第31話 日曜の朝
その日の夜、聖君はかなりご機嫌で帰ってきた。テンションが明らかに違う。
「たっだいま!」
帰ってくると出迎えた私に、いきなり抱きつく。
「おかえりなさい」
「ただいま~~~~」
和室に行き、しっぽと茶太郎に囲まれて、寝っころがっている凪にも、
「ただいま~~、な~~ぎ」
とにっこにっこ顔で言う。
「聖君、おかえりなさい。ご機嫌ね。何かいいことあった?」
と母に聞かれ、
「いえ。これからです」
と真正直に聖君は答えていた。
「これから?」
「あ、お風呂はいってきま~~す」
聖君はそう言うと、私の手を取って、お風呂場に直行した。
ああ、一緒に入れるからこんなにご機嫌だったわけね。母もくすくすと笑っていた。
「俺の着替え、出しておいてくれた?」
「うん、あるよ」
「桃子ちゅわん、ありがとっ」
聖君はそう言って、私にチュッてキスをする。
なんだかな~~、めちゃくちゃ可愛いなあ。
服を脱ぐと聖君はさっさとお風呂場に入り、さっさとシャワーを浴びだした。
そして私がお風呂場に入って行くと、聖君はまたにっこにっこ顔で、
「体、洗ってあげるね?」
と私を椅子に座らせた。
「まだ、あんまりお腹は見ないでね」
「…わかった」
本当にわかってるのかな。この人…。
「それから、胸もそんなに念入りに洗わないで」
「でもほら、凪がおっぱい吸うんだから、綺麗にしておかないとね?」
もう~~~。スケベ親父。聖君ってけっこう、口が達者と言うか、こういう時の言い訳がうまいんだから。
「チュ」
「だから、聖君!うなじにキスしたりしないでってば」
「なんだよ~。いいじゃんかよ~~。久々の一緒のお風呂なのに」
あ、すねた。
「桃子ちゅわん」
あ、後ろから抱きしめてきた。
「今日さ…」
「え?」
「あのサラリーマンがまたやってきたんだ」
「ああ、あの…」
「で、今日は、あの可愛いバイトの子いないの?って聞いてきた」
「誰?朱実さんのこと?」
「桃子ちゃんのことだよ。俺もすっとぼけて、誰のことですか?って聞いたら、あの色白でポニーテールしている子だよ。やめちゃったの?ってさ」
「ふうん」
聖君は私の体を洗い終え、シャワーをかけてから、
「髪、洗うね」
と言って、優しく髪を洗い出した。
「あの子はバイトじゃありませんよって言ったら、じゃあ、どうしてお店にいたんだい?って聞いてきてさ、俺、ちゃんと言っておいたから」
「なんて?」
「俺の奥さんで、店の手伝いをたまたましてくれただけですって」
「そうしたらなんて言ってた?」
「笑われた。なんかすんげえ、むかついた」
あれ?超ご機嫌だったのに、そんな頭にくることがあったんだ。
「結婚もしているし、子供もいますって言ったら、冗談だろ?ってさ」
聖君は私の髪を洗い終え、
「はい、風呂であったまってね」
と言って、私を立たせてくれた。
「もう、妊婦じゃないから、一人でも立てるよ」
「あ、そっか」
私はバスタブに入り、豪快に髪を洗う聖君を見ていた。ああ、やっぱり、髪を洗う姿までかっこいいんだよね。
そして聖君もバスタブに入ってきて、後ろから私を抱きしめてきた。
キュン!嬉しい。
「桃子ちゅわん、なんか、久しぶりだね。こういうの…」
「うん」
「…そんで、サラリーマンに、俺の妻になんか用でもあったんですかって聞いたんだ。そしたら、苦笑いして、なんでもないって言ってたけどさ」
「…ふうん」
「絶対に、桃子ちゃんに気が合ったんだ」
「そうかなあ」
「だけどもう、来ないよ」
「え?」
「店にも来ないよ。俺の妻を口説きに来るつもりだったら、こう来ないでくださいって言っておいたから」
「え?そんなこと言っちゃったの?」
「もちろん」
聖君はそう言って、私のうなじにキスをしてきた。
「そしたらどうした?」
「口説きに来たわけじゃないけどねって、笑ってた」
「そうだよ、口説こうなんて思ってないよ」
「桃子ちゃん、そんなふうに思っているから、いつもナンパされてもわかんないんだよ」
グサ。
「もっと、気をつけてね。もう結婚しているんだから」
「はい」
「…」
「聖君?」
「その気になってきちゃった」
「ここじゃ、絶対に駄目!」
「くーん」
ないてるし…。でも、そんな聖君も可愛いし…。
「部屋に行ってから…ね?」
とつい、そんなことを私は口走ってしまう。
「わかった!じゃ、さっさと出よう」
聖君はそう言って、バシャッとバスタブから出た。ああ、本当にそういうところ、変わらないよね。
「でも聖君」
「ん?」
「凪がちゃんと、寝てくれたらの話だよ」
「…寝かしつけます!」
聖君はそう言って、バスタブから出た私の体をバスタオルで拭きだした。
「自分で拭くよ」
「なんで?」
なんでって聞かれても。
「いいよ、桃子ちゃんは…」
そう言うと、聖君は優しく私の背中を拭く。そしてふと手が止まり、
「桃子ちゅわん」
と後ろから抱きついてくる。
「ここじゃ、駄目だからね?」
「…くーん」
また、ないた。
葉君も基樹君も、こんなふうに甘えてくることあるのかな。それとも、聖君だけが甘えん坊なんだろうか。
2階に聖君は、凪を抱っこしていき、私が髪を乾かしている間、凪を寝かしつけていた。
「やばい。凪、寝そうにない」
聖君がぽつりとそう言った。
「早くに寝てほしい時って、なかなか凪寝ないよね」
「なんで?」
聖君が凪に聞いている。
「きっと、抱っこしている人の心の状態がわかるんじゃない?」
「え?俺の?…エッチなこと考えてるから?」
「そ、そうじゃなくって。きっとどこかで、早く寝かそうって、焦ってるのが伝わるんだよ」
「ああ、なるほどね。それで落ち着いて寝れないのか」
聖君はそう言うと、凪の顔に自分の顔を近づけ、
「凪、ごめんね?ゆっくりリラックスしていいから」
と優しくささやいた。
しばらく聖君は、揺れながら優しく鼻歌を歌っていた。凪の背中を指でぽんぽんとしながら。
私は髪も乾き、凪に日記を書き始めた。
日記はまだ続けている。でも、凪宛の日記っていうより、ほとんど子育て日記になっちゃってるけど。
「桃子ちゃん」
「ん?」
「寝たよ」
聖君はささやき声でそう言って、凪をそっとベビーベッドに寝かせた。
「ここで寝るのも、久しぶりだね、凪」
そう言って、聖君は優しく凪を見つめている。
そんな聖君を私は、ぼ~~っと見ていた。
「…あ、そうだった」
私の視線に気が付いた聖君は、私の横に座ってきて、
「桃子ちゅわん。凪、寝たよ?」
と抱きついてきた。
「日記は?」
「あとで書く」
聖君はそう言って、私に熱いキスをしてきた。
とろん。
「明日、休みだし、寝坊できるね?」
聖君が耳元でそうささやいた。でも、きっと凪に早くに起こされると思うんだけど…。そう思いつつ、私は聖君の胸に顔をうずめた。
聖君は優しく私を、ベッドに寝かせると、パジャマのボタンを外していく。
聖君の髪、まだ半乾きだ。そうか。凪のことを寝かしつけてて、ちゃんと乾かせなかったんだ。でも、前髪をかきあげる聖君がやけに色っぽくって、私はドキンとしてしまった。
それに、胸も腕も筋肉がついてて、たくましい。そういうのにも、ドキンってしちゃう。
聖君の首筋や鎖骨は綺麗だ。それから聖君の顔を見た。目も鼻筋も綺麗で、うっとりと私は聖君を見ていた。
「その目が色っぽいんだよ」
「え?」
「やたら色っぽくって、そそられちゃうの」
そそられる?ってなに?
「俺のこと、誘ってる?」
「誘ってないよ」
「じゃ、そういう目で俺を見てる時って、何を考えてるの?」
「なんにも」
「何も?」
「うん。ただ、聖君が綺麗でうっとりして見てた」
「ああ、そうか。桃子ちゃんは、うっとりしている時、色っぽいんだっけ」
「へ?」
「目つきが違うんだ」
「そうなの?」
「うん。俺はその目に、ドキドキしちゃうんだよね、いっつも」
ドキドキ?私に~~?びっくりだ、それ。
「でも、それは俺の腕の中でだけだよね?」
「…うん。だって、聖君にしか見惚れないもん」
「愛してるよ」
「うん…」
ドキドキしているのは私の方だ。いまだに聖君に胸がときめいている。聖君の目に、聖君の声に、聖君の優しさに。
朝、6時ころに凪に起こされた。聖君は大きな欠伸をして、しばらくベッドの中でぼ~~っとしている。めずらしい。私は泣いている凪を抱っこして、おっぱいをあげた。
「…今日、日曜か」
「うん」
「は~~~。眠い。ちょっと2度寝してもいい?」
「いいよ?」
あら、本当にめずらしい。疲れているのかな?
ベッドに座ったまま、凪におっぱいをあげていると、聖君はそんな私の背中を、指でなぞった。
「くすぐったいよ、聖君」
「うそ。感じちゃった?」
「そうじゃなくって!」
もう、聖君、朝からかなり変だよ。
それから聖君は、私のほうに近寄ってきて、ぴとっとくっついた。
「今日、3人で公園デビューしようね」
「うん」
聖君は、なんだか私にひっついたまま、まどろんでいるようだ。
「なんか、休日の朝に家族でゆっくりってよくない?」
「うん、いいね」
「凪におっぱいあげ終ったら、3人でのんびりしちゃおうよ」
「そうだね。まだ、6時だし。お母さんも日曜だから寝てるだろうし」
「お父さんは?今日は休み?」
「うん、そうみたい。今日もまた、凪をお風呂に入れるって、昨日張り切っていたし」
「あはは。昨日はめちゃんこ喜んでいたよね。お母さんが凪のことを受け取りに行って、2人できゃっきゃしてなかった?」
「うん、してた」
「いいよね。孫って、可愛いんだろうな」
「凪は、たくさんの人に愛されちゃってるよね~~」
私がそう言うと、聖君も横で、うんうんってうなづいた。
「でもさ、凪がみんなを愛しちゃっているのかもよ?」
「え?」
「凪、みんなのこと癒してるもん。こうやって、ここにいるだけで」
「そうだよね」
「赤ちゃんの存在って本当にすごいよ」
「聖君だって、こうやってここにいるだけで、私のことを癒しているよ?」
「俺の存在もすごい?」
「うん!」
「あはは。じゃあ、桃子ちゃんもだね?」
「…ここにいるだけでいいの?」
「もちろん~~~!!!」
聖君は私の腰に抱きついてきた。
「むぎゅ~~」
って言いながら。
凪はおっぱいを飲み終え、聖君はオムツを替えてあげた。それから凪をすぐにベビーベッドに寝かせ、ベビーベッドの桟につけたおもちゃのスイッチを入れた。
おもちゃは、光りながら音楽を鳴らしだした。凪はどうやらこれが大好きみたいで、手を伸ばして喜んでいる…ように見える。
「笑ったり、しゃべったりっていつ頃からするのかなあ」
そんな凪を見て、私がそうつぶやくと、
「もうそろそろじゃない?なんか、最近ちょっと表情が変わってきているしさ」
と聖君は、また私の背中に抱きつきながらそう言った。
それから私も、聖君と一緒にベッドに横になった。
「この音楽いいね」
「うん、なんだか癒されちゃう」
聖君の胸に抱きついて、顔をうずめた。ああ、聖君の匂いだ。ああ、幸せだ。
「むぎゅ~~~」
あ、聖君もまた、抱きしめてきた。
「桃子ちゃん」
「ん?」
「可愛いっ!!!」
…朝から、私たちは何をしているんだろう。なんて思ったりもするけど、いいよね?バカップルなんだもんね?
と聖君に耳元でそう言うと、
「もちろん。新婚なんだから、いちゃいちゃしてもいいに決まってるじゃん」
と聖君はそう言った。
そうだ。新婚なんだ。まだまだ、1年もたってない新婚ほやほやの夫婦なんだった。
「結婚式の準備、しないとね。お母さん、昨日さっそく、パソコンで式場調べていたけどさ」
「うん」
「ウエディングドレス、見に行かないとね」
「まだ、お腹出てるのに、大丈夫かな」
「ええ?そうかな。昨日もお風呂で見たけど、そんなでもなかったよ?」
「ほんと?」
「うん。桃子ちゃん、元が細すぎたんだよ。だから、大丈夫」
「細すぎてたって思ってた?」
「いや、そんなことないけど。でも、ウエスト何センチだった?俺、抱きしめると、桃子ちゃん、折れちゃうんじゃないかって思ったことあったよ?」
「…56センチとか」
「やっぱり~~。細いって!」
「じゃあ、大丈夫かな、このお腹でも」
「全然でしょう!」
聖君はそう言うと、私の上に覆いかぶさり、
「うん。大丈夫。それに、胸の開いたドレスでもよさそう」
と私の胸に顔をうずめてそう言った。
「今なら、胸が大きいから?」
「そう」
「式を挙げる時に、小さくなってたらどうするの?」
「え?そんなに早くに小さくなる?」
「わかんないよ」
「……」
聖君はまた、顔をあげ、なんだかじっくりと胸を見てから、
「じゃ、今のうちだ」
と小声で言って、また抱きついてきた。
「何が今のうちなの?」
「あれ?聞こえてた?」
「しっかりと」
「気にしないで、独り言だから」
まったく~~~。やっぱり聖君は朝から、スケベ親父だ。
「凪がおっぱい飲んだから?」
「え?」
「今は胸、はってないよね?」
「うん。硬くないでしょ?」
「うん。すごく柔らかくって、気持ちいい」
わ~~。もう、なんでそういうことを口に出して言っちゃうのかな。
「ああ、癒される」
聖君はそう言って、しばらく私の胸に顔をうずめている。
もしや、相当お疲れモード?何かあった時って、こうやって癒されたがるんだよね。
「大丈夫?」
「え?」
「疲れているの?」
「…うん、ちょっと」
「大学?仕事?」
「両方かな。ほら、春休みでのんびりしてたし。大学始まって、ちょっとね…」
そうか。やっぱりお疲れモードだったのか。それもそうだよね。大学、バイト、そして凪の世話。それじゃ、疲れるのも当たり前だよね。
「聖君、今日はバイトの時間まで、ゆっくりしようね?」
「…うん」
聖君はとてもかわいい声でうなづいた。
親子3人、水入らずなんだな、今って。こんな時間もいいね。
部屋には、おもちゃから流れる「星に願いを」が流れていて、私たちはゆったりとした気分で日曜の朝を過ごしていた。




