスタブに入ると、自分の体と髪をさっさと洗って、すぐにバスタブに入ってきた。
「桃子ちゃん?」
「え?」
聖君は私を後ろから抱きしめ、
「もしかして、気にしてる?」
と聞いてきた。
「杏樹ちゃんのこと?」
「いいや、ラブレターのこと」
うわ。ばれてた。
私はコクンとうなづくと、聖君はギュって私を抱きしめ、
「ちゃんと断るから、安心して?」
と優しく言ってきた。
「き、聞いてもいいかな」
「え?」
「なんて書いてあったの?」
「ああ、手紙の内容か…。まあ、たいしたことは書いてないよ」
う、教えてくれないのかなあ。
「俺が、すごくタイプの男性で、結婚しているって知ってショックを受けたけど、友達でいいから、仲良くしてくださいって、そんなような内容だった」
友達?結婚もしているのに、友達でいいからって、どういうこと?
「ダイビングのこともいろいろと、教えてくださいって」
「…どう、断るの?」
「うん。きっぱりと。何か期待してるんだったら、なんにも期待に応えられないし、ダイビングのことは、部長のほうが詳しいから、部長から教えてもらってって」
本当に、きっぱりとなんだね。
「俺が浮気しないかって、心配?」
聖君は私のうなじにキスをして聞いてきた。
「う、ううん。そんな心配してないよ」
「ほんと?」
…そうだよね。いくらラブレターをもらっても、聖君の心が動かされるわけがないって信じていたら、心配する必要もないんだよね。なのに、なんで心配しちゃうのかな、私。
「心、動かされないかなって、ちょっと心配してるかも」
「俺の心が?」
「うん」
「…他の子に?」
「うん」
「………」
聖君が黙り込んだ。う、なんで黙り込んだの?
「はあ」
あ。あれ?なんでため息?
「桃子ちゃんも、俺以外のやつに、心ときめいたりしちゃう?」
「ないよ、そんなの」
「じゃ、わかるよね?俺も絶対にありえないから」
「ほんと?」
「…知ってた?」
「何を?」
「いまだに桃子ちゃんに恋してるって」
「え?」
ドキ。恋?
「他の子なんて、目に映らないくらい、桃子ちゃんに惚れてるから、まじで安心して?」
きゃあ。聖君、そんな嬉しいことを…。って、なんでそのあとに、胸を触ってくるの?
「桃子ちゅわん」
「え?」
「可愛い!!!」
「…」
ああ、もう。そんなふうに言われると、スケベ親父って言って、聖君の腕をぺちってたたけなくなっちゃった。
「早く、桃子ちゃんのウエディング姿見たいな。俺」
「…私も、早くに聖君の紋付き袴とタキシード、見たいよ」
「………」
あれ?黙り込んじゃった。
「桃子ちゃんもいまだに、俺に恋してるもんね?」
「う、うん」
そりゃもう、思い切り。
「あのね?聖君が大学行ってから、お店ではお母さんとお父さんが、リビングではおじいさんとおばあさんが、いちゃいちゃしていたの。私、どうしていいかわかんなくって、一人でしばらく2階にいたんだよ。洗濯物を眺めながら、バルコニーのベンチに座ってたよ」
「あはは。そうだったんだ。凪かクロと遊んでいたらよかったのに」
「だって、凪もクロもリビングにいたんだもん」
「くす」
聖君がくすくすと笑いだした。
「だから言ったじゃん。母さんと父さん、平気でいちゃつくよって」
「う、うん」
「だからね?俺らもいちゃついたって、平気なんだよ?」
「う、うん。そうかもね」
「でへへ」
でへへ?
「だからね?今ここで、愛し合っちゃっても全然平気」
「それとこれとは別!もう私、のぼせそうだから、出る!」
私はそう言うと、聖君の腕から抜け出し、バスタブを出た。
「桃子ちゃんのいけず~~」
またそんなこと言ってるし。
聖君を見ると、まだバスタブの中で、寂しそうに私を見ている。ああ、まるで飼い主に怒られてしまった犬コロのようだ。可愛い。
「聖君も出ようよ。のぼせちゃうよ」
「あ、もしかして桃子ちゃん、俺に体拭いてほしい?」
「う、うん」
聖君はいきなりにこにこ顔になり、さっさとバスタブから出てきた。
やっぱり、単純だ。そんなところも可愛いんだけど。
「ねえ、聖君」
「え?」
背中を拭いてくれている聖君に、私は聞いてみた。
「大学ではどんな聖君なの?」
「どんなって?別にどんなもこんなもないけど」
「クール?」
「いや、そんなことないよ」
「女の人と話す?」
「いや、サークルでしか話さないかな」
「サークルでは話すの?」
新入生とも?
「麦ちゃんや、菊ちゃんとはね」
「…ふうん」
「あとは、男どもとばっかり、基樹といた時みたいに、ふざけたり、あほなことやってるよ?」
「そうなの?サークル以外では?」
「桃子ちゃん、ん~~ってして」
私が「ん~~」ってすると、聖君は私の首を拭いてくれた。
「やっぱり、可愛い、その顔」
聖君の「ん~~」だって、可愛いもん。
聖君は私の腕や手も、しっかりと拭いてくれてから、優しく胸とお腹を拭きだした。
「ね、サークル以外では?」
「…気になる?」
「う、うん」
「……」
「聖君!胸はもうさっき拭いたよ」
なんでまだ、胸を見たり触っているの?
「おっぱい出てきちゃってるよ。凪のおっぱいの時間?」
「あ…」
そういえば、やたらとはってきてた。
「桃子ちゃん~~!凪ちゃんがお腹空かせて泣いちゃってるの。早めにお風呂出て来てくれる?」
お母さんの声が洗面所のドアの向こうから聞こえた。
「はい!今すぐに行きます!」
私はそう言って、慌てて聖君からバスタオルを受け取りさっさと拭いて、さっさと下着とパジャマを着て、洗面所を出た。
「あ~~あ、桃子ちゃん、凪に取られちゃった」
という聖君の声が、後ろから聞こえてきた。
う。そんなことを言う聖君も、可愛すぎる~~。
ぐずっている凪を抱っこして2階に上がり、和室で凪のおっぱいをあげた。凪は、勢いよくおっぱいにすいついている。相当お腹、空いていたのかな。
ガチャ。ドアが開き、聖君が髪をバスタオルで拭きながら入ってきた。
「桃子ちゃん、飲ませ終ったら髪、乾かしてあげるね?」
「うん」
「凪、すごい勢いで飲んでるね」
「お腹、相当空いていたのかな」
「悪かったかな。お風呂、ゆっくり入っちゃって」
「そうだね。おっぱいの時間、ついうっかり、忘れちゃってたね」
「凪も、大勢リビングにいたし、お腹空いてるのも忘れてたんじゃないの?」
「え~~、そうかな」
聖君は、隣にあぐらをかいて座って、ドライヤーで髪を乾かし始めた。その音で凪は、一瞬聖君を見たが、また無心におっぱいを飲み始めた。
うと…。うと…。凪がだんだんとお腹がいっぱいになったからか、眠そうにうとうとし始めた。
「凪、寝ちゃうかも」
「まじで?じゃ、長い夜を桃子ちゃんと過ごせるんじゃん」
「…今日は、無しだよ?」
「え?なんで?」
「だって、そんな…、毎日はさすがに」
「駄目なの?桃子ちゃん」
「う、うん」
体力続かないよ、私。
「ガク」
聖君はいきなり、そう言ってうなだれ、そのまま布団にうつぶせてしまった。
まさか、本気で今日も…って思っていたのかな。この人。
「なんだ~~~」
本気だったみたい…。
「聖君」
うつぶせて、動かなくなった聖君の背中を手で揺らした。でも、聖君はそのまま、動かないでいる。
「ねえ、聖君。大学ではクールでかっこいい聖君なの?」
「なに、それ」
聖君がやっと顔だけ横に向いて聞いてきた。
「そんな聖君だったら、みんなが惚れちゃうのもしかたないよね」
「だから、なにそれ?」
「ううん。いいの」
「…クールな俺じゃないよ?けっこう、バカやってると思うけど?」
「高校では?」
「男子とはバカばっかりやってたけど?」
「それでも、モテてたよね?」
「…?桃子ちゃん、どうしちゃったの?」
聖君がようやく体を起こして、またあぐらをかいた。凪は私の腕の中ですやすやと気持ちよさそうに眠っている。そんな凪を見ながら、私は言葉を続けた。
「もし、スケベでにやけて、甘えん坊の聖君を知ったら、みんなどうするのかなあって思って」
「はい?」
「それでも、聖君を好きでいるかなあ」
「桃子ちゃんは、そんな俺も好きなんだよね?」
「うん」
「じゃ、いいじゃん」
「え?」
「他の子は確かに、そんな俺を見てがっかりするかもしれないし、嫌いになるかもしれないけど。俺、桃子ちゃんにだけ、愛されてたらそれでいいから」
「……」
私はそっと凪を布団に寝かせてから、聖君にむぎゅって抱きついた。
「聖君のこと、愛してるよ」
「うん」
「すんご~~く、愛してるよ」
「知ってる」
「ほんと?」
「うん。スケベな俺も、甘えん坊の俺も、愛してくれてるって、知ってる」
聖君はそう言うと、私に優しくキスをしてきた。
「だから、ね?今日も愛し合っちゃおうね?」
なんでそうなるの?
「今日は無理」
「なんで~~~?」
あ、いきなり駄々っ子モードだ。
「無理なものは無理」
「なんで?!」
あ、ちょっとキレ気味?
「切れても、無理なものは無理」
「…なんで?桃子ちゃん」
あ、いきなり優しくなった。優しくなったって、
「無理なものは、無理だもん」
「だから、なんで?桃子ちゅわん。俺のこと愛してないの?」
甘えん坊モード?
「もう~~~。無理だってば。私、もう寝るね。あ、髪乾かしてなかった」
「桃子ちゃんの髪、乾かしてあげないよ。それでもいい?」
意地悪モード?
「いいよ。自分で乾かせるもん」
私はドライヤーを持って、髪を乾かしだした。
「桃子ちゅわ~~ん」
抱きついてきたぞ。もう、駄々っ子の甘えん坊だ。それでも無視して髪を乾かしていると、聖君は私に抱きついていた手を離した。
そして、
「俺が乾かします」
と聖君は私からドライヤーを取って、乾かしてくれた。
「くすん」
と半べそかきながら。
ああ、可愛い。ちょっと情けない聖君も、可愛くて好きだけど、きっとこんな聖君を見たら、興ざめする女の子もいるんだよね。
ってことは…。外見のかっこいい聖君だけを見て、好きだって言ってるだけで、中身まではわかってないんだし、やっぱり安心していてもいいのかなあ。
「聖君」
「はい、なんでしょうか?」
なんで敬語?意地悪し過ぎたかな。
「やさし~~~くしてくれるなら、いい…かな」
私がそう言うと、聖君はいきなり、ぽいっとドライヤーを投げ捨て、私を抱きしめてきた。
「思いっきり、思いっきり、優しくします」
ああ、もう。ほんと、単純と言うか、なんというか。
そして、聖君は、本当に本当に本当に、優しかった。
今日も、私は聖君にとろけたかも。