第35話 仲のいい夫婦
3時半、聖君はお店に行き、交代でやすくんがアイスコーヒーを持ってリビングに来た。
あれ?聖君は特に、なんにも言わなかったのかな。やすくんが家にあがること。
「お疲れ様、やすくん」
聖君のお父さんがそう声をかけると、やすくんはぺこっとお辞儀をした。
「その辺に座って」
やすくんは、聖君のお父さんの近くに座り、私からはちょっと離れた。
「疲れたろ。めちゃくちゃ混んでたみたいだもんな」
「はあ…」
「やすくん、懲りてやめたりしちゃわない?」
お父さんの質問に、やすくんはちょっと驚いた顔をして、
「え?いえ、全然懲りてないっす。逆に楽しいっす」
とそう答えた。
「楽しかった?」
「はい。聖さんがいるからかな。忙しいんすけど、聖さんって、忙しそうに見えないっすよね。見てると流れるように動いているから、まだまだ、俺はそんなふうにできないけど、あんなふうに動けたらいいなって思っちゃって…。見ていて、すごくあこがれたっていうか、勉強になりました」
「ははは、やすくんはくるみも言ってたけど、前向きだね」
「そうっすか?だけど、俺、本当にラッキーだって思ってます。あんまり、この店のことも知らないで雇ってもらって、あとからいろいろと知ったんですけど、聖さん、すごい人なんすよね」
え?すごい?
「へえ。聖、すごいの?それ、聞かせて。俺も知りたい」
聖君のお父さんは、パソコンの手を止め、目を輝かせてそう聞いた。
「…俺、聖さんが卒業してから、中学入ったんですけど、だからあんまり、聖さんのこと知らなかったんです」
「ああ、中学、聖と同じかあ」
「はい。部の先輩に、あ、俺、中学はバスケしてたんすけど、今、れいんどろっぷすでバイトしてるって言ったら、めちゃ羨ましがられて」
「へえ。なんで?」
「聖先輩と一緒に働いてんの?って…」
「ふうん」
「聖先輩って、男子にも人気あったんですね。あの先輩はかっこいいし、優しいし、すげえ先輩だよなって、言ってました」
「へえ。そう…」
お父さんはそう言って、口元をゆるませ、嬉しそうな顔をした。
「なんか、そういうの、今日だけでもわかったんです」
「…え?わかったって?」
思わず私が気になって、聞いてしまった。するとやすくんは、私を見てなぜか顔を赤くして、
「あ…。その…。お客さんと話しているのとか、動きとか見てて。あ、すげえって思ったのは、さりげなく俺のフォローをしているところ。すげえなあ」
よくわかんないけど、とにかくやすくんは、感動しちゃったみたいだ。
「聖も、やすくんと同じくらいの時には、そんな配慮もまだなかったよ。まあ、一生懸命に仕事はしていたけどね」
「そうなんすか」
「うん。ただ、うちの店が好きだったみたいだから、その頃から店のためにっていう思いはあったみたいだけど」
「ああ、聖さん、店のこと本当に好きってわかります」
「そう?」
お父さんはまた、静かに嬉しそうに笑った。
「ここ1年くらいかな。聖、店のためにじゃなくって、お客さんのために仕事をするようになった」
「お客さんのために?」
私がそう聞くと、お父さんは私ににっこりと微笑み、
「そう。お客さんが何を今、求めているのかとか、どうしたら、お客さんが喜ぶだろうかとか、そういうことをきっと、何よりも1番に考えて、動いているんじゃないかな」
「あ!そうっすね。それ、感じました」
「へえ。やすくんは、そういうのがわかるんだね」
「…でも、桜さんやくるみさんも、そういうの考えていますよね」
「うん。くるみはもともと、そういう視点でいっつも店を見ているから。すぐそばで働いている桜ちゃんも、朱実ちゃんも、そんなふうになったんじゃないかな」
「へ~~~。そっか」
「聖は、店のためっていうのもあるけど、くるみのために働いてたっていうところもあったからなあ」
「聖さん、マザコンっすか?」
「うん。マザコンだね。くるみには頭もあがんないし、あいつ、くるみには、逆らったりしたこともない」
そうなんだ!びっくり。
「俺にはけっこう、ズバズバ言いたいことも言ってるけどね」
「仲いいんですね。いいなあ。俺、親父とそんなに仲良くないから、羨ましいっす」
「あはは。親父って呼んでるんだ」
「はい…」
「聖と俺は、親子っていうより、兄弟に近いかもな」
「爽太さん、若いっすもんね。それも羨ましいっす」
「やすくんの親父さんは、今いくつ?」
「57歳です。俺、親父が40の時の子なんで…」
「やすくん、上に兄弟いるのか」
「いえ。一つ違いの弟がいます。あ、親父は結婚したのも遅かったんです。再婚だったし…」
「じゃ、お母さんはいくつ?」
私がそう聞くと、またやすくんは真っ赤になりながら、
「…えっと、確か今年で38歳…」
と私と目も合わさずそう答えた。
「え?っていうことは、親父さんとは、19も離れているの?」
お父さんがびっくりした顔でそう聞いた。
「はい。親父、短大で講師をしてたんすけど、そんときに知り合ったって言ってました」
「お母さんは、短大の学生?」
「はい」
「へ~~~」
「卒業してすぐ、結婚したって。あ、できちゃった婚なんですけど…」
「そうか~~。19も離れてるんだ。じゃ、親父さんは俺くらいの年の時、20歳そこそこの子に手を出しちゃったわけか。やるねえ」
お父さん、なんだ、その「やるねえ」って。もしや、羨ましがってる?そんなことお母さんが聞いたら、怒っちゃわない?
「そうっすよね。爽太さんが、桃子さんに手を出すようなもんですもんね」
「え?!」
お父さんがびっくりして、私の顔を見た。
「は~~、そういうことになるのか。うわ。なんだか、考えられないよなあ」
た、確かに。
「あ、でも、積極的にアプローチしたのは、母の方ですけど」
「あれ?そうなの?へ~~~。親父さん、モテたの?」
「結構モテたみたいです。今はただの親父ですけど、髪も薄くなって、腹も出ちゃったし。でも、まだ40歳の頃は、ダンディな渋い大人な男の人って、そんな感じだったらしくて」
「それ、誰が言ってたの?」
私はちょっと気になり、聞いてみた。まさか、本人が言ってるのかなあ。
「あ、母さんが…。すっかりだまされたって」
「あはは。だまされたって?面白いねえ」
お父さんが大声で笑った。
「ふ…、ふ…」
その声に反応したのか、それともただ、起きちゃったのか、ぐっすり寝ていた凪が起きてぐずりだした。
「あ、凪ちゃん、起きた?ごめん。うるさくって起きちゃったのかな?」
お父さんはすぐに凪を抱っこして、背中をぽんぽんと優しくたたいた。凪はまた、お父さんの腕の中で、気持ちよさそうに目を閉じた。
「それにしても、そうか~~。俺と桃子ちゃんが結婚するようなものなのか。なんだか、ほんと、考えられない話だよなあ。ね?」
またお父さんが私の顔を見て、そう聞いてきた。
「え?あ、はい」
どう返事をしていいものやら。
「爽太さんって、くるみさんと仲いいんすか?」
「え?」
「桜さんが言ってたんです。あの夫婦は、実はすんごい仲がいいんだって。あんまり人前ではそういうの、見せないからわからないだろうけどって」
「桜ちゃん、そんなこと言ってた?」
「はい。桜さん、前はよく仕事終わってから、ここでお二人と飲んでたって…。飲むと2人は、人前でもいちゃつきだすからって」
「うわ。そこまで、ばらしてるのか。まったく。あとでくるみから、注意してもらわないとな」
あ、そう言ってるお父さんの顔、なんだか、照れてるかも。
「いいっすよね。うちなんて、ほんと、母さんが親父のことぼろくそにけなしてますし、夫婦らしい会話もないし、一緒にどこかに行くこともないみたいだし。そんな冷えきった夫婦になってますけど…」
「そうなのか?それは寂しいね。でも、それだけ年が離れているから、親父さん、お母さんのこと、すごく可愛がってるんじゃないの?」
「いえ。母さんにまったく相手にされてません。母さん、若いアイドルの追っかけしてるし」
「ははは。そうなんだ。パワフルだね」
「親父はもう、疲れちゃってるから、一緒にいても面白くないんだとかなんだとかって…」
え~~。なんだか、寂しいな。そういうのって。
「やすくんは?彼女いないの?」
突然のお父さんの質問に、やすくんはびっくりした顔をして、一気に顔を赤くした。
「い、いないっす。俺、どうもそういうの、苦手で」
「へえ。女の子が苦手なの?」
「いえ。付き合うとか、そういうのが…」
「やすくんなら、モテるんじゃない?女の子のほうが、ほっとかないだろう」
「……。でも、いつも断ってます」
「ああ、告白されて?」
「はい」
「なんで?高校2年って言ったら、彼女が欲しい年頃じゃないの?そういえば、聖も桃子ちゃんと付き合いだしたのって、高校2年の時だったよね?」
「はい」
お父さんの質問に、私はコクンとうなづいた。
「え?そうだったんすか。じゃ、結構長い付き合いなんすね」
やすくんはそう言ってから私を見て、また顔を赤くした。ああ、そっか。女の子が苦手だから、顔が赤くなるのか。
「俺、去年付き合ったことあるんですけど。なんていうか、振り回されちゃって、疲れちゃって。ちょっと懲りたっていうか」
「…ふうん」
「半年もしないうちに、別れました」
「その子のこと、好きだったの?」
お父さんの質問に、やすくんは首を横に振った。
「告白されて、周りのやつらに、付き合っちゃえよって言われて、なんとなく」
「なるほど。そっか」
お父さんは、にやって笑ってから、
「なんとなく、わかるな、そういうの。俺もそうだったし」
とそう言って、どこか遠くを見た。
「爽太さんも?」
「うん。俺も、女の子と付き合うの苦手だったよ。特に仕事してからは、忙しくってさ。デートをしてる暇もなくって、彼女に私と仕事、どっちが大事?みたいなことを聞かれて、答えられなくってふられてた」
「へ~~。じゃ、仕事のほうが大事だったとか?」
「…そうかもなあ。仕事、楽しかったし。っていうかさ、相手の子のことを、そこまで好きじゃなかったんだよね」
「…そうなんすか。ああ、でも、なんとなくわかります」
「…で、本気で好きになったのが、くるみ」
「え?そうなんすか?」
「うん。仕事が手に着かなくなったりしてたし。懐かしいな。そんなこともあったよな…」
また、お父さんは遠い目をした。
「だから、やすくんにも、そのうち現れるよ」
「好きな子が…ですか?」
「どういう子が好み?」
お父さんは、今度はしっかりとやすくんを見て、そう聞いた。
「あ、好みって、別に…」
そう言ってから、なぜかやすくんは私をちらっと見て、
「でも、桃子さんみたいな人、いいなって思います」
と付け加えた。
え?私?!
「あ、そうなんだ。でもそれ、聖には言わないほうがいいよ」
「え?」
「あいつ、まじで妬くから。やきもちやきだし、桃子ちゃんにメロメロだからさ」
「…はい。それも、今日見ていて、すごく感じました。いいっすよね、そんなに好きな子と結婚できて」
うわ。なんだか、恥ずかしいかも。顏、熱くなってきちゃった。
「そ。あいつも女の子苦手だったけど、大好きになれる子を見つけたから。やすくんにも現れるよ」
「…そうっすね」
お父さんは優しい目でやすくんを見て、それから腕の中ですやすや寝ている凪を見つめた。
「凪ちゃんにも、あと15,6年したら、現れるのかなあ。そんなやつが…」
凪に?そうだよね。好きな人、できるよね。でも、その時の聖君の反応が、怖いなあ。
凪はすやすやと、気持ちよさそうに寝ている。クロがそんな凪のことを、優しく見ている。
「…俺、そろそろ」
「あれ?帰っちゃう?」
「はい」
「もうちょっとしたら、杏樹も帰ってくるよ」
「え?」
「っていっても、あと1時間くらいしたら」
「遅くまでいるのも、悪いですし。帰ります」
「そう?杏樹、寂しがるだろうなあ。すっかりやすくんのこと、気に入ってるし」
「はは。そうっすか。杏樹ちゃんはなんだか、俺も元気な妹みたいな気がしてます」
「杏樹とは、中学、一緒だったよね」
「はい。でも、一つ学年が違うと、まったくわからないんすよね。部活も違っていたし。杏樹ちゃん、テニス部でしたっけ?」
「うん。そっか。そんなもんか」
「…それじゃ、帰ります」
「うん。お疲れ様。明日もよろしくね」
「はい」
やすくんは私にも、ぺこっとお辞儀をして、お店のほうに行った。
「そうか。やすくんは、桃子ちゃんがタイプか」
「え?」
お父さんのぽつりと言った言葉に、私はちょっとびっくりしてしまった。
「杏樹、悲しがっちゃうな。そのことは、内緒にしておこうかな」
「杏樹ちゃん、やすくんのこと…」
「う~~ん、実はかなり本気」
「え?そうなんですか?」
「聖には、あんまり言ってないけど。あいつ、うるさいじゃん?うるさい、小姑みたいだよね」
「へ?」
小姑?
「俺としては、やすくんはいい子だし、杏樹のことを応援したいんだけど」
「でも、心配だって今朝、言ってませんでしたか?」
「……あれは、聖の手前…。そうでも言っておかないと、あいつ、うるさくって」
「うるさいって?」
「俺に説教するんだよ。信じられる?子供から俺、説教されちゃうの」
説教?!
「父さんは、杏樹のことをもっとしっかりと見るべきだ。変な虫が付かないよう、ちゃんと見ていないと、杏樹、変な奴につかまったらどうするんだよ…ってね」
うわ。びっくり!そんなことお父さんに言ってたわけ?
「父さんがうるさく言わないから、俺が代わりに言ってやってるんだ…とまで言われたけど。そうじゃないよなあ。あいつの場合、杏樹が兄離れするのが、寂しいだけでさ」
「へ?」
「あいつ、くるみがやすくんを可愛がるのも、気に入らないみたいだし。結局、ジェラシーなんだよ」
「…」
「ほんと、大人げないよね。もう、娘もいるっていうのに」
「……」
「桃子ちゃんも、大変だね。あいつ、独占欲強いでしょ?」
「う、薄いよりもいいです」
「え?」
「私、あんまりほっておかれると、嫌われたかもとかあれこれ悩んじゃうし、やきもち妬いてもらったりしないと、安心していられなくって」
「あはは。そうか。桃子ちゃんは本当に、聖にメロメロだもんねえ」
「…」
か~~。ああ、顔がまたほてる。
「お互い、メロメロどうしか。いいね」
「そ、それはお父さんとお母さんだって」
「あれ?言うようになったね。桃子ちゃん。うん、俺らも実は、メロメロどうしだけどね?」
あれ?お父さんもしれっとした顔で、すごいことを言った。
「桃子ちゃんの前では、俺もくるみも遠慮してるから、まだわかんないよね」
え?何が?
私がきょとんとしていたのか、お父さんは私を見て笑って、
「一緒に住んだらわかるかな。きっと、そのうち桃子ちゃんがいようがなんだろうが、いちゃつきだすから」
と、照れもせず、堂々とそう言った。
ええ?ああ、お父さんとお母さんがってこと?
そういえば、杏樹ちゃんも言っていたっけ。この夫婦は仲がいいって。そうだよね。ずうっと一緒にお風呂だって、入ってるんだもんね。
たまに、見たことがある。泊まりに来ると、たまにだけど、2人が仲良くしているのを。
お店のライトを落として、2人で仲睦ましくお酒を飲んでいたこともあった。お母さんが、お父さんに甘えているのも、逆にお店のキッチンで、お父さんがお母さんに甘えているのも見たことがある。
でも、そんなのも序の口だったりして。
いつか、一緒に住むんだろうけど、私、覚悟しておかないとならないかな。その日を。
なんて思いつつ、私たちも2人でいると、相当いちゃついているから、人のことも言えないかって思ってみたり。
あ、だけど、さすがにお姫様だっこをしてもらったことはないなあ。すごいなあ。そのために、筋トレまでしてるって。どんだけ、お父さんはお母さんにぞっこんなんだろう。なんて思っちゃうよ。
お姫様だっこかあ。ちょっと憧れたりして。
聖君におねだりしてみる?
…。うそ。できない。そんなこと!
まだまだ私は、甘えているようで、遠慮しているのかなあ。