第19話 聖君の想い
夜11時。凪を連れ2階の和室に行った。聖君は布団を敷きながら、悩んでいた。
「凪が真ん中がいいかな」
腕を組み、う~~んと考えてから、
「やっぱり、桃子ちゃんの隣がいいかな」
と言って、私の隣に赤ちゃん用のマットを敷いた。
「凪が真ん中じゃなくていいの?聖君、凪の寝顔見たいんじゃない?」
「うん…」
あ、まさか私の横で寝たいと思ってる?
「俺、夜中に凪のことを蹴飛ばしたり、乗っかったりしたら大変だから…」
あ、そういうことね。
凪は私の腕の中で、目をしっかりと開けていて、まったく眠りそうな気配がしなかった。知らない家に来て興奮しているのか、それともお風呂がいつもの時間よりも早くて、眠る時間がすっかりずれてしまったのか。
「凪、寝そうもないね」
凪をマットに寝かせ私がそう言うと、聖君は、
「桃子ちゃんは寝ててもいいよ」
と言ってくれた。
いつも思う。聖君は本当に優しい。凪の世話もいっぱいしてくれている。こんな聖君に不満を感じているなんて、私はなんてわがままで甘えん坊なんだろう。もう、母親になったというのに。
「いい。起きてる。夕方寝ちゃったし、私もあまり眠くないから」
そう言うと聖君が、いきなり後ろから抱きしめてきた。
え?!
「なんだ~~。凪が寝てくれたら、桃子ちゃんといちゃつけるのにな」
わ。突然抱きついてきたり、いきなりそんなことを言われたら、ちょっと胸がドキンってしちゃうよ。
ドキドキ。黙ってそのドキドキを味わっていた。こんなドキドキ感、久しぶりかも。
「桃子ちゃん?」
「え?」
「なんで黙ってるの?なんかもしかして、俺のこと避けてる?」
「ううん…」
「じゃ、なんで?」
「え?えっと…。ちょっとドキドキしていただけだから」
「なんでドキドキ?あ、なんか期待してドキドキ?」
「違うよ。ただ、聖君に抱きしめられてドキドキしているの」
「うわ。何それ。付き合いはじめたばかりのカップルじゃあるまいし」
ム…。聖君はもうドキドキしたりしないんだ。一気にドキドキが冷めていった。でも、
「むぎゅ~~~。やっぱり桃子ちゃん、可愛い~~~」
と聖君がもっと力を入れて抱きしめ、私の髪に頬づりをしてきて、私のドキドキは復活した。
「明日はお風呂一緒に入れる?」
「え?」
「父さん、明日も凪のことをお風呂に入れる気満々だった。それに俺、お店出ないとならないし」
「あ、そうだよね」
え?じゃあ、凪を受け取りに行くの、私?それはちょっと抵抗が。だって、聖君のお父さんも凪と素っ裸でお風呂に入っちゃうわけだし。
「お母さんが凪のこと受け取るの?それとも…」
「ああ、多分母さん。凪の体拭いたり、服を着せるの、すごく幸せだったって喜んでいたから」
「そうだよね。すんごく嬉しそうだったよね。でもその時お店は?」
「あ、そっか~。う~~ん、ちょっとの間なら俺がいるから、どうにかなるかな。桃子ちゃん、お店の手伝いできそう?」
「うん。大丈夫」
「じゃ、母さんがいない間だけ、桃子ちゃんにキッチンに入ってもらおうかな」
「…え。料理を私がするの?」
「まだディナーの時間にならないうちに、凪をお風呂に入れてもらおうよ」
「うん」
「くす。でも、将来のシュフでしょ?」
聖君がちょっと笑いながらそう聞いてきた。シェフ?
「へ?私が?」
「そうだよ。桃子ちゃんの料理、母さんも認めているんだから、桃子ちゃんが店の料理をしても大丈夫だと思うけどな」
と、とんでもない。私は思い切り首を横に振った。
「聖君のほうが、絶対上手だよ」
「母さん曰く俺の料理は、男の料理なんだって。だから、れいんどろっぷすの客層は女性が多いから、聖はもっと繊細にならないとねって言われた」
「男の料理?」
「ちょっとね、おおざっぱなの、俺」
「そうかな」
「桃子ちゃんの料理のほうが、繊細だよ。れいんどろっぷす向けだよね」
「そ、そうかな」
聖君はまだ私のことを後ろから抱きしめている。
「桃子ちゃんのフェロモン」
「え?」
「首から出てる」
あ、首にキスをしてきた。ドキン!
「ひ、聖君。凪が見てるよ」
「え…」
聖君は凪のほうをどうやら見たらしい。
「見てないじゃん」
ばれたか。
「凪、自分の手を見て遊んでるって…」
「う、うん。自分の手がめずらしいのかな」
「桃子ちゃん、明日はお風呂一緒に入ろうね?」
聖君がもう一回、聞いてきた。あ~~。どうしよう。正直に言ってみようかな、こうなったら。
「あのね、聖君。一緒にお風呂に入れないのはね」
「ん?なんか理由あるの?」
「私、まだお腹が元に戻ってないの」
「…へ?」
「皮がだぼついてて、それを見られたくないの」
「…俺に?」
「うん」
「…え。そんな理由?」
「そんな理由じゃないの。私にとっては一大事なの」
「ブ!」
あ、笑った。やっぱり笑われた。
「…なんだ。そっか」
聖君は私のことを抱きしめていた手を離した。そして私の顔を覗き込み、
「わかった。じゃ、桃子ちゃんのお腹が元に戻ったら一緒に入ろう」
と言って、ほっぺにチュってキスをした。
「…でも、いつになるかわかんないよ?」
「じゃあ、頑張って早めに元に戻して?」
「う、うん」
頑張ってって言われても。あ、そっか。あの何とかベルトっていうのをちゃんと巻いていたらいいのか。最近つい苦しいものだから、取っちゃっていたけど。
「だけど俺、そういうのあまり気にしないけどな」
「う。だけど、私…」
「桃子ちゃんには一大事?」
「うん」
「……え?じゃあ、あれかな。元に戻るまで夜のほうも、おあずけってこと?」
「……」
私は黙って、うつむいた。
「……そうなの?」
聖君はうつむいた私の顔を、覗き込んで聞いてきた。
「わ、わかんない」
「へ?」
「でも見られるのは嫌かも」
「……」
聖君は今度は私から顔をそむけ、
「見なかったらいいんだね」
と独り言を言った。
「ふ…。ふ…」
凪が手足をばたつかせ、ぐずりだした。
「あ!凪、眠たいのかな」
聖君はすぐに凪を抱っこして、
「凪、さっさと寝ちゃおうか」
と言っている。
もしや、聖君、なんだかその気になってる?見なかったらいいんだねってことは、えっと、たとえば、部屋を暗くしてとか…。そんなことをさっき、考えてた?
聖君はいつものように、凪の背中を指でトントンとして寝かしつけようとした。でも凪は目をあっちにやったり、こっちにやったり、手を動かしたり、しゃぶったり、とにかく眠りそうもない。
「あれ?目、冴えてる?もしかして」
聖君はそう凪に聞いた。凪は聖君の顔をじっと見て、また天井を見上げたりしている。
「寝そうもないね、こりゃ」
聖君はそう言うと、凪を抱っこしたまま布団にあぐらをかいた。
「なんだ。やっとこ桃子ちゃんのこと抱けるって思ったのにな」
「え?」
「は~~あ」
聖君、すごいため息。
聖君はしばらくうつむいてから顔をあげ、私を見て、
「桃子ちゅわん。俺、そろそろ限界かも」
と切なそうな顔をしてぽつりと言った。
「え?」
限界?何が?え?
「桃子ちゃんのこと、抱きしめたいし、抱きしめてほしいよ」
嘘。うそ~~。こんな甘えん坊で、寂びしん坊の聖君は久しぶりに見た。なんだか可愛いかも。
「凪。そういうこともわかってくれると、パパはすっごく嬉しいんだけど」
今度は凪のことを見て、聖君はつぶやいた。
「って、凪にはわかんないか」
凪はまた聖君を見た。聖君はそんな凪のほっぺにキスをして、優しい目で凪を見た。
「聖…君」
「ん?」
優しい目のまま聖君は私を見た。
「もしかして、ずうっと我慢してた?」
「桃子ちゃんのことを抱くのを?」
「う、うん」
「そりゃもちろん。ずうううっと我慢してたよ?」
「…」
そうなんだ。私のことをすっかり忘れたり、冷めちゃったわけじゃないんだ。
「桃子ちゃんにひっついたり、キスをすると、そのまま押し倒しそうになるから、それも我慢してたし、夜も寝ているうちに襲いたくなるから、なるべく背中向けて寝てたでしょ?俺」
「うん」
え?あれ、それで背中を向けて寝ていたの?そういう気持ちになるのを制御するためだったの?
「だけど、桃子ちゃんが凪におっぱいをあげている時には、そういう気持ちにならなかったな。やっぱり、そんな時の桃子ちゃんは母の顔になっているからかな」
「そう?そうなの?」
「うん」
聖君はそっと凪のことをマットに寝かせた。凪は聖君の指を握りしめた。それで安心しているのか、凪はぐずらなかった。
「な~~ぎ…」
また聖君がものすごく優しい目をして、凪を見つめた。
「赤ちゃんの顔を見ると、なんでこんなに癒されて、なんでこんなに優しい気持ちになるんだろうね」
「そうだね」
「よく俺が赤ちゃんの頃、聖は天使だって、母さんと父さんで言ってたみたいだけどさ、ほんと、凪は天使だって思えるよ」
「うん…」
私はそんな天使に嫉妬をしていたのか。こりゃ、私はきっと堕天使に違いないな。
「桃子ちゃんのことを抱きたくなって、やばいってときには、凪の顔を見る」
「へ?」
「そうすると、どうにか理性が戻ってくる…」
「そうだったの?」
「うん。獣になる前に、ちゃんと戻れる」
「ブ…。何?その獣って?」
「やばいよね。理性吹っ飛んで、桃子ちゃん~~って押し倒しそうになるんだから」
そうだったの?全然、知らなかったよ?
「さっきも、後ろから抱きしめててやばかった。そのうえ、桃子ちゃんが可愛いことを言ってくるから」
「私がなんて?」
「ドキドキしてるって言ってたじゃん。桃子ちゃん!ってそのまま押し倒しそうになったよ、俺」
「そ、そうだったの?」
「わかんなかった?」
「わかんなかったよ」
「ほんと?俺の鼻息、荒くなってなかった?」
「うん」
「そうか、どうにかセーブできていたか」
「…そんなに聖君はいつも、我慢していたの?」
「そりゃね。俺も健全な若者ですし。隣に好きな子が無防備になって寝ていたら、襲いたくもなるでしょ、普通」
ええ?!
「どんだけ、理性と本能が戦ったことか…。桃子ちゃんはそんな俺の苦労も知らず、くーすか寝てたけどね」
「ご、ごめんなさい」
「いいけどさ」
知らなかった、本当に知らなかった。だって、凪の世話をいつもしていたじゃない。私のことなんて、もう眼中にないのかと思ってた。
ギュム!聖君の後ろから私は抱きついた。
「胸、当たってるよ」
「うん」
「桃子ちゃん、駄目だって。俺、今も頑張って制御してるんだからね?」
「うん」
私は仕方なく離れた。でも、聖君の後姿がやけに愛しく見えた。
あ~~~~~~。何で私、気づけなかったのかな。そういう聖君の想い。
お母さんが言っていたように、聖君の心が見えなくなっていたのかな。
それに聖君の背中がこんなに愛しいのも久しぶりだ。
ただ、ここに聖君がいる。それが本当は幸せで、すごく嬉しいことだったのに。
「ごめんね、聖君」
「え?何が?」
「そういうの、全然気づかなくって」
「…いいよ。それどころじゃないもんね?凪の世話で…」
聖君は優しく私を見てそう言った。
ううん。違うの。私はずっといじけていたの。聖君が私をかまってくれないとか、凪のことばかりに夢中になっているとか、そんなことを思って勝手にいじけてすねて…。
聖君の心の中も知らず、そんな勝手なことを思っていたの。
「聖君」
「ん?」
まだ聖君は私を優しく見ている。
「大好きだからね?」
「うん。俺も愛してるよ」
キュン。聖君の「愛してる」で、胸がこんなに満たされる。
ああ。聖君に抱きつきたい。でも、そうしたらまた、聖君が大変なんだよね?
そうか。抱きつきたいのに抱きつけない。キスしたいのにそれができないって、けっこう辛いんだ。
私は聖君の隣で、凪のことを一緒に見つめた。こんなふうにずっと聖君は我慢していたのかなあ。なんて思いながら。
ちら。聖君の横顔を見た。ほっぺにキスくらいならいい?そう思って、チュってしてみた。
「桃子ちゃん、ふいうち…」
聖君はそう言ってから私を見てにやって笑って、それから私の唇にチュってキスをした。
「凪…」
今度は凪のほうを向き、
「お願い。早く寝て」
と聖君は凪にお願いをした。凪はまったくよそを見ていて、そんな聖君の願いもむなしく、それから1時間は寝てくれなかった。




