第44話 余裕?
翌日、朝から榎本家はにぎやかだった。お店におじいさんもおばあさんもいて、みんなでわいわいと朝食を食べ、それからおじいさんは凪を抱っこして、お父さんがクロを連れてさっさと散歩に行ってしまった。
「あ。なんだよ。今日はあの二人が凪を連れて行った!」
聖君は出遅れてしまったようで、お店の中から2人の背中を見て、怒っていた。
「いってきま~~す」
その横を杏樹ちゃんが、制服姿で元気に出て行った。
「杏樹ちゃん、今日元気だね」
「ああ、昨日のやすの言葉、嬉しかったからじゃないの?」
聖君は杏樹ちゃんの後姿を見て、優しい目をした。
「聖君って」
「ん?」
「杏樹ちゃんのこと、愛しちゃってるよね~」
「へ?」
「大事でしょ?」
「あったりまえでしょ。妹だよ?」
「じゃあ、菜摘は?」
「大事だよ。妹だもん」
私は思わず、聖君と腕を組んだ。
「なに?」
「じゃあ…」
「…私は?って聞いてくるの?」
あれ?わかっちゃった。
「そんなの、聞かなくたってわかってるよね?」
「う、うん」
「昨日だって、あんなに俺、桃子ちゃんのこと愛しちゃったじゃん」
う、うわあ。そんなことを朝から言わないで。って、自分から聞いておいて、恥ずかしがってるなんて、私ってマヌケかも。
「さて、大学行く準備でもしようかな」
聖君はそう言うと、私の腕をさっさとはずし、家に上がって行ってしまった。
あれ?もうちょっといちゃついていられると思ったのに、ずいぶんとあっさりしちゃってるんだな。
なんて、昨日あんなにいちゃついていたのに、贅沢っていうものかしら…。
しばらくすると、お父さんとおじいさんが散歩から帰ってきた。
「凪ちゃん、海、気持ちよかったねえ」
おじいさんが凪を抱っこしていた。凪が笑うと、おじいさんの目は垂れ下がり、すごく嬉しそうだ。
「可愛いねえ、凪ちゃんは。空も可愛いけど、可愛らしさが違うね」
「そうなんですか?」
私がおじいさんにそう聞くと、
「空より凪ちゃんのほうが良く笑うよ。空はどこかを見つめて、ぼけっとしていることが多いしね」
と凪を見ながら答えた。
「凪ちゃんはサービス精神旺盛なんだって、聖が言ってたよ」
聖君のお父さんがそう言うと、
「あはは。そういえば、聖もよく赤ちゃんの頃笑ってたっけ。そんなところが似ているかもなあ」
とおじいさんは笑いながら言った。
「圭介、そろそろ凪ちゃんを私にも抱っこさせて」
キッチンで手伝いをしていたおばあさんが、おじいさんのところに行ってそう言うと、おじいさんが凪をおばあさんに渡した。
「ねえ、桃子ちゃん、夏休みには絶対に伊豆に来てね。凪ちゃんと空君、ご対面させたいわ」
おばあさんは凪を抱っこすると、私にそう言ってきた。
「はい」
「凪ちゃん、伊豆に来てね~。毎年、遊びに来てね~」
おばあさんが凪にそう声をかけると、凪は嬉しそうに笑った。
夏に伊豆か~~。楽しみだなあ。やすくんも行くって言ってたし、杏樹ちゃんもきっと楽しみにしてるね。
それまでに杏樹ちゃんとやすくん、思いが通じ合ったらいいなあ。何か私ができることってないのかなあ。やっぱり、見守っているしかないのかしら。
聖君が、大学に行く支度を終え、かっこいい聖君になってお店に来た。
「な~~ぎ、行ってくるよ」
おばあさんに抱っこされている凪に顔を近づけそう言うと、
「じゃ、ばあちゃんもじいちゃんも、ゆっくりしてってね」
とにこっと笑い、それからなぜか私の手を取り、お店を出た。
「?」
「行ってくるね」
「うん」
「あれ?いってらっしゃいのハグとキスは?」
「え?ここで?」
お店を出たとはいえ、ここじゃお店から丸見えだよ?
「誰も見てないって」
う、う~~~ん。私が躊躇していると、聖君の方からチュッてキスをしてきて、私を抱きしめてきた。
「い、いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
聖君はそう言って、にこっとまた最上級の笑顔を見せ、車に乗り込んだ。
ああ、聖君、笑顔最高…。
私は聖君の車が見えなくなるまで、見送っていた。
あ~~あ。あんなかっこいい聖君じゃ、いくら結婚していて、いくら子供がいるからって言っても、やっぱり大学の女の人がほっておかないんじゃないかなあ。
ううん。聖君が言ってたじゃない。俺、モテないよって。その言葉を信じようよ、私。
「聖、大学行った?」
「はい」
お店に入るとおばあさんが、まだ凪を抱っこしたまま聞いてきた。
「ふふふ」
?なんでおばあさん、笑ったのかな。
「聖は、本当にいつまでも桃子ちゃんにメロメロなのねえ」
あ~~。今のキスとハグ、やっぱり見られていたんだ。恥ずかしい~~。
「瑞希、リビングに行こう」
おじいさんがそう言うと、おばあさんは凪を連れ家に上がった。
私はキッチンでお手伝いをしようと思い、ホールからキッチンに向かうと、お父さんがすでにキッチンでエプロンをつけ、手伝っていた。
いや、正確にはお母さんと、いちゃついていた。
「くるみ、今度の休みにデートしようよ」
「そうね、爽太の誕生日もあるしね。何か欲しいものある?」
「ううん。くるみとデートできたらそれで満足」
「もう、爽太ったら」
わ。わわ。キスしそう!
私は慌てて、その場を離れ、リビングに上がった。
ああ、び、びっくりした。
そしてリビングに上がると…。
「瑞希、凪ちゃん可愛いね」
「本当よね」
「爽太の赤ちゃんの頃を思い出すね。あの子も色が白かったね」
「あなたに似てね」
「今じゃ、俺、こんな真っ黒だよ」
「くすくす。そうね、あの頃よりずっと今のほうが、健康的に見えるわよね」
「瑞希」
「なあに?圭介」
おじいさんが、おばあさんの肩を抱いた。
う、うわわ。ここでも、いちゃついているカップルが…。
私はいったいどうしたらいいんだ。
仕方なく、静かに2階に上がった。ああ、ほんと、仲のいい夫婦ばかりで目のやり場にも困ってしまう。
っていう私もさっき、店先でキスしてハグしていたんだっけ。
う…。なんだか、寂しくなってきた。早く、聖君、帰ってきて~~~。
夕方、杏樹ちゃんが嬉々として帰ってくると、さっさと着替えてお店の手伝いを始めた。私はおじいさんとおばあさんに凪を取られ、暇を持て余しているのでお店に出ていた。
今日も、そんなにお店は混んでいなかった。
紗枝さんと交代で、今日もやすくんがお店に出ている。それで杏樹ちゃんは、部活が終わり、すっとんで帰ってきたんだろう。
そういえば紗枝さんは、さっさとお店を出て行ってしまったが、なんとなくいつもよりもオシャレだし、お化粧もしっかりとしていたっけ。
「紗枝ちゃん、今日何かあるのかしらね」
聖君のお母さんも気が付いていたらしく、私にそっと言ってきた。
「もしや、デート?」
「かもね~~~」
お母さんはそう言うと、キッチンの奥の椅子に座り、アイスティを飲みだした。
「桃子ちゃんも、カウンターで休んでいいわよ」
「は~い」
私もグラスにソーダ水を入れ、カウンターに行った。
お店には、二組お客さんがいたが、話に夢中になっていて、もう1時間以上居座っている。水をたまにやすくんは注ぎに行く程度で、他に何もすることがないようだった。
そんな暇な時間帯なのに、杏樹ちゃんはしっかりとエプロンをして、やすくんとお店に出ている。
でも、お母さんも杏樹ちゃんに何も言わず、やすくんも何も言わないで、杏樹ちゃんの横で突っ立っていた。
私はどうしても気になってしまい、2人をたまにチラッと見た。杏樹ちゃんは、小声でやすくんに話しかけるが、やすくんは「うん」とか「へえ」くらいしか反応しないでいる。
でも、やすくんが思い切り杏樹ちゃんを意識しているのが、私でもわかってしまった。時々、杏樹ちゃんを見るやすくんの目…。そして杏樹ちゃんがやすくんの顔を見ると、ぱっと視線を外して恥ずかしそうにしている。
杏樹ちゃんは、やすくんが恥ずかしがっていることも、やすくんの視線にも気が付いていないようだ。やすくんが口数少なく答えていたら、とうとう杏樹ちゃんまで黙り込んで、うつむいてしまった。
ああ。やすくん。もっと頑張れ!なんて、心の中で叫んじゃったよ。
「私、お店暇だし、いても邪魔だよね?」
「え?い、いや…」
やすくんが返答に困っている。
「杏樹、あとで混んでくるかもしれないし、今はカウンターで桃子ちゃんと休んでいたら?」
お母さんにそう言われ、杏樹ちゃんは静かにカウンターにやってきた。
「はあ」
椅子に腰かけると、杏樹ちゃんは小さなため息をついた。
「なんか、一人で空回りしてるよね?私」
「え?」
「昨日は頑張ろうって思ったのにな」
「…」
やっぱり、気が付いていないんだなあ。
杏樹ちゃんは、お母さんが運んできたレモンジュースを受け取って、それを一口飲んでから、ホールにいるやすくんのほうを向いた。すると、やすくんがパッと思い切り、視線を外した。
「あ…」
それを見た杏樹ちゃんの顔が、引きつったのが隣にいた私にもわかってしまった。
「避けられてるのかな。私」
「へ?」
「今も、思い切り向こう向かれちゃった」
いや、あれは目が合って、恥ずかしくて視線を外したんだと思うけど。ほら、今でも耳真っ赤にして、やすくん、照れてるし。
「は~。昨日、やすくんに優しい言葉をもらって、有頂天になったけど、もしかして泣いたりして、うざかったのかなあ」
「な、泣いちゃったの?」
陰で盗み聞きしていたとはさすがに言えず、知っているのに聞いてしまった。
「うん。やすくんが優しい言葉をかけてくれて、嬉しくて、つい」
「あ、そういうのはきっとやすくん、可愛いなって思ってると思うけど」
「え?そ、そ、そういうものなの?」
「う、うん。多分。私が男だったら、そう思うよ、きっと」
な、なんて、変なことを言っちゃったかな。あれ?でも、杏樹ちゃん、嬉しそうだ。
「そうかな。泣いたりして、うっとおしいって思わなかったかな」
「思わないよ、そんなこと。やすくん、優しそうだし」
「そうだよね。やすくん、優しいもんね」
「うん」
杏樹ちゃんはほっとした顔をして、レモンジュースをゴクゴクと飲んだ。そしてグラスを持ってキッチンに行くと、
「お母さん、混んだら手伝いに来るね」
と言って、リビングに上がって行ってしまった。
「あ…」
とかすかにやすくんの口が開き、そのあと思い切りがっかりしているのが、カウンターから見てもわかった。
杏樹ちゃんが、お店からいなくなり、残念がっているんだ。なんだか、やすくん、可愛いかも。
お客さんが、続けて二組入ってきて、私もキッチンに行き、手伝いをした。でも、そんなにホールは忙しいわけでもなく、やすくん一人で動いても十分だった。そしてそのうち、聖君も帰ってきて、お店を手伝いだし、杏樹ちゃんがふたたび、お店を手伝いに出ることはなかった。
杏樹ちゃんはリビングで、おばあさんと話をしながら凪をあやしていた。お父さんとおじいさんは、また2階に上がり、何やら話し込んでいる様子だった。仲のいい親子なんだなあ。
「凪ちゃん、お風呂にもう入れたの?」
杏樹ちゃんが聞いた。
「そうよ。圭介が早くから、凪ちゃんと一緒にお風呂に入りたいって言ってきて。聖が帰ってきたらうるさいから、帰ってくる前に入れちゃおうって」
おばあさんが答えると、杏樹ちゃんは、
「おじいちゃんって、お兄ちゃんに似てわがままだよね」
と呆れながらそう言った。
そうなんだよね…。私もそれは思ってた。おじいさんと聖君、似てるなって。
凪は今日、3時くらいにお風呂に入っちゃって、それから眠っちゃったし、今日はすっかり、凪の生活リズムがくずれちゃったかもしれないな。夜、ちゃんと寝てくれるのかなあ。
「夕飯、先に食べて」
お母さんがリビングに、みんなの夕飯を持ってきた。その後ろから聖君もお盆にお皿を乗っけてやってきた。
「俺はあとで、店で母さんと食うから、桃子ちゃんもさきに食べちゃってね」
「うん」
聖君はにこりと笑うと、またお店に行ってしまった。
ああ、爽やかだなあ、本当に。
「やすくん、仕事終わったら帰っちゃうよね」
杏樹ちゃんが寂しそうにそう言った。
「…終わってから、ちょっと話をしに行ってきたら?」
私がそう言うと、杏樹ちゃんは、うんと言って、ご飯を食べだした。
なんだか、いじらしいなあ。杏樹ちゃん。今、きっと頭の中はやすくんのことでいっぱいなんだね。
私もそうだったっけ。いっつも聖君のことを考えていた。聖君のことで一喜一憂して、私ばかりが聖君のことを好きなんじゃないかって、そんなことを思い、切なくなっていたっけなあ。
今も、聖君のことばかり、思っているって言えばそうなんだけど…。
でも、なんていうの?夫婦だし、前よりも余裕があるって言うの?いってきますのキスもハグもしてくれるし、夜はいっぱい愛してくれちゃうし、大事にされてるってひしひしと感じちゃうって言うの?だから、安心していられるんだけど。なんつって。
でも、杏樹ちゃんはきっと、やすくんにどう思われてるのかとかすんご~~く気になっているよね。
なんて、余裕をかましていられるのも、そこまでだった。
「あ~~、疲れた」
と聖君が仕事を終え、ご飯も食べ終わりリビングに来て、どかっとソファに座った時だった。
「あ、聖。それ、あなたのカバンでしょ?」
おばあさんがそう言って、リビングの隅に置いてあったカバンを指差した。
「うん」
「その辺に投げ出してあったけど、邪魔だったからそこに置いたの」
「あ、悪い。サンキュー」
「その時、中から飛び出してきたんだけど…。これ」
おばあさんがテーブルの上に、封筒を置いた。
「何それ?」
聖君がきょとんとした。
「何それって、聖のカバンから飛び出していたのよ?」
「…」
聖君は無言で封筒を開けた。そして中を読むと、
「あ~~~。勝手に入れられたかも」
と眉をひそめた。
「ラブレター?」
おばあさんが聞いた。杏樹ちゃんも、
「え?お兄ちゃん、ラブレターもらっちゃったの?」
と身を乗り出して聞いた。
「もらってない。勝手に入ってたんだ」
聖君は、もっと眉をひそめてそう言い返した。
「モテるね、聖は結婚しても、ラブレターもらっちゃうのか」
おじいさんが、凪を抱っこして笑わせていたが、こっちを向いて聞いてきた。お父さんもお茶をすすっていたが、お茶碗をテーブルに置き、ラブレターの封筒を手にした。
「名前、書いてないけど?」
お父さんは封筒を見てそう聖君に聞いた。
「ああ、手紙には名前書いてあったよ」
「知ってる子?」
「…うん。今年、サークルに入ってきた子」
新入生?女の子が入ってきたの~~?
「あ~~あ。なんだか、面倒くさいな」
「またお兄ちゃんったら、そんなこと言って。ほっといていたら、もっと面倒なことになるんだから、ちゃんと断らないと駄目だよ?」
「わかってるよ、杏樹に言われなくたって」
聖君はそう言うと、封筒に手紙を戻して、ソファにまた深く腰掛け、
「は~~あ」
とため息をついた。
ああ、さっきまで余裕をかましていた自分が、どっかに一気に吹っ飛んで行った。
可愛い子なのかな。どんな子なのかな。ラブレターって、なんて書いてあったのかな。
すんごい気になる!
やっぱり、結婚しても、夫婦になっても、心配事は消えていなかったのであった。