第23話 凪のお披露目
凪がすっかりご機嫌になると、
「岩木さんが凪を見たいって言ってたから、お店に連れて行っていい?」
と聖君は可愛い顔をして私に聞いた。
「うん。私はいいけど」
凪もご機嫌だし。
「じゃ、凪、初お披露目だ!」
聖君は嬉しそうな顔をして、凪を抱っこした。あ、思い切り目じり下がっているし。
そういえば、さっきのあの人、まだいるよね。聖君のこの顔を見たら、がっかりしちゃわないかな。
がっかりしてもいいんだけど、聖君のことを好きでいられても困るんだけど…。
聖君が凪を抱っこしてお店に行くと、
「あ、来たわ~~。凪ちゃん」
と岩木さんは席を立ちあがって、聖君のほうに寄ってきた。岩木さんのお友達も立ち上がり、
「まあ、可愛い」
と目を輝かせている。
「凪です。よろしく~~」
聖君がそう言って、凪のことを2人によく見えるように近づけた。凪は目を丸くして、2人を見ている。
「可愛いわね、色が白くて、目がクリンってしてて」
「ママ似かな?えっと、ママってあなたでしょう?」
岩木さんとそのお友達が私を見た。
「はい」
「ほら、そっくり。可愛いわね。これじゃ、聖君、可愛くってしょうがないでしょう?」
「はい。めっちゃ可愛いです」
聖君の目じりは下がり、思い切りにやけ顔になった。
「……え?」
後ろから、すごく驚いている声が聞こえた。振り返ると、カウンターの席から立って、呆然とこっちを見ているあのお客さんがいた。
「その子って、まさか聖君の?」
「俺の娘です。まだ3月に生まれたばっかり。れいんどろっぷすでお客さんに見せるのは今日が初ですよ」
聖君はそう言うと、凪に、
「ね?凪」
と嬉しそうに話しかけた。凪は聖君の顔をじっと見てから、目線を他に移し、どうやらお店の様子をうかがっているようだ。
「その子のママって、桃子さん?」
「はい」
「じゃ、2人って」
「結婚してますよ。もう、籍は去年の夏に入れてます」
聖君がにこにこしながらそう答えると、その人は真っ青な顔をして私のことを見た。
「さっき、そんなこと一言も」
「ごめんなさい。言おうとしたけど、なかなか言い出せなくって」
「……結婚。それに子供まで?じゃあ、できちゃった婚?」
「う、うん。まあ、世間ではそう言うようだけど。俺としてはちょっと結婚が早くになったって感じかな。ね?桃子ちゃん」
聖君はそう言うと私のほうを見て、にこっと微笑んだ。私もついつられて、微笑み返した。
「…私、失礼します」
お客さんは真っ青のままカバンを持ち、レジに向かった。
「ありがとうございました」
すばやくキッチンから朱実さんが出てきて、お会計をした。
「あ、そうだ。スコーンの持ち帰り、するんでしたよね?2個でしたっけ」
「じゃ、すぐに用意しますね」
聖君の言葉に朱実さんがそう言うと、
「いいえ。いりません。もう、ここに来ることもないと思います」
とそのお客さんはちょっとキレ気味にそう言って、さっさとお店を出て行った。
「ありがとうございました」
聖君と朱実さんがそう言ったが、もうすでにそのお客さんは外をダッシュで歩いている。
「あらまあ。聖君が結婚していたことも、子供がいることも知らなかったのね。あの子」
岩木さんがそう言って、席に座った。
「相当ショックだったんじゃないの?」
朱実さんもそう言うと、カウンターの上を片づけてキッチンに戻った。
「やっぱり、妻子持ちじゃモテないのね。聖君。前はものすごくモテて大変だったのに」
「はあ…。でもよかったですよ。去年の夏ころは店も混み過ぎて、大変な目にあいましたから」
聖君は苦笑いをしながらそう言った。
「そうね。モテすぎちゃったら、奥さんも気が気じゃないものね?」
岩木さんがそう言って笑った。岩木さんのお友達も、
「本当。こんなかっこいい旦那さんじゃ、いつ浮気されちゃうか、心配でしょうがないわね」
と笑って言った。
聖君はそれを聞き、凪を抱っこしながらキッチンに向かい、
「浮気なんかパパ、しないよね?な~~ぎ」
と小声で凪につぶやいた。
それ、それって、凪に言ってるの?凪一筋だから、浮気しないってこと?
「パパはママ一筋なのにね?凪も知ってるよね?」
聖君がまた小声でそうつぶやいた。
う、なんだ。私のことか。うわ~~。顔が熱い。
私は両手でほっぺたを押さえた。ママ一筋…。う、嬉しいかも!
「桃子ちゃん、凪をリビングに連れて行ってくれる?そんで桃子ちゃんもリビングでゆっくりしてていいからね」
聖君はそう言って、私に凪を抱っこさせた。
「うん」
私は凪を抱っこして、リビングに上がった。
リビングでは大人しく、クロが丸まっていた。そして凪を連れていくと、尻尾を思い切り振って近づいてきた。
「ク~~ン」
「クロ、また凪のおもりをしてくれるの?」
「ワン」
凪はクロの声に反応して、クロを見た。でも、怖がったり泣いたりはしない。
そして座布団に凪を寝かせると、クロはまた凪のすぐ横に寝転がり、凪のことを優しく見ている。
凪はクロのほうに手を伸ばした。それから自分の手に気が付いたのか、自分の手で遊びだした。
そんな凪を見ているのが、結構楽しい。これからもっともっと、表情豊かになって、もっと楽しくなっていくんだろうな。
夕飯の時間には、杏樹ちゃんも家に帰ってきた。リビングで、お父さん、お母さん、杏樹ちゃん、私とで夕飯を食べ、食べ終わるとお母さんはお店に戻り、聖君がすっとんできて、
「腹減った~~」
と言いながら、ご飯をがっついた。
「うめ~~~」
そう連呼しながらご飯を食べ終わると聖君は、すぐに杏樹ちゃんの腕に抱っこされている凪のことを覗き込みに行った。
「凪、ご機嫌だね」
そう言う聖君のほうが、超ご機嫌だ。
「桃子ちゃん、もう風呂は入った?」
あ、また一緒に入ろうって言うのかな。
「ううん、まだ」
「じゃ、先に入る?」
「うん。入ってくる」
私は着替えを取りに行った。聖君は、一緒に入ろうって言わなかったな。一階に着替えを持って下りていくと、聖君は杏樹ちゃんと一緒に凪をあやしていた。
その横で、嬉しそうに優しく微笑んでいるお父さん。ああ、すごく和やかで幸せな家族の光景だ。
なんて思いながら、私はリビングを抜けて、バスルームに向かった。聖君は私のことを一回も見ず、一緒にお風呂に入る気などさらさらないって感じだった。
バスタブにつかり、ちょっと寂しくなった。それからお腹を見た。まだだぶついているお腹。これ、努力次第でちゃんと元に戻ってくれるかな。そうしたら、また聖君と一緒にお風呂に入れるのにな。
一緒に、入りたいなあ。
一人でお風呂に入るのも、のんびりできるし、いいこともある。だけど、やっぱり寂しい。私の体を後ろから抱きしめるあの聖君の腕。それがとっても懐かしくて、恋しくなる。
お風呂からあがって、ドライヤーをかけていると、
「桃子ちゃん、風呂出た?俺入るよ。いい?」
とドアの前で聖君が声をかけてきた。
「うん、いいよ」
そう答えると、聖君はドアを開け、私の横でぱっぱと服を脱ぎだした。
ドキ。聖君の胸元見てドキッてしちゃった。また引き締まった?筋トレ続けているのかな。
「エッチ」
「え?」
「今、じっと俺の裸体、見てたでしょ?」
「み、見てないよ」
「嘘だ。見惚れていたくせに」
ばれてる。あ、私うっとりとした目でもしてたのかな。
「そんなもの欲しそうな顔で見ないでね。ちゃんと凪が寝付くまで、桃子ちゃん、辛抱しててね」
へ?!
聖君はそう言って私の鼻をむぎゅってつまむと、さっさとお風呂場に入ってバタンとドアを閉めた。
な、何を言ってるの。聖君は~~~。それにもの欲しそうな顔って…、そんな顔してないよ、私。
私はパッと鏡を見た。あ、真っ赤だ。
もの欲しそうな顔なんてしてないよね?してないよね?!
……。してたのかな。もしかして…。
リビングに行くと、凪は座布団に寝転がり、お父さんと杏樹ちゃんがあやしていた。杏樹ちゃんは本当に嬉しそうに凪を見ている。
「ああ、ずっと凪ちゃんにいてほしいよ~~」
「そうだなあ。今はまだ大変だろうから、実家にいるとしても、いつか桃子ちゃんと凪にはうちで暮らしてほしいよねえ」
聖君のお父さんは凪を見ながらそう言って、
「ね?桃子ちゃん」
と私の顔を見た。
「え?はい」
それは私だって思っている。そして、れいんどろっぷすを手伝えたらいいな~~って。
しばらく凪を囲み、みんなで楽しく話をしていた。凪はどんな女の子になるだろうかとか、結婚式はどこであげるのかとか、そんな話をしていると、聖君がお風呂から出てきた。
「凪、もう寝た?」
「ううん。まだ」
私が答えると、聖君は凪の顔を覗き込んだ。
「本当だ。なんだかご機嫌で眠りそうもないね」
そう言うと聖君は、お店のほうに行った。
「母さん、手伝うよ」
あ、いけない。私も手伝いに行けばよかった。
「私も手伝います」
慌てて聖君のあとを追った。
「あら、いいのよ、桃子ちゃん。のんびりしてて」
「でも…。凪はお父さんと杏樹ちゃんが見ているし、私、何もすることがないので」
「そう?じゃ、聖と片づけしてもらっちゃおうかな。私はその間にお風呂に入ってきてもいい?」
「はい、どうぞ」
聖君のお母さんはエプロンを外すと、家のほうに向かって行った。
「あ、そうか」
「え?何?桃子ちゃん」
「お父さんと一緒にお風呂入るのかと思ったけど、もうお父さんは凪と入っちゃったんだもんね」
「うん」
「お母さん一人で寂しくないのかな」
「あはは。たまにはいいんじゃいの?あの夫婦、ずっとほとんど2人で入ってきたからさ」
それはすごい。私と聖君もそうなるのかな。
「パートさんは?」
「9時前には帰ったよ」
「朱実さんも?」
「朱実ちゃんはもっと早くに」
「そうなんだ。じゃ、聖君もいつもうちに来ちゃうでしょ?お母さん一人で片づけしてるんだね。大変じゃないのかな」
「…まあね。父さんが手伝える時には手伝ってるみたいだけど」
「…私たちがここに住めば、もっとお母さんが楽になるんだよね?」
「そうだね」
そっか。じゃあ、なるべく早くにこっちに来たほうがいいのかな。
「でも、桃子ちゃんと凪がこっちに来ちゃったら、桃子ちゃんのご両親が寂しくなるよ?」
「そうだけど。あ、でもお母さんはエステの仕事があるし、お父さんだって本来は仕事忙しいし」
「もしかして今、凪がいるからなるべく家にいるように調整してるの?」
「そうみたい」
「じゃ、ずっと凪が椎野家にいたら、お母さんとお父さん、仕事しなくなっちゃうね」
「うん。ほんと、そうなっちゃうよ」
「あはは、それも困っちゃうよね」
聖君は爽やかに笑いながら言った。
キュン。今の笑顔、胸キュンだ。
「何?桃子ちゃん」
私は洗った食器を片づけていたが、その手が止まり、聖君をうっとりと見ていた。
「あ、見惚れてた」
「俺に?」
「うん」
「何それ。今さら見惚れるってことはないでしょ」
「ううん。今日は何回も見惚れた。れいんどろっぷすで働いてる聖君、かっこいいんだもん」
「そ、そう?」
聖君はちょっと照れている。
「今日カウンターに来てたお客さんいたでしょ?」
「この辺に引っ越してきたっていう子?」
「うん。聖君の笑顔に一目ぼれしたんだって」
「そんな話をしていたの?」
「うん」
「で?また桃子ちゃんまで、片思いしてる気分になった?」
「ううん。そんなことはないけど」
聖君は洗ったグラスをきゅきゅっと綺麗に拭きながら、私の話を聞いていた。
「でも、忘れてたことを思い出したよ」
「ん?何を?」
聖君はコップをしまうと私の顔を見た。そんな聖君に私はぴとっとくっついた。
「私、聖君が凪のことばっかり可愛がるから、ずっと寂しかったんだけど」
「え?そうなの?」
「こうやって、聖君のそばにいられたり、聖君を見ていられるだけで、幸せだったんだよなって、片思いをしていた日を思い出して、そう思ったんだ」
「…やっぱ、片思いしてる気分に浸ってたんじゃん」
「違うよ」
聖君は私の顔を覗き込み、それから唇にチュッてキスをした。
「桃子ちゃん、寂しかったの?」
「う、うん」
「やきもち妬いてた?俺と凪に」
「うん」
「なんだよ~~~。もう~~~。早く言ってね、そういうことは」
聖君はギュって私を抱きしめてそう言った。
あ、やっぱり、わかってなかったんだなあ。私が寂しがっていること。
「桃子ちゃん、可愛い」
聖君はぎゅうって抱きしめて、私の髪に頬づりをしている。私も聖君を抱きしめてみた。
ぎゅ。そうしたらもっともっと、強く抱きしめたくなって、もっと強く抱きしめてみた。
「聖君!」
「ん?」
「愛してるからね?」
「…うん」
あれ?いつもならここで、「俺も、愛してるよ」って言ってくれるのに。
「なんだか、照れちゃう。俺」
へ?
「桃子ちゃんが愛してるなんて、あんまり言ってくれないし」
そうだったっけ?
「でへへ」
でへへって…。顏、見れないけど、きっと思い切りにやけているんだろうなあ。そんな聖君も可愛いなあ。
やっぱり、バカップルかも。私たちって。
「凪、早くに寝てもらって、いちゃつこうね?」
聖君が耳元でそうささやいた。
ドキン。胸が高鳴った。
「ね?桃子ちゃん」
「うん」
私はまだ聖君に抱きついたまま、コクンとうなづいた。