第36話 どっちが甘えん坊?
夜、杏樹ちゃんがしばらく、凪のことをあやしていた。凪の笑い声や笑顔は、杏樹ちゃんのことも思い切り喜ばせ、杏樹ちゃんは凪のとりこになり、離れられなくなっていたようだ。
だが、お母さんがお店を閉め、片づけを聖君に任せてリビングに来ると、凪を独占してしまった。
「凪ちゃんの笑顔、癒される~~」
お母さんもまた、凪にメロメロになった。
お母さんに凪を横取りされた杏樹ちゃんは、最初ぷんぷん怒っていたが、
「お姉ちゃん、部屋に来て」
と言って、私の手を取り、2階に上がって行った。
聖君はまだ、お店の片づけをしている。その間にどうやら、杏樹ちゃんは私と話がしたいみたいだ。もしかすると、恋の話かなあ。相談事かな。
「今日、会った?」
部屋に入るといきなりそう聞かれた。
「誰に?」
「…新しいバイトの…」
「ああ、やすくん?会ったよ」
「で、どうだった?」
「どうって?」
「どんな印象だった?」
杏樹ちゃんの顔は赤くなり、でも、目は輝いている。
「いい子…っていうか、真面目そう」
「…それ、お父さんも言ってた」
「お父さん、やすくんのこと気に入ってるんだね」
「お兄ちゃんは気に入ってないけどね」
「え?なんで?」
「お母さんと仲いいからじゃないの?」
…。聖君って、やっぱり、そんなにマザコンだったんだ…。
「やすくん、彼女いないんだって」
「…ふうん」
そう言う話は聞いていたけど、どうも、タイプは桃子さんみたいなって言われたからか、杏樹ちゃんとやすくんの話をするのに、抵抗があるなあ。
「ねえ、どうやったら、うまくいくのかな」
「え?」
「いきなり告白なんてしたら、ふられちゃうよね」
「…ど、どうかな?」
「やすくん、どんな子がタイプかな」
「さ、さ、さあ?」
ああ、声裏返ってない?私。
「お姉ちゃんに聞いてもらおうかと思ったけど、お姉ちゃんがやすくんと仲良くしたら、お兄ちゃんがもっとやすくんのこと、嫌いそうだから、やめておこうかな」
「嫌ってるの?でも、やすくんは聖君のことをすごく尊敬してるみたいだったよ?」
「そうかな。でも、お兄ちゃんのこと、あまりやすくんは知らないと思うけど」
「今日は一緒にお店に出てたから、今日だけでも聖君の良さは、わかったと思うよ?」
「もう~~~~」
杏樹ちゃんが私の腕をぺちっとぶってきた。
「な、なに?」
「お姉ちゃんに言わせたら、お兄ちゃんが一番になっちゃうんだから」
「え?そんなこと私、言ったかな」
「…まあ、いいけどね」
あれ?言った?私…。
「あ~~~あ。どうしたら、思いは伝わるんだろう」
杏樹ちゃんはため息をついた。
「杏樹ちゃんは、やすくんのどこに惹かれたの?」
「…笑顔かな」
あら、私が聖君に惹かれたのと同じ?
「あと、ギャップ?」
「え?」
「見た目、髪も茶色いし、なよなよしているふうに見えるけど、でも実は真面目で、照れ屋なところがいいなあって」
「ふうん」
ギャップかあ。そういうのに、きゅんって女の子はきちゃうものだよね。
「お兄ちゃんのギャップも激しいから、お姉ちゃんはびっくりしたでしょ?」
「ううん。そうでもない。きっと、徐々に聖君のことを知っていったからかな。あんまり驚いたりはしなかったな」
「そうなの?お店で見せるスマートな印象と、学校で見せる、めちゃクールな印象と、まったく違うでしょ?」
「私はお店の聖君も、学校の聖君も知らなかったし。最初から、基樹君とバカばっかりやって、大笑いをしている聖君を見ていたから、やっぱりあんまり、ギャップってなかったかな」
「ああ、そうか~~。けっこう素のアホなお兄ちゃんを、最初から知ってたんだね」
あほではないと思うけど。
「ただ…」
「え?なになに?」
杏樹ちゃん、興味津々だ。
「あんなに、甘えん坊だとは思わなかったけど」
「それ、お姉ちゃんの前でだけだよ。そんなお兄ちゃん、嫌じゃないんだよね?」
「うん。逆に可愛いし、嬉しいし」
きゃ。言っちゃった!
「そうか~~。そういうもんなんだ」
あれ?前はそういうの、わかんないって顔をしてなかった?
「やすくんも、付き合ったら、そうなるかな」
「え?」
「前の彼は、そういうところも見せなかったし、私も甘えられなかったけど、甘えたり甘えられたりするのもいいかもって、最近は思うんだ」
おや。杏樹ちゃんが変化してきている。
「やすくんが彼氏になったら、超ハッピーなのになあ」
「………」
そんなに好きになっているのかあ。
トントン。
「桃子ちゃん?風呂入った?」
聖君がドアの外から聞いてきた。
「まだ。聖君、入るの?」
「うん。一緒に入る?」
「うん!」
私は杏樹ちゃんに、また話を聞かせてねと言って、いったん、和室に戻った。そして、着替えを出して一階に下りた。
聖君はさきに、洗面所に行って服を脱いでいた。
「あ~~~~~~。疲れた」
聖君は、腕や肩を回しながら、お風呂場に入って行った。
ドキドキ。背中の筋肉や、腕の筋肉が今、もろに見えちゃった。聖君って、高校生だった頃よりも、ぐっと体つきがしっかりしてきたよなあ。
胸板って、だんだんと厚くなるんだね。そういうのを見ただけで、ドキドキしてくる。
お風呂場に入ると、聖君はすでに自分の体を洗っていた。
「あ、待ってて。もう流すだけだから」
そう言って、シャワーでザアッと体についている石鹸を聖君は流した。
どき~~~。水も滴るいい男だ~~~。
うっとり。私、この筋肉質な腕や胸に、抱かれちゃってるのかあ。
「桃子ちゃん、俺の体見惚れてないで、さっさと座って。体洗っちゃうよ?」
「え?うん」
って、聖君の体に見惚れていたの、ばればれだったのね。目、ハートになっていたかなあ。
聖君は私の背中から、優しく洗い出した。
「今、まじで俺の体に見惚れてた?」
「うん…」
「すけべ!」
「…」
そうだよね。すけべだよね。
「あれ?言い返さないの?桃子ちゃん」
「う…。だって、本当にそうかもって今、思っちゃって」
「あははは」
笑われてしまった。
「いいよ、俺だって、すけべだから、おあいこだね」
「……」
とうとう、スケベ親父に「すけべ」と言われてしまった。が~~~ん。
「桃子ちゃんにだけは、特別、許してあげる」
「何を?」
「俺の体を見て、見惚れちゃうのを」
「え?私だけ特別?じゃ、他の人が見惚れたら」
「…ブ。ブ~~~。アウト!」
「アウト?」
「まず、裸体、見せたりしないし」
「え?」
「見惚れさせたりなんてしないから。安心して?」
「……」
そうかな。勝手に聖君が服を着ていても、見惚れる人はいると思うけどな。
「だから、桃子ちゃんもね?」
「え?」
「やすを簡単に、惚れさせるようなことはしちゃだめだよ?」
「しないよ!」
もう、何を言いだすんだか。
でも、ブ、ブ~~~っていうの、可愛かったな。どんな顔をして言ったのかな。見たかったな。
聖君のすねた時の顔も可愛いし、甘える時の顔も可愛いから、大好きなんだよね。全部、胸きゅんなんだ。
聖君はわざと、可愛く見せてるわけじゃないよね?まさかね。ただ、すねたりするだけで、可愛いんだよね。
ああ、他の人には絶対に見せないでほしい。甘えた顔も…。
聖君が私の髪も洗い終え、私は先にバスタブに入った。聖君は髪をわしゃわしゃと洗っている。
素敵だ。きっとシャンプーのCMをやっても、絵になると思うなあ。
うっとり。
もうすけべだってばれたし、こうなったら、堂々とうっとりと見惚れちゃおうかな。
聖君の腕、本当に筋肉がついたんだな。それから、足にも。足も何かで鍛えたりしてるんだろうか。
シャンプーをシャワーで流すと、聖君はタオルで顔を拭いてから、こっちを見て、
「すけべ~~~。ずっと見てたよね?」
と言ってきた。
「うん、見てた」
「あれ?何?今日の桃子ちゃん。開き直ってる?」
「うん」
まだ、聖君を見ていると、聖君のほうがちょっと、恥ずかしそうにした。
「そんなに見ないで、桃子ちゃん」
なんで、顔を赤くして、女の子みたいに話すのかな。もう~~。
私が聖君から視線を外すと、聖君はバスタブに入ってきた。
「あ~~、気持ちいい」
「うん。気持ちいいね」
「は~~。疲れた時には、風呂だよね」
「うん。お疲れ様」
「それと、桃子ちゃんだよね」
聖君は後ろから、ぎゅっと抱きしめてきた。
うっとり。ああ、抱きしめられても、うっとりとしちゃう。
「聖君」
「ん?」
「私もお姫様だっこ、してもらいたいな」
「……え?」
あれ?引いた?
「まじで?」
「う、うん」
「じゃ、部屋に戻ったらね?」
「……うん」
本当?お姫様だっこしてくれるの?
「聖君…」
ああ、なんだか、もっと甘えたくなってきた。
「なに?」
「もっとぎゅって、抱きしめてほしいな」
「え?うん」
聖君は腕に力を入れて、ぎゅってしてくれた。
私はその聖君の腕を、私の腕でぎゅってした。ああ、聖君の腕、やっぱり筋肉がすごいんだ。
うっとり。
「桃子ちゃん?どうした?なんかあった?」
「え?」
「いつもと、ちょっと違うけど」
「そうかな」
「うん、甘えん坊になってる。疲れちゃった?」
「…ううん。ただ」
「うん」
「お母さんとお父さんの話を聞いて、私も甘えたくなっただけ…」
「ああ、なあんだ。そっか」
聖君は納得してから、私の髪に頬づりをして、
「甘える桃子ちゃん、可愛い。なんだか、嬉しいな」
とささやくようにそう言った。
そうか。甘えると聖君は、嬉しいんだな。
うん、そうだよね。それはもうずっと前から言っててくれてた。だから、甘えていいよって。
でも、なかなか甘えられないでいた。
だけど、今はいっぱい甘えたい気分。
「もっと、甘えてもいいの?」
「いいよ」
「ほんと?呆れない?」
「呆れない」
「嫌にならない?」
「嫌にならない」
「…甘えん坊でもいいの?」
「全然OK」
聖君はチュッて、髪にキスをして、
「甘えん坊桃子ちゃんも、大好きだよ」
とそう言って、今度はうなじにキスをした。
「…くすぐったいよ」
「…感じちゃった?」
「…うん」
「あれ?今日は本当に、素直だね」
「……」
ほんとうだ。なんでかな。
「うずうずしちゃった?」
「……うん」
「そっか。じゃ、凪を早くに寝かしつけて、思う存分、愛し合っちゃおうね?桃子ちゃん」
「………うん」
なんだか、そう言われちゃうと、思い切り恥ずかしくなっちゃうな。
「その時も、思い切り甘えて来ていいからね?」
「え?」
「っていうか、どんどん甘えてね?」
「う、うん」
「っていうか、甘えちゃうところ、ちゃんと見せてね?」
「え?」
「うん。見せなきゃだめだからね?」
え?
あれ?
なんだか、期待してる?
きっと、今、聖君は心の中で、うきうきしてるんだ。
そういうのがわかるから、素直に甘えられなくなるなあ。だって、恥ずかしいもん。
「……。ね?」
聖君は、もう一回、念を押して聞いてきた。
「……そんな、甘えられないよ」
「え?!」
あ、驚いてる。
「なんで?甘えるって言ってたのに」
「期待されても、恥ずかしいし、抵抗あるし」
「え?なんで?」
「なんでって言われても…」
「……うそ。期待してない。うん、期待はしてないから。でも、甘えたいなら、甘えて?」
「…」
「ね?」
「…」
「ね?桃子ちゅわん」
聖君はそう言って、私をまたギュって抱きしめ、それから、甘える声で、
「桃子ちゅわん。桃子ちゅわんってば」
と言ってきた。
あ~~あ。やっぱり、結局は聖君のほうが、甘えん坊になっちゃうんだよね?
まあ、いいか。
そんな聖君が可愛くって、今も胸キュンってしているんだから。




