第41話 あったか家族
今日もまた、夕方お父さんが凪をお風呂に入れた。お母さんは忙しくてもその時だけは家に上がって、凪の世話をするので、私がお店に出る。
そうして、夜は聖君と私とで、お風呂に入っていた。
凪はお風呂が大好きなようで、お父さんと凪はちょっとぬるめのお風呂につかりながら、楽しんでいるようだ。
「ゆ~~らゆ~~らと、凪ちゃんの体を持って、お湯の中で揺らしてあげると、きゃっきゃって声を出して笑うんだよ」
と、お父さんが嬉しそうに今日も話していた。
「ふうん」
それを聞いて、聖君は冷静な顔をしているが、内心はどうやら、羨ましくてしょうがないみたいだった。
「ちぇ」
私と一緒にお風呂に入っていると、いきなり聖君は舌打ちをした。
「え?」
「父さんのやつ、嬉しそうにあんな話をしちゃってさ。俺だって、桃子ちゃんの家に帰れば、凪と思う存分一緒に風呂に入れるんだ。うん。今だけ父さんに譲ってあげてるだけなんだからさ」
くす。可愛いなあ。本当は羨ましくって、しょうがないんだろうなあ。
「凪と一緒にお風呂に入るのと、私と一緒にお風呂に入るのと、どっちが嬉しい?」
なんて、意地悪な質問をついしてみちゃった。
「究極の選択?それ」
「え?」
「う~~~ん」
あれ?本気で聖君、悩んじゃった。
「凪と一緒なのも、凪、可愛くって嬉しいんだけど…」
「うん」
「でも、桃子ちゃんとだと、こうやって抱きしめたりキスしたり、いろいろと楽しめるし」
た、楽しめる?
聖君はバスタブの中で、私を後ろから抱きしめてうなじにキスをしたり、胸に触ってきたりした。
「聖君!それ以上は駄目」
「なんで?」
「なんでじゃないよ~~」
「…いいじゃん」
よくないってば。もう!
「なんだよ。じゃ、凪と一緒に風呂に入れる方が、俺、嬉しいかも」
あ、そんなこと言うんだ。ええい、反撃!
「いいよ。じゃあもう、聖君はずうっと凪と一緒にお風呂に入っていたら?私は一人で入るから」
「………」
あ、黙り込んだ。もしやいじけた?すねた?へそ曲げた?
「桃子ちゃん、妬いてるの?可愛い」
そうきたか。
「本当は桃子ちゃんだって、嬉しいくせに」
「何が?」
「俺と一緒にお風呂入るのが」
「…」
そ、そうだけど。
「俺のこといっつも、とろんとした目で見てるくせに」
「え?!」
「もう~~、桃子ちゃんのエッチ!」
そうか。見てるの、ばれてるのか!
「だって、聖君、かっこいいんだもん」
「…俺、風呂場でなんにもかっこいいことしてないけど?」
「髪洗ったりしてる」
「それのどこがかっこいいんだか…」
「いいもん、わかんなくっても」
「…変なの」
「いいもん、変態でも…」
「あはは!自分で言ってるし」
「水も滴るいい男って、どういう意味かな」
私が聞くと聖君は、またうなじにキスをしながら、
「さあ?」
と答えた。
「聖君がね、髪を洗って、濡れた前髪を手でかきあげるでしょ?それが色っぽいの」
「…へえ」
「で、前髪から水が滴っているのも、色っぽいの」
「……ふうん」
「それから、あごから水が滴っているのも、色っぽい」
「もういい!いいです、桃子ちゃん」
あ、やっぱり、照れてたか。
「なんだかなあ。やけに桃子ちゃんが色っぽい目で見てると思ったら、そんなところを見ていたんだ。まいっちゃうよなあ」
「まいっちゃった?」
「うん。なんか、恥ずかしいじゃん」
「え?そうなの?」
「…桃子ちゃんがそんなこと言われたら、やっぱり恥ずかしいでしょ?」
「私、色っぽくないもん」
「あれ?じゃ、色っぽいところ、教えてあげようか?」
「い、いい!聞きたくない」
「なんで?」
「恥ずかしいからいい」
「でしょ?」
聖君はそう言うと、私をギュって抱きしめた。
「聖君、時々すごく優しい目で私を見るでしょ?」
「俺が?そうなの?」
「うん。すご~~く優しい目で見るの」
「へえ、そうなんだ」
「そんな目で、今日見てたんだ」
「俺?」
「ううん、やすくん」
「え?!」
聖君がものすごい声をあげた。
「いつ、どこで?なんで桃子ちゃんにやすが、そんな目で見てるんだよ」
「あ、違うってば」
聖君、すんごい誤解~~!
「私にじゃなくって、杏樹ちゃんにだよ」
「やすが?杏樹を?」
「そう。優しい目で見てたの。それって、どう思う?」
「妹みたいに思ってるんじゃないの?」
「あ、そうか、そうなのかな」
そういえば、そんなこと言ってたもんね、前に。
「わかんないけどね」
聖君はそう言うと、しばらく黙り込み、
「もしかして、自分が杏樹を好きになってることも気づかないでいるかもしれないしね」
とボソッと言った。
「え?」
「そういうことって、あるじゃん。俺もそうだったし」
「え?誰に対して?」
「決まってるでしょ」
「私?」
「そう。桃子ちゃんのことが好きだって意識した時よりも、もっと前から、桃子ちゃんに奪われてたみたいだし」
「え?う、奪う?」
「そう。桃子ちゃんに、俺はすでに心奪われてたみたいだよ?」
「え~~~?」
「あはは。奪われてるっていうか、心を開いていたっていうか」
「あ、そういうこと…」
びっくりした。
「やすも、もしかして気づいていないだけかもね」
「そうかな。もしそうだとしたら、どうしたら気づくの?」
「さあ?それは本人にしか、わかんないことだろうし」
「…じゃあ、どうしたら聖君は、私が好きだって意識したの?」
「ええ?それは…。桃子ちゃんが、めちゃ可愛い!って思ったから?」
「…あ、そう」
か~~。なんだか、聞いてて顔が熱くなってきちゃった。じゃなくって、これはもしやお風呂に長く入りすぎ?
「あ、私、のぼせたかも」
「じゃ、そろそろ出ますか」
聖君はそう言うと、私と一緒にお風呂から出た。
「桃子ちゃん、お腹ひっこんだね」
聖君は私のお腹を見て、そう言ってきた。
「え?あ、そうなんだ。やっとこ、ひっこんだの。でもちょっと、皮がだぶついた気もする」
そう言いながら、お腹の皮を私はつかむと、聖君はそっと私のお腹を触ってきて、
「凪がここにいたんだもん。しかたないよ。でも、不思議だね」
と優しく言ってきた。
「不思議って?」
「だって、数か月前までは、桃子ちゃんのお腹の中にいたんだよ?お腹の中で動いて、蹴っ飛ばしてってしてたのにさ」
「うん、そうだよね」
聖君は優しく私のお腹を撫でて、
「桃子ちゃんのお腹にも、ご苦労様って言わないとね」
と、そんなことを言ってきた。
「え?なんで?」
「だって、凪をちゃんと育ててくれたんだから。ね?」
「うん、そうだね」
聖君に抱きついて、私は聖君にキスをした。
「私のお腹が出てても、皮がたるんじゃっても、聖君は気にしない?」
「くす。気にしないよ?」
「また胸が小さくなっても、もしかして垂れちゃっても?」
「あはは。気にしないよ」
むぎゅ~~。思い切り聖君を抱きしめた。
「桃子ちゃんが、桃子ちゃんなら、それだけで俺、大好きだから」
「うん」
「俺も変態だから、安心して?」
「…え?何それ」
「だぶついちゃった桃子ちゃんのお腹の皮まで、愛しいから」
「変態!」
「でしょ?」
「もう~~」
「あははは。変態カップルだね」
バカップルから、変態カップルになっちゃったの?まあ、いいか。
聖君のそんな考え方も、好きだし。そんなことを言って爽やかに笑ってる聖君も大好きだし。
その日は、凪がなかなか寝付いてくれず、寝た頃には聖君も、うつらうつらしていた。
「おやすみなさい」
私がそう言って、隣で寝転がっている聖君にキスをすると、
「ああ、桃子ちゃんを抱きたい。でも、眠い」
と聖君は眠い目をこすりながら、抱きついてきた。
「寝ようよ。明日から大学でしょ?」
「そう言われると、ますます抱きたくなってくるなあ」
もう~~~。でもほら、目、閉じかけてるよ?
「桃子ちゅわん。せめて…、キス」
眠そうな目で聖君は、私を見つめてきた。
キスをすると聖君は、す~~って寝息を立てて寝てしまった。
はやっ!!本当に、この人って、寝付くまでの時間がほとんどないんだから。
でも、そんなところも可愛いし、寝顔なんて可愛すぎちゃって、つい襲いたくなる…。
って、その思考が危ない!もう完全な変態になるところじゃないかっ。私ったら。
だけど、聖君を好きな女性が、この無防備で可愛い聖君の寝顔を見たら、誰だって襲いたくなっちゃうんじゃないだろうか。襲わなくても、キスくらいしたくなるよ。それから、抱きしめたり、髪を撫でたりしたくなっちゃうってば。
なんて自分にそう言い訳をしながら、聖君にキスをして髪を撫で、髪をかきあげおでこにまたキスをした。
「ん…。桃子ちゃん。もう一回キス…」
へ?起きてた?
「あ~~~~。抱きたい」
そう言うと、聖君はまたすうって寝息を立てた。
今の寝言?それとも、起きてた?寝言だとしたら、いったいどんな夢?
翌朝、また聖君と散歩に行った。凪は嬉しそうにしているし、クロは思い切り尻尾を振って喜んでいる。そして浜辺でまた老夫婦に会った。ちょっと会話をして、老夫婦は去って行った。
「結婚して何年たっているんだろうね?」
「うん」
「いいね。いつまでも仲のいい夫婦」
「聖君のおじいさんとおばあさんも、仲いいじゃない?」
「ああ、あのカップルもいまだに、アツアツだよね」
「うん」
「母さんと父さんもそうだし、俺らもそうだし、みんなしてアツアツだよなあ」
「うん。いいよね、榎本家って」
「まあね」
聖君はにっこりと笑って浜辺を歩き出した。
「きっと凪も、素敵な相手を見つけるんだろうね。それでバカップルになっちゃうのかも」
ついそんなことを私は言ってしまうと、聖君は眉をひそめて黙り込んだ。
「そんなの、ずうっとずうっとずうっと、何年も先の話だよ」
「そ、そうだね」
あはは。と私は顔を引きつらせながら笑った。でも、聖君は笑わなかった。
娘を持つお父さんの心境、私にはさっぱりわかんない。私の父も聖君が私を沖縄に連れて行くって言った時には、思い切り憤慨しちゃったし、娘への思い入れっていうのは、きっと私が思う以上に強いものなんだろうなあ。
店に戻り、聖君はすぐに車に乗り込み大学に行った。お店には10時ちょっと前に、紗枝さんが来て、久しぶりの再会を喜んだ。
平日、紗枝さんが夕方までお店に出て、そのあと、朱実さんがお店に出ることが多いが、朱実さんもいろいろと大学の勉強で忙しくなってきたらしく、やすくんが、平日の夕方、シフトに入ることもあるらしい。今日明日は、やすくんが夕方5時から8時まで、お店に出るようだ。
「紗枝さんは、やすくんと一緒に仕事をすることもあるんですか?」
「ううん。私が帰る頃、やすくんが来るから。顔を合わせる程度なの。だから、あんまり話をしたこともないし。それに、あの人あんまり、女の子と話さないみたいだし」
「…そうなんですか」
「なんで?」
「いえ、別に」
杏樹ちゃん以外の人が、やすくんに気が合ったら困るよなあって、ちょっと思って聞いてみたんだけど。紗枝さんは特に何も思ってないみたいだな。
朱実さんもどうやら、好きな人と付き合いだしたみたいだし、これなら杏樹ちゃんのライバルはいないってことだよね?
「もしかして、私とやすくんをくっつけようとした…とか?」
紗枝さんが小声で私に顔を近づけ、聞いてきた。
「い、いえ、そんなこと」
逆逆。くっついたら困るから聞いただけで。
「でもね、私年下って興味ないんだ。もっと頼りがいのある人でないと」
「あ、そうなんですね」
「だけど、なかなかいないんだよねえ。出会いがないんだもん。ここ、女性客が多いし、私のオーラソーマもお客はほとんど女性」
「そうなんですね」
「聖君みたいな素敵な人が近くにいると、その辺の男はかすんで見えるし」
「…そ、そうなんです…ね」
「そう思わない?なかなか、あんなかっこいい人っていないじゃない」
「はいっ」
あ、思い切りうなづいてしまった。
「羨ましいなあ。あんな旦那さん。もう結婚もしてるんだから、絶対に安泰だし」
「え?」
「なかなか、あんな素敵な人ゲットできないよ。桃子ちゃんが羨ましい」
紗枝さんはため息をついて、ホールの仕事にとりかかった。
うん、そう思う。私も、あんな素敵な人絶対に出会えないって思うよ。
聖君以上の人なんて、絶対にいないって。
なんてね。あんな素敵なお兄さんがいても、杏樹ちゃんにとってはやすくんのほうが、素敵なんだよね。まあ、そんなもんだよね。
11時ちょっと前、おじいさんとおばあさんが、れいんどろっぷすに到着した。
「こんにちは」
ちょうどおっぱいを飲み終え、ご機嫌の凪を抱っこしながら2人を出迎えると、
「凪ちゃん?初めまして!わあ、可愛い」
「桃子ちゃん、凪ちゃんを抱っこさせて!」
と2人できゃ~きゃ~~、大変なことになった。
凪は、おじいさんに抱っこされて、ちょっとびっくりしている。
「凪ちゃん、圭介パパだよ。よろしくね。ああ、桃子ちゃん似で可愛いね~~」
おじいさんはそう言うと、凪を揺らしたりあやしたりして凪を笑わせた。凪は「きゃっきゃ」とすぐに声を立てて笑ったので、ますます聖君のおじいさんもおばあさんも、凪にメロメロになった。
「今度は私が抱っこするわ、圭介」
そう言って、おばあさんが凪を抱っこした。
「凪ちゃん、瑞希ママよ。よろしくね~~~」
えっと。凪にはいったい何人のママとパパがいるのやら。
リビングで、聖君のお父さんも交えて、わいわいと盛り上がった。
「父さん、圭介パパって凪ちゃんに呼ばせるのは無理があるよ」
「いいじゃんか。お前だってどうせ、爽太パパって呼ばせるんだろ?」
「そうだけど」
「俺もなあ、杏樹と聖に圭介パパって呼ばせていたんだ。なのに、お前がおじいちゃんって呼ぶんだぞって教えたから、いつの間にか、おじいちゃんって呼ぶようになっちゃって。こんなに若いのにさあ」
「…もう立派なじいちゃんの年だろ?っていうか、そもそも凪ちゃんからみたら、父さんはひいじいちゃんなんだからパパなんて呼ばせるの、無理を超えてるって」
「いいじゃんかっ」
面白いなあ。いつ聞いてもこの親子の会話。そして、この意地っ張りと言うか、頑固と言うか、ゴーイングマイウェイなおじいさんの性格は、聖君に似てるんだよなあ。
血がつながってるわけじゃないのに、きっと幼い頃、おじいさんに可愛がられていたんだろうな。それで、似ちゃったんだろうなあ。
そういえば、私の性格もおばあちゃん似だって言われる。小さなころはずっとおばあちゃんが私を見ててくれたから、それでなのかなあ。
「凪ちゃん、本当に可愛いわね。女の子、女の子していて。空も可愛いけど、やっぱり男の子と違うわ」
「空君、元気ですか?」
「空は、ちょっと体が弱いの。寝つきも悪いし、もう夜泣きもするし。春香なんて痩せちゃって、寝不足で大変なのよ。桃子ちゃんは?大丈夫なの?」
「それが、凪は良く寝てくれるいい子で、夜泣きも全然」
「そうだよね。凪ちゃんはまったくぐずらないし、機嫌がいい時がほとんどだもんね」
お父さんもにこにこしながら、そう言った。
「そう、いいわね。女の子のほうが丈夫なのかしら。空は肌も弱いから、湿疹も出ちゃってるし、春香もおっぱいがもう出なくなって、ミルクをあげてるの。それが原因かしらねえ」
「そのうち元気になるさ。爽太だって、体弱かったろ?春香よりもずっと」
おじいさんがおばあさんにそう言って、安心させた。
「そうね。男の子のほうが、弱いのよね。でも、だんだんと強くなっていくわね」
「…その点、聖は元気だったよなあ。ずうっと」
おじいさんがそう言うと、
「ああ、聖はね。元気だったね。やんちゃだったしね」
とお父さんもうなづきながら答えた。
「そうそう。いっつも気が付くと、フラフラと遊びに行っちゃうから、危なっかしかったわ」
「それに、なんにでも好奇心旺盛で、怪我はよくしていたっけ」
「でも病院嫌いで、絶対に病院に行こうとしないし」
「あははは。あの頃からあいつは、頑固だったよなあ。誰に似たんだろうなあ」
聖君のおじいさんは、豪快に笑った。それ、その性格はおじいさんに似たんだと思うんだけど。
それにしても、平和だなあ。本当に榎本家って明るいよね。おじいさんもおばあさんも、明るくって楽しくって優しくって、私はこの場にいるだけで、ほわわんってあったかい空気に包まれちゃうんだよね。
それは凪も同じだったのか、ずっとにこにことしている。その笑顔を見て、またおじいさんもおばあさんも、そしてお父さんもメロメロのデレデレになっている。
おばあさんが、おじいさんに顔を近づけ、
「ひ孫が見れるなんて、圭介も長生きしたわよね」
とそうささやいた。
「瑞希もでしょ?」
「そうね」
「なんだか、信じられない話だよなあ。爽太に会えたってだけでも奇跡だったのに」
「じゃ、奇跡の連続だね。父さん」
「うん、そうだな!人生は奇跡でできてるもんなあ」
また、聖君のおじいさんは、目を輝かせ、笑った。
ああ、いいな。こういう家族に囲まれているのって。
それからも、榎本家のリビングは笑いに包まれ、楽しい時間が過ぎて行った。この空間、この場所にずうっといられたらいいな…。私はそんなことをずっと感じていた。