第10話 凪のいる夜
それから聖君と凪を連れ、2階に上がった。凪は寝そうで寝ない。そんな凪の背中をぽんぽんしながら、私は抱っこをしていた。
聖君は髪を乾かし、
「替わるよ」
と言ってくれた。
聖君はすごく優しく、凪の背中を指だけでぽんぽんとしている。そして凪は目をゆっくりと閉じ、寝てしまった。
うわ。もしかして、寝かしつけるの上手かも?それとも凪も、聖君の優しいオーラに包まれると、安心するのかな。
聖君はそおっと凪をベビーベッドに寝かせ、ベッドに座っている私のほうに来た。
「桃子ちゃん、疲れたでしょ?もう、寝る?」
「うん。大丈夫」
聖君は私の横に座ると、私の腰に手を回してきた。それから私の耳元にキスをする。
「ひ、聖君」
くすぐったいよ。
「桃子ちゃんだ~~~~。むぎゅ~~~」
あ、抱きしめてきた。
「桃子ちゃんのフェロモン…」
「その気になっても、駄目だからね」
「わかってます」
聖君はそう言って、少し私から離れた。でも、腰から手は離さないでいる。
「マッサージはいいの?」
「あ、そうだった。してもらおうかな」
聖君はそおっと、右の胸に触ってきた。
「あ、硬い」
「うん。張ってるの…」
「つらい?」
「うん…」
痛い。でも我慢。聖君の顔を見た。それに聖君が気が付いた。
「ん?あ、痛かった?」
「大丈夫」
こんなに近くに聖君がいて、こんなに近くに聖君の顔がある。それがなんだか、嬉しくなった。聖君のにおいがする。聖君の胸に私は、そのまま顔をうずめた。
「大丈夫?痛いんじゃないの?」
「ううん。平気」
ああ、聖君だ~~~~。って、さっきの聖君状態だな、私も。
マッサージが終わり、ほっとして私はそのままごろんと横になった。
「俺、凪に日記書いちゃおうかな」
「聖君、私が入院してる間もずっと書いていたんでしょ?」
「うん。凪の写真も貼ってあるよ。見る?」
「うん、見たい」
私はベッドに横になったまま、日記を開いた。ああ、本当だ。新生児室の小さなベッドに寝ている凪の写真だ。寝ている凪、大あくびの凪、泣いてる凪。って、何枚写真が貼ってあるの…。
「可愛いでしょ?」
聖君も私の横に寝転がってきた。
「うん。聖君のこと、凪にとられちゃってちょっと寂しいけど」
「ええ?そんなことないよ。桃子ちゃんのことだって、俺…」
「でも、私の写真は1枚もないよ?」
「あ…」
聖君の顔がフリーズした。
「こ、これから凪を抱っこしている桃子ちゃん、いっぱい撮るからさ」
凪を抱っこしている…なのね。私一人の写真じゃないわけね。
「聖君の写真もいっぱい撮ろう」
「俺の?」
「凪を抱っこして鼻の下のばしてるのとか」
「俺、そんなにだらしない顔になってる?」
「うん!」
「……」
聖君がまた、フリーズした。
「そんな聖君も大好きだよ?」
そう言って、聖君の頬にキスをすると、聖君は私を見て、
「もう、桃子ちゃんってば」
と私の胸にいきなり顔をうずめてきた。
「あ、なんだか凪のにおいがするけど」
「おっぱいのにおいかな」
「そっか…」
聖君はそう言ったまま、顔をうずめて動かなくなった。
「?」
「癒される…」
あれ?
「もしかしてお店でなんかあったとか?」
「ううん」
じゃあ、ただ単に癒されたいだけ?
「あったって言えばあった。でも、たいしたことじゃないよ」
「え?」
「取材の電話があった。でも、断った」
「取材って?」
初耳。
「う~~ん」
聖君は起き上がると、私の横にごろんと横になり、私の顔をじいっと見てきた。
「?」
「恋するカフェ」
「あ、漫画の…」
「あれでね、いろんな人が出版社に、れいんどろっぷすのことを書いて、送ったらしいんだ」
「え?」
「身近にある、イケメンのいるカフェってのを、募集してたんだって?」
「ああ、そんなようなこと言ってたかな」
「で、うちの店のことをやたらと書いてくる手紙が多くって、それも俺や店の写真付きで」
「聖君の写真?」
「知らない間に撮られているもんなんだね」
うわ。じゃ、またいろいろとひと悶着?
「雑誌で取り上げて特集くみたいって言ってきたんだ。あのマンガ、すごく人気があって、当初は6か月の連載だったのに、引き伸ばされたんだってね。聞いてる?」
「初耳」
「俺の写真や手紙の内容からして、主人公の聖一によく似てるって。一回取材に来たいって言ってきて」
そりゃそうでしょ。なんつったって、モデルは聖君なんだし。
「だけど、断っちゃった」
「ちゃんと断れたの?」
「うん。俺、子供も生まれたし、とてもそんなの引き受けてる状態じゃないんです。大学も4月から始まるし、そうしたらもっと忙しくなるしって」
「それ、そのまんま言っちゃったの?」
「うん」
わあ、逆に相手からしてみれば、面白い記事になっちゃうんじゃ?
「そうしたら、あっさりとじゃ、いいですってさ」
「え?あれ?そうだったの?」
「結婚してるんだったら、話にならないって言われた」
「はあ?」
「良かったよ。簡単にあきらめてくれて。結婚してるって大きいんだねえ」
「…」
「そういうもの?でも、なんで結婚してたら駄目なの?」
「読者は高校生や大学生、若い世代が多いから、イケメンでもちろん独身じゃなかったら、意味がないんだって。結局、そういう人を取材して、雑誌の売り上げに貢献させたかったんじゃないの?」
「ふうん」
聖君はチュって、私にキスをした。
「でも、聖君、なんだかストレス感じちゃったんじゃないの?」
「ああ、桃子ちゃんの友達の漫画家の子に、悪いことをしたような気がしちゃってさ。もし、会うことがあったら、取材に応じることができなくってごめんって謝っておいて」
はあ?
「そ、そんなこと気にしてたの?」
「え?ああ。うん、ちょっとね」
「…」
「でも、すごいよね。人気が出て良かったよね?」
「聖君はそんなこと気にすることないよ。逆に聖君をモデルにしたことで、漫画が売れちゃってるんだもん。きっと感謝したい気持ちでいっぱいなはずだよ」
「そうかな」
「絶対にそうだよ!」
「桃子ちゃん、鼻膨らんでる。そんなに興奮しないでいいって」
「あ、うん」
だって、びっくりしちゃって。前だったら、そんな取材の電話があるだけでも、聖君、嫌がってただろうし、人に気を遣ったり、気にしたりってなかったのにな。
って、違うか。表面はそう見えなかっただけで、心の奥ではいつも、気にかけたり、気を使っていたのかもしれない。
「咲ちゃんに、取材のことは言っておくね?」
「うん」
「それにしても、あのマンガずっと読んでるけど、店での聖君にほんと似てるよね」
「そうかな。あんなに俺、かっこつけてる?」
「かっこつけてるんじゃなくって、かっこいいの」
「あはは。だからそれは、桃子ちゃんから見た俺で、他の人はそう思ってないって」
またまた~~。思い切りモテるひとが何を言ってるんだか。
「ただ、違うのは…」
私がそう言いかけると、聖君はなに?って興味津々で聞いてきた。
「聖一が主人公の女の子と一緒にいる時、私といる聖君とは、まったく違うよなって思って」
「え?そう?どんなふうに?」
「…」
あれ?自分では自覚なし?
「聖一って、いつでも店の聖一と一緒でしょ?かっこよくって、優しくって、まったく誰といても変わんない。だから、主人公の女の子は、いろいろと悩んだりもしてたけど」
「あ、ああ。みんなに優しいけど、私のことは本気なの?みたいな?」
「そう…」
「あれ?俺、桃子ちゃんの前では、優しくないってこと?」
「ううん。聖君は特別、私の前では優しいし、甘えるし、他の誰にも見せたことのない聖君を見せてくれる…」
っていうか、いきなり豹変もしてるけど…。
「あ、俺?そうか。うん、そうかもね」
「きっと咲ちゃんは、聖君も聖一みたいに、常に優しくてかっこいい王子様みたいに思ってるんだと思う」
「は?」
「にやついたり、甘えたりする、スケベ親父だとは思ってないよ。絶対」
「…………」
聖君は黙り込んだ。そしてしばらく私の顔をじいっと見て、鼻をむぎゅってつまんできた。
「ん~~っ!」
私はしばらく鼻をつままれていた。
「聖君?」
聖君はようやく私の鼻から手を離し、眉をしかめて聞いてきた。
「桃子ちゃん、そんな俺のことが好き?それとも…」
「大好き!」
「…あ、そう…」
聖君はちょこっと照れたように目を伏せて、
「やっぱ、桃子ちゃんは変態だ」
とぽつりとそう言った。
それから聖君はまた凪の日記を書くために、クッションの上に座りテーブルにノートを広げた。私はそんな聖君を見てから、ベビーベッドですうぴいと寝ている凪のほうを見た。
小さい。ベビーベッドや布団も小さいのに、それがでかく見えるくらい凪は小さい。
聖君は凪の日記を書き終えると、ベビーベッドで寝ている凪のことを、顔を近づけじっと見た。
「可愛いよなあ」
ぼそって聖君はつぶやいた。
「うん、絶対に桃子ちゃんに似ている」
そう?
「将来、ナンパとかされたらどうしよう。絶対に、女子高に行かせよう」
え…。
「桃子ちゃんみたいに、可愛くなるんだろうな。ああ、俺、心配…」
「………」
私は将来、凪に彼氏ができたりした時のことが心配。聖君、許さないだろうな。凪、あれこれ言われちゃうのかな。ちょっと凪がかわいそうかも。
私はその時は、凪の味方になってあげよう、なんてわけのわからない決心を心の中でしたりしていた。
それからまた、聖君は私の横に寝転がってくると、
「ね、桃子ちゃん」
と甘えた声を出した。
「なあに?」
「二人目は、いつごろ欲しい?」
は~~~~~?!2人目?!
「2~3年あける?それとも、俺が大学卒業してからのほうがいいかな。それか、すぐに2人目も作っちゃって、子育てをいっぺんにしちゃうって手もあるよね」
そんなことを考えてたの?え~~~~!びっくり。
私が目を丸くして聖君を見ていると、
「あれ?なんだか驚いている?」
と聞いてきた。
「う、うん。私、2人目までまだ、考えてなかった」
「え?でも一人っ子は寂しくない?」
「……」
聖君って、もしかして本当に私との未来設定をしっかりとしていたのかな。
「えっとね…。なりゆきにまかせるっていうか、自然にまかせてみたいような気もする」
「あ、なるほどね。それもいいね」
聖君はそう言うと、私の髪を優しくなでた。
「桃子ちゃん、寝ていいよ?凪がお腹空かせたら、俺が起こすから」
「…うん」
は~~~~~~~。優しい~~~~。
私は聖君の優しいオーラに包まれ、すぐに眠りについた。
ふえ…。ふえ…。ふえ…。
う~~ん、何か泣いてる。
ふえ…。ふ、ふ…。
「ふんぎゃ~~~!」
「うわ!」
私は目が覚めた。と、その時隣で、聖君も起き上がった。
「凪だ。うわ。すんげえ泣いてる」
ふんぎゃあ、ふぎゃあ。本当だ。顔を真っ赤にして泣いている。
「ごめん、凪」
私はすぐに抱っこをして、凪におっぱいをあげた。
「やべ…。俺、いつの間に寝てたんだろう。今、何時だ?」
聖君が時計を見た。
「1時か…。じゃあ、さっきおっぱいをあげてから、ちょうど3時間か」
「うん」
ああ、あんなに泣くまで気づけないとは…。凪、ごめんね。とほほだよ…。
「ごめんね、桃子ちゃん。凪が泣いたら起こそうと思ってたのに」
「ううん。私も起きれなかったんだもん」
聖君も、うなだれちゃってる。
凪はおっぱいを飲むとすぐに、ぶりってウンチもしてくれて、オムツも替えることになった。
聖君は、まだオムツ交換をしたことがない。さすがにウンチをしたオムツを見てひるんでいる。でも、私はそんなこと言ってられない。とっととお尻をふき、とっとと新しいオムツにしようと紙おむつを手にした時、
「うわ!」
凪がおしっこをしてくれた。
「あ~~~~。シーツが~~。凪の肌着が~~~~」
おしっこまみれ…。でも、凪はとても、機嫌よさそうな顔をしている。
「ああ、せめて紙おむつをしてから、おしっこしてよ」
がっくり。
「桃子ちゃん、凪にオムツしてあげて。それで早くに着替えさせよう。きっと冷たくなっちゃうよ」
「あ、そうだよね!」
さすがだ、聖君。私はすぐに新しいオムツにしてあげて、それから急いで凪の肌着を替えてあげた。
「凪のこと、抱っこしてて」
聖君に抱っこしてもらって、私はベビーベッドのマットからシーツを外した。
防水シーツのおかげで、マットまでは濡れずに済んだ。私は綺麗なシーツをしき、
「聖君、寝かしつけお願いしてもいい?」
と聞いた。
「うん、いいけど。これからそれ、もしかして洗うの?」
「一応、洗濯だけはした方がいいかなって思って」
私は聖君にそう言って、汚れたシーツと肌着を持って1階に行き、洗面所に行こうとした。すると、
「どうしたの?」
と母がやってきた。
「起きてたの?」
「ううん。凪ちゃんの泣き声で起きちゃって。凪ちゃん、大丈夫?」
うわ。一階にまで聞こえてたのか。申し訳ないなあ。
「もう、お腹もいっぱいになって寝ると思うよ。聖君が寝かしつけてくれてる」
「あら、おっぱいでもはいちゃった?」
「ううん。オムツ替えの時、おしっこしてくれて、シーツと肌着が濡れちゃって」
「あ~~。ひまわりもあなたも、してくれたわね。そういう時には、下に新しいオムツをしておいて交換するとか、オムツ替え用に何か、お尻の下に敷くものでも用意するとかしたらいいかもね」
なるほど。そんな工夫が必要なのか。って、何?それじゃ私も赤ちゃんの時には、同じようなことをしたってこと?
「洗っておくから、あなたは寝なさいよ」
「え?いいよ、お母さんこそ寝て。私が洗う」
「いいわよ。また3時間したら、起こされるのよ。少しでも寝れるときに寝なさい」
「ごめん。ありがとう」
私は母にお願いして、2階の私の部屋に戻った。
「あれ?早いね」
聖君はまだ、凪を抱っこしていた。
「お母さんが凪の声で起きちゃったんだって。洗濯もしれくれるって」
「そうなんだ。悪かったね。俺らがあんなに凪を泣かせちゃったから」
「うん…」
お父さんまでは起きなかったのかな。明日も接待ゴルフで朝、早いんだよね。お母さんも朝早くに起きるんだよね。ああ、申し訳ないな。
「これ、2人で暮らしてたら大変だよね」
聖君がぽつりとそう言った。
「うん、大変…」
「お母さんには本当に、感謝だよね」
「お母さんは、大阪にいる時に私を産んだんだよね。大変だったろうな。だって、おばあちゃんもいなかったんだし」
「…そうだね」
聖君の腕にいる凪を見ながら、つくづく母や父の愛を感じて、私はじ~~んとしていた。
凪は聖君に抱っこされて、目がもうくっつきそうだ。
「おやすみ…。凪」
聖君がものすごく優しい声で、凪にささやいた。凪はその声で、すうって目を閉じ寝てしまった。
魔法?!
って思えるくらいの、聖君の「おやすみ」のささやき。私まで、その魔法にかかって寝てしまいそうになる。
聖君はそおっと凪をベビーベッドに寝かせた。私は電気を消して、聖君とベッドに横になった。
「今度はちゃんと起きないとね」
「うん」
聖君の言葉にうなづいて、次は起きれるかな、とドキドキしながら私は目を閉じた。
すう…。聖君の寝息も聞かないうちに私は寝ていたようだ。
ふえ…。ふえ…。ふえ…。
「桃子ちゃん、凪、起きた」
ふえ…。ふえ…。
「ああ、凪、お腹空いたんだよね?待ってて。今、ママ起こすからね」
誰?ああ、聖君の声だ。えっと、ママって誰?
「桃子ちゃん、凪、起きてるよ」
ふ、ふ、ふ…。
「ふんぎゃ~~~!」
「うわ!」
目が覚めると横で、凪の大きな泣き声に慌てている聖君がいた。抱っこをしたまま、必死にゆらゆら凪を揺らしている。
「ご、ごめん。凪、聖君」
私はすぐに凪を腕に抱え、おっぱいをあげた。凪は目に涙をいっぱい浮かべていた。
あ~~~~~~~~~~~。
起きれなかった~~~。聖君が起こしてくれてたのに。
自己嫌悪。
私は海よりも深く、落ち込んでしまった。
凪、ごめん、本当にごめん。こんなママで。ああ、これからがかなり不安だ。