第39話 結婚したって本当ですか
翌朝、聖君はお店に行くといきなり、
「今日は俺と桃子ちゃんと凪で、散歩に行くから!父さんじゃなくって、俺が!」
と勢いよく、断言した。
「クロもだろ?」
お父さんがそう言うと、クロは自分のリールを口にくわえ、お店の入り口に尻尾を振りながら嬉しそうに向かって行った。
「ゆっくりしてこいよ、聖。店の方は俺が手伝っておくから」
聖君のお父さんがそう言うと、聖君は、
「…サンキュ」
と、申し訳なさそうに小声で答え、クロのリールを手にした。
凪は私が抱っこをして、
「行ってきます」
と言って、お店を出た。聖君のお父さんとお母さんは、笑顔で私たちを見送ってくれた。
「お父さんって」
「え?」
「寛大だよね。優しいし」
「…それ、俺は心が狭いって言いたいの?桃子ちゃん」
「違うよ~~~」
もう、聖君。ちょっと今、すねてない?
「わかってるよ。俺もそう思ったし」
「え?」
「父さんはああやって、いっつも俺より余裕があるんだ」
「…聖君だって、きっとそんなパパになるよ」
「そうかな?心の狭い、頑固でわがままなお父さんになりそうな気もするけど…」
「………」
「あ、あれ?桃子ちゃん。なんでそこで黙るかな。やっぱり、桃子ちゃんもそう思う?」
「わかんない」
「え?」
聖君の顔が一瞬引きつった。
「わかんないけど、どんな聖君でもきっと、大好きでいるんだろうなあって思って…」
「……」
あ、聖君、今度は照れてる。
「桃子ちゃんはね、俺に惚れすぎてるからそう思うかもしれないけど、凪はわかんないよ」
「え?」
「うるさくって、嫌なおやじって思うかもしれないだろ?」
「そうかな~~。こんなに若くてかっこいいパパ、私だったら嬉しいけど」
「だから、それはさ、桃子ちゃんが俺に惚れてるからそう思うんであって…」
「ママがパパを大好きなら、きっと凪もそうなるよ」
私がそう言って、ね?と凪のほうを見ると、凪はきゃって声をあげて喜んだ。
「ほら、そうなるって」
今度は聖君の顔をのぞいて見た。すると、やっぱり照れくさそうにしていた。
「クロ、浜辺を競争するか」
浜辺にその時ちょうどついて、聖君はクロのリールを首輪からはずし、クロと一緒に走り出した。
あれも、照れ隠しかなあ。
ワンワン!クロが喜んで走っている。それを聖君も全力で追いかけている。
あ~~あ。ああいうところは、全然変わっていないよね。
「クロ!休憩だ、休憩!」
聖君は途中で根をあげ、ぜえぜえ言いながら、私たちがいる石段にやってきた。クロはと言うと、まだ浜辺を走っている。
「あ~~、俺、年取った」
「へ?」
「あれくらいで、こんなに息切れするなんてさ…」
いやいや、普通でしょ。だって、思いっきり全力で走り回ってたじゃない。あんだけ走ったら、息切れもするって。
「は~~~~~。でも、思い切り走ると、気持ちいいな」
聖君は石段に座って、空を見上げた。
「あら…」
そんな私たちに声をかけてきた人がいた。
「あ、昨日はどうも…」
昨日の老夫婦だ。うわ。どうしよう。昨日はお父さんが私の旦那さんだって思い込んじゃったのに。
「……昨日の」
「はい」
ドキドキ。私のこと覚えてるんだよね?
「今日もお散歩?今日も可愛いわね。ピンクのお洋服がとっても似合ってて」
おばあさんは、凪に顔を近づけ微笑んだ。
「お名前は?」
「凪っていいます」
「凪ちゃん?まあ、可愛い名前…」
おばあさんはそう言って、凪のことを見てから、隣でまだ息切れしている聖君の方も見た。
「…」
おばあさんは無言で聖君を見て、それからおばあさんの隣で、凪のことを見ているおじいさんのほうを向いた。
「今日は、旦那さんは?」
おばあさんは今度、私の顔を見てそう聞いてきた。ああ、やっぱり聞いてきたか。
「あの…、すみません、昨日一緒にいたのは…」
「あ!そっか。昨日のは俺の親父です」
聖君はようやく息が整ったようで、そうおばあさんに明るく答えた。
「…そうなの?じゃあ、あれ?もしかして、お父さんはこの若い女の子と再婚」
「違います。俺が凪のパパで、親父は凪のおじいちゃんで、この子は俺の奥さんです」
「え?」
ほら、おじいさんもおばあさんも、目を丸くして驚いてるじゃないか。
「あ、あら、でも、昨日は」
「すみません。俺の親父、自分のこと凪のじいちゃんだって、言いたがらなくって。昨日も凪のパパの振りしたみたいですね」
「そうだったの~~」
おばあさんはそれを聞いて、笑い出した。
「ははは。若いおじいちゃんだもんな。お父さんだって言ってもわからないくらいにな」
おじいさんまでが笑いだした。
「じゃ、若いご夫婦なのね。あなたたち。いいわね」
おばあさんはそう言うと、笑いながらおじいさんとその場を去って行った。
「毎日散歩してるのかな」
聖君は、老夫婦の背中を見ながら小声でそう言った。
「そうかもね」
「いいね、いつまでも仲良くって。あんなふうに年取りたいね」
「くす」
「何?なんで笑ったの?桃子ちゃん」
「だって、聖君はおじいちゃんになっても、犬と全力で走っていそうなんだもん」
「え~~!そんなことはしないよ、いくらなんでも!」
「くすくす」
「ちぇ~~」
聖君はちょっとすねた顔をした。それから凪を抱っこすると立ち上がり、浜辺をゆっくりと歩き出した。
「ワンワン」
聖君のもとに、ようやくクロが戻ってきた。それから私たちは、しばらくのんびりと浜辺を歩いて、潮風に当たったり、海を眺めた。
「凪といつか、海、潜りたいな。あ、もちろん、桃子ちゃんもね」
「うん」
聖君は遠くを見つめながらそう言った。
その時、私たちはどこに住んでいるんだろう。
そして、聖君はどんな仕事をしているんだろう。
それはわからなくっても、確実にわかることはただ一つ。聖君と私や家族はいっつも、一緒にいるってことだ。
ああ、いいな。家族でいられるって。恋人じゃいつ別れが来るか…なんて、不安もあったけど、夫婦だったら、そんな心配もいらないし。
あ、もちろん、離婚する夫婦もいるかもしれないけど、でもなぜか、それは私、考えられないんだ。
聖君だったら、絶対に私や凪をずうっと大事にしてくれるって、そう思えるから。
だって、すごく家族を大事にする人だから。
凪を抱っこしながら、嬉しそうに微笑んでいる聖君を見ていると、その思いはもっともっと、強く感じられた。
ああ、幸せだなあ…。
幸せをかみしめながら浜辺を歩いていると、突然聖君のもとに2人の女の子が来た。サーファーだ。
「きゃ~~。聖先輩!」
「うっそ~~~。聖先輩だ~~」
聖君に会えて、嬉しそうにはしゃいでいる。
「…えっと?」
あら。聖君はわからないのかな、この子たちのこと。
「覚えてないですよね。私たち同じ高校の一学年下の…」
「うん、悪いけど…」
「その赤ちゃん、もしかして聖先輩の?」
「ああ、そう。俺の娘の凪」
「やっぱり~~。結婚したのも子供が生まれたっていうのも、本当だったんですねえ」
その子たちはちょっとがっかりした顔を見せ、私のほうを見た。
「奥さんですか?」
「ああ、うん」
聖君はちょっと照れくさそうにうなづいた。
「…」
その子たちは黙って顔を見合わせ、
「お幸せに」
と言って、その場を立ち去って行った。
あんなに聖君に会って嬉しそうだったのに、がっかりしながら去っていったなあ。結婚したのも子供がいるのも、やっぱりショックなのかなあ。
「すごいなあ」
聖君はなにやら、やたらと感心している。
「何が?」
「結婚してて子供がいるって」
「へ?」
「前みたいに、こっちが何か言わないでも、さっさとあきらめて去って行ってくれるんだ」
「…え?」
「これからは、もっと周りが静かになるね」
「…」
「桃子ちゃんも、安心でしょ?」
「う、うん」
そうか。聖君にとっては、あんまりモテるのは嬉しいことではなかったのか。それもそうか。いろいろと大変な目にもあってるんだもんね。
「店にも、結婚したって本当ですか?っていまだに聞きに来る子がいてさ」
「そうなの?」
「うん。で、本当だよって答えると、肩を落としてお幸せにって言って帰って行くんだ」
「…結婚していてもあきらめない子はいないの?」
「うん、あんまり。今までで、3人、あ、4人?」
いるんじゃないっ!そんなに。
「でも心配はいらないから。ね?」
「うん」
聖君はまた、凪のことをあやしながら歩き出した。凪は聖君の腕の中で、嬉しそうに声を立てて笑っている。
その日は、ゴールデンウイークの最終日だった。お店は昨日よりもちょっと落ち着いていた。
でも、スコーンを焼くのを手伝ってとお母さんから頼まれ、私はお昼を食べ終わってから、キッチンにいた。
ホールでは聖君とやすくんが、動き回っている。やすくんは、昨日よりも余裕があるのか、笑顔で接客できていた。
スコーンをあとは焼くだけ…、の段階になり、なんとなくホールのほうを私は見ていた。すると、やすくんが笑顔でいられる理由がしっかりとわかった。
聖君だ。聖君が昨日ほど、ぴりぴりしていないんだ。
たまに、キッチンに2人が戻ってくると、
「やす。さっき、おまたせしまちたって言ってなかった?」
と言って、やすくんをつっつきながら、
「子供かよって、隣で俺、ふきそうになったよ。まじ、笑える」
と笑ったりしている。その横でやすくんは、顔を赤くして照れたりしてるし。
「あはは、もう、笑いをこらえるの大変なんだから、笑わせるなよなあ」
そう言って聖君は、やすくんの背中をたたき、そしてまたホールに、涼しい爽やかな笑顔で戻って行った。
「…やっぱり、お父さんの言ってること、本当だったね」
まだキッチンで、伝票にオーダーを書き込んでいるやすくんに私は声をかけた。
「え?」
ちょっとやすくんは、驚きながら私を見た。
「昨日は聖君も忙しすぎて、余裕がなかったんだね。今日は、聖君、やすくんに笑いかける余裕あるもん」
「あ、そうっすね…」
やすくんはそう言うと、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
そして私と一緒に、お客さんと爽やかな笑顔で話している聖君をやすくんも見た。
「は~~~~、あの笑顔。最上級だよね。ほら、あのお客さん、顔赤くしてるし」
「ああ、そうっすね。聖さんよりも全然年上の女性なのに…」
「あの笑顔で、話しかけられたら、そりゃまいっちゃうよね」
「…桃子さんもやっぱり、聖さんの笑顔に一目ぼれしたんですか?」
「大当たり…」
「やっぱり?じゃ、桃子さんからコクったんですか?」
「ううん。友達が私が聖君を好きだって、ばらしちゃって。私からなんてとてもじゃないけど、告白できないよ」
「…じゃあ、それを知って聖さんが気持ちに答えてくれたんだ」
「う~~ん。いろいろと複雑なこともあって…。まあ、いろいろと…ね」
「ふうん」
そんな話をしていると、聖君が、お客さんの追加オーダーをしにキッチンにやって来た。
「アイスのデザート、追加オーダーです」
「は~~い」
桜さんがキッチンの奥から、元気にそう答えた。
「やす、お前、俺の奥さんに近づいたら駄目だって言ったよね?」
「あ…」
やすくんは、焦って私から離れて、聖君の横までずれた。
「まったく、ちょっと目を離すとこれだもんな。何を仲良くしゃべってるんだよ」
「すみません。でも、桃子さんは、聖さんの笑顔を見て、うっとりとしていたので、それで…」
「え?」
「それで、2人のなれそめを聞いてただけですから」
「…そうなの?」
聖君は今度は私に聞いてきた。
「うん。私が聖君に一目ぼれしたっていう話をしていたんだ」
「ふうん」
あれ?信じてない?
「はい。アイス。持って行って!」
桜さんに言われ、聖君は、
「やす、行ってこい」
とやすくんに行かせてしまった。
あ~~あ。さっき、アイスをオーダーしたのって、笑顔を向けられ赤くなっていた人だよね?聖君じゃなかったら、がっかりするんじゃないかな。
「で、本当にそれだけ?やすのやつ、桃子ちゃんを口説いたりしていなかった?」
やすくんがホールに行ってから、聖君はこそこそと聞いてきた。あ、やっぱり、信用していなかったな。
「それだけだよ。私が聖君を見て目をハートにしている時に、口説いてくるような人はいないと思うけど」
「…俺を見て、目、ハートにしていたの?」
「うん。笑顔、最高だったんだもん」
「…ゴホ」
あ、なんだか、むせちゃった。聖君。
「…桃子ちゃん、昨日から変なの治ってない…」
「聖君に惚れすぎ病?」
「へ?」
「恋煩いかな、もしかして」
「え?!な、何言ってんの?」
聖君が顔を赤くしている。あれ?照れてる?
「ちょっと~~。いちゃつくなら、休憩のときにリビングでしてよ」
桜さんが私たちの会話に割り込んできた。
「あ、ごめんなさい」
私は素直に謝ったが、聖君は、
「いいじゃん。新婚なんだから」
となぜか、言い返していた。
「もう、ほんと、聖君ってガキ」
桜さんも言い返しているし。面白いなあ、この二人はちょっと兄弟げんかをしてるみたいになって。
「いらっしゃいませ」
その時、やすくんの明るい元気な声がホールからした。が、すぐにやすくんは、慌ててキッチンに顔を青くしてやってきた。
「あ、あの、聖さん、なんだか、今来たお客さん、泣きながら聖さんを呼んでくださいって言ってるんですけど」
「え?」
桜さんも私も、びっくりしてホールのほうを見た。でも聖君だけは、
「あ~~。また来た?」
とちょっとうんざりした顔をした。
「よく来るお客さんなの?」
私がそう聞くと、
「ううん。あの子はあんまり見た顔じゃないけど、よくああいうお客さんは来るんだよね」
とそうつぶやき、そしてホールに出て行った。
「ああ、なるほど」
桜さんは腕組みをして、
「きっと、聖君、結婚したって本当ですか?って聞きに来た子よ」
とそう眉をひそめて小声で言った。
「また、来ちゃった?」
お母さんまでがキッチンの奥からやってきた。
「来ましたよ。あの子の顔、たまに見たことある。きっと聖君目当てで来ていたお客さんですね」
「ああ、あの子。私も知ってるわ。しばらく来てなかったのよね。聖のこともあきらめて、もう来なくなっちゃったのかって思ってたわ」
「そうですよね?1年くらい前には、よく通ってたかもしれないですよね」
「うん、うん」
お母さんと桜さんはそう言うと、ホールのほうを見た。やすくんも私も、声を潜めてホールのほうを見ていた。
「噂で聞いて、びっくりして…。聖君が結婚して、子供もいるって。嘘ですよね?」
「本当だけど」
聖君は目を真っ赤にさせながら、聞いてくる女の子に、ひょうひょうとそう答えた。
「嘘だ」
「…奥さんだったら、キッチンに今いるし、娘は家にいるよ。連れてこようか?」
「い、い、いいです」
その子は大きな目から、ぽろっと涙を流した。
「…去年から、働いてて、忙しくなって、お店にもあんまり来れなくなって…。でも、ずっと聖君のことが好きで、いつか告白もしようって思ってて。だけど、だけど…。まさか、結婚しちゃったなんて~~」
あ~~あ。本格的に泣き出しちゃった。他のお客さんもみんな、注目しちゃってるよ。
「泣いちゃった」
「あ~~あ」
お母さんと桜さんも、まだ二人のことを見ていた。それから、私の横ではやすくんが、目をまん丸くさせて見ている。
「聖さんって、すげえ、モテるんですね」
「…うん」
私は思わず、思い切りうなづいてしまった。
「大変だ、桃子さんも」
「うん、そうなの」
また思わず、思い切りうなづいてしまった。
「大丈夫よ。聖君は桃子ちゃん一筋なんだから」
「そうそう。あの子も今日限り、うちの店にも来なくなるだろうしね」
桜さんとお母さんはそう言うと、キッチンの奥に入って行って、仕事の続きをし始めた。
「そうなんすね。聖さんは本当に、桃子さん一筋なんですねえ」
やすくんは目を輝かせてそう言うと、
「ああ、やっぱり、いいっすね、桃子さんと聖さんって。俺も彼女、まじで欲しくなりました」
とウキウキしながらそう言った。
やっぱり、私がどうのっていうんじゃなくって、聖君とセットにした私がやすくんは、いいみたいだ。
「聖君。悲しいけど私、あきらめます。奥さんといつまでもお幸せに」
ひとしきり泣いた女の子はそう言うと、お店を出て行った。
「…は~」
聖君は、ため息をしながらキッチンに来た。
「俺、びっくりしました。いきなり目の前で泣いちゃったから。聖さんも大変っすね」
やすくんは聖君にそう声をかけた。
「そうだね」
聖君が、苦笑いをして答えると、
「でも、どんなにモテても聖さんは、桃子さん一筋なんですね」
とやすくんは目を輝かせて聖君にそう言った。
「…え?」
聖君がびっくりしていると、もっとやすくんは、目を輝かせた。
「俺、まじでうらやましいっす。俺もそんなふうに思える彼女が欲しくなりました」
「…。あ、そう?」
聖君の方は、まだ目を丸くして驚いているようだった。
「いいな~~。俺も絶対に彼女、作るぞ」
やすくんのなんだかわかんない、意気込み…。私も思わず、目を点にしてしまった。
「ど、どうしちゃった?やすくん」
私がキッチンの奥に行くと、桜さんもやすくんの意気込みを聞いていたらしく、そっと私に聞いてきた。
「よくわかんないですけど、彼女を作るんだそうです」
「…そうなんだ。じゃ、杏樹ちゃん、頑張らないと」
「あれ?知ってるんですか?」
「うん、相談されたしね」
そうなのか。杏樹ちゃん、桜さんにも相談していたのか。
でも、そうだね。彼女が欲しいって思っている今がチャンスかもしれないよね!
そう思ったら、なんだかこっちのほうが、ドキドキしてきちゃった。
杏樹ちゃんの恋、応援したいな。ああ、うまくいったらいいのになあ。