第127話 つわもの、凪
>私、変なの。聖君が歌う練習しているのを見てから、聖君にドキドキしてるの。変でしょ?
花ちゃんにメールを送った。すると、
>変じゃないよ。私もだもん!
と返信がきた。
>花ちゃんも?まだ、籐也君見て、ドキドキしてるの?
>してるよ。ライブでも、テレビに映ってる籐也君を見ても。
>一緒にいるときも?
>ずっとドキドキしてるよ。
>そうなんだ。花ちゃん、可愛いね!
ずっとドキドキしているだなんて、まだまだ初々しいカップルなんだなあ。
>でも、聖君から変だって言われた。自分の旦那に今さら、何をドキドキしているの?って。
>だけど、いつまでも旦那さんにときめいているなんて、理想的なことだと思うよ。
理想的?そっか。そうだよね。旦那さんにずっとときめいていられるだなんて、素晴らしい事なんだよね!
花ちゃんもきっと、ずっと籐也君にときめいているのかな。ライブの時や、テレビで見ている時も、目をハートにさせている花ちゃんの姿が目に浮かぶ。
「あ~~~う~~~」
ズリズリ…。
凪が、寝返りではなく、ズリバイをして動くようになった。とはいえ、ほんのちょっとだけ。でも、いつもゴロゴロ転がっていたのが、前にズリッと動けるようになって、自分でもそれが面白いようだ。
「な~~~~ぎ~~~!できたよ~~~~!」
リビングに、お店から聖君がやってきた。手には可愛い凪用のお茶碗を持っている。そう。聖君は今、凪の離乳食作りに夢中なのだ。
「あう?」
凪がズリバイをやめて、顔を上げて聖君を見た。
「お腹空いたでしょ?今日は、人参をすってお粥に混ぜたよ」
うわ。聖君、テンションめちゃ高い。
「はい、凪!」
凪を自分の膝の上に乗せて、聖君が凪の口にお粥を入れた。でも、
「んべ~~」
と、凪は口からそのまんま出してしまった。
「また?なんで?凪。そんなに俺が作った離乳食ってまずい?」
「凪ちゃん、また出しちゃった?」
ちょうど、お店からお父さんが来て、そう聖君に聞いた。
「うん。昨日も結局味噌汁をちょっと飲んだだけで、お粥は食べなかったんだ。このまんま、食べてくれなかったらどうしようかな」
「平気だよ。お前だって最初の頃、凪ちゃんみたいに全部、んべ~~~って出してたし」
「俺が?」
「お前、お粥好きじゃなかったもんな。野菜とか、そういうのを食べてたよ。美味そうに」
「野菜かあ。じゃ、凪も野菜煮たやつとか食べさせてみようかな」
「そんなに焦ることないぞ。一生おっぱい吸ってる人間なんていないんだから、そのうち必ずご飯食うようになるんだからさ」
お父さんがそう言って、聖君の肩を叩いた。
「ま、そうだけど…」
聖君は、がっくりとしながら、凪を膝の上からおろした。
「お味噌汁なら飲むかもよ?聖君」
「そうだね。今、持ってくる!」
あ、もう元気が出た。聖君って、単純で助かる。なんて、本人には言えないけど。
凪はまた、プレイマットでズリバイを楽しんでいる。そこへ、聖君がお味噌汁を入れた茶碗をもってきた。
「凪~~~。はい」
聖君はまた、凪を膝の上に乗せ、お味噌汁をすくったスプーンを凪の口の中に入れようとした。でも、凪はいやいやって、首を振る。
「凪ちゃん、今、お腹すいてないんじゃないのか?聖」
「え~~。でも、おっぱいの時間はとうに過ぎてるよね?桃子ちゃん」
「うん」
「あ~~~う~~~~」
「凪ちゃんは、今、食べたくないんだよ。ほら、膝の上からもおりたがっているし」
「…そうなの?凪」
聖君はがっかりしながら、凪をプレイマットに寝かせた。凪はくるっと腹ばいになり、また、ズリバイをし始めた。
ずりずりしながら、クロが寝ているところまで行くと、ドヤ顔をする。やっぱり、ズリバイがお気に召しているようだ。
「あう?」
凪は、私や聖君の方を見て、「どう?」とでも言ったかのように、自慢げな顔をした。
「凪は、離乳食より、ズリバイに夢中なんだね」
聖君はそう言うと、肩を落としてお店に戻っていった。
あ~あ。凪がズリバイを初めてしたときは、大はしゃぎをして、お父さんとビデオ撮りまくっていたのにねえ。
「凪、パパが作ってくれた離乳食、食べてあげなきゃダメじゃん」
私がそう言うと、隣でお父さんが大笑いをした。
「面白いねえ、桃子ちゃんも聖も!」
そう?そうかな。もしかして、変な夫婦なのかな、私たちって。
8月も終わった。聖君は9月に入ってもまだ夏休みだが、杏樹ちゃんは、朝早くからテニス部の朝練があり、帰りも遅くに帰ってくる。土日も部活なので、やすくんとデートをする暇もないようだ。
だけど、やすくんが夜のシフトに入っていると、すっとんで帰ってきて、お店の手伝いをする。仕事が終わると、やすくんと二人仲良くカウンターで夕飯を食べ、そのまましばらく二人の時間を満喫している。
そこに私も聖君もお母さんも、邪魔をするようなことはしない。さっさとみんなでリビングに上がり、二人だけの世界を作ってあげる。そのへんが、榎本家の素敵なところだ。
お父さんも、けして口出しはしない。聖君ですら、やすくんのことは気に入っているので、杏樹ちゃんとの交際に口出しするようなことはしない。
私は、時々杏樹ちゃんから、相談を持ちかけられる。やすくんが、こんなことを言ったんだけど、私、嫌われていないよね?とか、やすくんにメール送ったんだけど、今日返事がなかったの。とか、そんな相談事。
「大丈夫だよ」
と、私はそう杏樹ちゃんに言うと、
「いつもお姉ちゃん、慰めてくれてありがとう」
なんて、杏樹ちゃんはしおらしいことを言ってくる。
でも、慰めで言ってるわけではないんだよね。だって、やすくんはやすくんで、聖君に相談をしているらしく、それも、
「杏樹ちゃん、今日、なんだか怒ってたみたいで、俺、なんか怒らせたかなあ」
とか、
「杏樹ちゃんにメール返信できなかったから、怒ってるんじゃないですよねえ」
とか、そんな気弱なことを言っているようだから。
ほんと、この二人もはたから見ていると面白い。だけど、とうの本人たちは、真剣に悩んだり落ち込んだりしているんだよね。
「そういうのは、本人に聞け」
聖君が返す言葉は、ほとんど、それだけ。
「き、聞けないから、聖さんに聞いてるんじゃないっすか」
「……。杏樹なら、桃子ちゃんにお前のこといろいろと相談してるみたいだぞ」
「え?」
そして、今度はやすくんが私に相談を持ちかけてくる。だから、
「大丈夫だよ」
と私は言う。
「だ、大丈夫って?」
「だから、杏樹ちゃんも、やすくんが大好きみたいだから、大丈夫だよ?」
「だ、大好き!?」
「うん」
そう言うと、やすくんは真っ赤になってテレまくり、
「そ、そ、そうなんすね。え?でも、それって、杏樹ちゃんが言ってるんですか?」
「ううん。でも、見ててわかるし、聞いててもわかるもん。杏樹ちゃんって、本当にやすくんが好きなんだなあって」
「え?!」
やすくんは、また真っ赤になって、
「う、そうなんすか。そっか~~~」
と、納得したのかしないのか、頭をボリボリと掻くと照れながらお店に戻っていく。
「可愛いよなあ、あの二人」
聖君はそんなことを言いながら、二人のことを見守っている。私も、本当に可愛い二人だと思う。だけど、
「桃子ちゃん」
「え?」
聖君がリビングで二人…、いや、正確にはクロと凪がいるから、3人と1匹だけになると、私のことをじいっと見つめ、
「桃子ちゃん、好きだよ」
なんて、突然甘く、囁いてくると、私は真っ赤になってどきまぎしてしまう。
「桃子ちゃん?」
「え?」
「顔、真っ赤」
「うん」
「まさか、まだ、俺にときめいていたりする?」
「うん。してる」
「………」
聖君はしばらく黙ったあと、私に抱きついてきて、
「桃子ちゃんも、可愛いんだから~~~!」
と思い切り抱きしめてくる。
きゃ~~。胸が~~~。
なんて、私はいまだにときめいている。こんな私たちも、きっと可愛いカップルなんだろうか。
「バカップルってだけのような気もするけどね」
う。聖君に言われてしまった。
「桃子ちゃん。いよいよ、結婚式だね」
「うん」
「楽しみだね」
「うん」
「新婚旅行ももう、手配が済んだし」
「うん」
「残すは…」
「ん?」
「凪の離乳食作り~~~!」
なんだ、そりゃ。ほんと、聖君、子煩悩すぎ。
9月になってから、しばらく実家に夏休みで戻っていた麻里ちゃんママと、日菜ちゃんママが、またうちに遊びに来るようになった。
麻里ちゃんはすっかりクロになつき、麻里ちゃんママも、うちではのんびりすることができる。日菜ちゃんママも、そんな麻里ちゃんには驚いている。
「いつの間に、クロと仲良くなったの~?麻里ちゃん」
「日菜ちゃんママ、帰省長かったもんね。その間にちょくちょく、遊びに来てたんだ」
「そうなんだ。へ~~。これだったら、麻里ちゃんママも楽ができるよね」
「うん」
麻里ちゃんママは、実家に戻っている間ものんびりできたらしく、最近は麻里ちゃんも落ち着き、夜泣きもなくなったらしい。
「離乳食って、食べてる?」
私が気になり二人に聞いた。
「うん。食べるよ。楽だよ。どっかに出かけても、今、瓶入りの離乳食とかいろいろと売ってて、それを持っていったらいいんだもん。ミルクだと、哺乳瓶だのいろいろと必要じゃん?」
日菜ちゃんママがそう言った。
「日菜ちゃんママって、もうおっぱいあげていないの?」
麻里ちゃんママが聞いた。
「うん。もう出なくなっちゃった。麻里ちゃんママはまだ?」
「まだあげてるよ。そろそろやめたいんだけど、どうやったらやめられるかなあ」
「ええ?まだいいんじゃないの?けっこうでかくなっても、おっぱい吸ってる子って公園にもいるじゃない」
「そうなんだけどさあ」
麻里ちゃんママはそう言いながら、ランチのデザートのアイスを食べた。
「美味しいよね、この小豆のアイス」
「でしょ?私も聖君も、お気に入りなの」
「聖君といえば、今、夏休みだから昼間もお店に出てるんでしょ?」
「うん」
「大学始まったら、もうお店には出ないの?」
「ううん。夜出るよ」
「夜か~~。その時間帯に遊びには来れないし、なかなか聖君の麗しい顔を拝めなくなっちゃうんだねえ」
日菜ちゃんママがそう言ったから、私はアイスを吹き出しそうになった。
「お、拝む?」
「目の保養になるじゃない。あんなにかっこいい人って、そうそういないし。ね?麻里ちゃんママもそう思うよね」
「私は、どっちかって言ったら、お父さんの方がいいかなあ。お父さんは時々昼間、リビングやお店にいるから、これからも会えるし」
うわわ。やっぱり、麻里ちゃんママはお父さんに気があるんだ。
「あ、聖君のお父さんか。お父さんも若いしかっこいいよね?」
日菜ちゃんママがそう言って、私を見た。
「あんなに若いお父さんだと、桃子ちゃん、気になることない?」
「へ?」
「聖君もいいけど、お父さんも素敵…って思ってみたり」
「……え。ど、どう言う意味?」
「どうって、そのさあ…。お父さんにも、フラッと気持ちが向いちゃうとか」
「ない、ないない。そんなこと!」
「そうなの?」
麻里ちゃんママが真剣な顔つきで聞いてきた。
「ないよ。だって、私、聖君にいまだに夢中っていうか、ときめいているっていうか」
あ。自分でばらしちゃった。
「え~~~?!いまだに?」
麻里ちゃんママが驚いた。
「あんなにかっこよかったら、そうなるかも!私でも」
日菜ちゃんママは、そう言って笑った。
う、笑われた。驚かれた。そうだよね。やっぱり、普通じゃないよね。だけど、私、きっと紋付袴やタキシード姿を見たら、もっともっと惚れちゃうって、今から予想できるくらいなんだけどな。
二人が去ってから、聖君が休憩を取りにリビングに来た。
「桃子ちゃん、凪~~~」
あ、目が垂れまくっている。
「パパ、疲れちゃった」
そんなことを言いながら、聖君は凪を抱っこして髪にほほずりをした。
それから、凪にぺちぺちと頬を叩かれながら、にやついている。
「聖君、午後、私がお店に出ようか?」
「大丈夫。もう、100パー元気出た」
早い。凪のパワーってどんなにでかいんだ。
「桃子ちゅわん」
聖君は凪を抱っこしたまま、私にキスをしてきた。
「これで、200パーセント、元気出た」
「……」
ああ、もう、可愛い笑顔なんだからっ!今も胸がキュンってしちゃったよ。
「じゃ、凪。これから凪の離乳食作ってくるから、今日はちゃんと食べてね?」
そう言うと、聖君はさっさとまたお店に戻っていってしまった。
ああ!まだまだ、聖君といちゃついていたかったのに!
ときめきながらも、べったりしていたい、そんなの贅沢?でも、
「凪~~~~~。今日は、お芋ふかしてみた。食べて、食べて」
とニコニコ顔でやってくる聖君を見たら、それだけでもいいかなって思ってしまう。
「んべ~~~~」
「あ!お芋もダメ?じゃ、何がいいんだよ~~~。凪~~~~」
凪はまた、口から全部出してしまった。聖君をこんなに困らせることができるなんて、凪しかいないんじゃない?将来は大物になるのかな。