第17話 素直になれなくて
4月も半ばを過ぎ、ずいぶんと暖かくなった。凪は生まれてひと月を過ぎ、気候もいいし、私の体も調子がいいので、お宮参りをすることにした。
うちの両親と聖君のご両親も一緒に、近くの神社に行った。そこでお宮参りをした後、みんなで写真を撮り、それから和食屋に入りみんなで食事をした。
そこは個室もあって、私たちは個室に入り、畳の上に座布団を敷き、そこに凪は寝かせた。凪は座布団でも余裕で寝れちゃうくらい、まだ小さい。
「可愛い寝顔ね」
しばらく聖君のご両親は凪を見ていた。
料理が運ばれると、みんなでテーブルを囲み、
「凪のお宮参りも無事に済んだから、乾杯」
と聖君が言いだした。聖君と私と母はジュース、聖君のご両親と父はビールで乾杯をした。
「いいよな。早く俺も、ビールで乾杯したいよ」
「はは。もうちょっとの辛抱だよ、聖君」
父が聖君の言葉にそう返した。
「いや、成人してもこういう時には飲むなよ。運転手がいなくなるからさ」
聖君のお父さんはそんなことを、聖君に言った。
「ちぇ」
聖君は小さく舌打ちをした。それを聞き、うちの父は、あはははと笑っている。
「もう生まれて一か月たったのね。早いわね」
聖君のお母さんが、凪のほうを見ながらそう言った。
「そうね、生まれたのが昨日のことみたいだけどね」
私の母もそう言いながら、凪を見た。
「今日はうちに泊まるんでしょ?いろいろと凪ちゃんのものは用意できてるけど、桃子ちゃんの着るものとか持ってきてる?」
聖君のお母さんが私に聞いた。そう。今日から1週間くらいは、聖君の家に凪もお邪魔する予定だ。
「はい、持ってきました」
「杏樹も首を長くして待っていたんだよ。今日も来たがっていたんだけどね、部活でね」
聖君のお父さんが言った。杏樹ちゃんは、無事高校に受かり、またテニス部に入った。例の元彼とは高校が別になってしまったが、なぜか今も仲のいい友達でいる。
「榎本さん、すみませんでした。今日、お店を休みにして来てくれたんですよね?」
私の父がそう言うと、聖君のご両親は、
「凪ちゃんのためだったら、全然いいんですよ」
と笑ってそう言った。
「それに、今日から凪ちゃんの世話ができると思うと、僕たちもウキウキで」
聖君のお父さんが目じりを垂らしてそう言うと、聖君が、
「ずっと凪を抱っこしていたら駄目だよ。独り占めしないでよね」
と、きつくぴしゃりとお父さんに言っていた。
ああ、きっとこの親子は凪をどっちが世話するかで、バトルするに違いない。
凪がお腹を空かせたようで、目を覚ましてぐずりだした。私は個室の奥に行き、後ろを向いて凪におっぱいをあげた。聖君はそばに来て、誰かが入ってきても見られないよう、たてになってくれた。
「凪」
おっぱいを飲んでいる凪に、聖君が優しく声をかけ、にっこりと微笑んだ。
「今日お参りした神社の神様が、凪の氏神様になるのかな?」
私が聖君に聞くと、
「うん、そうなるのかな」
と聖君は答えた。
凪はそんな私たちの会話を聞いているのか、聞いていないのか、ただただ無心でおっぱいを飲んでいる。
食事を済ませ、凪もお腹いっぱいになり、みんなでそのお店をあとにした。
「じゃあ、ここで。凪ちゃん、一週間後ね」
私の両親は、聖君の家族に挨拶をした後、私の腕に抱かれている凪の顔を覗き込んだ。父なんて、もうしばらく凪に会えなくなっちゃうんじゃないかっていうくらいの、別れの惜しみ方だ。
「凪ちゃん。元気でね」
と父は何度も何度も凪に言っている。
聖君は、聖君のお父さんが乗ってきた車の運転席に乗り込んだ。助手席にはお父さん、後部座席に私、凪、お母さんが乗ると、聖君は車をゆっくりと発進させた。
「聖、安全運転」
お父さんが最後まで言う前に聖君は、
「いつもそうでしょ?俺」
と言葉をさえぎりそう言った。
「まあな。お前、運転俺よりうまいしね」
聖君のお父さんはそう言って、バックミラーを覗いて凪を見た。
「凪ちゃん、起きてるの?」
「はい。ご機嫌です」
凪は目を丸くさせ、手を動かしている。
凪は目が見えてきたのか、私や聖君の呼んだ方を見るようになった。聖君は、
「凪がパパを見ている」
と最初、大騒ぎをしていた。やれやれ。これじゃ、凪が話し出したり、パパって呼んだりした日には、泣いて喜んじゃうかもしれないなって、私はその時思ったものだ。
れいんどろっぷすに着いた。聖君は車を駐車場に入れに行き、他のみんなは玄関から家のほうに入った。
「凪ちゃんはまだ起きているし、リビングにいる?」
聖君のお母さんが聞いてきた。
「はい」
リビングに行くと、クロがしっぽを振って出迎えた。それから凪を抱っこしたままソファーに座ると、凪の匂いをクンクンと嗅ぎに来た。
「クロ、凪ちゃんだよ。桃子ちゃんと聖の子供なんだ。よろしく頼んだよ」
聖君のお父さんがクロの背中をなでながらそう言うと、クロはクウンと鳴いて、私の足元に寝転がった。
わかってくれたのかな?
聖君が玄関を開けて入ってくると、クロはまた立ち上がり、しっぽを振って聖君を出迎えに行った。
「クロ。凪にはもう会った?」
聖君はそう言いながら、クロの頭をなで、クロと一緒にリビングに来た。
「凪、起きてるの?」
「うん」
「パパが抱っこしようか?」
「いや、爽太パパが抱っこするよ」
「だから、なんで父さんがパパなんだよ。爽太ジジだろ?」
「いいんだよ!パパで」
いきなりのバトル?凪がその声で、顔をこわばらせ、今にも泣きそうになった。
「ほら、凪ちゃんが驚いてるわよ。それより、コーヒー淹れるから、みんな飲む?」
「あ、私はいいです」
私が断ると、
「桃子ちゃんには、ホットミルクを作ってくるわよ?」
とお母さんは言ってくれた。
「手伝おうか?」
聖君がそう言うと、
「うん。カップとか出してくれる?」
とお母さんは聖君に言って、2人してお店に行ってしまった。
「今のうち」
聖君のお父さんはそう言うと、凪を抱っこした。
「可愛いね~」
聖君のお父さんは、目を細めて凪を見ている。
「抱き癖って本当にあるんですか?」
私は気になり聞いてみた。
「あはは。ないんじゃない?そんなこと気にして抱っこをするのをやめるより、どんどん抱っこしてもいいと思うよ?スキンシップだからね、これも」
「そうですよね?」
「俺なんていまだに、聖とのスキンシップをしようとするんだけど、さすがに最近は避けられちゃうなあ。寂しいことに」
「え?どうやって、スキンシップを?」
「ハグ。それとか、髪をぐちゃってするのも、あれもスキンシップの一つかな」
ああ。そういえば、よくやってたっけ。聖君、そのたびにやめろよって怒ってたっけね。
「凪ちゃん。まだまだ軽いね。でも生まれた時に比べたら、大きくなったね」
「はい」
「よく寝てくれるんだって?」
「聖君が抱っこすると、すぐに寝ちゃうんです」
「ふうん。親思いのいい子なんだね」
「はい」
「あ、父さん、俺がいないすきに凪のこと抱っこしたのか?」
コーヒーカップをお盆に乗せ、聖君がリビングに来た。
「いいじゃん。ずっと凪ちゃんのこと抱っこできなかったんだよ?お前はずうっと毎日抱っこしていたんだろ?」
「そうだけどさ」
聖君はむすっとしながら私の横に座った。そしてコーヒーにミルクを入れると、ズズズとすすった。
「あ~~あ。父さんって、いつも家にいるし、俺が大学行ってる間も凪と一緒にいられるってことだよね」
「そうだよ。お前は何も心配しないで、大学行っておいで。ね?凪ちゃん。爽太パパといようね?」
「それだよ!凪がもし、自分のパパは父さんなんだって勘違いしたらどうするんだよ?」
「ははは。それもいいね」
「よくないって!」
聖君はもっとむすっとした顔になった。やっぱり、この親子は面白いなあ。
っていうか、聖君、さっきからやっぱり私のことは、忘れているよね。すぐ隣に座っているのに。
と思っていたら、いきなり聖君は私の腰に手を回してきた。
あれ?
「桃子ちゃん、俺がいない間に父さんが凪のことを取っちゃわないよう、見張っていてね」
「へ?」
「ね?」
「うん」
聖君は私の顔をじっと見て、可愛い顔でそう言って来たけど、やっぱり、あれなのね。凪のことなわけね。
「…聖さあ、俺や母さんが凪の世話をしているうちに、桃子ちゃんといちゃついてたらいいじゃん」
いきなり聖君のお父さんがそう言った。
「は?何言ってんの?父さん」
聖君は最初、目を丸くして呆れていたけど、5秒もしないうちに顔を赤くして照れてしまった。
「そ、そんなこと言う親がどこにいるんだよ」
「ここ」
聖君のお父さんはにやにやしながらそう言うと、また凪のことを見て目じりを下げた。
「た、たく~~。信じられない親だよな」
「なんで?いいじゃん。お前らいつも、いちゃついてたんだし、どうぞ遠慮なくいちゃつけば?」
「そう言われて、はい、そうしますって言うと思う?」
「ああ、そっか。そんなこと言わなくても、お前だったらいちゃつくか。なにせ、バカップルだもんね」
「だから、なんでそういうことを親が言うかな」
「いいじゃんか」
「……」
聖君はとうとう顔を真っ赤にさせ、下を向いてしまった。そこへ、ホットミルクとスコーンをお盆に乗せ、聖君のお母さんがやってきた。
「爽太、あまり聖をからかわないで。でも桃子ちゃん、ほんと、凪のことは私たちに任せて、たまには聖のこともかまってあげてね」
聖君のお母さんの言葉で、私は顔が固まった。聖君はまた赤くなり、
「母さんまで何言ってるんだよ」
と怒っていた。
お、お母さん。かまってもらえてないのは、私なんです。
あ、そうか。だったら、この家だったら、聖君は私のことをかまってくれるようになるってこと?
いや、私のことをまったく見向きもしなくなった。ってことに本人が気が付かない限りは無理かな。
ちら。聖君を見た。聖君はまだ、何かぶつぶつ言いながら、コーヒーを飲んでいる。
クロはさっきから私の足元に寝転がったり、立ち上がり、凪を抱っこしているお父さんの周りをうろついたり、クンクンと匂いを嗅いだりと忙しい。
聖君のお母さんはそんなクロの背中をなで、
「くすくす。クロ、あなたも少しは落ち着きなさい」
と笑って言った。
凪は聖君のお父さんの腕の中で、すやすやと眠ってしまった。リビングに座布団をお母さんが持ってきて、そこに凪をお父さんが寝かせた。凪はまだまだ寝返りもうてないので、この座布団でお昼寝は十分だ。
それからお母さんは凪に、可愛いピンクのバスタオルをかけた。
「それだけで寒くないかな」
聖君に言われ、私はその上におくるみをかけた。
「ちょっと一休みしましょうよ」
お母さんはそう言うと、座ってコーヒーを飲んだ。聖君のお父さんもコーヒーを飲み、2人して話をし出した。
それはもうすでに2人だけの世界…。
「桃子ちゃん、俺、ちょっとパソコンいじりたいから2階に行くけど」
「じゃ、私も」
聖君の後を追いかけ、私も2階に行った。あんな2人きりの世界に取り残されたら、たまったもんじゃないし。
聖君の部屋は久しぶりだ。ああ、聖君の匂いがする。なにしろ私たちの部屋は、すっかり赤ちゃんの匂いになってしまっていて、聖君の匂いを感じることも少なくなってしまった。
それどころか、聖君に抱きつくとたまに、凪の匂いがするほどだ。
「ふう」
聖君のベッドに座り、思わずため息をついた。
「桃子ちゃん、疲れちゃった?俺のベッドで寝てもいいよ?」
「うん」
聖君は机に向かうと椅子に座って、パソコンを開いた。それから何やら黙々と作業をし始め、私はすっかり暇になってしまった。
ゴロン。聖君のベッドに横になった。それから聖君の部屋を見回してみた。本棚に置いてある本も、壁に貼ってある写真も、すべてが前のままだった。
「う~~~ん」
聖君のうなり声。何か考え込んでるらしい。私は聖君のほうを見た。パソコンを真剣に見ている聖君。こんな真剣な顔は久しぶりかな。
「ま、こんなもんかな」
「何をしてるの?」
「店のホームページの更新。まだアップしないけど、そろそろ作っておかないとと思って」
「夏向けに?」
「初夏向けに」
「ふうん」
なるほど。夏と初夏では違うのね。
聖君はパソコンをシャットダウンすると、ベッドにどかっと座ってきた。それからいきなり、私に覆いかぶさった。
「え?」
「母さんや父さんに言われて、そういえば、桃子ちゃんと最近いちゃついてないなあって、気が付いた」
「…」
やっと?
「桃子ちゃん」
「なあに?」
「まだ、駄目なんだよね?」
「……」
それ、自分でもわかんない。出血はないけど、縫ったところはもう大丈夫なのかとか、痛くないのかとか、そういうのがいまいちわからなくって。
私が黙っていると、聖君は私の胸に顔をうずめた。
「桃子ちゃんの胸はまだ、凪のものだしなあ」
「うん」
「…は~~。結局、こうやって抱きついてるだけかあ」
「それじゃ、不満?」
「え?」
私がそう聞くと、聖君は目を丸くして顔をあげた。
「なんでもない」
私はそう言って、顔をそむけた。
「…いや、不満じゃないよ。そんなことないけど…」
聖君はちょっと慌ててそう言ってから、私の顔を覗き込んだ。
「桃子ちゃんは?」
「え?」
「俺にこうやって抱きしめられるだけでいいの?」
「……」
ム…。こうやって抱きしめることすら、今までずうっとしてくれなかったじゃないか。ちょっと腹が立ってきたなあ。
「私は…」
ああ、何をどう言ったらいいのか。なんだか腹が立って、意地悪をしてみたくもなった。
「なんだか、今日は疲れたの。このままゆっくりと休みたいな」
無表情でそう言うと、聖君は私の上からどいた。
「ごめん。そうだよね。疲れてたんだよね?」
聖君はそう言って、ベッドから下りて、椅子に座った。そしてまたパソコンを開いた。
「……」
黙って聖君を見ていた。なんだ。もう、桃子ちゅわんって甘えて来たりしないんだ。
そんなことを私は期待していたのかなあ。
もう私に甘えたり、くっついたりしないでも、凪がいるからいいのかなあ。
「は~~」
小さなため息が出た。聖君はそのため息に気づくこともなく、またパソコンとにらめっこをしだした。
きっと、私が素直じゃないんだ。寂しいとか、抱きしめてとか、そう言えば済むだけの話だ。
だけど、素直になれないのはなぜかなあ。甘えられないのはなんでなのかなあ。
そんなことをグルグルと考えていて、私は結局なかなか寝付くこともできず、聖君に背中を向け、黙って目をつむっていた。
聖君はしらばくすると、パソコンの電源を切り、部屋を出て行った。
え?
何にも云ってくれなかったのも悲しい。でも、私が寝ていると思ったのかもしれないし。だけど、前だったら俺も寝ようって、私の横にぴったりとくっついてきてくれたのにな。
凪を見に行ったんだろうな。ああ、だから私、自分の娘になんでこんなにやきもち妬いちゃってるの。
どうにも素直になれない自分や、凪にやきもちを妬いている自分に腹が立ち、私はしばらくそのまま、暗くなっていた。